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26話・盛大な誤解
しおりを挟む里枝と共に行ったカフェでタトゥースタジオの店主に遭遇した凛は、咄嗟に伊達眼鏡を外して心の表層を読んだ。しかし、少し探りを入れるだけのつもりが彼が殺人犯であると知ってしまった。彼は吾妻に密かに好意を寄せており、吾妻に近付く女性を既に何人も殺していたのだ。
そして、次は里枝に狙いを定めた。
嵐は安藤に呼び出された際、呻き声がした日と女性たちが死んだ日が一致していると気付いた。一度だけなら偶然だが、三度も続けば何らかの関連があると考えるべきだろう。
「もしかして、タトゥースタジオの店主はレンタル倉庫を借りてるの?」
「ご名答」
問いに答えたのは嵐ではなかった。
いつの間にか嘉島が貸事務所の入り口に立っていた。今回は手ぶらではなく、ノートパソコンを小脇に抱えている。
「直々に報告に来てやったぞ」
「別にメールでも良かったんすけど」
「データが重くて添付できなかったんだよ」
何の話だ、と凛が首を傾げている間に嘉島は向かいのソファーにどかっと腰を下ろした。持参したノートパソコンを開いて起動し、画面を凛たちへと向ける。
「レンタル倉庫の契約時に提出してもらった運転免許証の写しだ。それと、貸したコンテナの場所」
免許証の顔写真は確かにカフェで見た男のものだ。
朽尾文悟、三十二歳。
タトゥースタジオ『Engraved soul』の店長兼彫り師。レンタル倉庫の使用目的は「店の備品を保管するため」だと申告している。そして、彼が借りているコンテナの場所はやはり安藤宅の庭のブロック塀のそばだった。
「んで、これが昨夜の監視カメラ映像」
嘉島がデスクトップ上の動画ファイルを選択すると、画面いっぱいに粗めの映像が表示された。
「やっぱカメラ仕掛けてたんすね」
呆れたように嵐が呟く。
現場を直接確認した時は監視カメラらしきものは見当たらなかった。ダメ元で尋ねてみたのだが、嘉島は平然とカメラ映像を出してきた。
「問い合わせがきたらめんどくせえからな。表向き『無い』ってことにしてんだ」
つまり、契約者にも内緒で監視カメラを設置しているということだ。恐らく見つかりにくい場所に仕込んでいたのだろう。堂々と監視カメラを設置していると、契約者だけでなく近所でトラブル……例えば空き巣や車上荒らしなどが起きた際に映像データの提供を頼まれることもある。最初から無いと言っておけば余計な仕事は増えない。
嘉島は以前から事務所に盗聴器や隠しカメラを仕込もうと企んでいた。だからこそ、嵐は嘉島が自分の管理する物件は監視せずにはいられない性格なのだと考えたのだ。
「映像は一週間くらいで上書き保存される。だから、該当する動画は昨晩のぶんだけだな」
言いながら、嘉島は動画ファイルを早送りした。
ノートパソコンの画面には、コンテナの間にある狭い通路がわずかな明かりに照らされている様が映し出されていた。しばらくして何者かが通路に現れ、奥へと向かっていく。画質が粗く薄暗いため判別しづらいが、ゆるく波打つ長めの髪と独特の雰囲気がある出立ちから朽尾だと分かる。四月二十二日午前一時と画面の端に表示されていた。
「社長、音声は?」
「ない」
極小の隠しカメラにはマイク機能までは付いていないらしい。呻き声は動画では確認できなかった。しかし、安藤が呻き声を聞いた同時刻に朽尾がレンタル倉庫に立ち寄っていたことが明らかになった。
そのまま動画を流し続けると、十数分ほどで再び朽尾の姿が映る。先ほどは手ぶらだったが、小さな肩掛けカバンを担いでいる。借りているコンテナから荷物を持ち出し、通路を戻って帰っていくようだ。
「わざわざ夜中にこんなところに来て呻き声を上げてるってこと? なんで?」
「さあな。趣味か、ストレス発散か」
