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56話・名前

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 アルケイミアから戻ってすぐ、ルーナはエクレール伯爵夫人と会う約束を取り付けた。もちろん、母親の形見である首飾りを確認してもらうためである。

 ゼトワール侯爵家の離れを訪ねてきたエクレール伯爵夫人は、早速首飾りの検分を始めた。向かい合わせにテーブルに座り、ルーナは固唾を飲んで夫人の言葉を待つ。ラウリィとリヒャルトは少し離れたソファーに腰掛け、二人を見守っている。

「ティラヘイアでも魔導具をやたらと量産していたわけではないの。家族の身を守るために作る御守りのような感覚でね。だから、必ず何処かに家を示す紋章が刻まれているのですよ」

 首飾りを裏返すと、目当ての紋章はすぐに見つかった。細工にまぎれて見えづらいが、確かに一部だけ他とは異なる形をしている。

「これは、エスカティエーレ伯爵家の紋章ね」

 夫人が指し示した箇所には花の形を模した紋章が刻まれていた。偶然か、はたまた無意識下の刷り込みか、それはルーナがよく刺繍のモチーフにしている花だった。

「お父様……、いえ、養父から聞いた話では、私の母はティラヘイアの内乱の際に一人アルケイミアに亡命したそうで」
「そうね。エスカティエーレ伯爵家の嫡男は内乱の最中さなかに婚約者と結婚したと聞いているわ。その後、身籠った夫人だけ安全な国外に避難させたのね」

 夫人は納得したように何度も頷き、首飾りを返した。手元に戻った首飾りに視線を落とし、ルーナは躊躇いがちに口を開く。

「私の本当のお父様は、今どちらに……」

 クレモント侯爵ステュードからは『母親は亡くなった』という証言を得たが、父親に関しては『失脚した』という情報以外に何もない。もし生きているのなら会いに行きたい、とルーナは思った。しかし、問われたエクレール伯爵夫人の表情は暗い。

「内乱で亡くなったと聞いているわ。探せば親族の一人くらいは残っているでしょうけれど、わたくしも前の夫を亡くして以来ティラヘイアに帰っていないから詳しくは分からないの」

 申し訳なさそうに俯くエクレール伯爵夫人に、ルーナは首を横に振った。

「いえ、家名が分かっただけでもありがたく思っております。わ、私は……」

 ルーナの瞳が揺れ、大粒の涙がこぼれ落ちた。ぼろぼろと泣く姿を見て、夫人だけでなくリヒャルト達も驚き、慌てて席を立つ。

「大丈夫か、ルーナ嬢」
「ごめんなさいね、わたくしが辛い話をしてしまったせいだわ」
「ほら、涙を拭いて」

 三人から同時に心配と謝罪と気遣いをされ、ルーナは「違うんです」と否定した。

「私は自分の出自が明らかになって嬉しいのです。本当のお母様やお父様のことは何も覚えていないけれど、この首飾りを遺してくれました」

 ぎゅう、と胸に首飾りを抱きしめ、ルーナは泣き笑いの表情のまま顔を上げた。

「きっと私は大事に思われていた。それを知ることが出来ただけでも幸せ者です」

 愛人の子、妾の子と蔑まれ、肩身の狭い思いをしたクレモント侯爵家での生活。辛かったけれど、衣食住に不自由することもなく、教育も受けさせてもらえた。幼いルーナに首飾りを肌身離さず身に付けろと指示を出したステュードの言葉も、今ならその意図が分かる。

 本来ならば、母親が亡くなり、父親から連絡が途絶えた時点でルーナは放り出されても不思議ではなかったのだ。今まで生きてこられただけでも運が良いとしか言いようがない。

 置かれた状況に不平不満をこぼすどころか、前向きに捉えようと気丈に振る舞うルーナの姿勢に、リヒャルトの胸がちくりと痛んだ。

「思い出したわ!」

 突然エクレール伯爵夫人が大きな声を上げた。

「貴女のご両親のお名前! わたくし、直接お会いしたことはないのだけれど、亡くなった主人がエスカティエーレ伯爵家の先代当主と付き合いがあって、時々話題に上がっていたのよ」

 平時であれば結婚式に招待されていた間柄である。しかし、当時ティラヘイアでは内乱が起きており、それどころではなかった。

「貴女のお父様の名は確か、ルーヴィエット様。そして、お母様の名はアルマレッタ様よ」
「ルーヴィエット……、アルマレッタ……」

 初めて聞く両親の名前を、ルーナは何度も何度も反芻した。アルケイミアともシュベルトとも異なる響きである。ティラヘイア風の名付けなのだろう。

「それと、ルーナさん。貴女の名前も本来はそんなに短くないはずなのよね」
「えっ」
「きっと、養女にする際アルケイミア風に短くしたのではないかしら」

 戸惑うルーナに、エクレール伯爵夫人は自分の考えを告げる。

「貴女の正式な名は、恐らく『ルーナレッタ・エスカティエーレ』。末尾を母親の名前と同じにするのがティラヘイアの習わしですから当たっていると思うわ」

 今までより長くなった名前に、ルーナは何度も目を瞬かせた。涙はすっかり止まり、喜びに頬を紅潮させている。

「私、もう『クレモント』を名乗れませんもの。どうしようかと困っていたのです。両親の名前だけでなく本当の名前まで判明するだなんて。ありがとうございます、エクレール伯爵夫人」

 感謝されたエクレール伯爵夫人は、まるで我が子を見守る母親のように穏やかな眼差しをルーナに向けた。内乱さえ起きなければ両親に愛され何不自由なく育てられたはずの少女は、本来の名も親の顔も知らず遠い異国で寂しい思いをしてきた。ようやく今、少しずつ自分のものを取り返しつつあるのだ。

「……私、これからどうしようかしら」

 ぽつりとルーナがこぼした呟きに驚いたのはリヒャルトである。

 もう追われる心配もない。髪を隠さず、名を偽らずに暮らしていけるようになった。つまり、ルーナはもうゼトワール侯爵家の離れに隠れ住む必要はなくなった、ということだ。以前ディルクの実家から贈られた謝礼金もあり、どこか別の場所に居を構えるという選択もある。

「ティラヘイアに行ってみるのはどう?」
「いいですね、どんな場所か見てみたいです」

 エクレール伯爵夫人の提案に、ルーナは笑顔で賛同する。両親が生まれ育った地だ。探せば知り合いが見つかるかもしれない、という期待もある。

「お嬢様が行くならアタシも行きますよ」

 ティカは当然ルーナに同行する。彼女の出身地は連合国ルクタティオであり、ティラヘイアまでの道案内も可能だからだ。

 これにはリヒャルトだけでなくラウリィも慌てた。

「ぼっ、僕も行く!」
「そ、そうだ。女性だけで遠出をさせるわけには」
「貴方たちには騎士の務めがあるでしょうが!」

 後先考えない軽はずみな発言をエクレール伯爵夫人から一喝され、二人は揃って肩を落とす。その様子に、ルーナとティカは顔を見合わせてふふっと笑った。








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