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最終章 嵐のあとで

90話・逆転する感情

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 悪行を暴かれた仕返しか、と鍬沢くわざわは警戒した。

 そう思っているのが伝わったようで、九里峯くりみねが笑いながら電話越しに弁解する。

『ああ、勘違いしないでください。私は優秀な人材が欲しいだけなんです。良かったら一緒に仕事しませんか』
「馬鹿馬鹿しい。嫌です。無理です。お断りです。大体、東京支社の情シスを丸ごと新会社に取り込んだでしょう。社内SEは足りてますよね?」

 直球過ぎる勧誘をバッサリ断る。
 言いながら、そこから個人の連絡先を知られたのだなと納得する。社員の個人情報は社内システムの中にあるからだ。今は切り離されているが、移行前に幾らでも調べる機会はあっただろう。

 鍬沢の言葉に、九里峯はくつくつと笑った。
 顔は見えないが嬉しそうだ。

『私は思い通りにならない人が大好きなんですよ』
「二度と連絡しないでください」

 ブツっと通話を切り、スマホの電源を落とす。
 面倒だが機種変更をして番号を変えてしまおうと鍬沢は考える。相手の拠点は東京だ。本社との業務提携話が無くなった以上、地方都市こっちに来る用事はないはずだ。電話さえ繋がらなければ煩わされることもない。

 そう思っていたのだが……。






 ある日の仕事終わり。週一で通っている小料理屋の入り口を開けた瞬間、鍬沢は小さく悲鳴をあげた。

「やあ、奇遇ですね」

 カウンター席に座る私服姿の男。以前社員食堂で見かけた時と髪型は違うが、鍬沢が九里峯を見間違うはずがない。

「な、なんでここに」
「以前この辺りで仕事していた時にたまたま見つけたんですよ。私好みの日本酒が揃っていますので」

 九里峯は顔に似合わず洋酒を好まない。飲むのはもっぱら日本酒だ。
 女将がひとりで切り盛りしている小料理屋の店内は狭い。離れたくても間にひと席挟むくらいしか出来ず、鍬沢は着席を躊躇した。

「あらまあ、ふたりとも知り合いだったの?知らなかったわ」

 カウンターの向こうに立つ女将おかみが朗らかに笑った。彼女は鍬沢に郷土料理を教えてくれる師匠のような存在。今日も前回教えてもらったレシピの御礼を言いに来たのだ。何も注文せずに帰るわけにはいかない。

「女将さん、コイツ出禁にしてください」
「まあ困ったわ。たった今ボトルを入れてもらったばかりなのよねぇ」
「なっ……!?」

 見れば、九里峯の前には酒瓶が置かれていた。
 あまり酒に詳しくない鍬沢も知っているくらい有名な銘柄の一番グレードが高い日本酒。ひと瓶数万のボトルを入れた九里峯の方が上客だ。いくら鍬沢が嫌がろうと女将が彼の来店を拒むことは出来ない。ぐぬぬ、と悔しげに歯を食いしばる。

「良い酒ですよ。鍬沢さんも飲みますか」
「……今日は車なんで」
「ああ、最近軽のワンボックス車を買ったんでしたっけ。ホワイトパールの」
「だから何で知ってるんですか!」
「ははは。仕事柄、何でも調べるのがクセになってまして」

 行きつけの店に現れたのだ。恐らく自宅も通勤ルートもバレている。ここで逃げても九里峯は好きな時に好きな場所でちょっかいを出してくるだろう。

 苦虫を噛み潰した顔のままカウンターの椅子に座り、幾つか料理を注文する。大鉢から取り分けられた惣菜が目の前に置かれた瞬間、鍬沢の目が変わった。材料、匂い、盛り付け、皿との調和を確認してから箸を取る。

 料理を前にした鍬沢の集中力は凄い。そばに憎い相手がいることなど忘れて味を探究し、女将に作り方を何度も質問する。
 その様子に、九里峯は口を挟めなくなった。

「なんで同時に店を出るんですか」
「たまたまですよ、たまたま」
「ムカつく。殴りたい」
「聞こえてますけど」
「聞こえるように言ってるんです」

 食事を終えた鍬沢を追い掛けるように九里峯も外に出た。少し離れた駐車場まで歩く。
 女将の手前、店内で他の客を罵るような真似は出来ない。本当なら出会い頭にブン殴りたかったが完全にタイミングを逃してしまった。

「鍬沢さんは料理がお好きなんですね。私は食べる専門で、自分で作るのはちょっと」
「あーそうですか」
「料理が出された瞬間、私の存在を忘れたでしょう?あんなに睨んで意識してくれていたのに、ちょっと悔しいですね」

 なんだかんだで食事中は九里峯のことを考えずに済んだ。そうでなければ、話しかけられているうちにイライラして殴りたくなっていただろう。自分が趣味に没頭するタイプで良かった、と鍬沢は思った。
 九里峯が悔しがる理由がよく分からないが、少しでも嫌な気持ちに出来たのなら溜飲が下がるというもの。

「ざまあみろ」

 先を歩いていた鍬沢がフッと笑いながら振り返る。今まで悪態と仏頂面だけだった鍬沢が初めて見せた笑みに、九里峯が目を丸くした。

「……今のはかなり予想外でした」

 正直なところ、九里峯がここまで追い掛けてきたのは鍬沢に対する嫌がらせが九割、興味が一割だった。その割合が今の笑顔で逆転する。

「駅まで送ってくれません?」
「は?タクシー呼べばいいでしょ」
「もう少しお話したいだけですよ」
「僕は話したくありません」

 その後も月に数回のペースで遭遇し、鍬沢は九里峯に対する嫌悪感を更に強めた。
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