187 / 246
【最終章②】竜王選戦編
第207話 【幕間】母の強さ
しおりを挟む
ハルヴァ王国――マーズナー・ファーム。
「あれからずっとあの調子ですか?」
マーズナー・ファームのメイドたちを束ねるヘレナ・マーチスがたずねる。それに反応したのは近くにいたメイド三人娘のひとりであるリリだった。
「昨日から何も変わっていません。空を見上げたまま動こうとしなくて」
「そうですか……」
ふたりが心配そうにその様子をうかがっているのは、マーズナー・ファームで一番の老竜である結竜アーティーだった。
連合竜騎士団が廃界で旅立った日とほぼ同時期――何かの気配を感じ取ったのか、いつもは動きが鈍く一日を通してほとんど動くことのないアーティーなのだが、ここ最近はずっと地面に座り込んで空を眺めていた。
それだけならいつもとさほど変わらないと気にすることはなかったろう。
だが、食事さえせずに何もない空を眺めているアーティーの姿はメイドたちにとって異様にしか映らなかった。
「こんな時にソータ様がいてくだされば」
思わずヘレナの口から本音が漏れる。
ドラゴンと話せる男――高峰颯太は今や4大国家の要人たちが注目するほどの男になっていた。
マーズナーと颯太のいるリンスウッドは同じ国にある同業者同士ということでお互いに協力体制を取っているが、魔族討伐作戦に出撃しているため、今から依頼することは難しい。そのため、メイドたちは成す術なくただ見守るしかなかった。そのメイドの数は、時間を追うごとに増えていく。
一方、アーティーは周りが心配しているということは重々承知しているが、それでも空の彼方――わずかに感じる娘の気配に目を細めていた。
「シャルル……」
マーズナーに来る前に別れた娘のシャルルペトラ。
颯太から、レイノア王国のランスロー王子と行動を共にしている可能性があると知らされて以降、ずっとその安否を気にしていた。
安否というのは体調のことだけではない。
「廃界に行ったのなら、もしかして……」
それは、アーティーが考える限りで最悪の結末。
その結末が現実のものになろうとしているのなら、ここでただ待っているだけというのは気が気でない。
「…………」
アーティーは、その巨体をゆっくりと持ち上げた。
「え? アーティー?」
突如動き出したアーティーに、ヘレナが声をあげる。
周りのメイドたちも何事かとその動きに注目している。
そんな視線の中で、アーティーは長年使っていなかった翼を大きく広げた。
「! アーティー! 何を!?」
たまらずヘレナが制止するためアーティーの前に出る。
だが、翼を広げるアーティーを止めることは叶わない。
「飛ぶというのですか!?」
空戦型ドラゴンは飛行できることから時折牧場から脱走することもある。場所によっては鎖でつないだりするところもあるようだが、マーズナーではそのような対応を取ってはいなかった。
というのも、前オーナーのミラルダは「ドラゴンが脱走したいと思わせない環境を作るべきだ」というのがモットーであり、その言葉通りの環境をつくり上げてここまでドラゴンの脱走はゼロという実績があった。
アーティーも、元々は別の牧場で問題行動を起こすドラゴンとして有名だったが、ここへ来てからはそのような行動は一度も取ったことがない。ドラゴンの世話係であるメイドたちの言うこともきちんと聞く。
――しかし、今回ばかりは違っていた。
いつもならヘレナの言うことをすんなり聞き入れるアーティーだが、翼を羽ばたかせる様子から止まる気配はなさそうだ。
アーティーの向かう先は見当がついている。
「廃界へ行く気ですね? シャルルに会いに……」
各国に現れた無所属の竜人族たち。
その報告を受けた時から、アーティーは竜王選戦が本格化してきたことを悟り、同時にレグジートの血を引くシャルルペトラが巻き込まれるのは明白――いや、もしかしたら、今も廃界で他の国の竜人族と戦っているかもしれない。
「アーティー……あなたの気持ちはわかりますが、あなたの老体とその傷ついた翼では廃界までもつかどうか」
アーティーはドラゴンの中でも高齢の方だ。
人間の年齢に換算すれば、90歳を越えている計算になる。
ここから廃界まで飛べるか――いや、それ以前に、飛び立てるのかさえ怪しい。
マーズナー・ファームにいるドラゴンの大半は連合竜騎士団に組み込まれているのにアーティーが外されている理由は高齢というだけでなく、翼の古傷にも原因があった。
「やめるのです、アーティー!!」
ヘレナの叫びは、しかしアーティーの羽ばたきによって発生した突風によってかき消されてしまう。やがて、アーティーの巨体はゆっくりと浮かび上がっていく。
「オオオオオオオオオオオォ!!!!!!」
マーズナーのメイドたちは、これまで耳にしたこのないアーティーの咆哮に身震いする。
「アーティー……その体でも行くと言うのですね」
母としての意地と愛が、アーティーの瞳に最後の光を灯す。
それを目の当たりにしたヘレナには、もう止める気持ちは消え失せていた。今願うことはアーティーの望みが叶うことのみ。
とてもドラゴンとは思えないゆっくりとした速度で飛び立った。
「ヘレナ様……」
リリが心配そうに名を呼ぶ。
騒ぎを聞きつけたルルとララも似たような表情でヘレナを見上げていた。
「大丈夫ですよ。人であろうとドラゴンであろうと――母という存在は強いのです」
