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不遇な水魔法使い

6話 都市での1日

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「カイ、そこのそれとってください」

 洗面台で朝の身支度を進めているサーシャが、艶やかな長髪を梳かしながら俺を呼んだ。テーブルに置かれた彼女のお気に入りの香水を手に取り渡す。

 「ありがとうございます」

 彼女は受け取った香水を首筋に軽く吹きかけた。風に乗って漂う甘く爽やかな香りが俺の鼻腔をくすぐる。いつもの朝の光景だ。
 さて、俺もそろそろ支度を終わらせなければと自室に戻る。

 俺とサーシャがこの豪華絢爛な屋敷のような家に住み始めてから3か月が経つ。食事や掃除などはメイドを雇いやってもらっている。始めはメイドを雇うことに驚いたが、この世界では当たり前のことらしく、1か月もすればメイドのいる生活にも慣れた。

 朝は基本的にカフェで甘い菓子やパンとコーヒーを楽しむ。最初に読んだ魔法の本やフランの銃に書かれた文字と同じように、俺はこの世界で元の世界と異なる物事を何故かだと認識してしまうらしい。だから街中で見かけるイヌやネコ、ハトをそのままイヌ、ネコ、ハトとして認識するし、コーヒーと同じような立ち位置にある飲み物もコーヒーとして認識してしまう。それをコーヒーと言っても、この世界の住人には不思議とちゃんと伝わるのだ。

 あの砂漠での出来事と同じく、俺はこのことに驚きもせず、当然のこととして受け入れている。この朝食を外で食べる文化は未だに少し慣れないが、イタリアでも同じ習慣があったことを思い出すと、元の世界との共通点に心が和む。

「おや、サーシャちゃんにカイ君! はいはい、いつものモーニングセットだね。用意してあるよ。それはそうと、そろそろ新婚生活にも慣れたかい?」

 いつものカフェのマスターが、からかうような笑みを浮かべながら声をかけてきた。

「新婚じゃありませんし、まだ付き合ってもいません!はい、いつものモーニングはいただきます!」
 
 「おばちゃん、俺もいつもので! 結婚式には呼ぶよ」

「カイっ!あ、貴方も何を言っているんですか!?」

 サーシャの頬が桃色に染まる。可愛い。

「和食も名残惜しいけど、このカプチーノとブリオッシュも好きになってきたな……」

「何勝手に食べ始めているんですか!ああ!私のビスコッティ食べないでください!」

 朝食を終え、仕事場となる研究室に向かう。研究室は家から歩いて10分、カフェはその間にある。基本的にサーシャの魔法の実験を手伝うのが俺の仕事だ。とは言っても、まだ魔法について学び始めたばかりなので、ほとんど雑用がメインである。

「サーシャ、探していたこの水の不純物分離実験の論文はどこに置けばいい?」

「カイ、おかえりなさい。電解質の種類ごとに結果を表にまとめてください。私の方ももう少しで理論計算が終わりますので」

 この世界の魔法は、日本にいた頃に想像していたものとは大きく異なっていた。もっと魔法陣や杖で呪文を唱えるものだとばかり思っていたが、実際は術式と呼ばれる方程式を基に計算し、詠唱して結果と理論が合っているか検証をする……まるで科学の実験のようだ。

「以上が土魔法の特徴です。この性質によって私たち土魔法族以外の者は手のひらサイズしか個体物質を生成できませんが、土魔法族はある程度の大きさから複雑なものまで、術式の理解が十分にできていれば作り出せるのです。この都市の建築物も土魔法族の建築士が魔法で建てました。これには魔法とは別に建築についての理解も必要なんですよ」

