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ツァレンテ公爵家にて
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「ああ、なんてことだ……!」
家に帰るや否や、父上はそう言って頭を抱えた。父上と私、そして母上の集まった部屋には、重い空気が漂っていた。
幸い、兄上はヴィルヘルム国王陛下が魔力を使ったことにより、一命を取り留めた。しかし、大ケガを負ったことには変わらないため、しばらくベッドでの安静を余儀なくされたのだった。
フリージアが話していた内容は、どうやら事実だったようだ。国王陛下からことの経緯を知らされた父上は、今まで見たことがない程に取り乱していた。そして、我が家への損害を最小限に食い止めるための方法を考えているようだった。
「今回の一件は、示談では済まされない。司法の介入を免れぬことだ。すぐにリュドミラとルードガレス両国の弁護士を雇って……」
父上の言葉を聞いて、私は血の気が引いていくのが分かった。なぜなら、もしフリージアに有罪判決が下されたならば、彼女は最悪、殺人未遂の罪により死刑となることも考えられる。血の繋がった姉がそうなるなんて、到底耐えられないことだった。
「ど、どうかお待ちになって、お父様……」
バチン!
私が言い終わるより先に、凄まじい音が部屋に響いた。
なんと、母上が父上の頬を平手打ちしたのである。
「恥を知りなさい!」
母上は、おそろしい形相で父上を睨みつけていた。普段、母上は父上に反抗することはない。二人が喧嘩したところすらも見たことがない。だから、激怒する母上の姿に私は目を疑っていた。
「しかし……司法で争う準備をしなければ、我が公爵家の立場が危ぶまれてしまうだろう……っ」
「何を仰っているのですか? 貴方は彼女たちが我が家から出ていく時、自ら出ていくことを望んだと、十分な手切れ金を渡したと私に言いましたよね? そんな嘘をついてまで、体裁を守りたかったのですか? そんな浅ましい考えをお持ちということが、まず信じられませんわ!!」
「お、落ち着きなさい……」
「裁判で争うだなんて、もっての外です。むしろ、責任を追及されるべきは貴方でしょう!? 体裁と引き換えに大切な存在を失いかけた。それを本当に分かってますか? 貴方が自分の身が可愛いばかりに、彼女たちがどれだけ大変な日々を過ごしてきたか、今一度よく考えなさい!」
母上は、現ルードガレス国王の妹にあたる人だ。それもあり、父上は強く出れないようだった。
「もし、ここまで言っても貴方が自己保身に走るならば……兄上に報告した上で、離婚させていただきます」
「ま、待ってくれ!!」
狼狽える父上の姿に、もはや名家の当主という威厳はなかった。そんな父上と、彼を睨みつける母上を、私は呆然と眺めていた。
「ジュリエッタ、貴女はもう自分の部屋に戻りなさい」
「は、はい」
「これは、貴女を教育できなかった私の責任です。しかし、貴女にも反省すべきことは山のようにあるはずです。これからどうするべきか、自分でよく考えなさい」
それは、私がどんなに勉強ができなくても怒らなかった母上が、初めて口にした厳しい言葉であった。
「はい……おやすみなさい」
それだけ言って、私は部屋を後にしたのである。
+
「お兄様、まだ起きてますか?」
自室に帰る前に、私は兄上の部屋の扉をノックした。眠りの邪魔をしてはいけないと分かっていたが、ひと目でもいいから顔を見ておきたかったのだ。
