【完結】営業部の阿志雄くんは総務部の穂堂さんに構われたい

みやこ嬢

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最終章 嵐のあとで

100話・阿志雄くんは穂堂さんに構われたい【FA有】

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 穂堂ほどうのマンションで暮らし始めたにも関わらず、アパートを引き払ってはいなかった。直接理由を問われ、阿志雄あしおは視線を彷徨わせた。

「えーと、そのぉ……急に同居が決まったんで賃貸の解約の関係でですね……」

 アパートから退去する場合、最低でも一ヶ月前には管理会社に申告せねばならない。今回の場合は予期せぬ引っ越しだったため、申告が間に合わなかった。賃貸契約が即日解約出来ないことくらい穂堂も知っている。

 しかし、同棲を始めて既に数ヶ月経っている。
 もう何の問題なく引き払えるというのに、阿志雄がアパートの部屋を維持し続けているから問い質しているのだ。

「家賃だって馬鹿にならないでしょう。何故そこまでしてアパートを維持する必要があるんですか」

 穂堂の口調は穏やかとは言い難い。この場で白黒つけてやる、という意気込みが伝わってくる。

「…………いつでも出て行けるように」
「はい?」
「だから、いつマンションから出てもいいようにしてるんです」

 これ以上言い逃れは出来ない。
 阿志雄は観念して理由を口にした。

「私との暮らしはそんなに苦痛ですか」
「ち、違います!めちゃくちゃ楽しいです!」
「では、出て行くつもりはないんですね?」
「当たり前です!」

 即座に否定する表情から嘘ではないと判断し、穂堂は少しだけ安堵する。

「穂堂さんと居るの、すげえ幸せなんです。ここでずっと一緒に暮らしていきたい。……でも、オレも男なんで、このままの状態は我慢出来そうになくて」

 ぽつぽつと理由を語るが、徐々に歯切れが悪くなっていく。俯いて小さな声で呟く姿は威勢が良かったプレゼン時とは真逆で気弱そのもの。

「やはり、何か要望があるんですね?」

 一番聞きたかったのは、ごく稀に見せる阿志雄の作り笑いの理由。そこから要望を聞き出し、改善することこそが今回の目的だ。
 穂堂は身を乗り出し、話の続きを促した。

「オレがしたいことをすれば、下手をすれば穂堂さんに嫌われちまうかもしれない。だから、もし追い出された時にすんなり出て行けるようアパートを借りたまんまにしてあるんです」

 アパートは阿志雄の逃げ場。
 一種の保険だった。

「嫌われるようなことをしたいんですか」
「そうです。もうずっと我慢してるんです」
「……実は赤だしが苦手だったとか?」
「違います。ちなみに、細かいことにこだわりはないんで、さっきのアンケート項目にあるような話ではないです」
「えっ!?」

 同居人満足度調査から改善点を探し出して対応しようと考えていた穂堂が声をあげた。あれだけの数の質問を作成して、わざわざ回答する時間まで割いてもらったというのに全く関係がないと言われ、ショックを受けている。

「では、なおさら言っていただかなければ分かりません。私に至らないところがあるなら遠慮なく仰ってください。出来る限り対応しますので」

 穂堂も今の生活が気に入っている。自分の努力次第で関係を維持出来るのであれば何でもするつもりでいた。

 真面目な穂堂ならそう言うだろうと阿志雄は分かっていた。要望を出せば、それがどんなに些細なことでも真摯に向き合い、歩み寄る形で問題を解消してくれるだろう、と。

 だが、この望みは拒絶される可能性が高く、しかも一度明らかにしてしまえば無かったことにはならない。従って、関係が壊れる覚悟を決めていなければ言い出すことすら出来ない。
 今ある幸せを壊したくなくて、阿志雄は何も言えないままズルズルと同棲生活を続けていた。