呆れと尊敬が込めれた声で、ヘレナはメイドたちに言った。
「あれからずっとあの調子ですか?」
マーズナー・ファームのメイドたちを束ねるヘレナ・マーチスがたずねる。それに反応したのは近くにいたメイド三人娘のひとりであるリリだった。
「昨日から何も変わっていません。空を見上げたまま動こうとしなくて」
「そうですか……」
ふたりが心配そうにその様子をうかがっているのは、マーズナー・ファームで一番の老竜である結竜アーティーだった。
連合竜騎士団が廃界で旅立った日とほぼ同時期――何かの気配を感じ取ったのか、いつもは動きが鈍く一日を通してほとんど動くことのないアーティーなのだが、ここ最近はずっと地面に座り込んで空を眺めていた。
それだけならいつもとさほど変わらないと気にすることはなかったろう。
だが、食事さえせずに何もない空を眺めているアーティーの姿はメイドたちにとって異様にしか映らなかった。
「こんな時にソータ様がいてくだされば」
思わずヘレナの口から本音が漏れる。
ドラゴンと話せる男――高峰颯太は今や4大国家の要人たちが注目するほどの男になっていた。
マーズナーと颯太のいるリンスウッドは同じ国にある同業者同士ということでお互いに協力体制を取っているが、魔族討伐作戦に出撃しているため、今から依頼することは難しい。そのため、メイドたちは成す術なくただ見守るしかなかった。そのメイドの数は、時間を追うごとに増えていく。
一方、アーティーは周りが心配しているということは重々承知しているが、それでも空の彼方――わずかに感じる娘の気配に目を細めていた。
「シャルル……」
マーズナーに来る前に別れた娘のシャルルペトラ。
颯太から、レイノア王国のランスロー王子と行動を共にしている可能性があると知らされて以降、ずっとその安否を気にしていた。
安否というのは体調のことだけではない。
「廃界に行ったのなら、もしかして……」
それは、アーティーが考える限りで最悪の結末。
その結末が現実のものになろうとしているのなら、ここでただ待っているだけというのは気が気でない。
「…………」
アーティーは、その巨体をゆっくりと持ち上げた。
「え? アーティー?」
突如動き出したアーティーに、ヘレナが声をあげる。
周りのメイドたちも何事かとその動きに注目している。
そんな視線の中で、アーティーは長年使っていなかった翼を大きく広げた。
「! アーティー! 何を!?」
たまらずヘレナが制止するためアーティーの前に出る。
だが、翼を広げるアーティーを止めることは叶わない。
「飛ぶというのですか!?」
空戦型ドラゴンは飛行できることから時折牧場から脱走することもある。場所によっては鎖でつないだりするところもあるようだが、マーズナーではそのような対応を取ってはいなかった。
というのも、前オーナーのミラルダは「ドラゴンが脱走したいと思わせない環境を作るべきだ」というのがモットーであり、その言葉通りの環境をつくり上げてここまでドラゴンの脱走はゼロという実績があった。
アーティーも、元々は別の牧場で問題行動を起こすドラゴンとして有名だったが、ここへ来てからはそのような行動は一度も取ったことがない。ドラゴンの世話係であるメイドたちの言うこともきちんと聞く。
――しかし、今回ばかりは違っていた。
いつもならヘレナの言うことをすんなり聞き入れるアーティーだが、翼を羽ばたかせる様子から止まる気配はなさそうだ。
アーティーの向かう先は見当がついている。
「廃界へ行く気ですね? シャルルに会いに……」
各国に現れた無所属の竜人族たち。
その報告を受けた時から、アーティーは竜王選戦が本格化してきたことを悟り、同時にレグジートの血を引くシャルルペトラが巻き込まれるのは明白――いや、もしかしたら、今も廃界で他の国の竜人族と戦っているかもしれない。
「アーティー……あなたの気持ちはわかりますが、あなたの老体とその傷ついた翼では廃界までもつかどうか」
アーティーはドラゴンの中でも高齢の方だ。
人間の年齢に換算すれば、90歳を越えている計算になる。
ここから廃界まで飛べるか――いや、それ以前に、飛び立てるのかさえ怪しい。
マーズナー・ファームにいるドラゴンの大半は連合竜騎士団に組み込まれているのにアーティーが外されている理由は高齢というだけでなく、翼の古傷にも原因があった。
「やめるのです、アーティー!!」
ヘレナの叫びは、しかしアーティーの羽ばたきによって発生した突風によってかき消されてしまう。やがて、アーティーの巨体はゆっくりと浮かび上がっていく。
「オオオオオオオオオオオォ!!!!!!」
マーズナーのメイドたちは、これまで耳にしたこのないアーティーの咆哮に身震いする。
「アーティー……その体でも行くと言うのですね」
母としての意地と愛が、アーティーの瞳に最後の光を灯す。
それを目の当たりにしたヘレナには、もう止める気持ちは消え失せていた。今願うことはアーティーの望みが叶うことのみ。
とてもドラゴンとは思えないゆっくりとした速度で飛び立った。
「ヘレナ様……」
リリが心配そうに名を呼ぶ。
騒ぎを聞きつけたルルとララも似たような表情でヘレナを見上げていた。
「大丈夫ですよ。人であろうとドラゴンであろうと――母という存在は強いのです」
呆れと尊敬が込めれた声で、ヘレナはメイドたちに言った。
0
お気に入りに追加
4,469
あなたにおすすめの小説

