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第1話 転生者、推しの悪役女帝と出会う
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「喜べ、アズベルよ。今からおまえの婚約者が我が屋敷を訪れる」
「は?」
「くれぐれも粗相のないようにね? 何せ、相手はあのペンバートン公爵家のご令嬢なのですから」
「は?」
「いやぁ、これで我が家は安泰だ!」
「本当によかったぁ……これで今日からぐっすり眠れるわ!」
「ふたりとも、一回止まってもらっていい?」
屋敷の庭で魔法の鍛錬をしている途中に無理やり書斎へと連れてこられたと思ったら急に何を言いだすんだ、父上は。そして母上は息子を置き去りにしたまま浮かれすぎだ。まだ十歳の俺に婚約者なんて……いや、貴族の世界じゃ別に珍しくもないか。子どもに黙って縁談を進めるなんてよくあることだ。
でも、それにしたって急すぎやしないか?
昨日までまったくそんな話題をだしていなかったのに。
普通、こういうのって話がまとまった時にしない?
なんでうちに来る当日の朝に発表するのさ。
「あの、父上」
「なんだ?」
ご自慢の整えた顎髭を満足げに撫でている父上に、俺は率直な疑問をぶつけてみる。
「婚約云々の話はこの際あとにして……なぜこのタイミングでうちに来訪を?」
「うむ。実は先方には以前から話を持ちかけていたのだが……なかなかいい返事がもらえなくてなぁ」
なるほど。
うちは――ウィドマーク家は貴族と呼ばれてはいるものの、ハッキリ言って弱小。超がつくほどの貧乏貴族だからな。治めている領地はパルザン地方という山に囲まれた狭い平野地帯でこれといった産業は特にない。典型的な辺境領地ってヤツだ。
相手側からすると、大事な娘を嫁がせるには少なからずためらいが生まれるだろう。
そんなうちに縁談が来るとは。
一体どこの物好きだ?
性格が死ぬほど悪いとか?
めちゃくちゃ年上とか?
或いは、何か弱みを握られているとか?
……ただ、貴族とは思えないほどお人好しの父上がそんなことするかなぁ。
とりあえず、もうちょっと情報を教えてもらおう。
「その物好き――もとい、婚約者ってどこの誰なんです?」
「聞いて驚けよ。なんと公爵家のペンバートン家のご令嬢だ」
「ペンバートン……もしかして、公爵家三女のロミーナ・ペンバートン?」
「よく知っているな。しかし、お会いした時に呼び捨てしないよう気をつけろよ」
「あっ、はい」
……あれ?
俺はどうしてペンバートン家ご令嬢の名前を知っているんだ?
それだけじゃない。
次から次へと、彼女に関する情報が頭の中に溢れてくる。
容姿。
声色。
性格。
生い立ち。
ロミーナ・ペンバートンのパーソナルデータだけじゃない。
俺がアズベル・ウィドマークとしてこの世界に生まれる前から知っている。それはつまり前世の記憶だ。ロミーナという名前が引き金になって、すべてを思い出した。
ここは【ブレイブ・クエスト】というゲームの世界。
俺の婚約者となるロミーナ・ペンバートンは、そのゲームで【氷結女帝】という異名を持つボスキャラで登場する。
氷属性魔法のスペシャリストであり、氷竜とも契約している強敵で、今俺たちの暮らしているオルメド王国の民を圧政で苦しめていた。
その性格は非情、冷徹、極悪の三拍子が揃っており、あまりの鬼畜ぶりに多くのプレイヤーをドン引きさせた。
ちなみに、倒された後は消滅してしまうのだが、同じく悪政に手を染めていた夫――つまり俺ことアズベル・ウィドマークも一緒に消えてしまう。つまり共倒れということだ。
その最低最悪の悪女が、俺の婚約者だって?
……いやいやいや、普通に無理でしょ。
なんだってそんな悪事の片棒を担ぐような――って、待てよ。今の俺はまだ十歳。ゲームでのロミーナの設定年齢は確か十八歳だから、彼女が悪事を働くまでまだ数年の猶予がある。なんとかして彼女を改心させ、あの悲劇を回避できるんじゃないか!?