 サーシャは黒板に書かれた複雑な術式を指しながら、熱心に説明を続ける。

「魔法使い以外も魔法でそんなことできるのか?それとも都市魔法使いの証も皆持っているのか?」

「いえ、魔法を使うだけなら使う術式の理解だけでできますから、証は必要ありません。それに、都市魔法使いになるには中々難しいのですよ。まあ私は都市マギポリスで史上最年少の13歳という異例の合格をした、才気が溢れることがやまない究極で完璧な魔法使いでもあるので(ドヤさ)」

 誇らしげに胸を張るサーシャの表情に、思わず目を奪われる。

「今日のドヤ顔もかわいい……。サーシャって本当にすごかったんだな。それで、その都市魔法使いになるにはどうしたらいいんだ?」

「ふっー、……ありがとうございます」

 サーシャは少し照れた様子で髪を掻き上げながら続ける。

「都市魔法使いになるには年に1回ある試験に応募しなければなりません。まず、第一審査で魔法論文を提出し、それに通った者が次の審査を受けられ、魔法使いの証、金属器の試作品を作成する許可が得られます」

「魔法使いになる前から金属器を使えるようになるのか?」
 
「えーとですね、その次の試験というのは実技試験なんですよ……。つまり……」

「つまり?」

「金属器を用いて実戦を行います……」

 俺の魔法使いのイメージが、またもや大きく覆された。確かに魔法と言えば戦いに用いられる――そんなイメージはあった。だが今や俺にとっての魔法は、すっかり科学のイメージが定着していた。白衣を着た研究者が科学で戦うなんて……。思わず笑みがこぼれる。

「なに笑っているんですか?」

 「ああ、いや。なんでそんな物騒なんだ……てそうか、ここは軍事都市で魔法使いは軍人だったな」

 「はい、そうです……。少し前までマギポリスは戦争をしていましたからね。フランも戦争に参加していましたよ」

「え!?まあ確かにフランさんの金属器はだいぶ物騒だったけど、あのふざけた感じじゃ想像できないな……」

「……まあ、あの人にもいろいろありましたからね」

 サーシャの表情が一瞬曇る。

「――それより、研究規模を広げるためにカイには早く魔法使いになってもらう必要があるんですから、魔法の他にある程度は身体を鍛えないといけませんよ。基礎魔法論はある程度叩き込んだので、これからは身体のトレーニングもしてもらいます!」

「トレーニング!?魔法使いになるのにそんなことも必要なのか!てかサーシャも鍛えているのか?」

「ええ、フランに昔しごかれましたからね。あの時のフランはまさに鬼でしたよ……」

 サーシャの表情が微かに引きつる。

「ええ!あー?うん、でもなんか想像つくわ」

「てことで、これから走りに行きますよ!試験に合格するのもそうですが、健全な肉体があってこそ頭も回るのですから!」

「現代高校生にはきつい!」

 こうしてサーシャ教官の鬼のトレーニングが始まった……。偶に来るフラン鬼教官と比べれば、サーシャが天使に見えるのだがそれはまた別の話である。

 研究、勉強、トレーニングが終わったら、汗を流すために銭湯に行き、日々の疲れを癒す。この街は魔法のおかげか水源と水質を上質に保っていて、お風呂文化が深く浸透している。海外ではシャワーしか浴びないのが主流な国が多いが、日本人だった俺にそれはきつい。銭湯は安価で利用でき、俺とサーシャは毎日通っている。どうやら銭湯は交流の場でもあるらしく、魔法使いから商人、聖職者までもが利用し、親交を深めているという。

