おっさん、異世界でドラゴンを育てる。

鈴木竜一

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1巻

1-2

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「あ、あの……」
「なんだ?」

 受付は敬語を使う気も失せたらしい。

「カードって使えます?」

 それでもくじけず、颯太は財布から切り札とも言うべき一枚のカードを取り出した。一応、世界でもっとも加盟店の多いクレジットカードだが……

「……なめてんのか、ゴルァ」

 やっぱりダメっぽい。
 さすがの国際ブランドも異世界では役立たずか。

「んなゴミみてぇな代物しろものでうちの宿を利用しようとはいい度胸じゃねぇか!」
「あ、いや、その、断じてからかっているわけでは――」
「うるっせぇや! 冷やかしなら出ていきなぁ!」
「す、すいませ~ん!」

 こうして宿屋を追い出された颯太は、身をもって自分が無一文であると認識したのだった。

「どうしたもんかな……」

 やっと森を抜けたと思ったら、今度は経済問題が勃発ぼっぱつ
 世の中ぜにがすべてだと言うつもりはないが、八割くらいは銭がものをいうというのが颯太の持論である。その大切な八割がごっそり欠落した今の状況は、ハッキリ言って絶望以外の何物でもなかった。

「両替屋なんてないだろうし……」

 そもそも、この世界で円が流通している国があるとは到底思えない。さっき、チラッと屋台で果物らしきもの(リンゴに似ている)を買っている女性の手元をのぞき見たが、どうも銀貨や銅貨がメインで使われているらしかった。

「これは困ったぞ……」

 夜の町中で、颯太は途方に暮れる。こうなってくると、回避したかった野宿という選択肢が現実味を帯びてきた。

「仕方ない……」

 ガクリと項垂うなだれる。
 諦めてどこか雨風をしのげる場所がないかと探していると――

「やめてください!」
「いいじゃねぇかよ」
「夜にこんな場所にいるってことは暇してんだろ?」
「なら俺たちと遊ぼうぜ」

 野菜の入った紙袋を抱きかかえた少女が、チンピラ風の男三人と揉めている現場に出くわした。
 トラブルの中心にいる少女は外見から察するに十代後半ほど。月明かりを浴びてきらめく長い金髪をふたつにわけて結び、おさげのように垂らしているのが特徴的な可愛らしい子だ。

「うわっ……」

 颯太が想像する「絶対に遭遇したくないシチュエーション」のひとつが目の前で展開されている。おまけにここは異世界。相手がどんな手を使ってくるか、まったく読めないときている。助けに入ったが最後、もしかしたら、剣でめった刺しにされるかもしれない。
 だが、だからといってこのまま見過ごすことはできなかった。

「ちょ、ちょっと」

 持てるすべての勇気を振り絞って声をかける。

「あんだよ、おっさん」
「俺らに何か用かよ」
「い、いや、その子が嫌がっているみたいだから……」
「あーん?」

 おもむろに、男の一人が短剣を取り出す。
 恐れていた事態が現実に起きてしまった瞬間だった。

「グダグダ言うならこの場でぶっ殺すぞ!」

 屈強くっきょうな男に迫られて、颯太は一歩二歩と後退していく。

「けっ! 腰抜けが!」

 颯太がおくしたことを悟った男はそう言い放つ。その背後では、残りの暴漢二人が少女の腕を掴んで路地裏へと引っ張り込もうとしていた。

「や、やめろ!」

 考えるよりも先に体が動いた。
 颯太は短剣を持った男の脇をすり抜けて、少女の腕を掴む男に渾身こんしんの体当たりを食らわせる。

「ぐあっ!」

 男の体がくの字に曲がった。強烈な体当たりを食らって地面へ体を打ちつけ、男は「ぐうう」とうめき声をあげる。

「さあ、今のうちに!」
「あ、は、はい!」

 颯太は少女の手を取って走りだすが、もう一人の男が立ちはだかり、進路をふさいでくる。

「待て!」
「この野郎……」

 短剣を手にしていた男の目つきも変わった。

「どうやら死にてぇらしいな!」

 男の持っていた短剣の切っ先が、颯太へと向けられる。
 本気でこちらに攻撃を加える気だ。
 その気配を察した颯太は、走って人気ひとけのある大通りまで逃げようと考えた。
 少女の手を握って駆けだそうとしたその時――短剣を持った男の体がふわりと浮遊する。

