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31話・そばにいてくれ
しおりを挟むルーナがこぼした弱音を聞き、リヒャルトは自分の浅はかさを思い知った。
ひっそり目立たぬように暮らしていたルーナを見つけ、本人も知らなかった『治癒のハンカチを作る能力』を暴いたのはリヒャルトだ。そもそも、単独行動で無茶をして怪我を負ったからこそ発覚した事実である。追っ手を退散させたこと以外、ルーナとティカを追い詰めるような真似しかしていない。
後ろ盾がない彼女たちの弱みにつけこみ、目の届く範囲に住まわせ、治癒のハンカチを作らせている。その結果、ルーナは自分の身を顧みずに作業に没頭、体力の限界を迎えようとしていた。
「すまない。俺は自分の都合ばかりで」
「? どうしてあなたが謝るのですか」
謝罪するリヒャルトに、ルーナは首を傾げた。頬に添えたままだった手のひらが離れる。
「ぜんぶ俺の我儘だ。正当な理由がなければそばに置いておけないと思い、焦り過ぎた」
椅子に座るルーナの傍らに片膝をつき、項垂れて背を丸めるリヒャルト。いつになく落ち込む彼を見下ろし、ルーナはどうしようかと思案した。が、やはり睡眠不足と疲労で回らない頭では良い方法は見つからず、オロオロするばかり。せめて背中を撫でようと伸ばした手を掴まれ、そのまま握られる。
「無理をしなくていい。たとえ治癒のハンカチが作れなくても構わない。ここにいてくれるだけでいいんだ」
「いるだけで、いい?」
ぼんやりと鸚鵡返しに繰り返すルーナの手を自分のほうへと引き寄せる。
「ああ。……俺のそばにいてくれ」
リヒャルトは指先に軽く唇を押し当て、素直な気持ちを口にした。
しばし沈黙が流れる。何の返事もない状態ではリヒャルトも気まずい。せめてひと言でも返してくれないだろうか、と意を決してリヒャルトは顔を上げた。
「……えっ、ルーナ嬢?」
なんと、ルーナは椅子に腰掛けたまま眠っていた。肘掛けに預けた上半身がぐらりと揺れて倒れそうになり、咄嗟に立ち上がって身体を支える。胸元にルーナの頭を抱える体勢となり、どうしたものかと周りに視線を向けた。起こすわけにはいかない。せめてソファーに寝かせようと考える。
眠るルーナの身体を横抱きにし、テラスから客室内に入ろうとしたところで廊下側の扉が開かれた。ティカである。彼女は追加の茶菓子をワゴンで運んできたのだが、リヒャルトの腕の中で眠るルーナを見て全てを察したようで、すぐさま寝室の扉を開け放した。整えられた寝台にルーナを寝かせ、二人はそっと寝室から出て扉を閉める。
「お嬢様を寝かしつけてくれたんですね。ありがとうございます。どうやったんですかリヒャルト様」
「……話をしている最中にな。よほど疲れていたんだろう」
名を呼んでも横抱きにしても起きなかった。腕に抱えた時、思いのほか小柄で軽いことに驚く。華奢な体で、居場所を守るために必死になっていたのだ。
懺悔とともに告げた言葉は果たしてルーナの耳に届いていただろうか。次に目覚めた時にルーナがどんな反応を見せるだろうか、とリヒャルトは思い悩んだ。
本邸に帰ろうとするリヒャルトを引き止め、座るようにとティカが促す。せっかく用意したのだからとカップと菓子をテーブルの上に並べ、ティカも向かいのソファーへと腰を下ろした。本来ならば貴族と侍女が同じテーブルを囲むなど許されないが、リヒャルトはまったく気にせず受け入れている。誰にでも寛容なのではない。ルーナがティカを対等に見ているからこそ、リヒャルトも同じように彼女を扱うのだ。
「ルーナ嬢はもともと努力家なのか」
「真面目な性格だとは思います。でも、寝食を忘れてなにかに打ち込むなんて初めてですよ」
リヒャルトの問いに一旦答えてから、ティカは少し考えてから再度口を開いた。二人とも、隣の寝室で眠るルーナを起こさぬよう声の大きさを抑えている。
「お嬢様は、旦那様や奥様からほとんど構われずに育ちました。唯一顔を合わせる食事の席でも会話は全く無く、聖女候補に選ばれてから何度か声掛けをされたくらいでした。だから、誰かに期待されたり必要とされることを強く望んでいるのだと思います。今回治癒のハンカチを使うところを実際に見て、自分が頑張らなくてはと考えたみたいで」
ルーナの母親はクレモント侯爵ステュードの愛人だったという話だが、ティカが雇われた頃には既に亡くなっており、肖像画すらなかった。愛人の子という微妙な立場で、同じ屋敷に暮らしていても家族との関係は希薄。本当かどうかは分からないが、血の繋がりなどないとフィリッドが言っていた。
「奥様がアタシをルーナお嬢様専属の侍女に選んだ理由はこんな見た目だからです。ひと目でアルケイミアの国民ではないと分かるでしょ? 直接危害を加えられたことはなかったけど、地味~に差別していたんだと思います」
ルーナへの嫌がらせの道具として充てがわれた自分を恥じているのか、ティカの表情が徐々に暗く沈んでいく。
「初めて会った時、ルーナお嬢様はまだお小さくて、アタシと引き合わされた意味に気付いていませんでした。他家の令嬢と一切交流していなかったので、そういった知識もなかったんでしょうね。一緒に過ごすうちにとても懐いてくれました。使用人たちからも蔑まれ、軽く見られているアタシを、ルーナお嬢様だけが対等に扱ってくださったんです」
ティカにとって、雇い主はクレモント侯爵家だが、主人と呼べる存在はルーナだけ。
「だから、おまえはルーナ嬢に付き従っているのだな」
「はい」
リヒャルトの言葉にティカはすぐさま頷いた。
「本当はアタシひとりでお守りしたかったんですけど、やっぱり無理がありましたね。リヒャルト様やラウリィ様に保護していただけて幸運でした」
「いや、俺たちが勝手にやったことだ」
無理やり保護した張本人はリヒャルトだ。
「今までよくルーナ嬢を守ってくれた。アルケイミアにいる時からずっとルーナ嬢を支えてきたのだろう」
労いの言葉を受け、ティカは照れ笑いを浮かべた。
「アタシも勝手にやってるだけですよ」
ルーナを見ていると、何故か放っておけない気持ちになる。命じられたからとか義務だからとかではない。自然と守りたくなる存在なのだ。それはきっとルーナの人柄に惹かれてのことなのだろう、と二人は思った。
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