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第2話 事件

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「野菜の水洗い終わりました」
「おお、ありがとう。助かったよ」

 葉野菜が入ったカゴを厨房に届け、翡翠色の髪の青年は「他に手伝えることはないか」と年配の料理長に尋ねた。

「嬉しい申し出だが、そんなに頑張らなくてもいいんだよ。朝からずっと動きっぱなしだろう」
「いえ。屋敷に置いてもらっているだけの身ですし、今日は他に頼まれている仕事もありませんから」
「そうかい。じゃあ裏の畑から追加で芋を取ってきてもらおうかな」
「わかりました!」

 新たな仕事を得て笑顔で厨房を出て行く青年を見送ってから、新入りの料理人が首を傾げた。

「リアン様って変わってますよねぇ。すすんで雑用なんかやりたがって」
「ワシら使用人には関係のない話だ。ヘタな勘ぐりはやめておけよ。旦那様に睨まれても知らんぞ」

 新入りの好奇心にしっかり釘を刺してから、料理長は自分の仕事へと戻った。

 翡翠色の髪を持つ青年の名はリアン・ユニヴェール。田舎街ソルトンを治めるウラガヌス伯爵家の遠縁で、両親がいないリアンをあわれんだ現当主グラニスが屋敷に住まわせるようになった……というのは表向きの話。「実は当主の隠し子ではないか」「愛人に産ませた子を引き取ったのではないか」と使用人たちは陰で噂している。

 屋敷の裏手にある小さな畑。その一角に座り込んで芋を掘り出す作業をしていたリアンの前方の地面が突然隆起した。驚いて飛び退いたリアンを嘲けるような笑い声が畑中に響き渡る。

「ああ、すまん。魔法が出てしまった」
「……ゲラート、様」

 笑い声の主はウラガヌス伯爵家の嫡男ゲラート・ウラガヌス。彼は栗色の髪を片手で掻き上げながら、無様に動揺するリアンを見下ろした。先ほど地面を隆起させたのは彼が使う土魔法である。

「また使用人の真似ごとか。おまえも我が家に連なる姓を名乗るなら立場を考えろ。それとも、いっそ本当に使用人に成り下がるか?」
「……」
「口ごたえをしないところは褒めてやるが、それでも男か? 情けない奴だ」

 馬鹿にされ、罵倒されてもリアンは言い返さない。ただ黙って平伏して嵐が過ぎ去るのを待つだけ。そんなリアンに対し、また別の人物から声がかかった。

「まあぁ、こんなに畑仕事が似合う人なんて見たことないわ。ねーえ、お兄様?」

 派手なドレスを身にまとった少女が生け垣の向こうに立ち、ころころと笑っている。外出用の靴を汚したくないからか、石畳が敷かれた場所から動かない。

「また手紙が溜まっている。使用人の手伝いなんぞより俺の仕事を優先しろ! さっさと中身を確認して返事を書いておけ。分かったな?」
「……はい、ゲラート様」

 ゲラートは身の回りの雑務をリアンに丸投げしており、貴族学院時代は課題を、現在は夜会の招待状や仕事のやり取りなども含めて管理させている。勝手に私室に入ることを良しとしない癖に手紙が溜まると不機嫌になる。ゲラートの扱いに困惑しながらも、リアンには従う以外の選択肢はなかった。

「泥臭さが移る。セレーネ、屋敷に入ろう」
「フフッ、それもそうね」

 セレーネと呼ばれた少女は綺麗に巻かれた長い髪を揺らしながら兄ゲラートの後に続いて去っていく。彼らの足音が聞こえなくなった頃を見計らい、リアンは地面に落ちた芋を拾い集める。それから、土魔法でぐちゃぐちゃにされた畑を農具で整えた。

 年が近い伯爵家兄妹から虫ケラのように扱われてきたせいか、リアンは気弱で卑屈な性格に育っていた。成人となる十八才を過ぎてもまだ身の振りかたが決まっておらず、本人もどうしていいかわからない。完全に宙ぶらりんの状態となっている。

 リアンの唯一の楽しみは、月に数回料理長の買い出しについていくこと。ソルトンから程近い衛星都市ルセインまで荷車で出かけ、数時間だけ孤児院で過ごすのだ。子どもたちと遊んでいる間は心から笑える。運が良ければサイにも会える。それだけが心の支えとなっていた。




 ある日、料理長の買い出しについてルセインにやってきたリアンはいつものように孤児院を訪ねた。残念ながらサイの姿はなかったけれど、子どもたちはリアンの来訪を喜んで迎えてくれた。

「今日はなにをしようか」
「隠れんぼがいい!」
「じゃあ、隠れる人と探す人に分かれよう」

 子どもの数は多い。一人では全員探しだすまでに時間がかかるため、半々に分けることにした。リアンは隠れる側になり、孤児院の敷地内で身を隠す場所を探して回る。

「リィにいちゃん、いっしょに隠れよぉ」

 幼い少女ミリーが心細そうにリアンの服の裾を握って訴える。一人ではうまく隠れ場所を見つけられないのだろうと思い、リアンはミリーと共に行動した。

 孤児院の裏手に小さな物置き小屋がある。リアンはミリーと小屋へと入り、積み上げられた木箱の陰に隠れた。何人かの子どもが付近を歩き回る気配を感じ、ぎゅっと小さな体を抱えて息を潜める。

 もしサイがいたら簡単に見つけられてしまうだろうな、などと考えているうちに異変が起きた。

「り、リィにいちゃ、苦しい」

 一緒に隠れていたミリーが急に苦しみだしたのだ。先ほどまでは元気だったのに、今は真っ青な顔で呼吸も不規則。額や首筋に触れれば驚くほど体温が上がっていた。リアンは隠れんぼを中断してミリーを抱え、院長の元へと急いだ。すぐ街医者を呼んで診てもらったが原因は不明。出た症状に対して処置を行う対症療法しか取る手段がない状態だった。

「すみません。僕がもっと早く気付いていれば」
「小さい子は急に体調を崩してしまうものよ。あなたのせいではないわ、リィ。だから気に病まないで。ね?」
「……はい」

 当然遊びは中止となり、ミリーの容態を案じながらリアンは孤児院を後にした。

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