――と、最初は名案っぽかった考えだが、原作での彼女の性格ぶりを考えるとそれが不可能な話であるとすぐにあきらめる。
だってねぇ……めちゃくちゃ性格キツいんだもん。
そりゃ無理だって。
十八歳という若さで国を支配し、圧政で人々を苦しめるような人物なんて、幼い頃からもう女帝の片鱗が出ていてもなんら不思議じゃない。にらみつけるだけでドラゴンを凍死させるくらいの実力者だし。
気になるのはゲーム内で夫婦関係も一切謎という点。
夫の俺がどういう扱いだったかまったく語られないし、そもそも章の最後に「夫のアズベルも一緒に消滅した」の一文で片づけられるレベル。声優どころか立ち絵すら存在しないのだから、ふたりの詳細な関係性など一切不明なのだ。
ただ、妻があれほど強いとなると、夫の存在感は希薄なものだったに違いない。
言ってみれば、俺はただいるだけのモブ悪役というポジションか。
まあ、そもそもあっちは公爵家だからな。
こっちとは身分が違いすぎる。
大体、なんで婚約をOKしたんだ――って、そうか。あの性格を考慮すると、どことも縁談がまとまらなかったのかな。で、残り物である辺境領主のうちに回ってきたわけだ。
あくまでも俺の推測なので真実かどうか不明だが、それくらいしか理由が見当たらないんだよな。
「まもなく到着されるはずだ。アズベルよ。心の準備をしておけ」
「えっ!?」
忘れていた。
……もうここまで来たら、腹を括るしかないな。
冷静になろうと深呼吸を挟んだ直後、屋敷で働くメイドのスザンナがノックをしてから書斎へと入ってきた。
「旦那様、ペンバートン様がご到着されました」
「分かった」
どうやら父上も緊張しているらしく、イスから立ち上がろうとして転びかける。それをフォローしようとした母上も転びかけていた。動揺しすぎだろ。
そんな緊張しまくりのふたりを追う形で、俺は玄関まで移動。
途中、スザンナが「なかなか手強いお相手のようですよ?」とアドバイス(?)をくれた。
……手強いってどういう意味だと思いつつ、玄関に到着した俺たちは一家総出でペンバートン家を迎える。
「ようこそおいでくださいました! ささ、こちらへ!」
ニコニコと愛想よく笑みを浮かべながら、ペンバートン家当主とその妻――つまり、ロミーナの両親を屋敷内へと招き入れる。どんな人物かと俺も少し緊張していたが、どちらも優しそうなオーラが漂っており、とてもあの女帝の両親とは思えなかった。
そして、その肝心のロミーナを捜していると、母親のすぐそばで隠れるように立っていた。
美しいセミロングの銀髪に透き通る翡翠色の瞳。
ゲームの立ち絵をそのまま幼くした容姿に、俺は視線も心も奪われた。
実を言うと、【ブレイブ・クエスト】の中で俺の推しキャラはこのロミーナだった。
確かに諸々キツいところはあるのだが、ビジュアル的にはストライクだし、扱う氷属性魔法や氷竜との連携攻撃も作画に気合が入っていて好きだったんだよな。密かに仲間として加わらないか期待していたんだけど、さすがにそれが許されるほどぬるい悪行じゃなかった。
まるで何かに怯えるような眼差し……原作とのギャップに、俺は一瞬たじろいだ。
「おや、君がアズベルだね」
「は、はい」
ロミーナに近づこうとした瞬間、ペンバートン家当主のカリング様に声をかけられた。
「うちの子はどうも硬くなっているようでね。よければ、君にここを案内してもらいたいのだが」
「それは名案ですな! 若者同士で語り合いこともあるでしょう!」
いや、父上よ……俺たちまだ十歳だからね?
