おっさん、異世界でドラゴンを育てる。

鈴木竜一

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1巻

1-3

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「おやすみなさい」
「うん。おやすみ」

 上下揃いの黄色いパジャマに着替えたキャロルとあいさつを交わして、颯太は部屋に設けられたベッドへダイブする。ちなみに、カッターシャツとスーツのズボンで寝るのはさすがに厳しいので、今の彼は来客用として用意されていた水玉模様のパジャマに着替えている。
 キャロルの前では表に出さず強がっていたが、ずっと森の中をさまよい続けたせいもあって、颯太の足腰は限界スレスレだった。

「湿布をベタベタに貼って寝たいとこだけど……」

 ベッドで寝られるだけで贅沢ぜいたくなのは重々承知しているが、明日以降のコンディションが心配だ。

「明日、か」

 その時不意に、不安に襲われる。
 明日、王都へ行き――そこで何をすればいいのだろう。とりあえず、生きていくためには働かなくてはならない。まずは職探しから始めなくては。

「でも、一体どうやって……職業斡旋あっせん所みたいなのがあればいいけど」

 希望職種はデスクワークだが、パソコンの知識が役に立つとは思えない。書類作成やプレゼンといった、サラリーマンとしての基礎的な経験は一通り積んでいるが、果たしてこの世界でどこまで通用するのか。
 それともうひとつ、懸念している点があった。

「この世界でも……うまくいかなかったら……」

 すべてがリセットされた状態の今は、言い換えればチャンスでもある。この世界の人たちは自分という人間を知らない。学歴や資格なんかで偏見を持ったりせず、普通に接してくれるはずだ。
 だがもし、こちらでも同じような失敗をしてしまったら?

「……やめよう」

 ほおをパチンと叩き、後ろ向きの思考を振り払った。代わりに、キャロルの笑顔を思い出す。あの子は父親の夢だったこの牧場を守るため、ドラゴンの世話を一生懸命にやっている。だからイリウスはキャロルの言うことに大人しく従ったのだ。そのひたむきさを見習わないと。

「この世界では……絶対に挫けない。強い心で仕事をしよう……頑張るぞ」

 声は小さくても心意気は大きく。
 そんな決意表明をして、颯太は目を閉じた。
 異世界に来て初めてベッドで眠る夜は、こうしてけていった。


     ◆ ◆ ◆


 バタン、ガタン。

「――ん?」

 爆睡していた颯太は物音で目が覚めた。
 部屋を出てすぐに、音の正体を見つける。

「あ、ごめんなさい。起こしちゃいました?」

 キャロルが身支度をする音だったのだ。

「こんなに朝早くからどうしたんだい?」
「仕事の準備です」
「も、もう?」

 窓から外を見ると、まだ朝霧あさぎりに包まれている。夜は明けきっていないらしいが、すでにキャロルは作業着であるオーバーオールを着て、意気揚々いきようようと仕事へ出ようとしていた。

「た、大変だな」
「いつものことですから。朝食はもうちょっと待ってくださいね」

 ここで「じゃあもう一眠り」と戻るわけにはいかない。大人として、まだまだあどけなさの残るキャロルにだけ仕事をさせるわけにはいかなかった。

「俺も手伝うよ」
「え? で、でも……」
一宿一飯いっしゅくいっぱんの恩があるからね。容赦ようしゃなくこき使ってくれ」
「助けていただいたお礼なのに……じゃ、じゃあ、この寝床用のわらを竜舎に運んでくれますか?」

 キャロルは部屋の隅に積み重なっている藁の束を指差した。

「お安い御用だ」

 胸をドンと叩いて任せておけとアピール。キャロルから父のスペアの作業着を借りて仕事の説明を受けると、軽い足取りで仕事場へ移動する。
 しかし、颯太はすぐに安請やすういしたことを後悔した。

「むおっ!」

 いくつかの藁が圧縮されて一塊ひとかたまりになっているせいか、想定よりも遥かに重量があったのだ。
 キャロルはこれを毎日、数百メートル先にある竜舎まで運んでいるのかと感心する颯太。普段の運動不足を呪いながら、彼は藁を抱えて竜舎を目指す。

