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本編
第22話:胸騒ぎ
しおりを挟む出勤する謙太を見送ってから、龍之介はとりあえず部屋の掃除を始めた。
寧花は必要最低限のものしか持っていかなかったから、ほとんどが残されたままとなっている。
リビングの至る所に絵本やオモチャがあった。目にする度に陽色のことを思い出し、胸が締め付けられるように痛む。たった数日過ごしただけの龍之介でさえこうなのだから、あまり世話をしてこなかったとはいえ、ずっと一緒に暮らしてきた謙太はどれほど辛いだろうか。
キッチンには哺乳瓶や離乳食用の食器。
小さなスプーン。
ストローマグ。
寝室にはベビーベッド。
子供用の小さな枕と布団。
ぬいぐるみ。
見えない場所に片付けようかと思ったが、陽色がいた証が無くなってしまう気がして出来なかった。所定の位置に戻すだけにしておく。
洗濯と掃除を済ませ、買い物に出る。
平日の昼間。すれ違うのは小さな子どもを連れた母親ばかり。陽色に似た声がすると反射的に振り返ってしまい、龍之介はその度に落胆した。
軽めの夕食を用意して謙太の帰りを待つ。
静かな室内が落ち着かなくて、龍之介はリビングのテレビをつけた。再放送のドラマやバラエティ番組を見る気力もなく、ニュース番組を流してBGM代わりにする。
持参したノートPCでメールのチェックをして、簡単な仕事を進めようとするが、全く身が入らない。恐らく謙太も今日は仕事にならなかっただろうなと考える。
今日くらいは残業せずに帰ってくるはずだ。定時に上がれば遅くとも十九時には帰宅出来る。
それなのに、謙太はまだ帰宅していなかった。
休んでいたぶんの仕事をやらされているのかもしれない。帰りを待つとは言ったが、何時に帰るかは聞いていない。謙太の帰りを今か今かと待ちわびる。
その時、テレビ画面に速報が入った。
人身事故で電車運休。よくあるニュースだ。
だが、アナウンサーが読み上げた事故の詳細を聞いて、龍之介は顔を上げた。それは、今朝謙太に手渡した定期に記載されていた路線と駅名だったからだ。
──まさか。
胸騒ぎがして、その場でじっとしていられなくなった。
龍之介は慌てて上着を羽織り、玄関に向かった。気ばかりが急いて靴がうまく履けない。震えてもつれそうになる足を叩き、転がるようにドアの外に出る。
駅までいけば何か分かるかもしれない。その一心でマンションの通路を走り、エレベーターのボタンを連打する。
なかなか来ないエレベーターに苛々しながら、階段で行こうかと龍之介は迷った。そうこうしているうちにランプが点灯し、エレベーターが到着した。
扉が開いたと同時に飛び込もうとしたら、中には驚いた顔をした謙太が立っていた。
「ケ、ケンタ」
朝と同じ、目の下に隈がある酷い顔だ。急に現れた龍之介に目を見開いていたが、次第にその顔は歪んでいった。
「リ、リュウぅ、どこ行くんだよ。待ってるって言っただろぉ!?」
「……おまえが電車に飛び込んだかもって思って」
「そんな度胸ねえよバカ」
「そ、そうか……よかった」
帰宅が遅れたのは、やはり人身事故の影響だった。振替輸送のバスを待って最寄り駅に向かい、ようやく帰宅出来たという。
「おまえまでいなくなるなよぉ……!」
「うん、うん」
「リュウ、リュウぅ……!」
泣きながら縋り付いてくる謙太を抱き締め、龍之介も泣きそうになるのを必死に堪えた。
ちょうど帰宅時間と重なったせいか、この階の住人がまた騒ぎを聞きつけて通路に顔を出し始めた。人が集まる気配を感じ、龍之介は謙太を引き摺って部屋へと駆け込んだ。
玄関の鍵を閉めて、二人並んで溜め息をつく。
マンションの共有部分で騒ぐのは二回目だ。
「……そのうち管理組合から苦情が来そうだな」
「はは、住みづらくなるじゃん」
二人は涙目のまま笑った。
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