「「「「え?」」」」

 颯太と暴漢たちの声がそろった。
 ちょうど月が雲に隠れて薄暗くなったため、何が起きたかわからない。
 やがて月明かりが雲間からのぞくと、短剣を持った男を持ち上げた存在の正体が見えてくる。

「うっ!」

 思わず颯太は息を呑んだ。
 炎のように赤い鱗をしたドラゴンが、男の服をくわえて宙に吊り上げていたのだ。


「ど、ドラゴンだとぉ!」

 暴漢の一人が叫ぶ。
 レグジートに比べればだいぶ小柄で翼も持っていないが、まぎれもなくドラゴンである。
 赤い鱗のドラゴンは口を開き、くわえていた男を解放した。

「どうもおじょうの帰りが遅いんで心配になって来てみたら……間一髪ってとこだったみたいだな」

 そして、そう言い放った。どうやら、この少女を心配しての行動らしい。
 いきなり地面に落とされた男は、臀部でんぶを押さえてのたうち回っている。残った男は驚愕きょうがくしながらも背中に忍ばせておいた短剣を握り、こっそりと赤い鱗のドラゴンへと近づいた。あの短剣で攻撃をするつもりなのだ。

「危ない!」

 それに気づいた颯太は、咄嗟とっさに男へ飛びついた。その際の衝撃で、男は手にしていた短剣を手放してしまう。短剣はクルクルと回転しながら、夜の闇の中へ吸い込まれるように消えていった。

「野郎!」

 怒った男の標的がドラゴンから颯太へと変わる。

「やめねぇか!」

 しかし、ドラゴンが一声上げて頭突きで男を吹き飛ばした。

「ぐ、ぐおぉ……」

 男は建物の壁に体を勢いよく叩きつけられ、泡を吹いて失神。他の二人は気絶した一人を肩で担ぎ、「覚えていろよ!」というリアル生活ではなかなか聞けない捨てゼリフを吐いて逃げだした。

「ありがとう、イリウス! 心配して来てくれたのね!」

 絡まれていた少女が赤い鱗のドラゴンに抱きつく。どうやら、このドラゴンを知っているらしい。
 とりあえず危機は脱したようなので、颯太は改めて赤い鱗のドラゴン――イリウスに礼を言おうと話しかける。

「あ、ありがとう、助けてくれて」
「俺は別におまえを助けたわけじゃねぇ。お嬢を助けるついでだ」
「それでも助かったよ」
「助かったっていうならこっちもだ。危うく不意打ちを食らうところだったからな」
「じゃあ、お互い様ってわけか」
「そういうこったな……うん?」

 イリウスが突然首を傾げる。

「どうした?」
「どうしたも何も……俺は一体誰と話をしているんだ?」
「俺しかいないだろ」
「んなっ!」

 イリウスはいきなりのけぞった。

「な、なんだよ」
「どうして人間であるおまえがドラゴンの俺と話ができるんだ!」
「え? 人間とドラゴンは会話できないのか?」
「それが常識だろ!」

 八千年生きたレグジートならともかく、普通のドラゴンと人間の間では会話が成立しないみたいだ。だから、イリウスはこれだけ驚いているのかと颯太は理解する。

「あの、さっきから何を一人でぶつぶつと……ど、どうしたの、イリウス!」

 暴れだすイリウスを落ち着かせようとする少女。どうやら彼女は、イリウスの言葉がわからず、颯太が独り言を言っていると思っているらしい。
 なだめようとする少女に気がついたイリウスは、ハッと我に返って冷静さを取り戻す。

「よかった、落ち着いてくれた」

 胸を撫で下ろした少女と颯太の目が合った。

「えっと、ありがとうございました。私を助けてくださって」

 礼儀正しくお辞儀をしてくる。

「いや……俺は何もしていないよ」
「そんなことはありませんよ。あなたが決死の思いで飛びかかってくれなければ、イリウスは大怪我をしていました」

 少女にとって、イリウスは相当大切な存在らしい。

「何かお礼をしなくてはいけませんね」
「お礼だなんてそんな――」

 気にしなくていいと告げようとした瞬間、颯太の腹が「ぐぅ~」と音を立てて鳴った。

「……もしかして、お腹が空いています?」
「え? あ、ああ、実はお金がなくてね。宿もとれないんだ」
「宿がないんですか? ……でしたら、うちへいらっしゃいますか?」
「えっ! い、いいのかい?」