「オレは穂堂さんと一緒に居たい」
「?……居ますよね、一緒に」
「もっと近付きたいです」
「これ以上ですか?」
「そうです」

 いつだったか、『どうしたらもっと仲良くなれるんだろ』と言われて困惑したことを思い出す。
 あの時より心の距離は近くなった。同じマンションで暮らしているから一緒にいる時間も増えた。それなのに、阿志雄はまだ足りないと言う。

「一緒に寝たいんです。……意味、分かりますよね?」
「……えっ……ええ。まあ、はい」

 ここまで言われて、穂堂もようやく阿志雄の言いたいことを理解した。理解はしたが、受け止めるには時間が要る。
 膝の上に置いていたノートパソコンが床にずり落ちたが、動揺して手が動かない。阿志雄が代わりに拾い、そばにあるローテーブルに置き直す間も穂堂は動けなかった。

「気持ち悪いって思ったら正直に言ってください。すぐ出て行きますんで」
「いえ、そんなことは……ただ、ちょっとびっくりして」
「恋人同士なのに、そういうこと考えたりしませんでした?オレは毎日考えてましたよ」

 もう隠していても仕方がない。
 阿志雄は開き直って気持ちを暴露した。

 穂堂は俯いたまま、自分の膝に置いた手を見つめていた。少しでも視線を上げれば阿志雄の姿が目に入ってしまう。膝を突き合わせて座っているのだ。どちらかが手を伸ばせばすぐに触れられる距離。

 数ヶ月一緒に暮らしていながら、こんな風に緊張することはなかった。それは、変に警戒されないように阿志雄が気を遣ってくれていたおかげだった。

 与えられた猶予を自分から縮めた。
 もう我慢してほしくなかったから。

「──考えなかったわけではありません。むしろ何も言われないから、君はそういうつもりがないのだと勝手に思い込んでました」

 沈黙の後、穂堂が口を開いた。
 まだ視線は下に向けたままだ。

 阿志雄は知らないが、穂堂は僅か九歳の時に母親の不貞を否定するため、自分と父親のDNA鑑定を先代社長に依頼している。嫉妬に狂った父親の発言から色々と悟り、血縁関係を証明する方法を図書室で調べた。

 恋人同士が何をするか当然理解している。

 これまで恋愛を遠ざけ、特別な存在を作らないようにしてきたのは、誤解からすれ違ってしまった両親を近くで見ていたから。
 その壁を軽々と飛び越えていながら何もしてこない阿志雄に少し寂しく思いながらも安心していた。

「嫌がられると思うと言えなかったんです」
「どうしてですか」
「だ、だって、……寝室のベッド、ふたつが良いって。オレとは寝たくないってことでしょ」
「はい?」

 意外な言葉に、穂堂は思わず顔を上げた。が、今度は阿志雄が俯いている。視線は交わることはなく、項垂れるスーツ姿の青年を見下ろす形となった。

(作り笑いはあの時か)

 一番広い部屋にベッドを置こうという話になった時、穂堂の希望に阿志雄はすぐに賛成してくれた。その時は気付かなかったが、少しぎこちない表情をしていたと今なら分かる。

「同じ布団で寝るの抵抗あるんですよね?そこで駄々をこねたら寝室を別々にされちまうかもと思って、何も言えませんでした」

 言い出せない原因は穂堂にあった。
 拒絶されぬよう細心の注意を払いながら、許されるギリギリのラインを阿志雄はずっと探っていた。

「寝室のベッドを二台にしたのは阿志雄くんと寝たくないからではありません。だと思っていたので、深い意味はありません」
「そういうもの?」
「はい。私の両親や、先代社長と奥様の寝室がそうでしたので、夫婦の寝室とはそれが当たり前だと」

