【完結】聖女になり損なった刺繍令嬢は逃亡先で幸福を知る。

みやこ嬢

文字の大きさ
上 下
49 / 58

49話・絶縁宣言

しおりを挟む

 アルケイミアの宰相インテレンス卿は、頬肉に押し上げられて細くなった目を必死にこじけ、一点を凝視していた。離れていても、彼にはひと目で分かる。ルーナが抱えている分厚い帳簿は間違いなく自分のものであり、決して世に出してはならない『アルケイミアの歴史の闇そのもの』である、と。

 なんとしても取り返さねばという一心で、インテレンス卿が駆け出した。でっぷりした体躯が動きを妨げるが、気にしている余裕などない。ところが、リヒャルトによって簡単に弾き返されてしまう。

「くそ、無礼者めが!」

 インテレンス卿は小さく悪態を吐いた。ルーナだけならばどうにでも出来るが、付かず離れずの位置に陣取っているシュベルトの騎士リヒャルトの存在が厄介だ。

「これは罠だ! 儂をめるための策略だ!」

 腕っぷしで勝てぬのならば舌戦で挑めば良いとでも考えたのだろう。宰相という地位に長年君臨しているだけあり、インテレンス卿は弁舌には自信があった。 

「先ほどからルーナ嬢をかばてしているのはどうやらシュベルトからの客人のようですな。友好国だと言いながら、もしやアルケイミアを混乱させた隙に侵略するつもりではないか?」

 ルーナが最も危惧していた『シュベルトとアルケイミアの関係悪化』。インテレンス卿は目敏くルーナがシュベルト側に庇護されていることに気付き、真っ先に突いた。友好国との関係が拗れれば、最悪戦争に発展する可能性がある。リスクを避けたければ、ルーナを見捨てるしか方法はない。

「宰相である儂を排除すれば容易く支配できると考えておるのだろうが、そうはいかんぞ!」

 明らかに黒いものでも白としつこく言い張れば、そのうち相手が折れて認める。時間を稼ぎ、有耶無耶にして、機をみて奪い返せばいい。そう考えていた。

 しかし。

「見苦しいぞ宰相! しばらく黙っておれ!」

 厳しい叱責の声が壇上から響いた。宰相を一喝したのはアルケイミアの王子ディールモントである。彼は椅子から立ち、肩で息をしながらインテレンス卿を睨み付けていた。か弱い王子が怒鳴る姿など初めて見たインテレンス卿は、驚きのあまり声も出せずに固まっている。

 その隙に、ルーナは抱えていた帳簿を開いた。新しいものが一番上に綴じられており、そこには複数の人物の名前と役職、数字が記載されている。

「選定官の方々の名が記されておりますね。どうしてでしょうか」

 王子から「黙れ」と命じられたからか、インテレンス卿は何も答えない。ただ何度も首を横に振って否定の意を示すのみ。全身から脂汗が滲み出ており、動揺が見てとれた。

「次の頁にはお父様の名があります」

 少し離れた場所に立っていたクレモント侯爵ステュードがギクリと体を強張らせた。血の気が失せた顔で帳簿を捲るルーナの姿を見つめている。

「契約書の署名は間違いなくお父様の字ね。何故こんなところに挟まっているのかしら」

 大広間にいる全ての者に見せて回れない以上、何が書かれているかを説明せねばならない。ルーナは綴じられた契約書の文言に目を通し、簡潔にまとめた。

「誓約書の内容は、『実の娘アトラを聖女に推す見返りに養女ルーナを差し出す』……先ほどの選定官の方々はこのために買収されていたのですね」

 会場内に何度目かのどよめきが起こった。神聖なる聖女選定の儀に於いて不正が行われていたという動かぬ証拠が出たからである。

 ルーナは更に頁を捲った。走り書きのようなものから正式な誓約書まで、書式は様々だが全て聖女選定に関わるものだ。

「帳簿には賄賂を贈って便宜を図ってもらった者、または買収された者の名と金額が記載されております。かなり昔の記録も残っているみたいですね」

 今回だけでなく何代も前のものまでキッチリ保管されていると聞き、一部のアルケイミア貴族の顔色が変わった。対岸の火事だと傍観しているところに火の粉が降り掛かったのだから慌てるほかない。

