41 / 52
銀色の月を追って
しおりを挟む
「はい、ヴィルヘルム様。あーん」
パンを一口大に千切ってバターを塗ってから、私はヴィルヘルムの口元に持っていった。すると彼は口を開け、ぱくりと食べたのだった。
「えっと……、バターの量はいかがですか?」
「ああ、丁度いいよ。ありがとう」
朝食の席で、私とヴィルヘルムは隣同士で座っていた。いつもは食堂のテーブルを挟んで向かい合わせに座るのだが、今日はこうしたいと私が提案したのだ。こうすれば、彼がなるべく手を使わなくていいように補助できるからである。
フォークやナイフを使うものは自分で食べるが、パンを食べる時は私が千切って食べさせる。そんな形で、今日は朝食をとっているのである。
「指先のお痛みは、まだ続いてますか?」
ヴィルヘルムの指先には、傷薬を塗ってから一本ずつガーゼを巻いている。傷口が化膿するのを恐れて、私が朝食前に手当したのである。
「昨日よりもだいぶマシにはなってるから、問題ない」
「ふふ、それは良かったです。入浴後に、また貼り替えましょうね。傷口が化膿するのが怖いので、爪が伸びるまで五日間ぐらいは……」
「……くくっ」
「いかがなさいました?」
私が話している途中で、ヴィルヘルムはなぜか吹き出したのだった。
「いかがなさいましたか?」
「いや……今までお前をどう甘やかそうかとばかり考えていたが、まさか自分が、甘やかされる立場になるとは、と思ってな」
「なっ……!?」
正直、ヴィルヘルムを甘やかしている自覚は皆無だ。しかし言われてみれば、確かに過保護になっているような気も……する。
「だが、甘やかされるのも悪くないな」
「そう言われると、なんだか恥ずかしいですから……」
私からすれば、家族としてヴィルヘルムを手当したり補助しなければという使命感に駆られていたはずなのに、彼からすれば恋人のじゃれ合いのように捉えていたらしい。私は急に、顔に熱が集まってくるのを感じた。
「その、出すぎた真似をしてしまい……申し訳ございません」
「いや。こういうのも、たまには良いんじゃないのか?」
私の手のひらに手を重ねながら、ヴィルヘルムは言った。そこでふと私は、彼と二人でいる時、手を触れ合わせることが多いことに気づいたのだった。
「とはいえ手袋なしにこうしていられるだけで、十分に幸せではある……けどな」
「え?」
「伝えてなかったが、この手袋は魔力を使えなくさせるための物なんだ」
テーブルの端に置いた黒い手袋に目を向けて、ヴィルヘルムはぽつりと言った。
「この手袋を着けていることは、‘‘魔力で危害を加えない’’という意思表示であり、ある意味では武器を置いて降参しているのと同義だ。原則、私が公の場で手袋を外すことは禁じられている」
「……っ」
「そうまでしても恐れられるのだから、困ったものだ。やはり、猿轡を噛ましておいたとしても猛獣には近寄りたくないらしい」
ヴィルヘルムの言葉で、私はようやく理解した。彼にとって素手での触れ合いというのは、単なるスキンシップ以上の意味をもっているのだと。
「私からすれば……甘えたなワンちゃんにしか見えないこともあるのですが」
「……言ったな、レイチェル」
「ふふふっ」
窓からは、暖かな日差しが射していた。そして触れ合った手のひらの温かさは、何よりも心地よいものに思えたのだった。
+
「じゃあ、エマ。お願いね」
「はい、かしこまりました」
その日の夜。私とヴィルヘルム、そしてエマとローレンスは、宮殿の庭園の池で現場検証を行っていた。
長い物干し竿の先に夜灯石を入れたガラスボウルを括りつけて、それを‘‘月’’に見立てる。そしてエマが竿の先端を池の真ん中にまで移動させると、水面に青白く丸い光が姿を現したのだった。
私が池の縁まで歩み寄ると、ルードガレス宮殿の中庭で見た光景が見事に再現された。しかし、本題はここからである。
「それではローレンス様、お願いします」
「はい、かしこまりました」
括っていた髪の毛を解いて、ローレンスは私の背後に立った。すると、銀色の長い髪が水面に映し出されたのだった。
しかし、ローレンスは背が高いため私の頭よりもだいぶ上に影ができてしまう。そこで彼は、少しずつ膝を曲げていった。