 突然の提案に大声を出してしまう颯太。そんな彼に、少女はニッコリと笑いかけた。

「イリウスを助けていただいたお礼です。あまり大きな家ではありませんが、それでよければ」
「とんでもない! 建物の中ならどこだって構わないよ!」

 颯太は生まれて初めて天使を見た気分だった。外見も十分天使っぽいのだが、まさか中身まで天使だったとは。
 ――もしや美人局つつもたせなんてことはないだろうか。
 十年以上も昔、颯太は大学からの帰宅途中で女性に声をかけられたことがある。喜んでついていったら、買ったら幸せになれるとかいう壺を買わされかけた。その時の苦い記憶がよみがえる。

「? どうかしました?」
「……いや、何も」

 小首をかしげる少女の姿を見て、颯太は一瞬よぎった考えを振り払う。
 親切な女の子を疑うなんて――自分を罰したい。
 颯太は地面に額を打ちつけそうになるのをなんとかこらえて、少女に礼を述べた。

「……困っているヤツは放っておけないっていう、お嬢の悪い癖が出ちまったな。まあ、俺もその男にはいろいろと聞きたいことがあるからいいけどよ」

 イリウスが呆れ気味に言った。
 口ぶりは気になるものの、イリウスの言葉はつまり、彼女が本物の良い子であることを意味している。

「助かったよ。本当に困っていたから」
「いいんですよ。私の家……一人でいるには広すぎるので」
「そうなんだ……えっ?」 

 今、一人と言ったか?
 颯太はなぜか敬語になって少女に確認する。

「あの……つかぬことをお聞きしますが」
「なんでしょうか?」
「君の家はその……君が一人だけでお住まいに?」
「そうですが」

 こともなげに答える少女。
 どう見たって十代にしか見えない少女が、一人で暮らしている。そこに三十四歳のおっさんが上がり込んでいいのだろうか。当然だが、やましいことをしようなどという気持ちは毛頭ない。純粋に一夜を過ごせる場所がほしかっただけなのだ。
 だから――問題はない。
 たとえ少女が一人であっても、自分が何もしなければセーフだ。
 颯太がそう考えていると、少女が思い出したかのように口を開く。

「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。私はキャロル。キャロル・リンスウッドと言います」
「俺の名前は高峰颯太だ」
「タカミネ・ソータ……変わった名前ですね。呼び方はタカミネさん? ソータさん?」
「……ソータで」
「はい、ソータさん」

 ソータさん。
 薄い桃色の唇から発せられる自分の名前。
 女の子に名前で呼んでもらえる日が来ようとは。そんなことは死ぬまでないだろうと覚悟していたが、思わぬ形でその機会が訪れ、颯太はちょっぴり浮かれた。
 だからというわけではないが、キャロルの持っていた紙袋を「重いでしょ?」と言ってさりげなく持ってあげる。
 キャロルは「あ、ありがとうございます」と、青色の瞳で颯太を見つめ、はにかんだ笑顔を見せた。
 うん、自然にできたぞ。女の子相手だったけど、変にテンパって声が裏返ったりしなかったし。
 心の中でガッツポーズを取る颯太。それは悲しすぎる自画自賛であった。けれど、彼にとっては大金星に等しい快挙なのである。
 そのまま並んで歩く二人は、家に到着するまでの約十分間、他愛もない会話に花を咲かせる。

「それで、ソータさんの出身はどちらですか?」

 思わず「日本の静岡です」と答えそうになったが、レグジートの「正体は隠しておけ」という忠告を思い出して踏みとどまる。

「あーっと……東の方かな」
「東? 四大国家の東方領に位置するハルヴァより東ですか?」
「あ、そ、その……ハルヴァよりは手前かな? 明日になったらハルヴァの王都に向かうつもりだったんだ」

 肝心な部分は適当にぼかしつつ、颯太はキャロルとの会話を楽しむ。
 キャロルは颯太の言葉を聞いて微笑んだ。

「そうだったんですね。なら、ちょうどよかったです。うちは王都のすぐ近くにある牧場ですから、今日はうちで休んで、明日王都に向かうといいですよ」
「そうさせてもらおうかな。それにしても、牧場かぁ。若いのに大変だね」
「若いといっても、もう十五歳ですから。しっかり働かないと」
「いやいや、感心だよ。そうかぁ、十五歳かぁ……十五歳?」
「な、何かおかしいですか?」
「ぜ、全然そんなことないよ。ただ、思っていたよりずっと若くてビックリしただけ」