そんな話すことなんてないよ。
とはいえ、お近づきになる絶好のチャンス。
「よろしければご案内します、ロミーナ様」
「は、はい」
おずおずと俺の差しだした手を握るロミーナ。
……可愛い。
なんか、原作の雰囲気と違っておしとやかな感じがしてちょっと困惑する。
ともかく、これがこの世界における俺と女帝の初顔合わせ。
ここから穏やかな人生を歩むか、奈落の底へと突き落とされるのか――すべては俺自身の行動にかかっている。
父上とカリング様の計らいにより、俺とロミーナは屋敷の中庭にある庭園へとやってきた。
「わあっ!」
ここへ足を踏み入れた途端、ロミーナのテンションが爆上がる。どうやら植物が好きなようで、ペンバートン家の屋敷にも庭園があり、自分で育てたりもしているらしい。
「見てください、とっても綺麗なお花が咲いていますよ」
「本当ですね。これはえぇっと……」
「南方原産のランジーという品種ですね。ここに咲いているのは赤色ですが、他に紫や黄色もあるんです」
「へぇ、勉強になるなぁ。本当に植物が好きなんですね」
「はい! ――あっ!」
突然、何かに気づいたらしいロミーナは口を両手で覆ってしまう。
「ど、どうかされましたか?」
「い、いえ、その……私ばかりが楽しく喋っていて……」
「それなら気にしないでください。あなたが楽しそうにしている姿を見ると、俺まで嬉しくなりますから」
「ア、アズベルさん……」
俺の言葉に驚きつつも、ロミーナは笑顔を見せた。
……おかしい。
なんか原作の雰囲気といい意味で全然違うんだけど?
儚げで大人しくて清楚――これが数年後にあの女帝へと変わるのか?
町の街灯代わりに断頭台を置くような極悪人に?
さまざまな疑問が渦巻くものの、ロミーナと一緒に過ごす時間がとても楽しくてそんなことなどどうでもよくなっていた。最初は緊張気味だった彼女も、徐々に心を開いてくれるようになり、いろんな話をしていく。
このまま平和な時間が流れてくれたら――そう思っていたのだが、
「あうっ!?」
突然、ロミーナが胸を押さえながらしゃがみ込む。
「っ!? だ、大丈夫か!?」
いきなりの出来事に動揺しまくる俺。
原作では病気を患っているとか、その手の描写はなかったはず。
とにかく心配になって彼女のもとへと駆けだしたその時、
「は、離れてください!」
力いっぱい彼女は叫んだ。
その表情はどちらもこの世が終わる寸前のように絶望していた――と、次の瞬間、誰かが俺を抱えて倒れ込む。
あまりにも唐突な出来事だったので何が何やらサッパリ理解できないまま、全身を鈍い衝撃が襲う。その直後、「ブシュッ!」という嫌な音が。
「お怪我はありませんか?」
そう尋ねてきたのは女性の声だった。
落ち着いて辺りを見回すと、俺の上に覆いかぶさるような格好となっていたのは女性で、彼女は肩から出血をしている。まるで鋭い刃物で斬られたような傷跡だった。
「あ、あの、あなたは?」
「自己紹介はあとで――いえ、もしかしたら、これでお別れになるかもしれませんので不必要かも」
「えっ?」
何を言っているんだと思いながら視線をロミーナの方へ向けると、彼女は気を失っているようで地面に横たわっていた。
そんなロミーナの周囲には、巨大な氷の塊があった。
氷はまるで剣のように鋭く四方に伸びており、女性はそれが原因で傷ついたようだ。ということは、彼女は俺を守ってくれたのか。
事態を把握すると、騒ぎを聞きつけて父上たちがやってくる。
とりあえず、俺に怪我はないのでそう伝えた後、詳しい事情を聞くために屋敷へと戻った。
気を失ったロミーナは客人用のベッドへ寝かせる。
対応してくれたスザンナさんも、庭園のすみっこから俺たちのやりとりを見守っていたらしいが、危うく俺が串刺しになるところで気絶したらしい。すぐに目が覚めて俺が無事だと知ると、「よがっだでずぅ!」と泣きながら抱きしめてくれた。不謹慎ながら、「意外とスタイルが凶悪ですね」なんて思っちゃった自分をぶん殴りたい。
気を取り直し、俺は父上に書斎へと呼ばれたのでスザンナさんにロミーナを任せて訪ねにゆく。
「申し訳なかった」
書斎に入って早々、謝罪の言葉を口にしたのはカリング様だった。
曰く、ロミーナは幼い頃から常人を遥かに凌ぐ魔力を宿しており、将来は立派な魔法使いになるだろうと太鼓判を押されていたらしい――が、小さなあの体ではその膨大な魔力量をうまく制御できず、感情が高ぶったりすると先ほどのように自分が意図しなくても勝手に発動してしまうケースがあるという。
ペンバートン家の縁談がまとまらなかったのは、それが原因であった。
当然、父上もそれを事前に聞いていたのだが、ワンチャンいけるかもっていう下心が発動したようだ。
でも、感情が揺れ動くような出来事なんてあったかな?