そしてある一点に達した時……月の影と銀髪の影が重なり合い、月に二本の腕が付いたように見えたのだった。
「っ、ヴィルヘルム様……この光景で、間違いありませんわ!!」
「何だって?」
私の隣に歩み寄り、ヴィルヘルムも影を確認した。そして、納得したように頷いたのだった。
「なるほどな。だったら、犯人は膝を曲げた状態のローレンスぐらいの身長ということか」
ローレンスが高身長ということもあり、彼はかなり膝を曲げて身体を屈めてくれていた。そしてその背丈は、かなり小柄なものとなっていた。
「このぐらいの身長ならば、小柄な男か、背の高い女といったところか」
「ただ、女性ならばヒール靴を履いている可能性もありますので、一概には言えないかもしれませんね」
体勢を戻しながら、ローレンスは言った。たしかに夜会はヒール靴を履いていくのが基本であり、ヒールなしの靴を履いている女性の方が稀だ。さらにヒールの高さに決まりは無いので、あまり当てにはならないのだった。
「そうですわね。それに……」
「?」
「あの日見た水面に映った銀髪は……もう少し輝いていたような……と思いまして」
ローレンスも美しい銀髪をしている。しかし、それ以上にあの日見た銀髪は光って見えたような気がしたのだ。
「恥ずかしながら、私は毛が細くて白寄りの髪色だからかもしれませんね。個人差もありますので、きっと犯人はもっと銀寄りの髪色なのでしょう」
「なるほど……ね」
現場検証を終えて、私たち四人は宮殿へと歩き出した。犯人を突き止めるにはまだ時間がかかりそうというのが、正直なところである。
「とりあえずレイチェル、銀髪の人間には注意してくれ」
「はい、承知しました」
私とヴィルヘルムがそんなやり取りをしていると、不意にこんな声が聞こえてきたのだった。
「……私は、ローレンス様の髪色がとっても素敵だと思います」
そう言ったのは、エマであった。
エマとローレンスは、私たちより少し離れて二人並んで歩いていた。少しだけ振り向くと、エマの言葉を聞いて驚くローレンスの顔が見えたのだった。
「レイチェル」
「は、はい?」
「二人を邪魔するのも無粋だろう。少し早足で歩けるか?」
ヴィルヘルムは、私にこそっと耳打ちした。そして意図を察した私は、すぐさま早歩きに切り替えたのだった。
「ありがとう。そう言ってくれると嬉しいな、エマ」
「い、いえ……」
エマの表情を見た訳ではない。しかし不思議と、彼女の声は照れながらも嬉しそうなものに聞こえたのだった。
パンを一口大に千切ってバターを塗ってから、私はヴィルヘルムの口元に持っていった。すると彼は口を開け、ぱくりと食べたのだった。
「えっと……、バターの量はいかがですか?」
「ああ、丁度いいよ。ありがとう」
朝食の席で、私とヴィルヘルムは隣同士で座っていた。いつもは食堂のテーブルを挟んで向かい合わせに座るのだが、今日はこうしたいと私が提案したのだ。こうすれば、彼がなるべく手を使わなくていいように補助できるからである。
フォークやナイフを使うものは自分で食べるが、パンを食べる時は私が千切って食べさせる。そんな形で、今日は朝食をとっているのである。
「指先のお痛みは、まだ続いてますか?」
ヴィルヘルムの指先には、傷薬を塗ってから一本ずつガーゼを巻いている。傷口が化膿するのを恐れて、私が朝食前に手当したのである。
「昨日よりもだいぶマシにはなってるから、問題ない」
「ふふ、それは良かったです。入浴後に、また貼り替えましょうね。傷口が化膿するのが怖いので、爪が伸びるまで五日間ぐらいは……」
「……くくっ」
「いかがなさいました?」
私が話している途中で、ヴィルヘルムはなぜか吹き出したのだった。
「いかがなさいましたか?」
「いや……今までお前をどう甘やかそうかとばかり考えていたが、まさか自分が、甘やかされる立場になるとは、と思ってな」
「なっ……!?」
正直、ヴィルヘルムを甘やかしている自覚は皆無だ。しかし言われてみれば、確かに過保護になっているような気も……する。
「だが、甘やかされるのも悪くないな」
「そう言われると、なんだか恥ずかしいですから……」