 十八歳か十九歳くらいかと予想していたが、まさか十五歳とは。年齢の割に凄い落ち着きようである。
 そんな調子でさらに歩き続けていると、ようやく目的地へと到着した。

「ここです」

 キャロルの家は、木造二階建ての思っていたよりもずっと立派な佇まいだった。家から少し離れた位置には、さらに大きな建物がある。牧場らしいので、おそらく牛舎や豚舎といったたぐいだろう。

「私はイリウスを竜舎りゅうしゃへ戻してくるので、先に家の中へ入っていてください」
「ああ……って、竜舎?」

 豚舎でも牛舎でもなく、竜舎。
 初めて聞く名前だが、もしかして……

「な、なあ、君の家の牧場って……ドラゴンを育てているとか?」
「そうですよ。ここはハルヴァ王国竜騎士団りゅうきしだん用のドラゴン育成牧場――リンスウッド・ファームです」
「王国竜騎士団用、ドラゴン育成牧場……」

 ファンタジー要素てんこ盛りのワードに、颯太は開いた口が塞がらなかった。
 ともかく、さらに詳しいことを聞くために質問する。

「その、王国竜騎士団っていうのは……?」
「生まれた時から人間に慣れさせたドラゴンをパートナーにする騎士たちのことです」
「ドラゴンをパートナーに?」
「はい。といっても、竜騎士団があるのは経済的に発展した大きな国だけですが」
「……なるほど」

 キャロルの突拍子もない説明を聞き、颯太はなんとか頭の中で情報を整理する。
 どうやら、この世界にはレグジートのような自然界で暮らすドラゴンと、牧場で飼育され騎士団の一員として人間と一緒に戦うドラゴンとの二種類がいるようだ。
 そしてここは、その竜騎士団へドラゴンを供給するための牧場というわけらしい。

「この牧場で育てられたドラゴンたちは、いわば国家戦力ってことか」

 ドラゴン育成牧場について理解した直後、イリウスが近づいてきて、ボソッと言う。

「くれぐれもお嬢には手を出すなよ。もし手を出したら噛み殺すからな」
「出さないよ!」

 イリウスの警告を一蹴いっしゅうしてから、颯太は一足先に家の中へ。
 家の中はこざっぱりしており、あまり物がない。だからといって殺風景というわけでもなかった。さりげない小物や観葉植物、間接照明らしき物が配置されており、必要最低限でありながら随所にキャロルのセンスが光っている。
 しばらくすると、竜舎からキャロルが戻ってきた。

「お待たせしました。先に入浴しますか? それとも、ご飯にします?」
「じゃ、じゃあ……ご飯で」
「はい!」

 颯太の要望を聞いたキャロルは小走りにキッチンへと向かい、愛用していると思われるピンクのエプロンを身につけて調理を開始する。
 なんか、今の会話って新婚夫婦っぽいよなぁと鼻の下を伸ばすも、冷静に考えたら十五歳の女の子相手に何言ってんだとセルフツッコミ。
 とりあえず、他のことについて考えることにした。

「それにしても……」

 自分がドラゴンと会話ができるという事実。
 イリウスいわく、普通の人間には不可能な芸当だそうだ。心当たりはアレしかない。

「竜の言霊……」

 レグジートから受け継いだ、あの光が関係しているのだろうか。
 ともかく、明日イリウスとじっくり話してみよう。
 その後、颯太はキャロルを手伝うことにした。
 一人暮らしをしているだけあって、キャロルの手際てぎわはなかなかのものだ。
 颯太も大学時代から何年も一人暮らしをしているが、食事はコンビニ弁当メインで掃除も洗濯も適当にこなしてばかり。特に働きだしてからはまともに手が回らず、ひどい有様だった。
 しかし、十五歳のキャロルはすべてを完璧にこなしていた。苦にするどころか、家事全般を楽しんでいるふしすらある。

「……こういう子が嫁に来てくれればなぁ」
「え? 何か言いましたか?」
「べ、別に」

 たまらず本音が漏れた。
 二十代後半から、颯太はやたらと両親に「彼女はいるのか」「その気があるなら見合いをセッティングするぞ」と、「早く結婚して孫を見せろ」コールを受けていたことを思い出す。
 結婚どころか、まともな社会人生活を送るのに精一杯だったため、颯太はそんな両親の願いを軽く聞き流していた。しかし、キャロルを見てそういった言葉が口から出るということは、心の奥底では気にしていたのだなと、しんみり思うのであった。

