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第二十一話 茜の秘密
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一か月も連絡しなかったのは、あいつがまたさぼっているだけなんじゃないのかと思ったことと、またあいつと関われば、二人を忘れてしまうことが怖かったからだ。メールによると、茜は入院していた。
「いやー、肝炎になっちゃったみたいでね。三か月くらい入院しないといけないんだって。ごめんね。心配かけて」
「まったくだお前は。普通連絡の一本くらい寄越すだろ」
俺は自分のことを棚に上げることにした。
「いやー、そうしようかと思ったんだけど、誰かさんはなぜだか知らないけど私のこと避けてたみたいだし?悪いかなと思って。実際一か月も連絡なかったしね」
茜は皮肉たっぷりに言ってきた。
「ぐっ。今回ばかりは俺が悪かった。すまん」
「まったくだよ。ちゃんとお土産の品は買ってきたんだよね。それ次第では許してあげてもいいよ」
「ああ。いちご大福買ってきた。好きだろ?」
「大好物!許すよ!というかもう許したよ!」
「そうか。これにして正解だったな」
俺は苦笑しながらいちご大福を茜に渡した。
「ねえ翼くん。それで、何で私のこと避けてたの?」
「…お前といると、苦しみを忘れてしまいそうになる」
「いいんだよ。忘れても。翼くんの苦しみが何なのかは知らないけど、忘れたらいいじゃん」
「そういうわけにもいかない。これは俺が背負わないといけないものだから」
「そっか…」
「良かったー!私翼くんに嫌われちゃったんじゃないかって心配で心配で!私のことが嫌いになったわけじゃないんだね?」
「あ、ああ…」
「そっかー!もうまったくもうだよ君ってやつは!」
「でも残念だったね翼くん。私は君を相棒にするってもう決めちゃったから。君がいくら嫌がっても君を一人にしてあげないよ。君の苦しみなんて私が吹き飛ばしてあげるから」
茜はそう言うと、いつも通りにっしっしと笑う。
だからお前の側にいれないんだよ。それじゃダメなんだ。
「それに、怪我人は手厚く親切に扱うのが君のポリシーだったよね?こんな弱り切った病弱な女の子を、まさか放っておくわけないよね?」
ぐっ。痛いところを付いてくる。俺は母親が看護師だったせいか、病人や怪我人は労わるように育てられてきた。病人には弱いのだ。
茜は俺が苦し気な顔をしているのが嬉しいのかニヤニヤしている。
「分かったよ。お前が入院してる間はちゃんとお見舞いにも来よう。いつも通りだ」
「んー。まあ、今はそれでいいよ。流石翼くん。慈愛の心で溢れているね」
それに比べて、人の良心に漬け込むこいつは、果たしてほんとにヒーローになりたいのだろうか。
「偉そうな奴め。病院から一歩でも出たら覚悟しておけ」
「いたたたた。翼くん、お腹痛くなってきたよ。ちょっと肩もんでくれるかな」
「なぜお腹が痛いのに肩を揉む必要がある。せいぜい背中をさすってやるくらいだ」
「背中はさすってくれるんだね。もう君は本当に良いやつだなー。じゃあ入院してる間は珍しく素直な翼くんの優しさに甘えようかな」
「あまり調子に乗ると差し入れがすべてバナナになることを覚悟しておけ」
「えー!それは困るよ!ほどほどにしとくからイチゴにしてよ!」
「お前は本当にイチゴが好きだな」
俺は再び苦笑する。
「それにしても、肝炎とは。お前また何か、道に落ちているもの拾い食いしたんじゃないのか」
「君は私を何だと思っているのさ!私は道に落ちているものを食べたことは一度だってないよ!」
「ははは、冗談だ」
やっぱりこいつと一緒にいるのは楽しい。心が満たされていく。だが、この時間も長くは続かない。いずれ終わりが来る。その時は俺は、茜と距離を置かなければいけない。
どうか、この時間がいつまでも続きますように。
