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22話・男性恐怖症の原因
しおりを挟む客室の中や控えの間には必要なものがほとんど揃っていた。
「使用人の姿が見当たらないですね」
「遅い時間だもの。休んでいるのではないかしら」
厨房には誰もいなかったが、ラウリィから教えてもらった棚から茶器を拝借してお茶の支度を整える。
客室には浴室も備わっていたが、ティカ一人では大きな湯舟を満たすほどの湯を運べない。今夜は桶に湯を張り、髪や身体を拭き清めるだけに留めた。
「貴族のお屋敷なら普通は寝ずの番がいるもんですけど。ここは別邸だそうですから、昼間だけ通いの使用人がいるのかもしれませんね」
お茶を飲んでひと休みしながら、ティカは客室内を見渡した。常に手入れがされているのだろう。家具の上にはわずかな埃すらない。
「リヒャルト様って、もしかして高位の貴族なんじゃないでしょうか」
「そうなの?」
「小物や茶器の質が良いんですよね。派手さはないけど品が良いというか。別邸でコレなら本邸はもっとすごいと思います」
虐げられていたとはいえ、ルーナはクレモント侯爵家の本邸で暮らしてきた。当たり前のように良いものに囲まれていたため頓着がなく、質の良し悪しは分かってもどれほどの価値があるかは判断できない。
ティカは庶民の出である。奉公に上がってからは高位貴族の日用品から家財、調度品に触れる機会もあった。そのティカが言うのならそうなのだろう、と素直に受け取る。
「それより、お嬢様!」
お茶を飲み終えたティカが身を乗り出し、向かいの席に座るルーナに顔を寄せた。
「今日ラウリィ様に触れられた時にずいぶんと怯えてらっしゃいましたけど、大丈夫ですか」
「ちょっとびっくりしてしまって。案内しようとしてくださっただけなのに失礼な態度を取ってしまったわ」
「ラウリィ様が怖いわけではないんですね?」
「もちろん。あの方には危ないところを助けていただきましたもの。まあ、怒らせると怖いとは思うけど」
先ほど夜間に逃亡したことに対してお説教を食らったばかりだ。あの時のラウリィの剣幕を思い返して、二人は冷や汗をかいた。
「リヒャルト様は怖くないんですか」
「どちらかと言えば、彼のほうが怖いかも」
終始笑顔で人当たりの良いラウリィに対し、リヒャルトは無愛想で口数が少ない。見た目も性格も取っ付きにくい人物と言える。
「でも、さっきリヒャルト様から触れられた時は手を振り払いませんでしたよね」
ティカに指摘され、ルーナは目を丸くした。
詰め所から連れ出される際に手首を掴まれたことを思い出す。確かに、怖いとか嫌だという感覚は全くなかった。騎士団の拠点で再会し、手首の傷を確認するために自ら手を伸ばして彼に触れた時も完全に無意識の行動だった。
人当たりが良いラウリィを恐れた癖に、取っ付きにくいリヒャルトは平気だった。ティカはルーナの反応の差に理由があるのではないかと訊ねているのだ。
「たぶん、初めてお会いした時にすごく弱ってらしたから、かも」
「最初にハンカチをお渡しした時ですか?」
「ええ。酷いお怪我で、私がなんとかしなくてはと思ったの」
ルーナは世間知らずだが、自分が置かれた状況をよく理解している。普段は借りている部屋で生活し、たまに外に出ても銀の髪をスカーフで隠して目立たぬようにした。厄介ごと、面倒ごとを避けてひっそり暮らしていた。
それでも大怪我を負った人が視界に入れば放ってはおけず、つい声を掛けてしまった。最初に弱りきった姿を見て庇護欲が湧き、結果として警戒心が薄れたのかもしれない。
「リヒャルト様、もうピンピンしてるじゃないですか。なのに平気なんですか?」
「本当ね。自分でも不思議だわ」
他愛のない話で盛り上がっているのは不安な気持ちを誤魔化すためなのだと、ルーナもティカも分かっていた。全てを捨てて逃げ出した夜も、初めて国境を越えた日も、ふたりは笑った。笑うしかなかったからだ。
そして、ティカにはルーナがラウリィを警戒した理由に何となく察しがついていた。
聖女候補の資格を失ったあの日、ルーナは兄フィリッドと宰相インテレンス卿から襲われ掛けている。助け舟を出す機を探るため、ティカは使用人専用の覗き窓から密かに現場を見ていた。あと少し妨害が遅ければ、きっとルーナは汚されていた。身勝手な欲望をぶつけられたせいで男性恐怖症になりかけているのだ。だからこそ、逃亡生活の間は最低限の外出しかさせなかった。
心の傷は少しずつ癒えてきてはいるが、アルケイミアからの追っ手が現れた時に再びあの日のことを思い出してしまったのだろう。恩人であるラウリィにまで過剰に反応してしまった理由はそのためだ。
しかし、リヒャルトに対しては無警戒。もしや特別な感情でもあるのかとティカは考えたのだが……。
「リヒャルト様と仲良くなれると良いですね」
「そうね。結局こうしてお世話になってしまったし、ご恩は返さなくては。やっぱり治癒のハンカチをお作りすべきかしら」
「……ううん、まあ、お嬢様はそうですね」
「なあに? ティカ」
「なんでもないです」
うちのお嬢様にはまだ恋愛の『れ』の字もない、とティカは深く息を吐き出した。
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