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静かな朝食
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「……」
寝室の円卓での朝食は、とても静かであった。私もヴィルヘルムもひたすらに無言を貫いており、フォークやナイフが皿に当たる音ぐらいしかなかった。
初夜を迎えた夫婦は、次の日の朝食を寝室で食べるのがリュドミラでのしきたりなのだという。それはおそらく、新婦の体調を気遣ってのことなのだろう。
とはいえ、私は昨日事に及んでおらず、しっかり眠れたので、体調はすこぶる良い。ならば、妻としての務めを果たさなかった分、何かすべきだろう。そう思いながら、私はヴィルヘルムとの会話の糸口を探っていた。
テーブルに並べられたのは、パンとサラダ、そしてオムレツなど、ごく一般的なメニューである。しかし、サラダの上にラディッシュが乗っていたり、パンには香草が混ぜ込まれていたりと、目にも鮮やかなものばかりであった。どうやらリュドミラでは、料理は見た目から楽しむものらしい。
「レイチェル」
「は、はい……」
「一応、昨日の晩餐会で残していた食材は弾いたつもりだが……今日の朝食は、食べれそうか?」
確かに昨日の晩餐会では、私はいくつかの料理を残してしまっていた。それを彼は、気づいていたようだった。
「苦手な食材があるとは知らず、すまなかった」
「い、いえ……その……本当はすべて食べたかったのですが、昨日はお客様への気配りに気を取られていて、食べるのが追いつかなくて……苦手な食材はございませんわ」
一瞬ナマコの姿が頭をよぎったものの、私は慌ててそう言った。本当は全部食べたかったのは、紛れもなく本心である。
「そうか、分かった」
そこで私たちの会話は、途切れてしまったのである。
ふとテーブルの上を見るとヴィルヘルムのパンの皿の隣には、黒い布製の手袋が置かれていた。それは彼が、結婚式の時から着けていたものである。
思えば、食事や寝る前の時を除いて、彼は手袋を外すことはなかった。ケガでもしているのかと思っていたものの、手のひらには傷一つない。
(もしかして、素手でものに触るのがお苦手なのかしら?)
仮にヴィルヘルムが潔癖ならば、昨夜私に指一本触れなかったことも頷ける。しかしそれは、子作りの上で大きな障壁となってしまうのは明白だ。
(とりあえず、馴れ馴れしく触れ合ったりするのは避けたほうが良さそうね)
「手袋が気になるのか?」
「!? っ、あ、えっと……」
「珍しがられるのは慣れてるから、気にするな」
「そんな……ただ、黒以外のお色も、お似合いかと思いまして」
とっさに子供じみた感想を言うと、ヴィルヘルムは驚いたように目を見開いた。まさか妻とした女がこんな幼稚なことを言い放つとは、思ってもみなかったのだろう。
「出すぎたことを……失礼しました」
「別に、構わん」
冷や汗まみれになりながら、私はミルクをたっぷり入れた紅茶をすすった。
「……ところで。今日から私は公務に行くが、お前は休みだ。一日、好きなように過ごすといい」
「あ、ありがとうございます」
私は結婚してからしばらくの間、公務は一日おきに参加するように言われていた。言わば、一勤一休である。テルクスタを離れてからすぐに公務に参加することに不安を感じていたものの、それは嬉しい配慮であった。
(じゃあ、明日のお茶会に着ていくドレスでものんびり選ぼうかしら)
完食した朝食の皿を見ながら、私はそんなことを考えた。
+
「こちらのドレスも、とってもお似合いですわ」
ヴィルヘルムを見送ったあと、私は衣装部屋でエマと共にドレス選びをしていた。結婚式前日のように、やはり部屋にはたくさんのドレスが用意されていたのだった。
「リュドミラでは、蝶は‘‘自由な心’’を表しておりますの。また成功の象徴とも言われていて、紋章に蝶が描かれていることもありますわ」
「へえ……初めて知ったわ」
ウェディングドレス選びの時のように、エマは色々な興味深い雑学を教えてくれた。結婚前にリュドミラについては学んできたものの、彼女から聞く話はどれも知らないことばかりであり、つい聞き入ってしまうほどであった。
「じゃあ、明日はこのドレスにしようかしら」
「ふふ、かしこまりました。それでは、少しサイズを調整させていただきますね」
「……胸は寄せ上げなくて、大丈夫だからね?」
エマはウエスト周りから、ドレスを調整し始めたのだった。
「それにしても。貴女、とっても物知りなのね。お話していて、凄く楽しいわ」
「もったいないお言葉、ありがとうございます」
「もしかして、お医者様とか学者様のご家庭なの?」
宮殿で働く使用人は、下級貴族の子や行儀見習いを除けば、平民が大半である。しかしエマについては、テルクスタの宮殿で働いていた使用人たちとは雰囲気が違ったのである。
「いえ……恥ずかしながら、そんな高貴な身分ではございませんわ。ただ、この名前からお気づきかもしれませんが、幼少期、少しだけ勉学に励んだ時期がございまして」
エマの言葉で、私は彼女の身の上を察した。
貴族の嫡子は、意味が込められた比較的長い名前を付けられるものだ。それに対して庶子の場合は、呼びやすい簡素な名前を付けられると聞いたことがある。おそらくエマは、後者なのだろう。
名前はさておき、私も似たような立場なので、親近感が湧いてきたのだった。
「そうなの、たくさんお勉強してきたのね」
「そんな……ただ、本を読むのは好きなので、今でも読書は趣味ですわ」
「あら、だったら、何か面白い本があれば、ぜひ教えてちょうだいな」
