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【番外編】最終話以降のお話
20話・彼の後悔
しおりを挟む定時を少し過ぎた頃、阿志雄はいつもの待ち合わせ場所である社員用駐車場に向かった。社屋から一番離れた片隅に見慣れたステーションワゴンがある。
「阿志雄くん、お疲れ様でした」
「穂堂さんもお疲れ様でした」
運転席で待っていた穂堂は、近くに阿志雄が来たのを確認してドアロックを解除した。助手席に乗り込む阿志雄にいつもの穏やかな笑みを見せる。
そのまま車を走らせて帰路につく。当たり障りのない会話をしながら、阿志雄は穂堂の様子を窺った。
昼休憩の終わり際、元東京支社長の翁崎 紡が鍬沢を呼び出して話をしているところに出くわした。そこで偶然耳に入った言葉。既に解決したはずの事件の発端が自分絡みだったと知り、穂堂は酷くショックを受けていた。
あれから数時間。
今は普段と変わらないように見える。
「夕食はどうしましょうか」
「今日はオレが作りますよ。鍬沢にカンタンな作り方を教えてもらったんで」
鍬沢の名前が出た瞬間、ハンドルを握る穂堂の手が僅かに強張った。
「……そうですね。ではお願いします」
「任せてください」
その後は鍬沢の名を出さないよう注意しながら、阿志雄は別の話題を振った。
マンションの部屋に入ってすぐ、穂堂が抱きついてきた。顔を胸元に埋められているため表情は見えない。こんな風に縋られたこと自体が初めてで、阿志雄は狼狽えながらも彼の肩をそっと抱きしめた。
「穂堂さん、大丈夫?」
「すみません。うちに帰ってきたら気が抜けてしまって」
つまり、今の今まで気を張っていたということだ。普段通りを装ってはいたが、やはり昼間の件を引きずっている。
「えー、穂堂さん。支社ちょ……ええと、紡さんは別に穂堂さんを嫌っているわけでは……」
あの後、直接紡と話して彼の目的と意図を理解した阿志雄は誤解を解こうとした。紡自身は弁解も謝罪もしないと言っている。ならば、自分が間に入って真実を伝えなくてはと思ったのだ。
しかし、穂堂が気に病んでいたのはそこではなかった。
「私が紡さんから疎まれていることはいいんです。昔からそうでしたから」
「え、でも、それは……」
顔を上げぬまま答える穂堂。声は微かに震えていた。言いながら、自分の言葉で傷付いている。
穂堂が本社存続を願ったから紡の野望は叶わなかった。元から存在を疎まれていたのに、更に邪魔をしたのだ。完全に敵視されたと思い込んでいるのだろう。
実際は遠回しに心配されているだけなのだが、微塵も伝わっていないのは紡が口下手で無愛想なせいだ。いくら周りが否定しても本人同士が腹を割って話さぬ限り仲良くなることはない、と阿志雄は仲裁を諦めた。
「私が悔やんでいるのは鍬沢くんのことです。まさか九里峯さんに付きまとわれていたなんて」
「まあ、オレも驚きましたけど」
阿志雄も穂堂も、今日まで何も知らなかった。
「彼には何度も悩みを打ち明けるように言ってきました。なぜ相談してくれないのだろうと不満に思うこともありました」
様子がおかしいことには気付いていた。
昼休みは大抵一緒にランチを食べ、他愛のない話をする。穂堂は鍬沢を仲の良い友人だと思っている。困ったことがあれば助けたい、とも。
しかし、鍬沢は頼ってはくれなかった。
「言えるはずありませんよね。彼が九里峯さんから付きまとわれているのは、本を正せば私のせいなんですから」
背中に回された腕から力が抜けていくのを感じ、阿志雄は穂堂の両肩を掴んで身体を離した。俯いていて表情は見えない。
「穂堂さんが責任を感じることはないです。アイツを巻き込んだのはオレなんだし」
「でも、」
反論しようと顔を上げた穂堂の頬には涙の筋があった。
「鍬沢くんのことだけではありません。……片桐さんが事件に関わって傷付いたのも私のせいなんです」
アルムフードサービスの元経理、片桐は九里峯に唆されて食品偽装をした。社員食堂は総務の管轄で、担当は穂堂。穂堂を辞めさせるための手段として利用されたのだ。結果的に、片桐は病んでアルムフードサービスを辞めた。
「わ、私は自分が許せない。周りを不幸にしておいて、私だけが幸せになって」
誰かの犠牲の上に成り立っているとも知らずに平穏な日々を過ごしていた。申し訳なさと我が身の不甲斐なさに打ちひしがれ、自己嫌悪に陥っている。
彼の後悔を聞きながら、阿志雄は改めて穂堂の心の傷の大きさを実感した。
「例え切っ掛けがそうだとしても、穂堂さんは何も悪いことしてないでしょ。誰かが勝手にやったことまで責任を感じる必要なんてない」
「……阿志雄くん」
「あの件があったからオレ達は一緒にいられるようになったんですよ。全部なかったことにしたいんですか?」
そこまで言われて、穂堂は顔を強ばらせた。
ひとりきりのの生活を思い出し、青褪める。
「嫌です。君がいない頃になんて戻れない」
「オレもです。だから後悔しないでください」
頬に伝う涙をそっと拭われ、穂堂は腕の中で阿志雄を見上げた。曇りのない笑顔に、鬱々とした気持ちがかき消されていく。
「実は片桐さんとメールでたまにやり取りしてるんですけど、最近恋人が出来たって」
「えっ?」
以前傷心の片桐を保護した際、九里峯の写真を送ってもらうために阿志雄はメールアドレスの交換をした。彼女がアルムフードサービスを退職してからも時々メールで連絡を取り合い、精神状態のチェックをしていたのだ。
当初は自責の念でかなり落ち込んでいたが、新しい環境で徐々に立ち直り、現在は有里村の母親から紹介された男性と交際しているという。
スマホのメール画面を見せながら、阿志雄は穂堂に笑い掛けた。
「君はそんなことまでしていたんですね」
「片桐さんにとって、オレはほぼ部外者ですから。それくらいの相手の方が気楽に話せるでしょ?」
営業で培った距離感の掴み方や巧みな話術、親しみやすさがあるからこそ片桐も心を開いたのだろう。
「人生なんて何がどう転ぶか分からないもんです。事件自体は悪いことだけど、結果だけみればそんなに悪くないんじゃないですか」
「そう、ですね。……そうかもしれません」
ようやく前向きな思考を取り戻した恋人に安堵して、阿志雄は穂堂の背中を押してリビングへと入る。
「さ、晩メシにしましょう!オレが作るんで、穂堂さんはソファーで座って待っててください」
「いえ手伝います。何をすればいいですか」
肩を並べてキッチンに立ちながら、この生活も色々な偶然の積み重ねがもたらしたものなのだと穂堂は思った。
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