【完結】営業部の阿志雄くんは総務部の穂堂さんに構われたい

みやこ嬢

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第5章 西と東の思惑

53話・純米酒とカレイの煮付け

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 その日の仕事終わり、鍬沢くわざわにも声を掛け、三人で食事に行くことになった。穂堂ほどうの行きつけの小料理屋はカウンター数席と座敷ひとつのこじんまりした店である。

「あらぁ、また来てくれたの鍬沢さん」
「前に教えてもらった煮物、家で作ってみたんですけどなかなかあの味にならなくて」
「お店用のお料理は一度にたくさん作るから、それだけ素材から旨味とお出汁が出るのよね。その違いかしらねぇ。あとお鍋とか」

 どうやら鍬沢は前回連れてきてもらった際にレシピを伝授されていたらしい。カウンター越しに女将と熱心に話し込んでいる。

「普段人見知りのくせに、料理の話になるとこうだよ」
「いいじゃないですか。鍬沢くんが楽しそうで何よりです」

 この店では十種類ほどの大鉢入りの惣菜がカウンターの上に並べられ、好きなものを女将に頼んで取り分けてもらうスタイルになっている。煮物の他に、炒め物や魚の煮付け、刺し身や酢の物など日替わりで献立が変わるため、ほぼ毎日通う常連客もいるのだとか。

「送っていきますから、飲んでも大丈夫ですよ」
「はぁ。じゃ、一杯だけ」

 穂堂に促され、阿志雄あしおは日本酒を一杯注文した。女将が勧めてくれた和食に合う純米酒をぬるかんにしてもらい、まずは香りを楽しむ。程よく温められた酒をひと口含み、煮付けを食べる。日本酒のすっきりとした辛さと控えめな香りが料理を引き立て、食欲を増す。

 阿志雄たちが食べているのはカレイの煮付けには甘辛い煮汁がたっぷり掛かり、白髪ネギと針生姜が飾られている。箸を差し込み、柔らかな身を骨から外して持ち上げる。一旦煮汁にくぐらせてから口に入れると、ふっくらとした身に染みた甘辛い出汁の味が広がっていく。カレイの味が残っているうちに再び酒をひと口飲む。

「これ、うまっ!」
「女将の料理はいつ食べても美味しいです」

 そう言いながらも、穂堂の箸はあまり進んでいないようだった。佐々原ささはらという新たな悩みの種が出来たからだろう。

「ここも先代と来たことあるんですか」
「ええ、私が入社してから何度か。それ以来、ひとりでも時々寄らせてもらっています」

 阿志雄には既に話したからか、先代社長の話を振っても言い澱むことはなくなった。
 鍬沢も何となく事情を察したようで、特にそのことについては触れてこなかった。ひたすら女将と料理の話題で盛り上がっている。

「……佐々原さんの件、ありがとうございました。阿志雄くんの機転のおかげで何とか気持ちを落ち着ける時間が出来ました」
「それなら良かったです」
「とはいえ、いつまでも逃げてはいられません。私も覚悟を決めなくては」

 現状維持を望む穂堂を周りは許さない。しかも、話を勧めてくるのは大恩ある翁崎おうさき家の人間なのだ。いずれ根負けするのは目に見えている。

 阿志雄は社長を思い浮かべた。
 あの温和で優しそうな人が、可愛がっている穂堂が嫌がることをしつこく勧めるとは考えにくい。単なる肩書きや手当ではなく、他にも理由があるのかもしれない。
 そして、穂堂が頑なに拒む理由も。

 穂堂がお手洗いに立った隙に、阿志雄は椅子をズラして鍬沢に近付いた。耳元に顔を寄せ、小声で話し掛ける。

「なあ、昼休みだけでもいいから佐々原って女と穂堂さんがふたりきりにならないように見といてくれよ」
「今日僕に声を掛けたのは頼みごとがあるからでしたか」
「オレは昼間は打ち合わせで社外に出ることが多いからな。頼れるのはおまえだけだ」
「いいですよ。頼まれなくても毎日昼休みは一緒に社員食堂で食べてますから」
「くっそ、羨ましい……!」

 苦々しい表情でボヤきながら席に戻る阿志雄を、鍬沢はふっと鼻で笑った。



    【情報システム部 鍬沢 明くわざわ  あきら
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