その理由については、同席している俺を助けてくれた女性が説明してくれた。
「お嬢様は、心からアズベル様と過ごす時間を楽しまれていました」
そう語ったのは俺を助けてくれた赤い髪の女性。
彼女はパウリーネさんという名前で、ロミーナの近衛騎士だという。
「これまでもいろいろな方とお会いしてきましたが、あのように自然な笑顔を見せてくれたのはアズベル様だけです。つまり! ロミーナお嬢様はアズベル様に恋心を抱き、それが暴走してあの氷魔法が発動したものと思われます」
「そ、そうなの?」
「うむ。確かに」
それはまたなんとも……。
というか、その原理が本当だとしたら、俺はロミーナとイチャイチャするたびに命の危険にさらされるのでは?
「私も楽しそうにしているあの子を見て、今度こそと思ったのだが……すまない」
うん?
なんだか、カリング様はこの縁談が終わってしまうみたいなシメをしたけど、もしかして父上との話し合いで破談が決まったのか?
「あの子に婚約者はまだ早かったようだ。もう少し成長して、しっかりと魔力を制御できるようになってから――」
「待ってください!」
たまらず、俺は叫んでいた。
確かに命の危険があるかもしれないけど、俺はそれ以上にもっとロミーナといたいという感情が芽生えていた。
あの子を助けたい。
闇堕ちして主人公に討伐される最悪の未来を回避したい。
そう強く思っていた。
だから――
「僕はまだロミーナと一緒にいたいです」
「し、しかし……」
「僕も彼女と過ごした時間はとても楽しかったですし、もっと知りたいと強く思いました。どうか……ロミーナ様との婚約を認めてください」
「き、君はそこまで……」
「私からもお願いします。あの短時間でこれまでの誰よりも親しくなったアズベル様と別れるということになれば、ロミーナ様の精神的なダメージはこれまでの比ではないかと。そうなれば、今以上に魔力の制御は困難となります」
ありがたいことにパウリーネさんが後押しをしてくれた。
さらに、父上も加勢してくれる。
「ロミーナ様の魔力制御についてですが、我が領内にこの手の専門家が住んでいますので声をかけてみます」
そんな人材がこの辺境領地にいたのかとちょっと気になる。
この地方はゲーム内だと名前すら出てこないド田舎だからな。
まあ、この流れで嘘をつくとも思えないので、心当たりがあるというのは本当なのだろう。
「……うむ。では、君にロミーナを任せてもよいかな?」
「は、はい!」
カリング様は婚約を認めてくれた。
俺だけじゃなく、パウリーネさんや父上もホッと胸をなでおろしている。
父上については公爵家とのつながりを持てたという安堵感からなのかもしれないが、根は悪い人じゃなさそうだし、大丈夫だろう。
◇◇◇
その後、目覚めたロミーナに事情を説明すると、彼女もこの地に残りたいと父であるカリング様に強く訴えた。
本人も望んでいるのならばとカリング様は改めて婚約を認め、こちらへ移り住むための準備を整えると一度戻ることになった。
「アズベル様、しばしのお別れです」
「俺のことはアズベルでいいですよ、ロミーナ様」
「でしたら、私のことはロミーナとお呼びください」
「えっ? し、しかしそれでは――」
「あと敬語は禁止。私たちは……ふ、夫婦になるんだから」
白い肌を赤く染め、俯きながらロミーナは言う。
天使だ……天使がいる……はっ!?