「はあ、はあ、はあ……」

 ハードワークで息もえ。やっとの思いで竜舎にたどり着き、中に入ると――

「来たか」

 寝床で横になるイリウスが待ち構えていた。

「ここからでもお嬢と話す声が聞こえたぜ。始めたばっかりなのにもうへばったか?」
「ま、まだまだ……」
「無理すんなって――休憩がてら、ちょっと話そうぜ」

 イリウスは首を持ち上げ、寝床から出して颯太との距離を詰める。

「俺たちドラゴンは人間の言葉が理解できる。それは人間たちも、長年自分たちのパートナーとしてドラゴンが指示通り動いてきたのを見ているから、わかっているだろう。だが、その逆――俺たちドラゴンの言葉を理解できる人間には、五百年近く生きてきた俺でも会ったことがない」

 それがこの世界における人間とドラゴンの関係性なのか、と颯太は理解した。

「ってことで、改めてたずねるが――おまえさんはどうしてドラゴンの言葉が理解できるんだ?」

 イリウスからの質問に、颯太は素直に返答する。

「たぶんだけど……レグジートさんに――」
「レグジート様だと!」

 颯太が言い終えるよりも先に、イリウスが驚きの声をあげた。

「ど、どうしたんだ?」
「どうしたも何も、なぜおまえは竜王りゅうおうの真の名を知っているんだ!」
「竜王? それって、ドラゴンの王様ってこと?」
「その通りだ」
「まさかそんな偉いドラゴンだったなんて……」
「本当に凄い方だよ、レグジート様は。俺たちドラゴンの通常種だけでなく、竜人族りゅうじんぞくの連中だってあの方には逆らえねぇ」
「竜人族……?」

 聞き慣れない単語に、颯太は首をひねった。しかしそれをたずねる前に、イリウスがもう一度問い詰めてくる。

「さあ、こっちの質問に答えろよ。なぜレグジート様を知っている?」
「会ったんだよ、レグジートさんに」

 ありのままを告げるが、イリウスは納得しない。フン、と鼻で笑い、瞳をキュッと細めて颯太を見下ろす。まるで、獲物を前にした猛禽類もうきんるい彷彿ほうふつさせる凄みだ。

「会っただと? どこで?」
「ここからすぐ近くの森だ」
「証拠は?」
「証拠って……」

 ドラゴンのくせに人間臭いヤツだな、と思いながら、颯太は思い当たることを口にする。

「証拠になるかわからないけど、レグジートさんは自分の死期を悟り、生まれ故郷の森でひっそりと死ぬつもりなんだって言っていたな」
「なぜそれを――おまえ、本当にレグジート様に会ったのか!」
「だから、さっきからそう言っているだろ」

 その言葉で、イリウスもようやく颯太がレグジートと会ったことを信じたようだ。
 持ち上げた首を再び床へつけて、イリウスは続ける。

「レグジート様はどうした? まだ生きていらっしゃるのか?」
「……いや、俺と出会った時には、もう限界が近かった。だから、そのまま俺がレグジートさんの最期を看取みとったよ」
「人間のおまえが竜王の最期を?」

 あり得ないだろ、とでも言いたげにイリウスは鼻を鳴らす。

「そりゃあ、レグジート様は人間に対して友好的な御方おかただったが……」
「でも、本当だってわかってるんだろ?」
「まあそうだな……そういや、まだおまえの名前を聞いてなかったな」
「颯太だ。高峰颯太」
「よしソータ。レグジート様に会った時のことをもっと詳しく説明してくれ」
「わかった」

 颯太を信用したのか、イリウスは先ほどより明らかに態度が軟化していた。

「俺は森で道に迷っているところにレグジートさんと会い、友だちになった。そして、レグジートさんから竜の言霊をもらったんだ」
「竜の言霊……」
「あ、そうだ。イリウス、おまえは竜の言霊について何か知らないか?」
「うーん、詳しいことはわからねぇが、なんでも人間に竜の知恵を与えるお宝って話だ。しかし、まさか実在していたとはな……ともかく、それで合点がいった。おまえが竜の言葉を話せたり、俺の言葉を理解できたりするのは竜の言霊のおかげだな」

 竜の言霊の効果。
 イリウスによれば、それはドラゴンの持つ知恵を人間に与える――要するに、ドラゴンとの会話を可能にするアイテムということだった。

「俺としては意識して言葉を使い分けているつもりはない……俺が話した言葉はそのまま人間とドラゴンの両方に伝わっているってことか」
「便利なもんだな」

 竜の言霊の効果は把握した。だが、なぜレグジートがこれを颯太に託したのか、その真意はまだわからない。適当に能力を渡したわけじゃなく、何か、意図があるとは思うのだが。