「ふっー、今日もいいお湯でした……。流石水魔法で品質を担保された銭湯です。水魔法万歳!て、待たせましたか?カイ」

「いや、俺も今上がってコーヒー牛乳……アイスカフェオレを飲んでた所だ」

「毎度、飽きませんねそれ……。私も一本買ってきます!」

 風呂上がりのまだ髪が完全に乾ききっていないサーシャから、ほんのりとシャワーの香りが漂う。その姿を毎日拝めるのは、まさに眼福である。羨ましいだろうお前ら。

 銭湯の後は湯冷めしないように急いで家に帰り、夕食を取る。夕食はメイドが用意してくれていて、帰宅時間に合わせて出来上がるよう、完璧な時間配分で調理してくれている。

「ラグさんの料理は今日もおいしいですね!完璧です!」

「はい、もったいなきお言葉です。サーシャ様」
 
「食文化大国である日本育ちの俺でもこれは認めざるを得ない……。ラグさん、完敗だ!お代わり!」

「はい、かしこまりました。カイ様」

 彼女がメイドのラグさん。天使のように美しい顔立ちの銀髪の女性、つまり風魔法族の人だ。普通メイドは役職ごとに雇うのがセオリーだが、サーシャが帰還したばかりで十分なお金がないことと、ラグさんが非常に優秀なこともあり、一人でこの家を支えてくれている。

 彼女は住み込みとして働いてくれていて、俺とサーシャが外出している間、炊事洗濯掃除から庭の手入れまでなんでもこなす。その仕事の完璧ぶりと言えば、ご近所でも『給仕』の魔法使いなんて語り草になっているほどだ。彼女のことはまた今度語ろう。

 食事も終え、サーシャと楽しい談笑をしてから、ラグさんにベッドメイキングしてもらったフカフカのベッドで眠りにつく。この世界に来た時はどうなることかと思ったが、こんな生活ができるなんて夢のようだ……。そのまま本当に夢の中へ入ろうと明かりを消して目を閉じる……。これが素晴らしき俺の都市での生活だ。


 

 ――パリンッ、ガシャーン!

 窓の割れる音が静寂を切り裂いた。
 どうやら、そんな良いことばかりが起きるわけではないらしい……。俺はベッドから寝ぼけ気味な身体を無理やり起こして明かりをつけ、警戒する。こんな夜更けに子供のイタズラとは思えない。強盗だろうか?軍人でもある都市魔法使いの家を狙うとは、相当の覚悟か無謀さを持ち合わせているはずだ。

 ドタバタ!と部屋の外から慌ただしい足音が響き、扉が無遠慮に開かれる。――そこには黒いローブ姿の者が手に書類を抱えていた。侵入者は俺の方へ走り寄り、素早く腰に手を伸ばす。剣だ。今の俺は丸腰で、何か凶器を突きつけられでもしたら無事では済まない。

 その瞬間、サーシャが部屋に飛び込んできて叫ぶ。
 「カイ!私の研究資料が盗まれました、そいつです!」

 サーシャの声に、ローブの人物は足を止め、彼女の方を向いて警戒態勢を取った。俺に背を向けている今なら取り押さえられるか?と一瞬思案するが、本能が危険信号を発する。このローブから放たれる圧迫感が「何かしたら真っ先に攻撃する」と警告していた。俺はローブ姿から目を離さないまま、用心深く注意深くサーシャの近くへと忍び寄る。

 サーシャの登場にバツの悪そうな態度で頭をかくローブの人物は、俺の部屋にある大窓から逃げようと走り出すが、突如として足を止めた。窓の方に目を向けると、白い霧が窓を中心に漂っていた。ローブは大きなため息を「はあ……」と吐き出し、腰に帯刀していた細い剣、レイピアを取り出してサーシャの方へ構える。

 レイピアの鍔には鮮やかな緑色の宝石がはめ込まれ、その周りに風が強く渦を巻いていた。俺は剣先の向かう先、サーシャへと視線を移す。彼女の腕輪が青く輝き、周囲を大小様々な水の塊が形を絶えず変えながら浮遊している。水は生き物のように蠢き、幻想的な光景を作り出していた。

「見ていてください、カイ!――『水』の都市魔法使いの闘いというものを教えてあげます!」

 ――それが、俺が初めて目にする。魔法使いどうしの闘いだった。

 薄暗い月明かりの中、二つの魔法が激突する瞬間を、俺は固唾を飲んで見つめていた。
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