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5話・異母兄の嘲笑 1
しおりを挟む「ルーナ」
「お兄様」
自室に戻る途中、青年から呼び止められた。彼はクレモント侯爵家嫡男フィリッド。ルーナより十歳年上の腹違いの兄である。普段は夕食の際に顔を合わせるだけで会話はほとんどない。そんな兄から声をかけられ、ルーナは驚いた。
「聖女選定の話、聞いたよ。残念だったな」
「家の役に立てず申し訳ありません」
「気にするな。ルーナは頑張ったよ」
謝罪するルーナの肩にさりげなく手を置き、フィリッドは屈託のない笑顔を見せた。父と同じ淡い紫の瞳が細められている。
「父上からも別に怒られなかっただろ?」
「え、ええ……」
叱責こそされなかったが、代わりに年配の有力者に差し出されることになっている。素直に喜べず、ルーナは曖昧な笑みを浮かべて言葉を濁した。
「昼食を取り損ねたそうじゃないか。夕食までまだ時間がある。たまには兄妹水入らずでお茶でもしよう」
気遣わしげな兄の言葉が嬉しくて、ルーナは二つ返事で頷いた。ティカが同行しようとするが、即座にフィリッドが制する。
「おまえは下がれ。夜に来客があるのだろう? 先に支度をすませておくがいい」
「……かしこまりました、フィリッド様」
こうしてティカと離れ、フィリッドの私室へと招かれることとなった。
侯爵家の後継ぎに相応しい調度品で整えられた部屋は見た目も豪奢で、初めて足を踏み入れたルーナは思わず感嘆の息を漏らした。ルーナに当てがわれた部屋とは間取りも家具も異なっている。
既に連絡を受けていたのか、フィリッド付きの侍女たちがお茶の支度を済ませていた。部屋の主人と客であるルーナが席についた後、最初の一杯を提供してから侍女たちは退室していく。
広い室内で急にふたりきりにされ、ルーナは戸惑った。向かいに座る兄のフィリッドは正妻の子。ルーナは愛人の子である。兄妹とはいえ立場は天と地ほどに違うため、これまで親しく言葉を交わしたことはない。今日は落ち込む妹を見兼ねて同情してくれたのだろう、とルーナは理解した。
「お兄様とお話できて嬉しいです」
素直に喜びを口にすれば、フィリッドは声を上げて笑った。
「おまえを構うと母上の機嫌が悪くなるから最低限の関わりしか持てなかったんだよ。今まで寂しい思いをさせて悪かった」
「そんな、今のお言葉だけで、私」
てっきり嫌われていると思い込んでいたルーナは、フィリッドの言葉に感激して目の端に涙を浮かべた。あらぬ疑いをかけられ、聖女になる資格を失ったけれど、兄から優しい言葉をかけてもらえて純粋に嬉しく思った。
「そうだ。おまえに渡したいものがあるんだ。ついて来てくれ」
「まあ、なんでしょう」
すっかり気を許したルーナは、フィリッドの後ろについて隣室へと足を踏み入れた。まだ明るい時間なのに分厚いカーテンが引かれているせいで薄暗い。数歩入ったところで足を止め、辺りを見回す。どうやら寝室のようだと気付いた瞬間、背後で扉が閉まり、室内がさらに暗くなった。
「あの、フィリッド兄様?」
なにかのいたずらだろうか、とルーナが不安げに兄の名を呼んだ。明るいところから急に暗い寝室に入ったため、ほとんど何も見えない。
困惑したまま立ち尽くしていると、突然二の腕を掴まれた。強い力で身体を押され、倒れ込んだ先は柔らかな寝台の上。ルーナの上に何者かが伸し掛かる体勢となっている。何が起きたか分からぬうちに両手首を掴まれ、身動きが封じられた。
「な、なにをなさいます!」
「動くな。服が破れるぞ」
「お兄様?」
自分を押し倒した人物が兄だと分かり、ルーナは更に困惑した。フィリッドの膝がルーナのドレスの裾を踏んでおり、下手に動けば破損しかねない状態だ。
「おまえ、今夜どうなるか分かっているのか? 狸じじいに抱かれるんだぞ」
「えっ」
『狸じじい』とは宰相インテレンス卿のあだ名である。若い貴族の中で使われる隠語のようなもので、ルーナも他の令嬢たちがそう揶揄して笑う姿を何度か見掛けたことがあった。
「今日は単なる顔合わせだと、お父様が」
「そんなわけあるか。相手の気が変わらぬうちに既成事実を作って押し付けるつもりなんだよ父上は」
「それは、どういう……」
顔が近付けられ、熱い息が頬に掛かるが、組み敷かれた状態では逃げられない。
徐々に闇に目が慣れ、視界いっぱいにフィリッドの顔が映る。彼は今までに見たことがないほど歪んだ笑みを浮かべていた。恐怖で叫びたいのに、喉奥でヒッと息を飲むだけで声を発することすらできない。
「クレモント侯爵家の後ろ盾になってもらうためさ。宰相は若い女が好きだって噂だからな。聖女になり損なったおまえを差し出してご機嫌を取るんだよ」
予想外の言葉に、ルーナの目の前が真っ暗になった。
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