危うく魂ごと持っていかれるところだった。
この笑顔を曇らせないためにも、頑張らないとな。
「は?」
「くれぐれも粗相のないようにね? 何せ、相手はあのペンバートン公爵家のご令嬢なのですから」
「は?」
「いやぁ、これで我が家は安泰だ!」
「本当によかったぁ……これで今日からぐっすり眠れるわ!」
「ふたりとも、一回止まってもらっていい?」
屋敷の庭で魔法の鍛錬をしている途中に無理やり書斎へと連れてこられたと思ったら急に何を言いだすんだ、父上は。そして母上は息子を置き去りにしたまま浮かれすぎだ。まだ十歳の俺に婚約者なんて……いや、貴族の世界じゃ別に珍しくもないか。子どもに黙って縁談を進めるなんてよくあることだ。
でも、それにしたって急すぎやしないか?
昨日までまったくそんな話題をだしていなかったのに。
普通、こういうのって話がまとまった時にしない?
なんでうちに来る当日の朝に発表するのさ。
「あの、父上」
「なんだ?」
ご自慢の整えた顎髭を満足げに撫でている父上に、俺は率直な疑問をぶつけてみる。
「婚約云々の話はこの際あとにして……なぜこのタイミングでうちに来訪を?」
「うむ。実は先方には以前から話を持ちかけていたのだが……なかなかいい返事がもらえなくてなぁ」
なるほど。
うちは――ウィドマーク家は貴族と呼ばれてはいるものの、ハッキリ言って弱小。超がつくほどの貧乏貴族だからな。治めている領地はパルザン地方という山に囲まれた狭い平野地帯でこれといった産業は特にない。典型的な辺境領地ってヤツだ。
相手側からすると、大事な娘を嫁がせるには少なからずためらいが生まれるだろう。
そんなうちに縁談が来るとは。
一体どこの物好きだ?
性格が死ぬほど悪いとか?
めちゃくちゃ年上とか?
或いは、何か弱みを握られているとか?
……ただ、貴族とは思えないほどお人好しの父上がそんなことするかなぁ。
とりあえず、もうちょっと情報を教えてもらおう。
「その物好き――もとい、婚約者ってどこの誰なんです?」
「聞いて驚けよ。なんと公爵家のペンバートン家のご令嬢だ」
「ペンバートン……もしかして、公爵家三女のロミーナ・ペンバートン?」
「よく知っているな。しかし、お会いした時に呼び捨てしないよう気をつけろよ」
「あっ、はい」
……あれ?
俺はどうしてペンバートン家ご令嬢の名前を知っているんだ?
それだけじゃない。
次から次へと、彼女に関する情報が頭の中に溢れてくる。
容姿。
声色。
性格。
生い立ち。
ロミーナ・ペンバートンのパーソナルデータだけじゃない。
俺がアズベル・ウィドマークとしてこの世界に生まれる前から知っている。それはつまり前世の記憶だ。ロミーナという名前が引き金になって、すべてを思い出した。
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俺の婚約者となるロミーナ・ペンバートンは、そのゲームで【氷結女帝】という異名を持つボスキャラで登場する。
氷属性魔法のスペシャリストであり、氷竜とも契約している強敵で、今俺たちの暮らしているオルメド王国の民を圧政で苦しめていた。
その性格は非情、冷徹、極悪の三拍子が揃っており、あまりの鬼畜ぶりに多くのプレイヤーをドン引きさせた。
ちなみに、倒された後は消滅してしまうのだが、同じく悪政に手を染めていた夫――つまり俺ことアズベル・ウィドマークも一緒に消えてしまう。つまり共倒れということだ。
その最低最悪の悪女が、俺の婚約者だって?
