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歓談と会敵
しおりを挟む マリアンが胸を押さえながらそう叫んだ。セエレがぴくりと肩を震わせた。
「なんだって?」
「あなたは兄であるレナード殿下をたった一人の家族として崇拝しているようだけど、あの人にとってあなたなんか、ただの駒の一つでしかないのよ?」
兄である、とマリアンが言ったことにリディアは目を見開いた。
(どうしてそれをマリアン様が……)
だが今はそれよりも、とリディアはマリアンを止めようとした。それ以上言ってはいけない。セエレを傷つける決定的な言葉を――けれどその前に、マリアンははっきりと言ってしまった。
「あなたはレナード殿下に愛されてなんかいないわ。ただ利用されているだけじゃない!」
セエレの目が見開かれる。固まったように動かず、瞬きすらしない。そんなセエレを見て、マリアンはようやくいつもの落ち着きを取り戻したようだった。セエレを見て、笑みを浮かべる。
「可哀想な人。誰からも認められず、ようやく信じたいと思ったお兄様にも裏切られるなんて」
「……」
セエレは俯き、何も言わなかった。その姿は打ちひしがれているようにも見えた。
「マリアン様。もうやめて下さい」
「セエレ。あなたは間違っていますわ。お兄様の言うことを何でも聞くのではなく、もう少し、ご自身で考えた方がよろしいのでは? そしたらわたくしのことも――」
「そんなの知ってたよ」
目の見えぬまま、セエレは笑みだけを浮かべていた。激昂するでもないその様子に、マリアンが怪訝そうに眉を顰めた。
(セエレ……)
「オレが兄上に愛されていない? 駒の一つでしかない? ……そんなの、あの人に出会った時からとっくにわかっていたさ」
顔を上げた彼を見て、マリアンは息を呑んだ。今まで紫色をしていたセエレの目は爛々と輝き、赤かった。
「オレの力が必要だってあの人は言った。オレ自身が必要なんじゃない。力が必要なんだ。この、忌まわしくて、不気味な力がね」
セエレは目を押さえながら言った。強大な魔力を持つ証でもある真っ赤な色は、血のようにも見えた。
「オレは何でもできるよ。空を飛んだり、人の記憶を書き換えたり、消したり、何かをこっそり盗んだり、生きている人間の息の根を止めることだって……」
スッと右手の掌をマリアンにかざした。
「キミをどこか遠くの地へ運ぶことだってできる」
「なっ……」
そう言われてマリアンが動揺する。今のセエレの顔は、本気で実行するように見えたからだろう。
「どこがいい? 今まで自分を愛してくれる両親がいて、世話をしてくれる使用人がいて、帰る場所があるキミなら、どこだって根を上げるかもしれないけど、せめてそれくらいは選ばせてあげるよ」
「な、何をおっしゃってるの」
「ああ、それとも」
マリアンの言葉など聞こえていないようにセエレは笑った。
「娼館なんか、いいかもね。男を漁ってきたキミになら、ぴったりだ」
マリアンの空色の瞳が見開かれ、次の瞬間バチンと強烈な音が響き渡った。
「わたくしを愚弄するのもいい加減にしてちょうだい!」
マリアンはキッとセエレを睨みつけた。
「あなたなんか、一生殿下の駒として利用され続ければいいんだわ!」
言いたいことだけ言うと、マリアンは走り去っていった。
「……セエレ」
「はは。怒らせちゃった」
セエレは困ったように笑った。頬は真っ赤に腫れていた。
「あんなこと言えば、誰だって怒りますよ」
「うん。だろうね。でも、これでもうリディアには近づいたりしないと思えば、安いもんだよ」
爪がひっかかったのか、薄っすらと血が滲んでいる。過去キャスパーが同じ目に遭った時、半泣きになって頬を押さえていた。なのにセエレはちっとも痛がった様子を見せず、へらへらと笑っている。リディアはため息をついた。
「代わりにあなたが傷ついているなら、わたしは何も嬉しくありません」
ハンカチを取り出し、セエレの頬に押し当てた。
「汚れるよ」
「いいです。そのまま押さえていて下さい。保健室に行って、ちゃんと手当しないと」
「これくらい、本当に大丈夫だよ。ほら」
リディアは目を見開いた。ひっかかれた傷痕は綺麗に塞がっており、少し赤くなっているだけだった。
「……それも魔法?」
「うん。治癒魔法っていうのかな。オレはあんまり得意じゃないから、これくらいの傷しか治せないけど」
ああ、彼は本当に普通の人間とは違うのだ。リディアは初めて目の前の少年が自分と違う、特別な人間だということに気づいた。
「だからさ、もう本当に大丈夫。これくらい何ともないよ」
「……だからって、叩かれた瞬間は誰だって痛いですよ」
痛みがなくなるわけじゃない。傷は治せても、傷つけられたという事実は何も変わらない。
(なのにどうしてそんな平気な顔をするの)
にこにこと笑うセエレに、リディアは次第に腹が立ってきた。
「いくら魔法で治せるからって、あなたは無茶しすぎです。もっと、自分を大切にして下さい」
セエレはリディアの言葉に目を丸くして、すぐに困ったように微笑んだ。
「……でも、オレはいいんだ。これくらい。慣れているし」
「慣れるとか、そういう問題じゃなくて……」
言いたいが伝わらず、リディアはもどかしかった。
「リディア。もう今日は遅いから帰ろう。オレ、送っていくよ」
言いたいことがたくさんあるのに、あるからこそ、リディアは何も言えず、黙って頷くしか他になかった。
