【完結】営業部の阿志雄くんは総務部の穂堂さんに構われたい

最終章 嵐のあとで

８８話・優先順位

　一緒に寝られる！と浮かれたのも束の間。穂堂ほどうがアッサリ了承した理由はすぐに明らかとなった。

「こんな感じでベッドを置きたいんですが」

　スマホの検索画面を見た瞬間、阿志雄あしおは思わず眉間に皺を寄せた。
　穂堂がイメージとして見せてきた写真はベッドをふたつ少し離して設置された、いわゆる『ツイン』。阿志雄が考えていたのは大きなベッドをふたりで使う『ダブル』だ。

（別々のベッドに寝るつもりなら、そりゃあ抵抗なくＯＫするよなぁ）

　思い描いていた予想図とは違うけれど、今まで最低限の家具すら置いていなかった穂堂がようやく前向きに検討しているのだ。下手に異議を唱えて、同じ寝室を使うこと自体を撤回されたら困る。
　阿志雄は笑顔を取り繕い、穂堂の意見に賛成した。





「……というわけで、一緒に暮らすことになった」
「そりゃまた急ですね」
「オレもそう思う」

　空き会議室に鍬沢くわざわを呼び出し、とりあえず現状報告をする。
　阿志雄と穂堂の交際を知っているのは鍬沢と社長、それと食堂のおばちゃん和地わじの三人だけ。あまり大っぴらに出来ない話だという自覚はあるが、誰かに話したい気持ちもある。故に、この手の話の相手は必然的に鍬沢となる。

「食事はどうするんですか」
「朝はパンで昼は社員食堂、夜は外食か買ってきた弁当とか？休みの日はどーすっかなぁ」
「え、本気で言ってます？」
「だってキッチン何にもないもん」

　阿志雄の返答に、鍬沢は「マジか……」と頭を抱えた。
　以前料理の話題になった時、ふたりとも自宅に炊飯器どころかフライパンもないと言っていたことを思い出す。鍬沢からすれば考えられない話だ。

「阿志雄さん。ベッドがどうのとか言ってる場合じゃないですよ。まず買うべきなのは炊飯器と調理器具です」
「う、うん」
「とりあえずオススメの炊飯器ピックアップして後でメールしますんで、今日の仕事帰りにでも電気屋行ってください」

　鍬沢は既にスマホを操作して幾つか候補を出している。その様子に「そんな急がなくても良くね？」と阿志雄は苦笑いを浮かべたが……

「コメは生活の基本です！！！」
「は、はいッ！」

　コメ農家出身の鍬沢がキレた。

　生活の中で何を優先するかは人によるが、食事をおろそかにして健康を損なえば他に気を回す余裕がなくなってしまう。
　鍬沢からの圧力に負け、阿志雄は炊飯器の購入を決めた。





　週末、阿志雄はアパートから荷物を運び込んだ。個人の荷物は個人用の部屋に、布団は寝室に置く。ベッドや寝具を買い揃えるまでは今まで使っていた布団を並べて寝ることになる。

「今日からよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」

　布団の上で膝を突き合わせて座り、頭を下げる。
　顔を上げると、穂堂が嬉しそうにはにかんでいた。それを見て阿志雄の心臓が跳ねた。穂堂とひとつ屋根の下で暮らすのだという実感がじわじわとわいてくる。

「なんだか旅行に来たみたいですね」
「いつもと違う部屋ですもんね」

　布団に寝た状態で小さなランプに照らされた天井を見上げ、噛み締めるように呟く。

「これからは毎日君と一緒なんですね」

　穂堂はこの広いマンションでひとりで暮らしてきた。誰かと同じ部屋で寝るなど大人になってから何度あっただろうか。

「穂堂さん、手」
「はい？」

　阿志雄が掛け布団の端から手を出して伸ばすと、穂堂も倣って手を出した。そっと握れば、嫌がることなく握り返してくる。

「おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」

　手を繋いだ状態でふたりは眠りについた。