凛の問いに、嘉島は肩をすくめた。
呻き声の正体は朽尾で間違いない。隠しカメラはコンテナ内までは映していないが、恐らく中で何かしていたのだろう。しかし、吾妻に告白した三人の女性を殺害した方法はまだ判明していない。
「日付に関しちゃ単なる偶然っていう可能性もある。そもそも、レンタル倉庫がある場所とこれまでの被害者が死んだ現場は離れてるし」
「ううん。この人の殺意は本物だよ。遠くから軽く見ただけだから以前の犯行の方法まではわかんないけど、里枝さんを見る目は憎しみや妬みに満ちてて、……『あの女も殺す』って考えてたもん」
「吾妻がクソアマに片想いしてるからって? それだけで殺すとか意味わからん」
顔をひきつらせる嵐を見て、凛は目をふせた。
深刻そうな面持ちで、気遣わしげに言葉を続ける。
「里枝さんに得体の知れない殺意が向けられてるなんて、嵐は信じたくないとは思うけど」
「は?」
「ショックだよね。動揺する気持ちわかるよ」
「いや、待て。なんの話だ?」
なぜか言いにくそうにする凛に、嵐が食ってかかる。すると、彼女はまたも数秒逡巡した。ちらりと嘉島のほうを見てから小さな声でつぶやく。
「だって嵐、里枝さんのこと好きでしょ」
「はあ!?」
聞き捨てならないことを言われ、嵐は座っていたソファーから飛び上がった。
「里枝さんだけ扱いが違うじゃない。妙に突っかかるけど仲良さげだし、話してる時はイキイキしてて楽しそうだし」
「べつに楽しかねえよ」
確かに、里枝に対する嵐の言動は依頼人に対するものとは明らかに異なる。もともと粗野な性格ではあるが、里枝が相手だと特に対応が雑になる。その差が特別な証なのではないかと凛は考えた。
「あの吾妻さんが相手じゃ勝ち目ないもんね。それに、あたしと里枝さんが連絡先交換した時ちょっと嫌そうだったじゃない。里枝さんとやり取りする回数が減るのが嫌だったんじゃないの」
「あっ、あれは……」
凛の指摘に、嵐は言葉を詰まらせた。
凛と里枝が連絡先を交換した時、実際不快に思ったのだ。理由は里枝が好きだからではなく、むしろ逆。ただ、この複雑な気持ちは嵐の中でもまだうまく言語化できない。
「クソアマが俺の神経を逆撫でするようなことばっかホザくからだろーが。恋愛感情じゃねえよ」
「嫌よ嫌よも好きのうち、ってか?」
「違ぇわ!」
嘉島の煽りに嵐は眉を吊り上げて否定した。
まさかそんな勘違いをされていたとは露知らず、怒りと困惑が混在している。里枝とは口喧嘩仲間のような関係で、恋愛対象として見たことは一度もなかったからだ。傍目からどう思われているかなど考えたことすらない。
「てゆーか、勝ち目ないってなんだ」
「え。だって、吾妻さんイケメンだし、優しいし。恋敵になったらまず勝てないでしょ」
見た目はチンピラで口も悪いが、女性からモテないわけではない。もちろん、万人から好かれる吾妻とは比べ物にはならないけれど。
「失礼な。そもそも張り合う理由がねえよ」
「え、違うんだ」
ここまで否定されれば表情や態度、声色から照れ隠しではなく本気で否定しているのだと凛も気付く。
「よくもまあ最悪の想像をしてくれたもんだ」
「ご、ごめん、嵐」
「いーよもう。だから二度と変な勘違いすんなよ」
「はあい」
素直に謝る凛に怒り続けるわけにはいかない。あきれ半分、安堵半分で溜め息をもらす。
「ったく、仕方ねえな……」
妙な誤解が生まれた原因は、凛の能力を以ってしても嵐の心が読めないからだ。嵐の霊能力は霊的な防壁を作り、ある程度の干渉を弾いてくれる。凛の能力が通じないことは良いが、的外れな勘違いをされてしまうことだけは面倒だな、と嵐は苦々しく思う。
「やけに必死に否定してたな」
ニヤニヤしながらからかってくる元ヤクザを完全に無視し、話を続けた。
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