「イリウス……どうしてレグジートさんは俺に竜の言霊をくれたと思う?」
「さぁてね。皆目かいもく見当もつかねぇな。ただ、明確に言えることがひとつだけある――レグジート様は大変聡明そうめいな方だった。なんの意味もなくおまえに竜の言霊を託したとは思えん」

 どうやらイリウスも颯太と同意見らしい。

「ま、当のレグジート様が亡くなったのであれば、その真意を知るすべはないけどな」

 先ほどまでとはうって変わって軽い調子で、イリウスが言った。真面目に語っていたかと思いきや、あっという間に軽い空気へさま変わり。食えないドラゴンだと颯太は苦笑いをする。
 今度はイリウスの知るレグジートの話を聞こうとしたが、こちらに近づく足音がする。

「お嬢かな?」
「でも、キャロルは俺と反対方向に歩いていったぞ」

 颯太とイリウスが顔を見合わせる。じゃあ、今この竜舎へ接近しているのは一体誰なのか。
 妙な緊張感の中、足音の主が姿を現す。

「こっちにいるのか、キャロル」

 竜舎の中に入ってきたのは、大柄な男だった。
 百七十七センチある颯太よりも頭ひとつ分さらに大きい。年齢は四十代なかばから後半くらい。スキンヘッドで、左頬から顎下あごしたにかけて大きな傷痕きずあとがあった。着込んだ鎧越しでもわかるくらいの強靭きょうじんな筋肉が、颯太を威嚇いかくする。

「誰だ、君は」

 大男が声を発した。静かでも、恐るべき迫力をのぞかせる声色。まさに歴戦の勇士のそれだった。

「あ、お、俺は昨日からここに泊めてもらっている高峰颯太って言います」

 敵意はないということを前面に押し出した笑みを浮かべて、自己紹介する颯太。
 受け取った大男は疲れたようにため息を漏らした。

「またあの子は……素性すじょうのわからん男を勝手に家へ上げてはいかんと言ってあるのに」

 その口ぶりはまるでキャロルの保護者である。しかし彼女は、すでに両親は他界していると言っていた。だとしたら、この男は彼女の親族だろうか。
 颯太の疑問に答えるように、イリウスが口を開く。

「ソータ。このツルツル頭は、ハルヴァ王国竜騎士団リンスウッド分団団長のハドリー・リンスウッドといって、俺のパートナーの騎士だ」

 颯太は小声でイリウスにたずねる。

「ハドリー……リンスウッドってことは?」
「お嬢の父親の弟――つまり、お嬢からしたら叔父にあたる人物だ」
「キャロルの叔父だって?」

 思わず颯太の声が大きくなった。彼の声を聞いたハドリーが怪訝けげんな顔をする。

「うん? 俺のことをキャロルから聞いたのか?」
「あ、いえ、イリウスが教えてくれたんですよ」
「イリウスが教えたって?」

 ハドリーが眉をひそめる。颯太は「しまった」と口を手で覆った。
 初対面の人物の名前どころかキャロルとの関係まで知っていて、おまけにその情報をドラゴンが教えてくれたとのたまう男。
 王国の平和を守る竜騎士団の人間として、ハドリーはこれ以上ないくらい怪しい要素が詰まった颯太を見逃すはずがなかった。

「君のことを……もう少し詳しく教えてほしい。イリウスが教えたと言ったが……まさかとは思うが、君はドラゴンと話せるとでもいうのか?」

 ハドリーが颯太に詰め寄る。明らかに怪しまれていると察した颯太は、自己弁護を試みる。会社の帰り道で警察に職務質問された時のことを思い出しながら。

「は、はい。一応……あ、で、でも、俺自身は至って普通の凡人っていうか、むしろ凡人以下で、何をやってもダメダメなんですけど、だからドラゴンと話せるからといって、何か悪事を企むとかそういったマネは一切しない……というより、したくてもする度胸のないヘタレなわけでして……」

 しどろもどろすぎて喋りながら悲しくなってくるが、とにかく自分が悪意のない善良な一般人であることをわかってもらいたくて必死に語った。
 ハドリーは苦笑して颯太をフォローする。