……いやいやいや、普通に無理でしょ。
なんだってそんな悪事の片棒を担ぐような――って、待てよ。今の俺はまだ十歳。ゲームでのロミーナの設定年齢は確か十八歳だから、彼女が悪事を働くまでまだ数年の猶予がある。なんとかして彼女を改心させ、あの悲劇を回避できるんじゃないか!?
――と、最初は名案っぽかった考えだが、原作での彼女の性格ぶりを考えるとそれが不可能な話であるとすぐにあきらめる。
だってねぇ……めちゃくちゃ性格キツいんだもん。
そりゃ無理だって。
十八歳という若さで国を支配し、圧政で人々を苦しめるような人物なんて、幼い頃からもう女帝の片鱗が出ていてもなんら不思議じゃない。にらみつけるだけでドラゴンを凍死させるくらいの実力者だし。
気になるのはゲーム内で夫婦関係も一切謎という点。
夫の俺がどういう扱いだったかまったく語られないし、そもそも章の最後に「夫のアズベルも一緒に消滅した」の一文で片づけられるレベル。声優どころか立ち絵すら存在しないのだから、ふたりの詳細な関係性など一切不明なのだ。
ただ、妻があれほど強いとなると、夫の存在感は希薄なものだったに違いない。
言ってみれば、俺はただいるだけのモブ悪役というポジションか。
まあ、そもそもあっちは公爵家だからな。
こっちとは身分が違いすぎる。
大体、なんで婚約をOKしたんだ――って、そうか。あの性格を考慮すると、どことも縁談がまとまらなかったのかな。で、残り物である辺境領主のうちに回ってきたわけだ。
あくまでも俺の推測なので真実かどうか不明だが、それくらいしか理由が見当たらないんだよな。
「まもなく到着されるはずだ。アズベルよ。心の準備をしておけ」
「えっ!?」
忘れていた。
……もうここまで来たら、腹を括るしかないな。
冷静になろうと深呼吸を挟んだ直後、屋敷で働くメイドのスザンナがノックをしてから書斎へと入ってきた。
「旦那様、ペンバートン様がご到着されました」
「分かった」
どうやら父上も緊張しているらしく、イスから立ち上がろうとして転びかける。それをフォローしようとした母上も転びかけていた。動揺しすぎだろ。
そんな緊張しまくりのふたりを追う形で、俺は玄関まで移動。
途中、スザンナが「なかなか手強いお相手のようですよ?」とアドバイス(?)をくれた。
……手強いってどういう意味だと思いつつ、玄関に到着した俺たちは一家総出でペンバートン家を迎える。
「ようこそおいでくださいました! ささ、こちらへ!」
ニコニコと愛想よく笑みを浮かべながら、ペンバートン家当主とその妻――つまり、ロミーナの両親を屋敷内へと招き入れる。どんな人物かと俺も少し緊張していたが、どちらも優しそうなオーラが漂っており、とてもあの女帝の両親とは思えなかった。
そして、その肝心のロミーナを捜していると、母親のすぐそばで隠れるように立っていた。
美しいセミロングの銀髪に透き通る翡翠色の瞳。
ゲームの立ち絵をそのまま幼くした容姿に、俺は視線も心も奪われた。
実を言うと、【ブレイブ・クエスト】の中で俺の推しキャラはこのロミーナだった。
確かに諸々キツいところはあるのだが、ビジュアル的にはストライクだし、扱う氷属性魔法や氷竜との連携攻撃も作画に気合が入っていて好きだったんだよな。密かに仲間として加わらないか期待していたんだけど、さすがにそれが許されるほどぬるい悪行じゃなかった。
まるで何かに怯えるような眼差し……原作とのギャップに、俺は一瞬たじろいだ。
「おや、君がアズベルだね」
「は、はい」
ロミーナに近づこうとした瞬間、ペンバートン家当主のカリング様に声をかけられた。
「うちの子はどうも硬くなっているようでね。よければ、君にここを案内してもらいたいのだが」
「それは名案ですな! 若者同士で語り合いこともあるでしょう!」
いや、父上よ……俺たちまだ十歳だからね?