「ああ、ジュリエッタ。どうした?」
部屋に入ると、兄上はベッドで本を読んでいた。寝着のシャツの上からも傷口を閉じるためにコルセットが巻かれており、ケガの深刻さを物語っていた。
「体調はどう?」
「まあ、傷口が痛みはするが、痛み止めを飲んでからは比較的落ち着いてるよ」
「そう……良かった」
私のせいで、ごめんなさい。そう言うべきなのに、謝罪の言葉は口から上手く出てこない。やはり私は、どうしたって素直になるのに時間がかかってしまうのだ。
しかし、そんな私を兄上が叱りつけることはなかった。
「明日以降のことは分からない。けど、お前も疲れただろう。だから、今日はもう寝なさい」
諭すような穏やかな口調で、兄上はそう言った。
思えば、兄上は昔から優しい性格だった。私が酷いことを言っても、怒ることはない。唯一、私が他人を悪く言った時だけ厳しく叱りつけてくるのだった。
子供の頃、私は嫌なことがあればすぐ兄上のところに走っていったのをよく覚えている。何があっても味方でいてくれる。そんな優しくて頼もしい兄のことが、私は大好きだった。
しかし、その関係を壊したのは私だ。ようやく私は、そのことに気付いたのである。
「ねえ、お兄様」
「?」
「私が庶子を悪く言うたびにあんなに怒っていたのは、やっぱりフリージアのことを知ってたからなの?」
「……そうだな」
読みかけの本を閉じながら、兄上は言った。
「これまでのお前からすれば、彼らは家族ではない、自分とは離れた世界に暮らしている特殊な存在だっただろう。だが、私からすれば違う。大切な家族だったのに、ある日から突然、法の外に投げ出されてしまった存在なんだ。今回のことで、少しは理解できたか?」
「……ええ。自分ごとになって初めて、自分の愚かさに気づきましたわ」
しかし、それはあまりにも遅すぎた。なぜなら私は、ネウと絶交してからこれまでに、既にたくさんの人を傷つけてしまったのだから。
「ジュリエッタ。フリージアや他の人たちが、お前を許すかは分からない。それに、過去の行いは消えない。だが、これからの行動は変えられる」
「……お兄様」
「だから、ここからもう一度頑張ってみないか? 私もできる限り協力するよ」
「……っ」
兄上の優しい言葉を聞いた途端、一気に涙が溢れてくるのが分かった。
しかし私は、大きく頷いたのだった。
家に帰るや否や、父上はそう言って頭を抱えた。父上と私、そして母上の集まった部屋には、重い空気が漂っていた。
幸い、兄上はヴィルヘルム国王陛下が魔力を使ったことにより、一命を取り留めた。しかし、大ケガを負ったことには変わらないため、しばらくベッドでの安静を余儀なくされたのだった。
フリージアが話していた内容は、どうやら事実だったようだ。国王陛下からことの経緯を知らされた父上は、今まで見たことがない程に取り乱していた。そして、我が家への損害を最小限に食い止めるための方法を考えているようだった。
「今回の一件は、示談では済まされない。司法の介入を免れぬことだ。すぐにリュドミラとルードガレス両国の弁護士を雇って……」
父上の言葉を聞いて、私は血の気が引いていくのが分かった。なぜなら、もしフリージアに有罪判決が下されたならば、彼女は最悪、殺人未遂の罪により死刑となることも考えられる。血の繋がった姉がそうなるなんて、到底耐えられないことだった。
「ど、どうかお待ちになって、お父様……」
バチン!