「とりあえず落ち着け。ゆっくりでいいから、その、ドラゴンと話せるという部分をもう少し詳しく説明してくれ」
「わ、わかりました」

 ハドリーの要求に応えるべく、颯太は一度大きく深呼吸してから話し始める。
 説明した内容は以下の通り。
 竜王レグジートと出会ったこと。
 その最期を看取った際、竜の言霊というものを受け取り、ドラゴンと会話できるようになったこと。
 そのあと森を抜け出したが、お金がないため宿に泊まれず途方に暮れていた時、キャロルが声をかけてくれたこと。
 一宿一飯の恩を返すべく、今まさに竜舎で彼女の仕事の手伝いをしていること。
 ――こんなところだ。
 ここでもレグジートの忠告を守り、自分が異世界から来たという点は伏せ、遠い田舎町の出身者であるという設定にした。こちら側の世界情勢が不透明な分、言動には細心の注意を払わなければならない。

「にわかには信じられんが……」

 顎に手を添えて熟考するハドリー。外見は物事をパワーで押し切りそうな脳筋系なのに、思慮深い仕草がさまになっている。頭脳派の一面もあるようだ。
 その様子を見ながらイリウスが口を開く。

「相変わらず煮え切らねぇ男だぜ……逆に言えば、慎重に物事を運ぶから、分団長を任されているとも言えるがな――そうだ。おいソータ、なんとしてもこいつにおまえの力を認めさせるんだ」
「え? どうして?」
「こいつは俺が信頼する数少ない人間だ。つか、お嬢以外だとハドリーくらいしか俺は人間を信用していない……先代のオーナーにはだいぶ世話になったが、あいつはもう故人だからな」

 先代オーナーとは、つまりキャロルの父親。
 父親に世話になったから、このドラゴンは娘のキャロルも「お嬢」と呼んでいるのだと颯太は推測した。

「ともかく、堅物かたぶつで評判の大臣共も、あいつを認めているんだ。そんな人間の信頼を得ておけば、これから何かと有利だと思うぜ」

 イリウスの言うことには一理ある。この未知の世界で生きていくためには、多くの協力者が必要だ。営業でもそうだが、贔屓ひいきにしてもらうためには信頼関係が欠かせない。イリウスの言葉を聞く限り、その信頼関係を築く人物として、ハドリー・リンスウッドは適切だと思われた。
 ドラゴンと話せることを証明するため、颯太がハドリーに話しかけようとしたその時――

「あれ? ハドリー叔父さん?」

 ピッチフォークを手にしたキャロルが竜舎へとやってきた。ひと仕事終えてきたのか、玉のような汗を浮かべている。服にも泥や草がついていて、かなりハードな作業をしてきたことがうかがえた。
 すると、イリウスはなぜか急に大人しくなって竜舎の奥へ引っ込んでしまう。

「こんな朝早くにどうしたんですか?」
「君の様子を見がてら……例の件の返事をもらおうと思ってね」
「あ……」

 ハドリーの言葉を聞き、キャロルの表情が一瞬にして曇った。イリウスが引っ込んだのも、どうやら例の件というのが関係していそうだ。
 颯太はこっそりイリウスに近づき、耳打ちをする。

「なあ、例の件ってなんだ?」
「……この牧場を売却するって話だ」
「なんだって!」

 あまりにも予想外な話だったため、思わず大声が出てしまった。
 案の定、キャロルとハドリーから注目される。

「どうしたんだ、急に」
「だ、だって、牧場を売却するって」
「なっ! どこでその話を聞いた?」
「いや、今イリウスが教えてくれて……」

 キャロルとハドリーは顔を見合わせる。
 ハドリーは先ほど、颯太から彼がドラゴンと会話できると聞いていたが、完全に信じたわけではなかったのだ。しかし、颯太が知るよしもない話をイリウスから聞いたと言われ、ようやく信じる気になった。
 一方、そんなことを知らないキャロルは「イリウスが?」と首を傾げている。
 ハドリーは一度咳払いをして、キャロルに話しかける。

「とにかく、一旦家に戻って話がしたい。もうひと通り、外での仕事は終わったのだろう?」
「そ、それは……」

 キャロルの顔に影が落ちる。
 昨夜、あれだけ熱心に仕事が楽しいと颯太に語ったキャロル。彼女からすれば、牧場を手放すなど絶対にあり得ないことだろう。
 だが、あの表情を見る限り、事態はもう情熱だけではどうにもならないところまで来てしまっているようだった。