そんな話すことなんてないよ。
とはいえ、お近づきになる絶好のチャンス。
「よろしければご案内します、ロミーナ様」
「は、はい」
おずおずと俺の差しだした手を握るロミーナ。
……可愛い。
なんか、原作の雰囲気と違っておしとやかな感じがしてちょっと困惑する。
ともかく、これがこの世界における俺と女帝の初顔合わせ。
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「南方原産のランジーという品種ですね。ここに咲いているのは赤色ですが、他に紫や黄色もあるんです」
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「ど、どうかされましたか?」
「い、いえ、その……私ばかりが楽しく喋っていて……」
「それなら気にしないでください。あなたが楽しそうにしている姿を見ると、俺まで嬉しくなりますから」
「ア、アズベルさん……」
俺の言葉に驚きつつも、ロミーナは笑顔を見せた。
……おかしい。
なんか原作の雰囲気といい意味で全然違うんだけど?
儚げで大人しくて清楚――これが数年後にあの女帝へと変わるのか?
町の街灯代わりに断頭台を置くような極悪人に?
さまざまな疑問が渦巻くものの、ロミーナと一緒に過ごす時間がとても楽しくてそんなことなどどうでもよくなっていた。最初は緊張気味だった彼女も、徐々に心を開いてくれるようになり、いろんな話をしていく。
このまま平和な時間が流れてくれたら――そう思っていたのだが、
「あうっ!?」
突然、ロミーナが胸を押さえながらしゃがみ込む。
「っ!? だ、大丈夫か!?」
いきなりの出来事に動揺しまくる俺。
原作では病気を患っているとか、その手の描写はなかったはず。
とにかく心配になって彼女のもとへと駆けだしたその時、
「は、離れてください!」
力いっぱい彼女は叫んだ。
その表情はどちらもこの世が終わる寸前のように絶望していた――と、次の瞬間、誰かが俺を抱えて倒れ込む。
あまりにも唐突な出来事だったので何が何やらサッパリ理解できないまま、全身を鈍い衝撃が襲う。その直後、「ブシュッ!」という嫌な音が。
「お怪我はありませんか?」
そう尋ねてきたのは女性の声だった。
落ち着いて辺りを見回すと、俺の上に覆いかぶさるような格好となっていたのは女性で、彼女は肩から出血をしている。まるで鋭い刃物で斬られたような傷跡だった。
「あ、あの、あなたは?」
「自己紹介はあとで――いえ、もしかしたら、これでお別れになるかもしれませんので不必要かも」
「えっ?」
何を言っているんだと思いながら視線をロミーナの方へ向けると、彼女は気を失っているようで地面に横たわっていた。
そんなロミーナの周囲には、巨大な氷の塊があった。
氷はまるで剣のように鋭く四方に伸びており、女性はそれが原因で傷ついたようだ。ということは、彼女は俺を守ってくれたのか。
事態を把握すると、騒ぎを聞きつけて父上たちがやってくる。
とりあえず、俺に怪我はないのでそう伝えた後、詳しい事情を聞くために屋敷へと戻った。
気を失ったロミーナは客人用のベッドへ寝かせる。
対応してくれたスザンナさんも、庭園のすみっこから俺たちのやりとりを見守っていたらしいが、危うく俺が串刺しになるところで気絶したらしい。すぐに目が覚めて俺が無事だと知ると、「よがっだでずぅ!」と泣きながら抱きしめてくれた。不謹慎ながら、「意外とスタイルが凶悪ですね」なんて思っちゃった自分をぶん殴りたい。
気を取り直し、俺は父上に書斎へと呼ばれたのでスザンナさんにロミーナを任せて訪ねにゆく。
「申し訳なかった」
書斎に入って早々、謝罪の言葉を口にしたのはカリング様だった。
曰く、ロミーナは幼い頃から常人を遥かに凌ぐ魔力を宿しており、将来は立派な魔法使いになるだろうと太鼓判を押されていたらしい――が、小さなあの体ではその膨大な魔力量をうまく制御できず、感情が高ぶったりすると先ほどのように自分が意図しなくても勝手に発動してしまうケースがあるという。
ペンバートン家の縁談がまとまらなかったのは、それが原因であった。
当然、父上もそれを事前に聞いていたのだが、ワンチャンいけるかもっていう下心が発動したようだ。
でも、感情が揺れ動くような出来事なんてあったかな?