 真っ先に反論した人物は、やはりクレモント侯爵ステュードである。

「いい加減にせんか、ルーナ! おまえは由緒ある我が家を貶める気か!」

 ステュードから叱られても、ルーナは少しもひるまない。

「ルーナ、もうやめろよ。この前のことは謝るからさ。冗談、いや、悪ふざけが過ぎただけなんだ。今ならからさ、殿下たちに『ぜんぶ嘘でした』って言えよ、なあ?」

 フィリッドからの的外れな謝罪にも、ルーナは何も感じない。

「言い掛かりはやめなさいよ、この恥知らず! だから愛されないのよ妾の子は」

 アトラから侮蔑の言葉を投げつけられても、ルーナの心は痛まない。

「私はアトラと違ってお父様の、クレモント侯爵の娘ではありません。……そうですよね? だから、もうクレモント侯爵家の言いなりにはなりません」

 ルーナは凛とした姿勢を崩さず、三人に向かって堂々と尋ねた。ステュードは返す言葉もなく、ただ唇を噛んで睨み返すのみ。

「あなた、フィリッド。それとアトラ。みっともない真似はおやめなさい。クレモント侯爵家の品位を下げているのはどちらなのか、本当は分かっているでしょう?」

 クレモント侯爵夫人が三人に釘を刺し、ルーナを援護する。ちらりと視線を合わせ、小さく頷き合ってから、ルーナは言葉を続けた。

「先ほども申しましたが、聖女選定の結果が故意に捻じ曲げられ、本来なら選ばれるはずのない者が聖女に選ばれた可能性があります。これまでアルケイミアの国民は『王族の男性は魔力が少ないもの』として教えられてまいりました。だから、誰も疑問に思わなかったのです。──魔力量が多い聖女を妻に迎えているにも関わらず、代々ずっと魔力が少ないことに」



しおりを挟む
感想 45

あなたにおすすめの小説

「君以外を愛する気は無い」と婚約者様が溺愛し始めたので、異世界から聖女が来ても大丈夫なようです。

海空里和
恋愛
婚約者のアシュリー第二王子にべた惚れなステラは、彼のために努力を重ね、剣も魔法もトップクラス。彼にも隠すことなく、重い恋心をぶつけてきた。 アシュリーも、そんなステラの愛を静かに受け止めていた。 しかし、この国は20年に一度聖女を召喚し、皇太子と結婚をする。アシュリーは、この国の皇太子。 「たとえ聖女様にだって、アシュリー様は渡さない!」 聖女と勝負してでも彼を渡さないと思う一方、ステラはアシュリーに切り捨てられる覚悟をしていた。そんなステラに、彼が告げたのは意外な言葉で………。 ※本編は全7話で完結します。 ※こんなお話が書いてみたくて、勢いで書き上げたので、設定が緩めです。

異世界から本物の聖女が来たからと、追い出された聖女は自由に生きたい! (完結)

深月カナメ
恋愛
十歳から十八歳まで聖女として、国の為に祈り続けた、白銀の髪、グリーンの瞳、伯爵令嬢ヒーラギだった。 そんなある日、異世界から聖女ーーアリカが降臨した。一応アリカも聖女だってらしく傷を治す力を持っていた。 この世界には珍しい黒髪、黒い瞳の彼女をみて、自分を嫌っていた王子、国王陛下、王妃、騎士など周りは本物の聖女が来たと喜ぶ。 聖女で、王子の婚約者だったヒーラギは婚約破棄されてしまう。 ヒーラギは新しい聖女が現れたのなら、自分の役目は終わった、これからは美味しいものをたくさん食べて、自由に生きると決めた。

教会を追放された元聖女の私、果実飴を作っていたのに、なぜかイケメン騎士様が溺愛してきます!

海空里和
恋愛
王都にある果実店の果実飴は、連日行列の人気店。 そこで働く孤児院出身のエレノアは、聖女として教会からやりがい搾取されたあげく、あっさり捨てられた。大切な人を失い、働くことへの意義を失ったエレノア。しかし、果実飴の成功により、働き方改革に成功して、穏やかな日常を取り戻していた。 そこにやって来たのは、場違いなイケメン騎士。 「エレノア殿、迎えに来ました」 「はあ?」 それから毎日果実飴を買いにやって来る騎士。 果実飴が気に入ったのかと思ったその騎士、イザークは、実はエレノアとの結婚が目的で?! これは、エレノアにだけ距離感がおかしいイザークと、失意にいながらも大切な物を取り返していくエレノアが、次第に心を通わせていくラブストーリー。

