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最終章 嵐のあとで
93話・安心させるための方法
しおりを挟む突然抱き締められた穂堂は驚きで身を固くした。
「阿志雄くん?」
「何もなくて良かった。いつもならすぐに返信あるのに、二時間以上反応ないから焦りました」
そんなに経っていたのか、とリビングの時計を見て初めて気付く。買い物で寄り道したとはいえ、まだ何も完成していないのに同居人が帰ってきてしまい、穂堂は己の不甲斐なさに少し気落ちした。
阿志雄は更に腕に力を込めて抱き締めてくる。痛いくらいの抱擁に苦笑いしつつ、穂堂は何とか腕を伸ばして阿志雄の背中をぽんぽんと宥めるように軽く叩いた。
「おかえりなさい阿志雄くん」
「ただいま穂堂さん。いま泣いてませんでした?」
「いや、玉ねぎが滲みて……すみません、心配させてしまいましたね」
「オレが勝手に慌てただけです」
身体を離してお互いに謝り合い、そのうちプッと吹き出す。
「これからどうしたものかと迷っていたんです。手伝ってくれますか?」
「何を作るつもりだったんです?」
「肉じゃがに挑戦したかったんですが、手間取ってしまって……味を染み込ませるには時間が足りないかもしれません。あ、あと炊飯器のスイッチも入れ忘れてました」
調理台の上にある不揃いに切られた野菜と肉を見て、阿志雄は穂堂の努力を察した。
「んじゃカレーにしますか。材料大体同じだし、前に作った時のルーが半分残ってるし。コメ炊いて、鍋を火に掛けてる間に風呂入っちまいましょう」
「いいですね、そうしましょう」
具材を炒めて鍋に移し、煮込んでいく。
風呂に入る際は交替で鍋の見張りをすることにした。
「メールに気付かなくてすみませんでした」
「晩メシどうするか確認したくて。なければ帰りに買っていこうかと……まさか作ってくれてるとは思いませんでした」
「外食や弁当ばかりでは体に悪いですから」
鍋をかき混ぜながら穂堂が視線を落とす。
その小さな揺らぎを見て、阿志雄は彼が何を考え、何を不安に思っているか分かった気がした。笑顔の裏で、どうすれば不安を解消できるだろうと考えを巡らせる。曖昧で根拠のない言葉は気休めにすらならない。頭の中で具体的な方法を練り、すぐ行動に移せるようにした。
二週間後。
阿志雄は退勤後にある場所に寄っていた。
そこで受け取った封筒を手に帰宅する。キッチンでは穂堂が夕食の支度の真っ最中だった。少し慣れてきたからか、今では簡単なものなら手際良く作れるようになっている。
「穂堂さん見て」
「なんですかこれは」
差し出された封筒には病院名が印刷されており、穂堂は思わず手を引っ込めた。代わりに阿志雄が封を開け、中身を取り出す。
「人間ドック?」
「この前有休取って受けてきたんです。ほら、どこも悪いとこないでしょ」
「ああ、だから朝ごはん食べない日があったんですね」
結果表を上から下まで食い入るように見る。全項目A判定、異常なしの文字に、穂堂は安堵の息を吐き出した。
「……良かった。急に病院の封筒なんか持ち帰るから、どこか悪いのかと。というか、なぜ人間ドックを?君の年齢ならまだ必要ないのに」
総務部では年に一度、社員の健康診断の手配も行っている。若い者は検査項目の少ない健康診断、三十五才以上の者は人間ドックの対象となる。阿志雄はまだ二十六才のため対象外である。
「びっくりさせてすみません。でも、結果が出るまでは何にも言えなくて」
「え?」
「ついでに癌リスク検査も受けてきました」
「そんな検査まで、どうして」
あと数ヶ月待てば会社の健康診断の時期になる。わざわざ自費で受ける必要などないというのに。
穂堂の問いに、阿志雄は笑った。
「オレ、長生きすると思いますよ」
その言葉を聞いて全てを理解した。
穂堂の両親は四十代の若さで病に倒れ、亡くなっている。先代社長も癌で亡くなった。大事な人との別れは穂堂のトラウマのようなもの。
「これから食事も気をつけるし、運動もします。もちろん幾ら気を付けていても病気になる時はなるけど、もしそうなっても治療に全力で取り組みますんで」
「阿志雄くん……」
阿志雄は穂堂が抱えている不安を軽くするため、人間ドックと癌リスク検査を受けられる病院を探して検査を受けてきたのだ。
「健康を気遣って料理を頑張ってくれてるの、すげえ嬉しいです。でも、あんまり気負い過ぎないでください。一緒に楽しんでやりましょ」
「ふふ、そうですね。毎日続けていくことですから」
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