私からすれば、家族としてヴィルヘルムを手当したり補助しなければという使命感に駆られていたはずなのに、彼からすれば恋人のじゃれ合いのように捉えていたらしい。私は急に、顔に熱が集まってくるのを感じた。
「その、出すぎた真似をしてしまい……申し訳ございません」
「いや。こういうのも、たまには良いんじゃないのか?」
私の手のひらに手を重ねながら、ヴィルヘルムは言った。そこでふと私は、彼と二人でいる時、手を触れ合わせることが多いことに気づいたのだった。
「とはいえ手袋なしにこうしていられるだけで、十分に幸せではある……けどな」
「え?」
「伝えてなかったが、この手袋は魔力を使えなくさせるための物なんだ」
テーブルの端に置いた黒い手袋に目を向けて、ヴィルヘルムはぽつりと言った。
「この手袋を着けていることは、‘‘魔力で危害を加えない’’という意思表示であり、ある意味では武器を置いて降参しているのと同義だ。原則、私が公の場で手袋を外すことは禁じられている」
「……っ」
「そうまでしても恐れられるのだから、困ったものだ。やはり、猿轡を噛ましておいたとしても猛獣には近寄りたくないらしい」
ヴィルヘルムの言葉で、私はようやく理解した。彼にとって素手での触れ合いというのは、単なるスキンシップ以上の意味をもっているのだと。
「私からすれば……甘えたなワンちゃんにしか見えないこともあるのですが」
「……言ったな、レイチェル」
「ふふふっ」
窓からは、暖かな日差しが射していた。そして触れ合った手のひらの温かさは、何よりも心地よいものに思えたのだった。
+
「じゃあ、エマ。お願いね」
「はい、かしこまりました」
その日の夜。私とヴィルヘルム、そしてエマとローレンスは、宮殿の庭園の池で現場検証を行っていた。
長い物干し竿の先に夜灯石を入れたガラスボウルを括りつけて、それを‘‘月’’に見立てる。そしてエマが竿の先端を池の真ん中にまで移動させると、水面に青白く丸い光が姿を現したのだった。
私が池の縁まで歩み寄ると、ルードガレス宮殿の中庭で見た光景が見事に再現された。しかし、本題はここからである。
「それではローレンス様、お願いします」
「はい、かしこまりました」
括っていた髪の毛を解いて、ローレンスは私の背後に立った。すると、銀色の長い髪が水面に映し出されたのだった。
しかし、ローレンスは背が高いため私の頭よりもだいぶ上に影ができてしまう。そこで彼は、少しずつ膝を曲げていった。
そしてある一点に達した時……月の影と銀髪の影が重なり合い、月に二本の腕が付いたように見えたのだった。
「っ、ヴィルヘルム様……この光景で、間違いありませんわ!!」
「何だって?」
私の隣に歩み寄り、ヴィルヘルムも影を確認した。そして、納得したように頷いたのだった。
「なるほどな。だったら、犯人は膝を曲げた状態のローレンスぐらいの身長ということか」
ローレンスが高身長ということもあり、彼はかなり膝を曲げて身体を屈めてくれていた。そしてその背丈は、かなり小柄なものとなっていた。
「このぐらいの身長ならば、小柄な男か、背の高い女といったところか」
「ただ、女性ならばヒール靴を履いている可能性もありますので、一概には言えないかもしれませんね」
体勢を戻しながら、ローレンスは言った。たしかに夜会はヒール靴を履いていくのが基本であり、ヒールなしの靴を履いている女性の方が稀だ。さらにヒールの高さに決まりは無いので、あまり当てにはならないのだった。
「そうですわね。それに……」
「?」
「あの日見た水面に映った銀髪は……もう少し輝いていたような……と思いまして」
ローレンスも美しい銀髪をしている。しかし、それ以上にあの日見た銀髪は光って見えたような気がしたのだ。
「恥ずかしながら、私は毛が細くて白寄りの髪色だからかもしれませんね。個人差もありますので、きっと犯人はもっと銀寄りの髪色なのでしょう」
「なるほど……ね」
現場検証を終えて、私たち四人は宮殿へと歩き出した。犯人を突き止めるにはまだ時間がかかりそうというのが、正直なところである。
「とりあえずレイチェル、銀髪の人間には注意してくれ」
「はい、承知しました」
私とヴィルヘルムがそんなやり取りをしていると、不意にこんな声が聞こえてきたのだった。