「なんだって?」
「あなたは兄であるレナード殿下をたった一人の家族として崇拝しているようだけど、あの人にとってあなたなんか、ただの駒の一つでしかないのよ?」
兄である、とマリアンが言ったことにリディアは目を見開いた。
(どうしてそれをマリアン様が……)
だが今はそれよりも、とリディアはマリアンを止めようとした。それ以上言ってはいけない。セエレを傷つける決定的な言葉を――けれどその前に、マリアンははっきりと言ってしまった。
「あなたはレナード殿下に愛されてなんかいないわ。ただ利用されているだけじゃない!」
セエレの目が見開かれる。固まったように動かず、瞬きすらしない。そんなセエレを見て、マリアンはようやくいつもの落ち着きを取り戻したようだった。セエレを見て、笑みを浮かべる。
「可哀想な人。誰からも認められず、ようやく信じたいと思ったお兄様にも裏切られるなんて」
「……」
セエレは俯き、何も言わなかった。その姿は打ちひしがれているようにも見えた。
「マリアン様。もうやめて下さい」
「セエレ。あなたは間違っていますわ。お兄様の言うことを何でも聞くのではなく、もう少し、ご自身で考えた方がよろしいのでは? そしたらわたくしのことも――」
「そんなの知ってたよ」
目の見えぬまま、セエレは笑みだけを浮かべていた。激昂するでもないその様子に、マリアンが怪訝そうに眉を顰めた。
(セエレ……)
「オレが兄上に愛されていない? 駒の一つでしかない? ……そんなの、あの人に出会った時からとっくにわかっていたさ」
顔を上げた彼を見て、マリアンは息を呑んだ。今まで紫色をしていたセエレの目は爛々と輝き、赤かった。
「オレの力が必要だってあの人は言った。オレ自身が必要なんじゃない。力が必要なんだ。この、忌まわしくて、不気味な力がね」
セエレは目を押さえながら言った。強大な魔力を持つ証でもある真っ赤な色は、血のようにも見えた。
「オレは何でもできるよ。空を飛んだり、人の記憶を書き換えたり、消したり、何かをこっそり盗んだり、生きている人間の息の根を止めることだって……」
スッと右手の掌をマリアンにかざした。
「キミをどこか遠くの地へ運ぶことだってできる」
「なっ……」
そう言われてマリアンが動揺する。今のセエレの顔は、本気で実行するように見えたからだろう。
「どこがいい? 今まで自分を愛してくれる両親がいて、世話をしてくれる使用人がいて、帰る場所があるキミなら、どこだって根を上げるかもしれないけど、せめてそれくらいは選ばせてあげるよ」
「な、何をおっしゃってるの」
「ああ、それとも」
マリアンの言葉など聞こえていないようにセエレは笑った。
「娼館なんか、いいかもね。男を漁ってきたキミになら、ぴったりだ」
マリアンの空色の瞳が見開かれ、次の瞬間バチンと強烈な音が響き渡った。
「わたくしを愚弄するのもいい加減にしてちょうだい!」
マリアンはキッとセエレを睨みつけた。
「あなたなんか、一生殿下の駒として利用され続ければいいんだわ!」
言いたいことだけ言うと、マリアンは走り去っていった。
「……セエレ」
「はは。怒らせちゃった」
セエレは困ったように笑った。頬は真っ赤に腫れていた。
「あんなこと言えば、誰だって怒りますよ」
「うん。だろうね。でも、これでもうリディアには近づいたりしないと思えば、安いもんだよ」
爪がひっかかったのか、薄っすらと血が滲んでいる。過去キャスパーが同じ目に遭った時、半泣きになって頬を押さえていた。なのにセエレはちっとも痛がった様子を見せず、へらへらと笑っている。リディアはため息をついた。
「代わりにあなたが傷ついているなら、わたしは何も嬉しくありません」
ハンカチを取り出し、セエレの頬に押し当てた。
「汚れるよ」
「いいです。そのまま押さえていて下さい。保健室に行って、ちゃんと手当しないと」
「これくらい、本当に大丈夫だよ。ほら」
リディアは目を見開いた。ひっかかれた傷痕は綺麗に塞がっており、少し赤くなっているだけだった。
「……それも魔法?」
「うん。治癒魔法っていうのかな。オレはあんまり得意じゃないから、これくらいの傷しか治せないけど」
ああ、彼は本当に普通の人間とは違うのだ。リディアは初めて目の前の少年が自分と違う、特別な人間だということに気づいた。
「だからさ、もう本当に大丈夫。これくらい何ともないよ」
「……だからって、叩かれた瞬間は誰だって痛いですよ」
痛みがなくなるわけじゃない。傷は治せても、傷つけられたという事実は何も変わらない。
(なのにどうしてそんな平気な顔をするの)
にこにこと笑うセエレに、リディアは次第に腹が立ってきた。
「いくら魔法で治せるからって、あなたは無茶しすぎです。もっと、自分を大切にして下さい」
セエレはリディアの言葉に目を丸くして、すぐに困ったように微笑んだ。
「……でも、オレはいいんだ。これくらい。慣れているし」
「慣れるとか、そういう問題じゃなくて……」
言いたいが伝わらず、リディアはもどかしかった。
「リディア。もう今日は遅いから帰ろう。オレ、送っていくよ」
言いたいことがたくさんあるのに、あるからこそ、リディアは何も言えず、黙って頷くしか他になかった。
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