「これでよし」

 キャロルが作ったのは、颯太のいた世界でいうハンバーグに近い食べ物だ。なんの肉を使用しているかは怖くて聞けなかったが。

「誰かと一緒にご飯を食べるって久しぶりです」

 ニコニコと無邪気に笑いながら食卓を整えていくキャロル。
 彼女はずっと一人で食事をしていたのだろう。大人でボッチ経験豊富な颯太には苦にならなくても、年頃の少女には厳しいはずだ。
 だからなのか、キャロルは食事中、ずっと嬉しそうだった。

「ソータさんはどんな仕事をしているんですか?」
「ああ、えぇっと……物を売る仕事だよ」
「商人なんですね」
「そ、そうだよ」

 否定して一から説明するのも大変そうなので割愛。レグジートの「正体を明かさないようにしろ」という忠告を守るために、しばらくは自分が商人ということにした方がいいだろう。
 ただ、世界が違うとはいえ、たった一人でこの牧場を切り盛りしているキャロルの仕事ぶりには社会人として興味が湧いた。

「キャロルは偉いね。一人であんな広い牧場を運営しているなんて」

 草地面積は目測で三十から四十ヘクタールほどだった。女の子が一人で管理するには大きいといえる。

「そんなことはありませんよ。他の牧場と比べれば規模的には小さい方ですし、今いるドラゴンはイリウスを含めて三匹だけなんです」

 キャロルはこともなげに言ってみせた。

「この牧場は父の夢でもあったんです。だから、私が頑張って存続させていかなくちゃ。夢が叶ったのに、それからたった数年で死んじゃった父が天国で悲しまないように……」

 その言葉からは、悲壮にも感じる決意がにじみ出ていた。
 この子は、父親の夢を守るために牧場の仕事をしているのか。

「牧場の運営は楽しい?」
「楽しいですよ。ドラゴンの世話は小さい頃からしていますし。他のドラゴンは竜騎士団と一緒に北方遠征に参加しているので今はイリウスだけですけど、みんな素直でいい子たちばかりなんです」
「他の仕事をしたいと思ったことは?」
「ないですね」

 即答だった。

「仮に……ご両親が健在で、どんな仕事でも選べる立場だとしたら?」

 颯太は少し意地悪な質問をした。
 質問――というていを取ってはいるが、ある意味、これは己のためでもあった。
 仕事に悩んでいた自分が、目指すべき未来を探すヒントを得るために。

「それでも私はこの牧場で働きますよ、きっと」

 キャロルの回答は変わらなかった。

「私、この仕事好きですから。本当にやりたかったことを仕事にできて、とても充実しています。お父さんやお母さんが生きていたとしても、それは変わらないです。たぶん、生まれ変わっても私はドラゴンを育てる仕事をしていると思います」

 力強い眼差まなざし。迷いなんて欠片かけらもない。
 その双眸そうぼうを真っ直ぐに向けられて、颯太はキャロルに聞き返される。

「ソータさんは仕事が楽しいですか?」
「え?」

 仕事が楽しい――就職してから、一度もそんなふうに感じたことはなかった。
 ご飯を食べるのも、服を着るのも、住む家を確保するのだってお金がいる。お金を手に入れるためには仕事をするしかない。それ以外に、仕事への思いなんてなかった。
 そもそも、平凡以下のステータスしかない颯太はり好みできる立場じゃない。
 ただ、仕事ができればそれでよかった。
 ……よかった?
 本当にそうだろうか。

「……違うな」

 颯太がそうつぶやくと、キャロルは不思議そうな顔をする。

「違う?」
「あ、そ、そうじゃなくて……実は俺、仕事を変えようと思っていたんだ。今の仕事はその……俺に向いてないなって思って」
「物を売るのって大変そうですもんね。でも、ソータさんならきっといい仕事を見つけられますよ。ソータさんは優しくて良い人ですから」
「はは、だといいけどね……」

 優しくて良い人。
 それだけでは仕事が回らないことを知っている颯太にとっては、素直に喜べない評価だった。
 食事が終わり、後片づけをする。入浴を済ませたら、あとは就寝するだけだ。
 颯太は客室で一晩を過ごすこととなった。

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