俺はとても独りよがりで不謹慎なことを願った。
翌日、日直だったので教室のカギを返しに行った際、担任に話しかけられた。
「青井、星野のお見舞い行ってくれてるらしいな。星野と仲良くしてくれてありがとな」
「いえ別に」
「それで、調子はどうだとか聞いてるか?」
「三か月入院らしいんで、あと二か月後に退院できるらしいですよ。見た感じそこまで悪そうにも見えませんが」
「お前!聞いてないのか⁉星野から!」
急に血相を変え、大きな声を出す。
「何がですか?」
「あいつは癌末期患者だ!今年の四月頃見つかって、余命はあと僅かなんだよ!」
言っている意味が分からなかった。
非現実的な出来事が起きた時の、世界が歪むような感覚はこれが三度目だった。一度目は澪が跳ねられた時。二度目は母さんが自殺したとき。そして三度目が今だ。
茜がガン末期患者?余命僅か?一体何を言っているんだ。だって、あいつは、ずっとヒーローになりたいって言ってて、あんなに、天真爛漫で、自由奔放で、あんなに生で満ちていて、この前だって、野球の試合をして、あんなに動き回って…。
はっと思い当たる。
そういえば、あの後、熱を出していた。
パニック状態の頭の中で、冷静な部分が働き始める。
あいつがよく学校をさぼっていたのは、病気だったからじゃないのか?それで、先生たちもあいつに甘かったんだとしたら?
現実を受け入れたくない俺と、現実的な俺が葛藤している。
「青井!おい!大丈夫か」
先生の声が遠く聞こえる。ごちゃごちゃな頭の中で、茜との日々が、もう二度と手の届かない過去のものへとなっていく。
気づくと俺は走り出していた。
廊下に俺の足音が空しく響き渡る。
茜の入院している病院に着くと、ノックもせずに扉を開けた。
「わあ!ちょっとびっくりさせないでよ翼くん!私が着替え中だったらどうするのさ」
茜はベッドの上で、イヤホンで音楽を聴いていたようだ。
まるでさっきのことなんて嘘みたいに思えるくらい、いつもと何も変わらない。
「…先生から、お前が癌でもう長くないって聞いた」
言葉にすると、ああ、本当にこれが現実なのかと、改めて実感させられる。
「…あーあ。聞いちゃったか。せっかく隠してたのに」
茜はまるで、なんてことない秘密がバレたのかのように、そう言った。
「ごめんね、秘密にしてて」
もしかしたら、嘘なのかもしれないって、心のどこかで期待していた。質の悪い冗談だって。拳を強く握りしめる。
「じゃあ、本当にお前は…」
「まあねー、実はあんまりよろしくないらしいんだよー。けっこう進行しちゃってるみたいでね」
茜の緊張感のない物言いに、つい声を荒げてしまう。
「なら!なんでお前はヒーローになりたいなんて言えたんだ!なんでそんな何ともないみたいに振舞える!なんでそんなに明るくいられる!死ぬんだぞ!死んだらもう、二度と会えない」
最後は消え入るようにしか言葉が出てこなかった。
「だって私、死ぬ気なんてないもん」
「何を言って――」
「私はヒーローになってたくさんの人を救うっていう目標があるんだから、病気になんて負けてる場合じゃないの。知ってた翼くん?ヒーローは死なないんだよ?どれだけ、負けそうになっても、絶体絶命のピンチになっても、奇跡を起こして見せるの。そして何度でも立ち上がるんだよ。だから私も、君があの時奇跡を起こして見せたように、奇跡を起こして、何とかしてみせるよ。だから私は死なないの。病気ごときに負けないよ。にっしっし」
そう言って星野は、いつもと何ら変わらず笑うのだった。
こいつはどこまで真っ直ぐで強いのだろうか。本気で死ぬ気なんかなかったのか。だから、こんなに変わらずいられるというのか。どこまで前向きなのだ。苦しくないのか。悲しくないのか。死ぬのが怖くないのか。
本当に、乗り越えてしまいそうだ。こいつなら、本当に――。
だが、現実の世界は、そんな風にうまくいかないことを、俺はよく知っている。この世界は、そんな風にできていない。