私が言い終わるより先に、凄まじい音が部屋に響いた。
なんと、母上が父上の頬を平手打ちしたのである。
「恥を知りなさい!」
母上は、おそろしい形相で父上を睨みつけていた。普段、母上は父上に反抗することはない。二人が喧嘩したところすらも見たことがない。だから、激怒する母上の姿に私は目を疑っていた。
「しかし……司法で争う準備をしなければ、我が公爵家の立場が危ぶまれてしまうだろう……っ」
「何を仰っているのですか? 貴方は彼女たちが我が家から出ていく時、自ら出ていくことを望んだと、十分な手切れ金を渡したと私に言いましたよね? そんな嘘をついてまで、体裁を守りたかったのですか? そんな浅ましい考えをお持ちということが、まず信じられませんわ!!」
「お、落ち着きなさい……」
「裁判で争うだなんて、もっての外です。むしろ、責任を追及されるべきは貴方でしょう!? 体裁と引き換えに大切な存在を失いかけた。それを本当に分かってますか? 貴方が自分の身が可愛いばかりに、彼女たちがどれだけ大変な日々を過ごしてきたか、今一度よく考えなさい!」
母上は、現ルードガレス国王の妹にあたる人だ。それもあり、父上は強く出れないようだった。
「もし、ここまで言っても貴方が自己保身に走るならば……兄上に報告した上で、離婚させていただきます」
「ま、待ってくれ!!」
狼狽える父上の姿に、もはや名家の当主という威厳はなかった。そんな父上と、彼を睨みつける母上を、私は呆然と眺めていた。
「ジュリエッタ、貴女はもう自分の部屋に戻りなさい」
「は、はい」
「これは、貴女を教育できなかった私の責任です。しかし、貴女にも反省すべきことは山のようにあるはずです。これからどうするべきか、自分でよく考えなさい」
それは、私がどんなに勉強ができなくても怒らなかった母上が、初めて口にした厳しい言葉であった。
「はい……おやすみなさい」
それだけ言って、私は部屋を後にしたのである。
+
「お兄様、まだ起きてますか?」
自室に帰る前に、私は兄上の部屋の扉をノックした。眠りの邪魔をしてはいけないと分かっていたが、ひと目でもいいから顔を見ておきたかったのだ。
「ああ、ジュリエッタ。どうした?」
部屋に入ると、兄上はベッドで本を読んでいた。寝着のシャツの上からも傷口を閉じるためにコルセットが巻かれており、ケガの深刻さを物語っていた。
「体調はどう?」
「まあ、傷口が痛みはするが、痛み止めを飲んでからは比較的落ち着いてるよ」
「そう……良かった」
私のせいで、ごめんなさい。そう言うべきなのに、謝罪の言葉は口から上手く出てこない。やはり私は、どうしたって素直になるのに時間がかかってしまうのだ。
しかし、そんな私を兄上が叱りつけることはなかった。
「明日以降のことは分からない。けど、お前も疲れただろう。だから、今日はもう寝なさい」
諭すような穏やかな口調で、兄上はそう言った。
思えば、兄上は昔から優しい性格だった。私が酷いことを言っても、怒ることはない。唯一、私が他人を悪く言った時だけ厳しく叱りつけてくるのだった。
子供の頃、私は嫌なことがあればすぐ兄上のところに走っていったのをよく覚えている。何があっても味方でいてくれる。そんな優しくて頼もしい兄のことが、私は大好きだった。
しかし、その関係を壊したのは私だ。ようやく私は、そのことに気付いたのである。
「ねえ、お兄様」
「?」
「私が庶子を悪く言うたびにあんなに怒っていたのは、やっぱりフリージアのことを知ってたからなの?」
「……そうだな」
読みかけの本を閉じながら、兄上は言った。
「これまでのお前からすれば、彼らは家族ではない、自分とは離れた世界に暮らしている特殊な存在だっただろう。だが、私からすれば違う。大切な家族だったのに、ある日から突然、法の外に投げ出されてしまった存在なんだ。今回のことで、少しは理解できたか?」
「……ええ。自分ごとになって初めて、自分の愚かさに気づきましたわ」
しかし、それはあまりにも遅すぎた。なぜなら私は、ネウと絶交してからこれまでに、既にたくさんの人を傷つけてしまったのだから。
「ジュリエッタ。フリージアや他の人たちが、お前を許すかは分からない。それに、過去の行いは消えない。だが、これからの行動は変えられる」
「……お兄様」
「だから、ここからもう一度頑張ってみないか? 私もできる限り協力するよ」
「……っ」
兄上の優しい言葉を聞いた途端、一気に涙が溢れてくるのが分かった。
しかし私は、大きく頷いたのだった。
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