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第5章 西と東の思惑
62話・東京支社長の目論見
しおりを挟むフロアの片隅にある自販機コーナー。並んでベンチに座り、伊賀里は阿志雄に笑い掛ける。
昼休みが終わってまだ一時間も経っていない時間帯のため、周りには誰もいない。もし誰かが通り掛かったとしても、傍目には先輩が後輩に仕事のアドバイスをしているようにしか見えないだろう。それくらい穏やかな笑みを浮かべながら、伊賀里は言葉を続けた。
「実は、今回僕が本社に来た理由は、君だけでなくみんなを勧誘するためなんだよね」
「みんなを……?」
「そう。支社長は地方都市にある本社をイチ営業所にして、東京にある支社を本社にするつもりなんだ。だから、いま本社で働いてる社員を少しずつ勧誘して転勤させてるの」
本社を営業所に。
東京支社を本社に。
思いもよらぬ話に阿志雄の思考は一瞬フリーズし掛けたが、穂堂のことを思い出して何とか堪える。
確かに、本社所属の社員が減っていることには気付いていた。中間層の社員はほとんどおらず、定年間際か三十くらいまでの若手しかいない。本社に残っているのは、この地方都市近隣に実家があるかマイホームを構えた者ばかり。
「営業所になっても幾つかの部署は残るよ。でも営業部は無くす予定なんだ。今のご時世、打ち合わせはオンラインで対応出来るし、もし何かあっても新幹線使えば二、三時間で取引先に行けるからね。東京か大阪からでも対応は出来る」
「で、でも、九里峯リサーチは……」
「彼は『オンラインでの対応に柔軟な取引先』を選定してくれているんだ。流石に最初っから対面無しで営業かけるわけにはいかないから当面は今までと同じ感じで仕事を進めてもらうけど、ゆくゆくはね」
阿志雄は今度こそ言葉を失くした。
これは株式会社ケルストの経営に関わる話であり、平社員に過ぎない自分が口を挟む権利はない。伊賀里がこうして話してくれたのは、もう隠す必要がないから。今回トップの三人が集まったのは恐らくこの話をするためなのだろう。
新しい方法を取り入れるのは当たり前のこと。仕事は遊びでない。コストを削り、効率化して、利益を追及する。無駄を嫌う東京支社長らしい方針だ。
でも、そうなったら穂堂はどうなる?
最も大切にしている本社が無くなれば、彼は心の拠り所を喪ってしまうのではないか。
社長や大阪支社長はそんな話を認めるのか。
利益が伴う改革ならば重役や株主は反対しないだろうが、昔ながらの顧客は果たして取り引きを続けられるか。切り捨てたりはしないか。
「まさかこの時期に自分から希望して本社に移る人がいるなんて予想外でさ、支社長が随分驚いていたよ。普通の社員ならともかく君は営業成績ナンバーワンだからね。絶対連れ戻せって指示されてるんだ」
そもそもの原因は僕だったみたいだからね、と付け足す伊賀里の顔に浮かぶのは初めて会った時と変わらぬ穏やかで優しい微笑み。この笑顔に魅せられて地方都市まで追い掛けた。
そして、ここで穂堂に出会った。
東京支社に居たままだったら好きになることも彼の抱える事情を知らなかった。赤の他人で終わることも有り得たのだと考えただけで胸が痛む。
「──それでも、まだ君は本社に残る?」
本当に本社営業部がなくなるのなら残ったとしても未来はない。かといって、東京支社に戻れば穂堂とは離れ離れになってしまう。
何も答えることが出来ず、阿志雄は伊賀里から顔を逸らして俯いた。
【営業部 阿志雄 真司】
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