「それで、翼くん、差し入れは?」
茜はにこにこしながら首を傾げた。
茜はいつまでこのままでいられるのだろうか。
俺は、茜がずっと茜のままでいられるよう、祈ることしかできなかった。
「いやー、肝炎になっちゃったみたいでね。三か月くらい入院しないといけないんだって。ごめんね。心配かけて」
「まったくだお前は。普通連絡の一本くらい寄越すだろ」
俺は自分のことを棚に上げることにした。
「いやー、そうしようかと思ったんだけど、誰かさんはなぜだか知らないけど私のこと避けてたみたいだし?悪いかなと思って。実際一か月も連絡なかったしね」
茜は皮肉たっぷりに言ってきた。
「ぐっ。今回ばかりは俺が悪かった。すまん」
「まったくだよ。ちゃんとお土産の品は買ってきたんだよね。それ次第では許してあげてもいいよ」
「ああ。いちご大福買ってきた。好きだろ?」
「大好物!許すよ!というかもう許したよ!」
「そうか。これにして正解だったな」
俺は苦笑しながらいちご大福を茜に渡した。
「ねえ翼くん。それで、何で私のこと避けてたの?」
「…お前といると、苦しみを忘れてしまいそうになる」
「いいんだよ。忘れても。翼くんの苦しみが何なのかは知らないけど、忘れたらいいじゃん」
「そういうわけにもいかない。これは俺が背負わないといけないものだから」
「そっか…」
「良かったー!私翼くんに嫌われちゃったんじゃないかって心配で心配で!私のことが嫌いになったわけじゃないんだね?」
「あ、ああ…」
「そっかー!もうまったくもうだよ君ってやつは!」
「でも残念だったね翼くん。私は君を相棒にするってもう決めちゃったから。君がいくら嫌がっても君を一人にしてあげないよ。君の苦しみなんて私が吹き飛ばしてあげるから」
茜はそう言うと、いつも通りにっしっしと笑う。
だからお前の側にいれないんだよ。それじゃダメなんだ。
「それに、怪我人は手厚く親切に扱うのが君のポリシーだったよね?こんな弱り切った病弱な女の子を、まさか放っておくわけないよね?」
ぐっ。痛いところを付いてくる。俺は母親が看護師だったせいか、病人や怪我人は労わるように育てられてきた。病人には弱いのだ。
茜は俺が苦し気な顔をしているのが嬉しいのかニヤニヤしている。
「分かったよ。お前が入院してる間はちゃんとお見舞いにも来よう。いつも通りだ」
「んー。まあ、今はそれでいいよ。流石翼くん。慈愛の心で溢れているね」
それに比べて、人の良心に漬け込むこいつは、果たしてほんとにヒーローになりたいのだろうか。
「偉そうな奴め。病院から一歩でも出たら覚悟しておけ」
「いたたたた。翼くん、お腹痛くなってきたよ。ちょっと肩もんでくれるかな」
「なぜお腹が痛いのに肩を揉む必要がある。せいぜい背中をさすってやるくらいだ」
「背中はさすってくれるんだね。もう君は本当に良いやつだなー。じゃあ入院してる間は珍しく素直な翼くんの優しさに甘えようかな」
「あまり調子に乗ると差し入れがすべてバナナになることを覚悟しておけ」
「えー!それは困るよ!ほどほどにしとくからイチゴにしてよ!」
「お前は本当にイチゴが好きだな」
俺は再び苦笑する。
「それにしても、肝炎とは。お前また何か、道に落ちているもの拾い食いしたんじゃないのか」
「君は私を何だと思っているのさ!私は道に落ちているものを食べたことは一度だってないよ!」
「ははは、冗談だ」
やっぱりこいつと一緒にいるのは楽しい。心が満たされていく。だが、この時間も長くは続かない。いずれ終わりが来る。その時は俺は、茜と距離を置かなければいけない。
どうか、この時間がいつまでも続きますように。
俺はとても独りよがりで不謹慎なことを願った。
翌日、日直だったので教室のカギを返しに行った際、担任に話しかけられた。
「青井、星野のお見舞い行ってくれてるらしいな。星野と仲良くしてくれてありがとな」