 つまり先入観や固定観念から決めただけで、ベッドを分けたことに他意はないという。それを聞いた阿志雄はようやく顔を上げ、大きく息を吐き出した。

「そうだったんだ……。オレ、てっきり拒否られてると思ってました」
「私こそ、もっと君の意見を聞くべきでした」

 同棲の序盤から誤解が始まっていたと知り、ふたりは顔を見合わせて吹き出した。

「そんで、穂堂さんは嫌じゃない?オレ、本当はハグとかキスとかめっちゃしたかったんです」
「ハグは前からしてますよね」
「それ以上は?」
「うーん……正直に言いますと、この年齢まで経験がないんです。もし君と出来ないのなら、今後誰とも触れ合えないでしょうね」

 穂堂がここまで心を許した相手は阿志雄だけ。
 阿志雄相手に出来ないことは他の誰にも出来ない。

「アッ……経験がない……?」
「恥ずかしながらその通りです」
「マジか……」
「引きました?」
「いえ、最高です」

 そう言いながら阿志雄は震える手で顔を覆い、もう片方の手でサムズアップしている。喜びと感動が入り混じり、また涙がこぼれた。

 素直に感情を表現する阿志雄の姿に、穂堂の心にあたたかい感情が込み上げる。手を伸ばし、短く刈られた髪に触れ、そっと撫でる。こうして自分から触れたいと思ったのは初めてかもしれない。穂堂の口元が自然と緩んだ。

「君は私のために色々頑張ってくれました。おかげで大切なものを何も失わずに済みました。今度は阿志雄くんの番ですよ」

 何度も何度も髪を撫でてやりながら、いつか言われた言葉を返す。

 はじめはお互い大事な人の代わりを誰かに求めていた。

 阿志雄は憧れの先輩の面影を穂堂に感じ、穂堂は亡き先代社長の代わりに学に尽くした。
 幾つものトラブルを共に乗り越え、いつしか一緒にいることが当たり前になっていた。こうなることは最初から決まっていたのかもしれない。

「オレは、穂堂さんとずっと一緒に居たい。穂堂さんの全部が欲しいんです」

 答えた勢いで阿志雄は穂堂の手を掴み、そのまま自分の方へと引き寄せた。腕の中におさまった身体を抱き締め、首筋に顔を埋める。
 あまりにも力強い抱擁に、穂堂は苦しげな声をあげた。

「スーツが皺になってしまいます」
「アッ、すんません!つい!」

 謝りながらも腕の力を少しも緩めない阿志雄に、あきれたように穂堂が笑う。

「この身ひとつで済む願いなら、すぐにでも叶いそうですね」
「エッ」

 身体が離された隙をついて、穂堂が顔を上に向けた。間近で視線が交わる。泣いたせいで少し赤くなっている阿志雄の目尻を指先でなぞり、ふ、と微笑む。穏やかで満ち足りた笑みを見て、阿志雄の心臓が痛いくらいに高鳴った。



 少しでも身動みじろぎすれば唇が触れ合うくらいの距離でお互いの吐息を感じる。

「もう隠し事しないでくださいね」
「分かりました。全部言います」

 阿志雄はもう穂堂に逆らうことは出来ない。この先を期待して、喉が勝手にごくりと息を飲む。
 しかし、甘い空気はここまでだった。

「では、手始めにアパートで何をしていたか教えてもらいましょうか。今日だけでなく時々外回りついでに立ち寄ってましたよね」
「ウッ……」

 終わったと思っていたアパート問題を蒸し返され、阿志雄は青褪める。その反応に穂堂は眼鏡の奥の目を細め、意地悪な笑みを浮かべた。

「大体想像はつきますが、これからはも全てマンションう  ちでしてください」
「……ひとりでしなくて済むように協力してくれます?」
「善処します」

 その返事を聞いて、阿志雄は穂堂の腰を抱き寄せた。この人には一生敵わないと思いながら。





『営業部の阿志雄くんは総務部の穂堂さんに構われたい』 完


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本文内の挿絵は小鳥遊 蒼さまからのファンアートです
素晴らしいイラスト、ありがとうございました♡
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