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第64話  夢

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※  次回投稿は10月10日(火)になります。



 売れない青年画家のライアンは、翌日から優志たちの店でバイトをすることになった。

 その目的は当面の生活費と画材道具を揃えるための費用を稼ぐため。
 冒険者として危険なダンジョンへ潜るよりもずっと健康的で確実な手段だと優志が提案したものだった。

 最初のうちは戸惑っていたライアンだが、持ち前の人の良さと爽やかな笑顔であっという間に常連客たちと打ち解けた。

 ライアンはお金を得られるという利点がある。――が、もちろん優志にもメリットは十分にあった。働き手が増えたことで、優志は新しい風呂場の増築に専念することができたのだ。
 
「調子はどうですか?」

 店の入り口脇に陣取った職人たちへ話しかけると、彼らは額に光る汗を腕で拭いながらなんとも晴れやかな笑顔で答える。

「順調だ。この調子なら、あと2、3日中には完成するだろう」

 なんとも頼もしい言葉だ。さらに、
 
「ひとつ提案なんだが、このままだと雨風の強い日は利用できなくなる可能性がある。――そこで、窮屈に感じない程度に囲いを造ってみたらどうだろうか」
「なるほど。それはたしかにそうですね」

 新しい風呂は店の外へ設置されるので、職人たちの指摘はもっともだった。

「では、そちらもお願いします」
「あいよ! あ、囲い分の増設料金はまけといてやるよ」
「ありがとうございます。そのお礼というわけではありませんが、差し入れにコーヒー牛乳を持ってきました。みなさんで飲んでください」
「おぉ! ありがとよ! おーいみんな! 大将が差し入れを持ってきてくれたぞ! ちょいと休憩にしようや!」
 
 現場を取り仕切る男の声に、周りの職人たちから歓声があがる。
 
「これなら、近日中に出来上がるってことで宣伝しても大丈夫そうだな」

 新しい風呂の完成はダズたち冒険者やギャレット爺さん常連客たちも楽しみにしている。それが報告できれば、さらに客足は増えていくだろう。

「さらに忙しくなりそうだ……ライアンだけじゃなく、さらに従業員を増やしていかなくてはいけないかもな」

 忙しくなることはありがたいが、肉体的に追いつきそうにもないので、店名と合わせて従業員の募集は本気で検討しなくてはならなそうだ。


  ◇◇◇


 閉店後。

「ふぅ……お疲れ様、ライアン」
「お疲れ様です、ユージさん」

 排水作業を終えた優志とライアン。
 いつもならこれで仕事は終わりなのだが、今日はむしろここからが本番だ。

「――よし、こんなものか」

フォーブの街で購入してきた《ライト》の魔鉱石を部屋の四方に設置することで、夜でありながら日中のように明るさを保つことができる。

 なぜ、そのようなことをするのか。

「これで絵は描けるか?」
「はい! 問題ありません!」

 優志はライアンに絵を依頼していた。
 ただし、キャンパスはこの浴場の壁――そして、描く題材は、

「朝にも言ったが、君はここから見えるあの山――ダンジョンが広がるあの山をこの壁一面に描いてもらいたい」

 優志はあのダンジョンのある山を浴場の壁に描いてもらおうとライアンへ依頼したのだ。
 というのも、その山というのが日本の富士山にとてもよく似ているのだ。
 
 銭湯にある富士山の絵。

 これもまた定番中の定番。
 その元祖は東京にある銭湯で、人々に喜んでもらうために描かれたものだという。富士山といえば日本人なら知らぬ者はいない、まさに国の象徴とも言うべき山。人気の要因はその雄大さだけでなく、縁起が良いとされる末広がりの姿にもあるとされている。

 そんな富士山――によく似たダンジョンのある山を、優志はこの浴場に描こうと考え、その絵師としてライアンを指名したのだ。

「本当にいいんですか? 僕なんかの絵で」
「美弦ちゃんが見込んだ男の絵だ。きっと素晴らしい絵になるよ」
「き、緊張しちゃいますよ」
「まあ、そう肩ひじ張らず、リラックスしてやってくれ。君の本来の力を出せば、いい絵になるはずだからさ」
「わ、わかりました」

 とりあえず、下書きから始めるライアン。
 完成するには数週間はかかる見込みなので、作業が終わったら一旦そこへ防水加工が施されたシートを被せておき、昼間の営業に差支えがないようにしていく。

 昼間の空き時間にスケッチをしていたライアンは、自身の頭の中に思い浮かべた構成を浴場の壁に描き進めていく。
 その途中、

「あの、ユージさん」
「うん?」
「どうしてこんなに親切にしてくれるのですか?」
「困った時はお互い様。それが俺のモットーでもあるからさ」


 嘘だ。


 ――厳密にいえば、3割くらい嘘だ。

 困った時に助け合うというのは優志がこの世界で痛感した認識。だから、お金がなく、危険な魔鉱石採掘をしなければならないほど困っているライアンを放ってはおけない。

 それが理由の7割。

 では、残りの3割はなんなのか。


 優志は自身の過去をライアンに重ねていた。

 少年時代の優志はある「夢」に向かって日々努力を重ねていた。

 その夢とは――プロ野球選手。

 当時、甲子園を熱狂させたピッチャーをテレビで見て、その姿に感動し、自身もあんな選手になりたいとジュニアチームに入り汗を流した。

 高校は何度も甲子園に出場している強豪校へ進学したが、そこで待っていたのは自分よりも才能を持った者たちとの熾烈な競争であった。
 優志が入学してから、その高校は春夏合わせて4度甲子園に出場したのだが、結局、優志が甲子園のマウンドに立つことはなかった。3年間をスタンドで見守る応援という形で過ごしたのだ。

 その3年間が優志の人生を決定づけた。

 大学へ行っても野球を続ける道はあったし、なんだったらその後も社会人野球でプロを目指す道もあった。実際、社会人野球を経てプロへ入る者も決して少なくない。

 だが、高校での3年間で優志の気持ちはプッツリと途絶えてしまった。

 その後、就職してからこの世界に来るまで、甲子園やプロ野球中継をテレビで観戦していると、その頃を思い出すことがあった。
 
 もし、大学へ行っても野球を続けていたら、今テレビの向こうでマウンドに立っているのは自分かもしれない。


 夢を諦めてからの後悔。
 優志はその気持ちを知っているから、ライアンを応援せずにはいられなかった。

「君のペースでいいから、納得のいく作品を完成させてくれ」
「はい!」

 元気よく返事をするその姿の後ろに――高校球児時代の自分の姿が浮かび上がる。
 懐かしさと寂しさが混同する不思議な気持ちに浸りながら、優志は自室へと戻って行った。
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