「いえ別に」
「それで、調子はどうだとか聞いてるか?」
「三か月入院らしいんで、あと二か月後に退院できるらしいですよ。見た感じそこまで悪そうにも見えませんが」
「お前!聞いてないのか⁉星野から!」
急に血相を変え、大きな声を出す。
「何がですか?」
「あいつは癌末期患者だ!今年の四月頃見つかって、余命はあと僅かなんだよ!」
言っている意味が分からなかった。
非現実的な出来事が起きた時の、世界が歪むような感覚はこれが三度目だった。一度目は澪が跳ねられた時。二度目は母さんが自殺したとき。そして三度目が今だ。
茜がガン末期患者?余命僅か?一体何を言っているんだ。だって、あいつは、ずっとヒーローになりたいって言ってて、あんなに、天真爛漫で、自由奔放で、あんなに生で満ちていて、この前だって、野球の試合をして、あんなに動き回って…。
はっと思い当たる。
そういえば、あの後、熱を出していた。
パニック状態の頭の中で、冷静な部分が働き始める。
あいつがよく学校をさぼっていたのは、病気だったからじゃないのか?それで、先生たちもあいつに甘かったんだとしたら?
現実を受け入れたくない俺と、現実的な俺が葛藤している。
「青井!おい!大丈夫か」
先生の声が遠く聞こえる。ごちゃごちゃな頭の中で、茜との日々が、もう二度と手の届かない過去のものへとなっていく。
気づくと俺は走り出していた。
廊下に俺の足音が空しく響き渡る。
茜の入院している病院に着くと、ノックもせずに扉を開けた。
「わあ!ちょっとびっくりさせないでよ翼くん!私が着替え中だったらどうするのさ」
茜はベッドの上で、イヤホンで音楽を聴いていたようだ。
まるでさっきのことなんて嘘みたいに思えるくらい、いつもと何も変わらない。
「…先生から、お前が癌でもう長くないって聞いた」
言葉にすると、ああ、本当にこれが現実なのかと、改めて実感させられる。
「…あーあ。聞いちゃったか。せっかく隠してたのに」
茜はまるで、なんてことない秘密がバレたのかのように、そう言った。
「ごめんね、秘密にしてて」
もしかしたら、嘘なのかもしれないって、心のどこかで期待していた。質の悪い冗談だって。拳を強く握りしめる。
「じゃあ、本当にお前は…」
「まあねー、実はあんまりよろしくないらしいんだよー。けっこう進行しちゃってるみたいでね」
茜の緊張感のない物言いに、つい声を荒げてしまう。
「なら!なんでお前はヒーローになりたいなんて言えたんだ!なんでそんな何ともないみたいに振舞える!なんでそんなに明るくいられる!死ぬんだぞ!死んだらもう、二度と会えない」
最後は消え入るようにしか言葉が出てこなかった。
「だって私、死ぬ気なんてないもん」
「何を言って――」
「私はヒーローになってたくさんの人を救うっていう目標があるんだから、病気になんて負けてる場合じゃないの。知ってた翼くん?ヒーローは死なないんだよ?どれだけ、負けそうになっても、絶体絶命のピンチになっても、奇跡を起こして見せるの。そして何度でも立ち上がるんだよ。だから私も、君があの時奇跡を起こして見せたように、奇跡を起こして、何とかしてみせるよ。だから私は死なないの。病気ごときに負けないよ。にっしっし」
そう言って星野は、いつもと何ら変わらず笑うのだった。
こいつはどこまで真っ直ぐで強いのだろうか。本気で死ぬ気なんかなかったのか。だから、こんなに変わらずいられるというのか。どこまで前向きなのだ。苦しくないのか。悲しくないのか。死ぬのが怖くないのか。
本当に、乗り越えてしまいそうだ。こいつなら、本当に――。
だが、現実の世界は、そんな風にうまくいかないことを、俺はよく知っている。この世界は、そんな風にできていない。
「それで、翼くん、差し入れは?」
茜はにこにこしながら首を傾げた。
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