明日の公務はやや憂鬱だけれども、エマとのおしゃべりで、その気持ちも和らいだのだった。
寝室の円卓での朝食は、とても静かであった。私もヴィルヘルムもひたすらに無言を貫いており、フォークやナイフが皿に当たる音ぐらいしかなかった。
初夜を迎えた夫婦は、次の日の朝食を寝室で食べるのがリュドミラでのしきたりなのだという。それはおそらく、新婦の体調を気遣ってのことなのだろう。
とはいえ、私は昨日事に及んでおらず、しっかり眠れたので、体調はすこぶる良い。ならば、妻としての務めを果たさなかった分、何かすべきだろう。そう思いながら、私はヴィルヘルムとの会話の糸口を探っていた。
テーブルに並べられたのは、パンとサラダ、そしてオムレツなど、ごく一般的なメニューである。しかし、サラダの上にラディッシュが乗っていたり、パンには香草が混ぜ込まれていたりと、目にも鮮やかなものばかりであった。どうやらリュドミラでは、料理は見た目から楽しむものらしい。
「レイチェル」
「は、はい……」
「一応、昨日の晩餐会で残していた食材は弾いたつもりだが……今日の朝食は、食べれそうか?」
確かに昨日の晩餐会では、私はいくつかの料理を残してしまっていた。それを彼は、気づいていたようだった。
「苦手な食材があるとは知らず、すまなかった」
「い、いえ……その……本当はすべて食べたかったのですが、昨日はお客様への気配りに気を取られていて、食べるのが追いつかなくて……苦手な食材はございませんわ」
一瞬ナマコの姿が頭をよぎったものの、私は慌ててそう言った。本当は全部食べたかったのは、紛れもなく本心である。
「そうか、分かった」
そこで私たちの会話は、途切れてしまったのである。
ふとテーブルの上を見るとヴィルヘルムのパンの皿の隣には、黒い布製の手袋が置かれていた。それは彼が、結婚式の時から着けていたものである。
思えば、食事や寝る前の時を除いて、彼は手袋を外すことはなかった。ケガでもしているのかと思っていたものの、手のひらには傷一つない。
(もしかして、素手でものに触るのがお苦手なのかしら?)
仮にヴィルヘルムが潔癖ならば、昨夜私に指一本触れなかったことも頷ける。しかしそれは、子作りの上で大きな障壁となってしまうのは明白だ。
(とりあえず、馴れ馴れしく触れ合ったりするのは避けたほうが良さそうね)
「手袋が気になるのか?」
「!? っ、あ、えっと……」
「珍しがられるのは慣れてるから、気にするな」
「そんな……ただ、黒以外のお色も、お似合いかと思いまして」
とっさに子供じみた感想を言うと、ヴィルヘルムは驚いたように目を見開いた。まさか妻とした女がこんな幼稚なことを言い放つとは、思ってもみなかったのだろう。
「出すぎたことを……失礼しました」
「別に、構わん」
冷や汗まみれになりながら、私はミルクをたっぷり入れた紅茶をすすった。
「……ところで。今日から私は公務に行くが、お前は休みだ。一日、好きなように過ごすといい」
「あ、ありがとうございます」
私は結婚してからしばらくの間、公務は一日おきに参加するように言われていた。言わば、一勤一休である。テルクスタを離れてからすぐに公務に参加することに不安を感じていたものの、それは嬉しい配慮であった。
(じゃあ、明日のお茶会に着ていくドレスでものんびり選ぼうかしら)
完食した朝食の皿を見ながら、私はそんなことを考えた。
+
「こちらのドレスも、とってもお似合いですわ」
ヴィルヘルムを見送ったあと、私は衣装部屋でエマと共にドレス選びをしていた。結婚式前日のように、やはり部屋にはたくさんのドレスが用意されていたのだった。
「リュドミラでは、蝶は‘‘自由な心’’を表しておりますの。また成功の象徴とも言われていて、紋章に蝶が描かれていることもありますわ」
「へえ……初めて知ったわ」
ウェディングドレス選びの時のように、エマは色々な興味深い雑学を教えてくれた。結婚前にリュドミラについては学んできたものの、彼女から聞く話はどれも知らないことばかりであり、つい聞き入ってしまうほどであった。
「じゃあ、明日はこのドレスにしようかしら」
「ふふ、かしこまりました。それでは、少しサイズを調整させていただきますね」
「……胸は寄せ上げなくて、大丈夫だからね?」
エマはウエスト周りから、ドレスを調整し始めたのだった。
「それにしても。貴女、とっても物知りなのね。お話していて、凄く楽しいわ」
「もったいないお言葉、ありがとうございます」
「もしかして、お医者様とか学者様のご家庭なの?」
宮殿で働く使用人は、下級貴族の子や行儀見習いを除けば、平民が大半である。しかしエマについては、テルクスタの宮殿で働いていた使用人たちとは雰囲気が違ったのである。
「いえ……恥ずかしながら、そんな高貴な身分ではございませんわ。ただ、この名前からお気づきかもしれませんが、幼少期、少しだけ勉学に励んだ時期がございまして」
エマの言葉で、私は彼女の身の上を察した。
貴族の嫡子は、意味が込められた比較的長い名前を付けられるものだ。それに対して庶子の場合は、呼びやすい簡素な名前を付けられると聞いたことがある。おそらくエマは、後者なのだろう。
名前はさておき、私も似たような立場なので、親近感が湧いてきたのだった。
「そうなの、たくさんお勉強してきたのね」
「そんな……ただ、本を読むのは好きなので、今でも読書は趣味ですわ」
「あら、だったら、何か面白い本があれば、ぜひ教えてちょうだいな」
明日の公務はやや憂鬱だけれども、エマとのおしゃべりで、その気持ちも和らいだのだった。
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