上 下
122 / 142
【番外編】最終話以降のお話

20話・彼の後悔

しおりを挟む


 定時を少し過ぎた頃、阿志雄あしおはいつもの待ち合わせ場所である社員用駐車場に向かった。社屋から一番離れた片隅に見慣れたステーションワゴンがある。

「阿志雄くん、お疲れ様でした」
穂堂ほどうさんもお疲れ様でした」

 運転席で待っていた穂堂は、近くに阿志雄が来たのを確認してドアロックを解除した。助手席に乗り込む阿志雄にいつもの穏やかな笑みを見せる。

 そのまま車を走らせて帰路につく。当たり障りのない会話をしながら、阿志雄は穂堂の様子を窺った。

 昼休憩の終わり際、元東京支社長の翁崎 紡おうさき つむぐが鍬沢を呼び出して話をしているところに出くわした。そこで偶然耳に入った言葉。既に解決したはずの事件の発端が自分絡みだったと知り、穂堂は酷くショックを受けていた。

 あれから数時間。
 今は普段と変わらないように見える。

「夕食はどうしましょうか」
「今日はオレが作りますよ。鍬沢くわざわにカンタンな作り方を教えてもらったんで」

 鍬沢の名前が出た瞬間、ハンドルを握る穂堂の手が僅かに強張った。

「……そうですね。ではお願いします」
「任せてください」

 その後は鍬沢の名を出さないよう注意しながら、阿志雄は別の話題を振った。





 マンションの部屋に入ってすぐ、穂堂が抱きついてきた。顔を胸元に埋められているため表情は見えない。こんな風に縋られたこと自体が初めてで、阿志雄は狼狽えながらも彼の肩をそっと抱きしめた。

「穂堂さん、大丈夫?」
「すみません。うちに帰ってきたら気が抜けてしまって」

 つまり、今の今まで気を張っていたということだ。普段通りを装ってはいたが、やはり昼間の件を引きずっている。

「えー、穂堂さん。支社ちょ……ええと、紡さんは別に穂堂さんを嫌っているわけでは……」

 あの後、直接紡と話して彼の目的と意図を理解した阿志雄は誤解を解こうとした。紡自身は弁解も謝罪もしないと言っている。ならば、自分が間に入って真実を伝えなくてはと思ったのだ。

 しかし、穂堂が気に病んでいたのはそこではなかった。

「私が紡さんから疎まれていることはいいんです。昔からそうでしたから」
「え、でも、それは……」

 顔を上げぬまま答える穂堂。声は微かに震えていた。言いながら、自分の言葉で傷付いている。

 穂堂が本社存続を願ったから紡の野望は叶わなかった。元から存在を疎まれていたのに、更に邪魔をしたのだ。完全に敵視されたと思い込んでいるのだろう。

 実際は遠回しに心配されているだけなのだが、微塵も伝わっていないのは紡が口下手で無愛想なせいだ。いくら周りが否定しても本人同士が腹を割って話さぬ限り仲良くなることはない、と阿志雄は仲裁を諦めた。

「私が悔やんでいるのは鍬沢くんのことです。まさか九里峯くりみねさんに付きまとわれていたなんて」
「まあ、オレも驚きましたけど」

 阿志雄も穂堂も、今日まで何も知らなかった。

「彼には何度も悩みを打ち明けるように言ってきました。なぜ相談してくれないのだろうと不満に思うこともありました」

 様子がおかしいことには気付いていた。
 昼休みは大抵一緒にランチを食べ、他愛のない話をする。穂堂は鍬沢を仲の良い友人だと思っている。困ったことがあれば助けたい、とも。

 しかし、鍬沢は頼ってはくれなかった。

「言えるはずありませんよね。彼が九里峯さんから付きまとわれているのは、もとを正せば私のせいなんですから」

 背中に回された腕から力が抜けていくのを感じ、阿志雄は穂堂の両肩を掴んで身体を離した。俯いていて表情は見えない。

「穂堂さんが責任を感じることはないです。アイツを巻き込んだのはオレなんだし」
「でも、」

 反論しようと顔を上げた穂堂の頬には涙の筋があった。

「鍬沢くんのことだけではありません。……片桐かたぎりさんが事件に関わって傷付いたのも私のせいなんです」

 アルムフードサービスの元経理、片桐は九里峯に唆されて食品偽装をした。社員食堂は総務の管轄で、担当は穂堂。穂堂を辞めさせるための手段として利用されたのだ。結果的に、片桐は病んでアルムフードサービスを辞めた。

「わ、私は自分が許せない。周りを不幸にしておいて、私だけが幸せになって」

 誰かの犠牲の上に成り立っているとも知らずに平穏な日々を過ごしていた。申し訳なさと我が身の不甲斐なさに打ちひしがれ、自己嫌悪に陥っている。

 彼の後悔を聞きながら、阿志雄は改めて穂堂の心の傷の大きさを実感した。

「例え切っ掛けがそうだとしても、穂堂さんは何も悪いことしてないでしょ。誰かが勝手にやったことまで責任を感じる必要なんてない」
「……阿志雄くん」
「あの件があったからオレ達は一緒にいられるようになったんですよ。全部なかったことにしたいんですか?」

 そこまで言われて、穂堂は顔を強ばらせた。
 ひとりきりのの生活を思い出し、青褪める。

「嫌です。君がいない頃になんて戻れない」
「オレもです。だから後悔しないでください」

 頬に伝う涙をそっと拭われ、穂堂は腕の中で阿志雄を見上げた。曇りのない笑顔に、鬱々とした気持ちがかき消されていく。

「実は片桐さんとメールでたまにやり取りしてるんですけど、最近恋人が出来たって」
「えっ?」

 以前傷心の片桐を保護した際、九里峯の写真を送ってもらうために阿志雄はメールアドレスの交換をした。彼女がアルムフードサービスを退職してからも時々メールで連絡を取り合い、精神状態のチェックをしていたのだ。
 当初は自責の念でかなり落ち込んでいたが、新しい環境で徐々に立ち直り、現在は有里村の母親から紹介された男性と交際しているという。

 スマホのメール画面を見せながら、阿志雄は穂堂に笑い掛けた。

「君はそんなことまでしていたんですね」
「片桐さんにとって、オレはほぼ部外者ですから。それくらいの相手の方が気楽に話せるでしょ?」

 営業で培った距離感の掴み方や巧みな話術、親しみやすさがあるからこそ片桐も心を開いたのだろう。

「人生なんて何がどう転ぶか分からないもんです。事件自体は悪いことだけど、結果だけみればそんなに悪くないんじゃないですか」
「そう、ですね。……そうかもしれません」

 ようやく前向きな思考を取り戻した恋人に安堵して、阿志雄は穂堂の背中を押してリビングへと入る。

「さ、晩メシにしましょう!オレが作るんで、穂堂さんはソファーで座って待っててください」
「いえ手伝います。何をすればいいですか」

 肩を並べてキッチンに立ちながら、この生活も色々な偶然の積み重ねがもたらしたものなのだと穂堂は思った。


 
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。 ▼毎日18時投稿予定

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺(紗子)
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(10/21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。 ※4月18日、完結しました。ありがとうございました。

お客様と商品

あかまロケ
BL
馬鹿で、不細工で、性格最悪…なオレが、衣食住提供と引き換えに体を売る相手は高校時代一度も面識の無かったエリートモテモテイケメン御曹司で。オレは商品で、相手はお客様。そう思って毎日せっせとお客様に尽くす涙ぐましい努力のオレの物語。(*ムーンライトノベルズ・pixivにも投稿してます。)

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

処理中です...