その理由については、同席している俺を助けてくれた女性が説明してくれた。
「お嬢様は、心からアズベル様と過ごす時間を楽しまれていました」
そう語ったのは俺を助けてくれた赤い髪の女性。
彼女はパウリーネさんという名前で、ロミーナの近衛騎士だという。
「これまでもいろいろな方とお会いしてきましたが、あのように自然な笑顔を見せてくれたのはアズベル様だけです。つまり! ロミーナお嬢様はアズベル様に恋心を抱き、それが暴走してあの氷魔法が発動したものと思われます」
「そ、そうなの?」
「うむ。確かに」
それはまたなんとも……。
というか、その原理が本当だとしたら、俺はロミーナとイチャイチャするたびに命の危険にさらされるのでは?
「私も楽しそうにしているあの子を見て、今度こそと思ったのだが……すまない」
うん?
なんだか、カリング様はこの縁談が終わってしまうみたいなシメをしたけど、もしかして父上との話し合いで破談が決まったのか?
「あの子に婚約者はまだ早かったようだ。もう少し成長して、しっかりと魔力を制御できるようになってから――」
「待ってください!」
たまらず、俺は叫んでいた。
確かに命の危険があるかもしれないけど、俺はそれ以上にもっとロミーナといたいという感情が芽生えていた。
あの子を助けたい。
闇堕ちして主人公に討伐される最悪の未来を回避したい。
そう強く思っていた。
だから――
「僕はまだロミーナと一緒にいたいです」
「し、しかし……」
「僕も彼女と過ごした時間はとても楽しかったですし、もっと知りたいと強く思いました。どうか……ロミーナ様との婚約を認めてください」
「き、君はそこまで……」
「私からもお願いします。あの短時間でこれまでの誰よりも親しくなったアズベル様と別れるということになれば、ロミーナ様の精神的なダメージはこれまでの比ではないかと。そうなれば、今以上に魔力の制御は困難となります」
ありがたいことにパウリーネさんが後押しをしてくれた。
さらに、父上も加勢してくれる。
「ロミーナ様の魔力制御についてですが、我が領内にこの手の専門家が住んでいますので声をかけてみます」
そんな人材がこの辺境領地にいたのかとちょっと気になる。
この地方はゲーム内だと名前すら出てこないド田舎だからな。
まあ、この流れで嘘をつくとも思えないので、心当たりがあるというのは本当なのだろう。
「……うむ。では、君にロミーナを任せてもよいかな?」
「は、はい!」
カリング様は婚約を認めてくれた。
俺だけじゃなく、パウリーネさんや父上もホッと胸をなでおろしている。
父上については公爵家とのつながりを持てたという安堵感からなのかもしれないが、根は悪い人じゃなさそうだし、大丈夫だろう。
◇◇◇
その後、目覚めたロミーナに事情を説明すると、彼女もこの地に残りたいと父であるカリング様に強く訴えた。
本人も望んでいるのならばとカリング様は改めて婚約を認め、こちらへ移り住むための準備を整えると一度戻ることになった。
「アズベル様、しばしのお別れです」
「俺のことはアズベルでいいですよ、ロミーナ様」
「でしたら、私のことはロミーナとお呼びください」
「えっ? し、しかしそれでは――」
「あと敬語は禁止。私たちは……ふ、夫婦になるんだから」
白い肌を赤く染め、俯きながらロミーナは言う。
天使だ……天使がいる……はっ!?
危うく魂ごと持っていかれるところだった。
この笑顔を曇らせないためにも、頑張らないとな。
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