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~
つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。
政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
他サイトにも公開中。

あなたがそう望んだから
まる
ファンタジー
「ちょっとアンタ!アンタよ!!アデライス・オールテア!」
思わず不快さに顔が歪みそうになり、慌てて扇で顔を隠す。
確か彼女は…最近編入してきたという男爵家の庶子の娘だったかしら。
喚き散らす娘が望んだのでその通りにしてあげましたわ。
○○○○○○○○○○
誤字脱字ご容赦下さい。もし電波な転生者に貴族の令嬢が絡まれたら。攻略対象と思われてる男性もガッチリ貴族思考だったらと考えて書いてみました。ゆっくりペースになりそうですがよろしければ是非。
閲覧、しおり、お気に入りの登録ありがとうございました(*´ω`*)
何となくねっとりじわじわな感じになっていたらいいのにと思ったのですがどうなんでしょうね?

「魔道具の燃料でしかない」と言われた聖女が追い出されたので、結界は消えます
七辻ゆゆ
ファンタジー
聖女ミュゼの仕事は魔道具に力を注ぐだけだ。そうして国を覆う大結界が発動している。
「ルーチェは魔道具に力を注げる上、癒やしの力まで持っている、まさに聖女だ。燃料でしかない平民のおまえとは比べようもない」
そう言われて、ミュゼは城を追い出された。
しかし城から出たことのなかったミュゼが外の世界に恐怖した結果、自力で結界を張れるようになっていた。
そしてミュゼが力を注がなくなった大結界は力を失い……

婚約破棄の後始末 ~息子よ、貴様何をしてくれってんだ!
タヌキ汁
ファンタジー
国一番の権勢を誇る公爵家の令嬢と政略結婚が決められていた王子。だが政略結婚を嫌がり、自分の好き相手と結婚する為に取り巻き達と共に、公爵令嬢に冤罪をかけ婚約破棄をしてしまう、それが国を揺るがすことになるとも思わずに。
これは馬鹿なことをやらかした息子を持つ父親達の嘆きの物語である。

愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

〈完結〉妹に婚約者を獲られた私は実家に居ても何なので、帝都でドレスを作ります。
江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」テンダー・ウッドマンズ伯爵令嬢は両親から婚約者を妹に渡せ、と言われる。
了承した彼女は帝都でドレスメーカーの独立工房をやっている叔母のもとに行くことにする。
テンダーがあっさりと了承し、家を離れるのには理由があった。
それは三つ下の妹が生まれて以来の両親の扱いの差だった。
やがてテンダーは叔母のもとで服飾を学び、ついには?
100話まではヒロインのテンダー視点、幕間と101話以降は俯瞰視点となります。
200話で完結しました。
今回はあとがきは無しです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。