君を愛さない……こともないような、そうでもないようなって、どっちなんですか旦那様!?~氷の軍神は羊飼い令嬢を溺愛する~

束原ミヤコ
恋愛
ディジー・エステランドは、人よりも羊の数が多い田舎の領地に住む伯爵家の娘である。 とはいっても名ばかりで、父はほぼ農家。 母は庶民。兄も弟も、そしてディジーもうまれてこのかた領地を出たことがない。 舞踏会にも行ったことがなければ、他の貴族にも会ったことがない。 チーズをつくり牛の乳を搾り、羊の毛を刈って生きてきた。 そんなエステランド家に、ダンテ・ミランティス公爵閣下から婚約の打診の手紙が届く。 氷の公爵と呼ばれる、うまれてから一度も笑ったことがないと評判の男である。 断ることもできずに了承の返事を送ると、半年後迎えに行くと連絡が来る。 半信半疑でいたディジーだが、半年後本当に迎えが来てしまう。 公爵家に嫁いだディジーに、ダンテは言う。 「俺は君を、愛さない……こともない……ような、気が、するような、しないような……!」 ――って、どっちなんですか、旦那様!?

「白い結婚の終幕:冷たい約束と偽りの愛」

ゆる
恋愛
「白い結婚――それは幸福ではなく、冷たく縛られた契約だった。」 美しい名門貴族リュミエール家の娘アスカは、公爵家の若き当主レイヴンと政略結婚することになる。しかし、それは夫婦の絆など存在しない“白い結婚”だった。 夫のレイヴンは冷たく、長く屋敷を不在にし、アスカは孤独の中で公爵家の実態を知る――それは、先代から続く莫大な負債と、怪しい商会との闇契約によって破綻寸前に追い込まれた家だったのだ。 さらに、公爵家には謎めいた愛人セシリアが入り込み、家中の権力を掌握しようと暗躍している。使用人たちの不安、アーヴィング商会の差し押さえ圧力、そして消えた夫レイヴンの意図……。次々と押し寄せる困難の中、アスカはただの「飾りの夫人」として終わる人生を拒絶し、自ら未来を切り拓こうと動き始める。 政略結婚の檻の中で、彼女は周囲の陰謀に立ち向かい、少しずつ真実を掴んでいく。そして冷たく突き放していた夫レイヴンとの関係も、思わぬ形で変化していき――。 「私はもう誰の人形にもならない。自分の意志で、この家も未来も守り抜いてみせる!」 果たしてアスカは“白い結婚”という名の冷たい鎖を断ち切り、全てをざまあと思わせる大逆転を成し遂げられるのか?

【完結】鈍感令嬢は立派なお婿さまを見つけたい

楠結衣
恋愛
「エリーゼ嬢、婚約はなかったことにして欲しい」 こう告げられたのは、真実の愛を謳歌する小説のような学園の卒業パーティーでも舞踏会でもなんでもなく、学園から帰る馬車の中だったーー。 由緒あるヒビスクス伯爵家の一人娘であるエリーゼは、婚約者候補の方とお付き合いをしてもいつも断られてしまう。傷心のエリーゼが学園に到着すると幼馴染の公爵令息エドモンド様にからかわれてしまう。 そんなエリーゼがある日、運命の二人の糸を結び、真実の愛で結ばれた恋人同士でいくと幸せになれると噂のランターンフェスタで出会ったのは……。 ◇イラストは一本梅のの様に描いていただきました ◇タイトルの※は、作中に挿絵イラストがあります

王太子妃専属侍女の結婚事情

蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。 未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。 相手は王太子の側近セドリック。 ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。 そんな二人の行く末は......。 ☆恋愛色は薄めです。 ☆完結、予約投稿済み。 新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。 ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。 そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。 よろしくお願いいたします。

【コミカライズ決定】婚約破棄され辺境伯との婚姻を命じられましたが、私の初恋の人はその義父です

灰銀猫
恋愛
両親と妹にはいない者として扱われながらも、王子の婚約者の肩書のお陰で何とか暮らしていたアレクシア。 顔だけの婚約者を実妹に奪われ、顔も性格も醜いと噂の辺境伯との結婚を命じられる。 辺境に追いやられ、婚約者からは白い結婚を打診されるも、婚約も結婚もこりごりと思っていたアレクシアには好都合で、しかも婚約者の義父は初恋の相手だった。 王都にいた時よりも好待遇で意外にも快適な日々を送る事に…でも、厄介事は向こうからやってきて… 婚約破棄物を書いてみたくなったので、書いてみました。 ありがちな内容ですが、よろしくお願いします。 設定は緩いしご都合主義です。難しく考えずにお読みいただけると嬉しいです。 他サイトでも掲載しています。 コミカライズ決定しました。申し訳ございませんが配信開始後は削除いたします。

処理中です...