73 / 142
第7章 未来を切り拓く選択
72話・葛藤
しおりを挟む阿志雄が九里峯と対峙している頃、翁崎家の屋敷では経営者兄妹による話し合いが行われていた。
昼間、会社で東京支社長の紡が話した『本社のイチ営業所化』『東京支社の本社化』の件だ。当然すんなり認められるはずもなく、特に大阪支社長の奏は猛反対している。
「本社あっての支社でしょ?ケルストはここで創業して大きくなったんだから!」
「それがどうした。新規顧客の大半は関東近郊に集中している」
「数字だけ見ないでよ。別に本社も大阪支社も業績は悪くないでしょ。それに、この辺りには昔ながらのお客さんも多いし」
「おまえも経営者の端くれなら将来を見ろ。俺は今後のケルストを考えて話をしているんだ。感情論は要らん」
三人は翁崎家の広いリビングでソファーに腰を掛け、向かい合って話をしている。紡と奏が派手に言い争う中、間に挟まれた学は沈黙を守っていた。会社での話し合いの時と同様、弟妹の意見は平行線で歩み寄る気配がない。紡は数字を示し、奏は義理と情を重んじる。どちらの主張も正しく、間違ってはいない。
「学兄さんもなんとか言ってやってよ!」
ついに奏が学に意見を求めた。
株式会社ケルストのトップは本社社長の学だ。重役や支社長たちの意見を聞き、最終的な判断を下す立場にある。今は非公式の場とはいえ何か意思表示をすれば、それは本社社長としての言葉となる。
「……済まんが、まだ何も言える状況ではない」
明言を避け、学はそれ以上口を開こうとはしなかった。
ハッキリしない兄の態度に呆れ、奏は「ちょっと息抜きしてくるわ」と言い残して部屋から出て行った。奏の足音が聞こえなくなってから、紡は学に向き直り、先ほどより声を抑えて話を再開した。
「いい加減、徹に頼るのをやめないか。いつまで翁崎家に縛るつもりだ」
「……だが、しかし」
「徹の支え無しで上に立てないと言うのなら俺が代わろう。長男だからと全部背負わなくてもいい。もう父さんはいないんだから」
学はハッと顔を上げた。気遣わしげな表情をした紡が真っ直ぐ兄を見つめている。
「徹を解放してやれ。本社がある限り、あいつはずっとケルストに尽くす。薫さんみたいに家族を犠牲にさせる気か」
穂堂 徹の母親、薫は夫からの理解を得られなかった。だからだろうか。穂堂は三十路近い年齢になっても恋人を作らない。家庭を持つつもりがないのだ。このままでは誰かと寄り添うこともなく、ただケルストのために働くだけで終わってしまう。
手放せるものならばとっくにやっている。
学は己の弱さを支えてもらうことで跡継ぎの重責に耐えてきた。先代社長である父が亡くなり、社長に就任してから二年。この先も社長で在り続けるのならば支え無しでは考えられない。
だが、社長の座から降りるのならば──
「……少し考えさせてくれ」
「前向きな返事を期待しているよ、兄さん」
屋敷の離れでは、穂堂と佐々原が向かい合ってお茶を飲んでいた。ここは穂堂が翁崎家で暮らしていた時に与えられていた部屋で、屋敷を出た今もそのまま維持されている。
「穂堂さんて難しい本読むんですね~」
「全て先代社長の蔵書です」
「へえ~……」
「……」
作り付けの本棚には分厚い専門書の類がずらりと並べられている。佐々原が声を掛けても話題が広がることはなく、再び沈黙が訪れた。
会社にいる時は業務関連の話ばかりで気付かなかったが、穂堂は聞かれたことに答えるだけで自発的に喋らない。プライベートではすぐに会話が途切れ、佐々原は時間を持て余すこととなった。
そこへ奏がやってきた。
「やっほー、藍ちゃん。盛り上がってるー?」
「奏さんっ!」
奏が顔を出した途端、佐々原が笑顔で飛びついた。
「もう大事なお話は終わりました?」
「全っ然!ずーっと平行線だから抜けてきたわ。それよりどお?少しは仲良くなれたかしら」
穂堂と佐々原をふたりきりにしたのは奏の差し金だ。同じ部署にいるが、それぞれ受け持つ仕事がある以上ほとんど共には過ごせない。職場ではイチャイチャ出来ないだろうと考えての配慮だが、完全に裏目に出ている。
「アタシ、奏さんのお部屋に行きたいです!」
「ええ~?折角だから徹くんともっとお話したらいいのに」
「もう十分話しましたから!ねっ穂堂さん!」
「……ええ、そうですね」
佐々原の圧に負けて頷くと、奏は苦笑いを浮かべた。どうやらうまくいっていないのがバレたようである。
「仕方ないわねえ。徹くんも来る?」
「いえ、そろそろ帰ります」
「そぉ?じゃあ、またね」
「はい、失礼いたします」
離れから本宅に移動するふたりを見送った後、穂堂は翁崎家を後にした。
0
お気に入りに追加
109
あなたにおすすめの小説

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
【完結】嘘はBLの始まり
紫紺
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。
突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった!
衝撃のBLドラマと現実が同時進行!
俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡
※番外編を追加しました!(1/3)
4話追加しますのでよろしくお願いします。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる
風見鶏ーKazamidoriー
BL
秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。
ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。
※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。
あなたの隣で初めての恋を知る
ななもりあや
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。
その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。
そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。
一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。
初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。
表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
【短編】乙女ゲームの攻略対象者に転生した俺の、意外な結末。
桜月夜
BL
前世で妹がハマってた乙女ゲームに転生したイリウスは、自分が前世の記憶を思い出したことを幼馴染みで専属騎士のディールに打ち明けた。そこから、なぜか婚約者に対する恋愛感情の有無を聞かれ……。
思い付いた話を一気に書いたので、不自然な箇所があるかもしれませんが、広い心でお読みください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる