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呪いを解いたのは

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「……ん」

 遠くで、雨が降りしきる音が聞こえる。しかし、背中に感じるのはベッドの柔らかさ。そして……。

 私を安心させてくれるような、大きな手のひらの温もりであった。

「ん、……っ?」

「目が覚めたか」

 横たわる私を見下ろしてそう言ったのは、ベッドの縁に座るヴィルヘルムだった。

 彼の手は、手袋を外して私の額に乗せられていた。しかし私が目を開くと、それはゆっくりと外された。

 今日は夜まで帰って来ないはずの夫が、目の前にいるのは、なぜだろう。寝起きでぼんやりとしながらも、私はヴィルヘルムに問いかけた。

「ヴィルヘルム様、その……公務に行かれたのでは……?」

「ああ。お前が倒れたと聞いて、途中で帰ってきた」

「え……っ、え!?」

 ヴィルヘルムの一言は、眠気を覚ますのには十分すぎた。ようやく事の重大さに気づいた私は、慌てて起き上がり、彼に頭を下げた。

「っ、ご迷惑をおかけして、大変申し訳ございませんでした」

「埋め合わせは他の日にするから、気にしなくていい。……それよりも」

 手袋をはめ直してから、ヴィルヘルムは言葉を続けた。

「レイチェル。お前にいくつか聞きたいことがあるのだが、いいか?」

 私を真っ直ぐに見据えるのは、夢で会ったオオカミのように黒い瞳を持つ、切れ長の目。それを見て、自分が逃げられない状況であることを、私は悟った。

「……はい。もちろんです」

 窓の外から聞こえる雨音はやけにうるさく感じられ、緊張感を高めていく。しかし包み隠さず話す覚悟をして、私は大きく深呼吸をした。

「かなり強力な呪術にかかっていたようだが……どうにも他者がかけたものとは思えんのだ。自らに呪いをかけていた、そうだろう?」

「おっしゃる通りですわ」

「なぜ、そんなことをした?」

「……どうしても、助けたい人がいましたの」

 俯いて、私はぽつりぽつりと話し始めた。

「私の母の一族は、代々呪術を使える家系でした。そして昔、父上が怪我により生死をさまよった際、母は寿命と安らかな死を代償として……父上の命を助けましたの」

「……ふむ」

「それを知った時、私はとても耐えられませんでした。しかし、母が短命であるのは私の力ではどうにもならない。だからせめて……安らかに逝ってほしかった」

「それで、凄惨な死と引き換えに、母君に安らかな死を与えたのか」

「……はい」

「だが、それだけではお前が短命にはならなかったはずだが?」

 そう。この呪いにおいて、私は自らの寿命を代償とはしていない。なのになぜ、短命となったのか。

 それは、私があと一つ呪いを使っていたからである。

「私にはナタリヤという姪がいるのですが、彼女は生まれてすぐ大病にかかってしまいました。だから私は、彼女に寿命を譲りましたの」

 私が握り締めたせいで、デュベにはぐしゃぐしゃの皺が刻まれていた。

「不幸なことに、姪の病は治る見込みのないものでした。昔は夭逝などよくあったことだから、亡くなってもまた生めばいい。そんなふうに平然と口にする者もいましたが、私はそう割り切れませんでした」

 会うたびにやつれていく義姉や兄上を見て、ただただ胸が締めつけられたのは、今でもよく覚えている。そしてナタリヤに寿命を譲り渡したことに対して、私は何一つ後悔していない。

 先程見た景色が夢であり、こうして目覚めたならば、再び死は私を迎えに来るのだろう。しかし、それから逃れようとは思わなかった。

 けれども、私には一つだけ恐れていることがあった。

「では、お前が使ったのはその二つの呪いということで間違いないか?」

「……はい」

「……分かった」

「っ、ヴィルヘルム様……その、この件はすべて、私の勝手な判断によるものでして、家族は一切関係ございません」

 つまり私は、自身が短命であると知りながら嫁いだことになる。世継ぎが産めない女を嫁に出したとなれば、ヴィルヘルムが私の家族に怒りを向けるのは明白だ。だから私は、そうなる前に必死に言い募った。

「どんな罰でも私がすべてお受けします、ですから……っ」

「別に、私はお前を罰するつもりはない」

「え……?」

 一瞬、彼が何を言っているかが理解できなかった。それほどに、彼の一言は想定外のものだったのだ。

「とりあえず。お前がかかっていた呪いはすべて消えたから、安心しろ」

「き、消えた……?」

「ああ。とはいえ、身体にもある程度の負担はかかっている。しばらく公務は休んで静養するといい。……それと」

「?」

「あまり心配させないでくれ。……お前は私の妻なのだから」

 私が何か言うより先に、ヴィルヘルムは寝室を出て行ったのだった。

 私の妻なのだから。それは一見、事実を言っただけの何気ない一言である。しかし私は、目に見えない柔らかな響きを感じていた。

(……触れられていた額がまだ温かいのは、気のせいかしら?)

 窓の外に目を向けると、激しい雨はすっかり止んでいた。
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