「あの……ハドリー叔父さん」

 しかし、両手にギュッと力を込めて、キャロルは口を開く。その目は決意に満ちていた。

「私は、絶対に牧場を売りません! ここに暮らすドラゴンたちはみんな私がお世話をして、一流の竜騎士たちでさえ憧れる最高のドラゴンに育ててみせます! では、私はこのあとも仕事があるので、これで失礼します!」

 そう宣言したキャロルの目尻に、涙が浮かぶ。その涙を腕で乱暴にぬぐい、彼女は走りだした。
 十五歳の少女の小さい背中。けれども、そこには絶対に屈しないという強い意志とたくましさが感じられた。
 イリウスが途中で引っ込んだのは、キャロルの悲しむ姿を見たくなかったからだと颯太は悟った。イリウスはおそらく、ハドリーが牧場売却の件でここへ来たと最初から知っていたのだ。颯太にハドリーからの信頼を得るようけしかけたのも、もしかしたら話題を逸らして早々に帰ってもらおうとしたためなのかもしれない。

「説得は困難、か」

 やれやれ、とハドリーは窓から差し込む朝日を浴びて輝く頭頂部を撫でながら息を吐いた。

「あ、あのぅ……」

 完全に置いてきぼりを食らった颯太は、気まずさを感じながら声をかける。

「ああ、すまない。身内のゴタゴタに巻き込んでしまって」
「いえ、そんな……でも、牧場の売却なんて――」
「悪いが、これは我々リンスウッド家の問題だ。部外者の君が口を挟むことではない」

 ハドリーはそれだけ言い残して、その場を立ち去ろうとする。
 その屈強な後ろ姿を見つめながら、颯太の心中は揺れ動いていた。
 たしかにハドリーの言う通りだ。
 だけど――今ここで退いてはいけない。
 自分と違って、仕事を楽しみ、一生懸命に生きるキャロル。彼女にとって、この牧場は人生そのものなのではないか。それを奪われるかもしれないのだ。一宿一飯の恩など関係なく、一人の男として、颯太は彼女の助けになりたいと思った。

「あの! 待ってください!」

 颯太は呼び止めたが、ハドリーは止まらない。それでも、彼は構うものかと話し続ける。

「たしかに、俺はリンスウッドの人間じゃないから、どういう経緯で牧場売却なんて話になったのかはわかりません。けど、本当にどうにもならないんですか? 牧場を売ることでしか解決できない問題なんですか?」

 矢継ぎ早にまくし立てた。そして――

「俺にできることがあるなら、なんでも協力します!」
「うん?」

 この一言がハドリーの足を止めた。

「なんでも協力する……君は今、そう言ったかい?」
「あ、その……」
「言ったよな?」

 ハドリーが猛スピードで颯太に詰め寄る。鼻先数センチまで接近した、いかついスキンヘッドの凶悪フェイス。キャロルの次は颯太が涙目になる番だった。ハドリーの顔が怖い、という大変情けない理由で。
 だが、協力を惜しまないという言葉に嘘はない。

「は、はい。言いました」
「よし! では協力してもらおう!」

 即決。
 先ほどの慎重さとは違い、早すぎる判断だった。そこで、颯太はある疑問を抱く。

「もしかして……最初から俺に協力させるつもりで芝居してました?」
「おっ、なかなか鋭いな。見事な演技だったろ? 強制するわけにもいかんので君の口から協力したいという言質げんちを取る必要があったし、ああ言われても食らいついてくれるくらいのガッツがある人物じゃなきゃ、信用できんからな」

 先ほどの突き放した言い方は、颯太自身から「協力する」と言いだすよう仕向けた演技だったのである。とんだ名優だ、と舌を巻く。

「俺としても、兄貴の長年の夢だったこの牧場を売り払うっていうのは大反対なんだが……現状ではなかなか難しくってな……だが、君が協力してくれるなら、なんとかなるかもしれん」
「そ、そうなんですか? でも、自分から協力を申し出ておいてなんですけど、俺は別段他人より優れた能力を持っているわけじゃ……」
「何を言っているんだ。あるじゃないか――ドラゴンと話せるんだろ?」

 どうやら、竜の言霊によって得た能力に、牧場売却を防ぐ鍵があるようだ。

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