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第2章 疑惑の社員食堂
13話・攻めの情報収集
しおりを挟む「ったく、幾ら仕事だって言ってもなぁ」
「ホントだよ。やりきれねェよな」
居酒屋の奥座敷で酒を煽る作業着姿の二人の男。彼らは入店から数時間、延々と仕事の愚痴をこぼしている。そこへ一人の若者が酒瓶片手に乱入した。パーカーにジーンズというラフな出で立ちが若者を実際の年齢より若く見せている。
「オジさんたち相当ストレス溜まってるみたいっすね~。これ、オレの奢り。良かったらパーッと飲んじゃってよ」
ドン、とテーブルに置かれたのは彼らが飲んでいる安酒とは比べ物にならない特撰純米大吟醸。そのラベルを見て二人の男の目が釘付けになった。
「なんだボウズ、気前がいいじゃねェか」
「こりゃ良い酒だ。貰っちまっていいのかよ」
「いいよいいよ。何なら今夜の飲み代も全部持つ。その代わり、オレも一緒に飲ませてほしいな♡」
若者は無邪気な笑顔で座敷へと上り込む。
素面なら絶対に断るであろう怪しい申し出だが、既に酔いが回っていた二人はふたつ返事で了承した。
数日後。
穂堂と鍬沢は食堂運営会社アルムフードサービスに社用車で乗り付けた。今日は新規契約の相談を口実にアポイントを取っている。
アルムフードサービスは社員食堂メインの派遣会社のようなもので営業所自体はさほど広くはない。故に、常駐の従業員は数人のみ。今回話をする相手は社長だ。お得意様相手の商談はみな彼女が対応する。
「穂堂さん、お久しぶりです。お話でしたらこちらから御社に伺いますのに」
「いえ、今回は契約更新の話ではないですから。資料も見せていただきたいですし」
営業所の一角にある応接スペースで出迎えてくれたのはアルムフードサービスの社長、有里村 瑛里華。三十代前半のキャリアウーマンである。彼女は綺麗に巻かれた長い髪を揺らし、笑顔で穂堂たちを上座の席に案内した。
「こちらの方は?」
「彼は私の補佐の鍬沢です。仕事を覚えさせるために同席させておりますが、よろしいですか」
「もちろん!あ、でも穂堂さんがウチの担当から外れるのはダメですよ」
穂堂の補佐として紹介された鍬沢は、向かいに座る有里村社長を観察していた。話し上手で笑顔を絶やさない、華やかな女性である。穂堂を気に入っている様子が言葉や態度から感じられた。
「実は、社員の福利厚生を更に強化しようという話になりまして、社内に休憩所を作ろうかと」
「いいですねぇ」
「ドリンクバーのような設備を置いて、いつでも誰でも利用できるようにしたいと考えております。社内にそういった場所があれば社員の憩いの場にもなりますし、仕切りのある応接スペースを設ければお客さまへのおもてなしにも使えますから」
穂堂がカバンから計画書を取り出し、有里村に向けてテーブルに置いた。レストスペース設置予定のフロアの間取りや希望などが記載されている。その書類を受け取り、有里村は上から下まで目を通した。
「その手配を我が社に任せていただけると?」
「ええ、ぜひ有里村さんに。とりあえず大体の費用を見積もっていただこうかと」
にこやかに微笑む穂堂を見て、有里村が頬を染める。それを間近で眺めていた鍬沢は口の端を引きつらせて笑いを堪えた。
そこへ、一人の女性がお茶を運んできた。
「どうぞ」
「ありがとうございます、いただきます」
穂堂は彼女にも営業スマイルを向ける。しかし、こちらは何故か表情が硬い。緊張しているようだが、有里村が手にしている計画書を見てホッとしたように息を吐いた。
その様子を、鍬沢は見逃さなかった。
「片桐さん、貴女も同席して。費用をざっと計算してほしいんだけど」
「は、はい。では過去の実績ファイルとパンフレットを持ってきますね」
片桐と呼ばれた女性は自分のデスクに一旦戻り、何冊かの紙ファイルを持ってきた。彼女はこの会社の経理担当である。有里村の隣に座り、穂堂が用意した計画書に書かれた内容に似たケースを探していく。穂堂には機材のレンタルに関するパンフレットが渡されている。
その時、鍬沢が申し訳なさそうに小さく手を挙げた。
「すみません、お手洗いを」
「どうぞ。そこの扉を出て右側にあります」
「ありがとうございます、お借りします」
アルムフードサービスの営業所内にいるのは女性社員ひとり。今は自分のデスクで掛かってきた電話の対応をしていた。有里村と片桐は応接スペースの下座に座っている。つまり、わざわざ振り返らなければ営業所内を見渡すことは出来ない。
トイレに向かう途中、鍬沢は気付かれないように片桐のデスクのPCに持参したUSBメモリを差し込んだ。そして数分後、トイレから出た帰りに回収し、何食わぬ顔で応接スペースへと戻る。
その日は大まかな見積もりを出してもらっただけで話し合いを終えた。
【情報システム部 鍬沢 明】
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