「……私は、ローレンス様の髪色がとっても素敵だと思います」
そう言ったのは、エマであった。
エマとローレンスは、私たちより少し離れて二人並んで歩いていた。少しだけ振り向くと、エマの言葉を聞いて驚くローレンスの顔が見えたのだった。
「レイチェル」
「は、はい?」
「二人を邪魔するのも無粋だろう。少し早足で歩けるか?」
ヴィルヘルムは、私にこそっと耳打ちした。そして意図を察した私は、すぐさま早歩きに切り替えたのだった。
「ありがとう。そう言ってくれると嬉しいな、エマ」
「い、いえ……」
エマの表情を見た訳ではない。しかし不思議と、彼女の声は照れながらも嬉しそうなものに聞こえたのだった。
35
お気に入りに追加
440
あなたにおすすめの小説
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
黒の神官と夜のお世話役
苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました
巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた
狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている
いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった
そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた
しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた
当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった
この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。
獅子の最愛〜獣人団長の執着〜
水無月瑠璃
恋愛
獅子の獣人ライアンは領地の森で魔物に襲われそうになっている女を助ける。助けた女は気を失ってしまい、邸へと連れて帰ることに。
目を覚ました彼女…リリは人化した獣人の男を前にすると様子がおかしくなるも顔が獅子のライアンは平気なようで抱きついて来る。
女嫌いなライアンだが何故かリリには抱きつかれても平気。
素性を明かさないリリを保護することにしたライアン。
謎の多いリリと初めての感情に戸惑うライアン、2人の行く末は…
ヒーローはずっとライオンの姿で人化はしません。
お母様が国王陛下に見染められて再婚することになったら、美麗だけど残念な義兄の王太子殿下に婚姻を迫られました!
奏音 美都
恋愛
まだ夜の冷気が残る早朝、焼かれたパンを店に並べていると、いつもは慌ただしく動き回っている母さんが、私の後ろに立っていた。
「エリー、実は……国王陛下に見染められて、婚姻を交わすことになったんだけど、貴女も王宮に入ってくれるかしら?」
国王陛下に見染められて……って。国王陛下が母さんを好きになって、求婚したってこと!? え、で……私も王宮にって、王室の一員になれってこと!?
国王陛下に挨拶に伺うと、そこには美しい顔立ちの王太子殿下がいた。
「エリー、どうか僕と結婚してくれ! 君こそ、僕の妻に相応しい!」
え……私、貴方の妹になるんですけど?
どこから突っ込んでいいのか分かんない。
【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる
奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。
だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。
「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」
どう尋ねる兄の真意は……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる