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決意は甘い匂いと共に

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「失礼します」

 部屋へとやって来たのは、真っ黒なガウンを着た一人の青年であった。彼は長い銀髪を横結びにして、右肩に下ろしている。艶やかな髪の毛は、つい見入ってしまうほど美しいものだった。

 神父かと思ったが、それは違うとすぐに察した。祖国の教会にいる神父たちと違って、彼のガウンには金糸の蔓草を象った刺繍が施されていたのだ。通常、修道士や修道女など宗教関係者は、華美な装いを避けるものだ。しかし青年の服装は、シンプルながらも華やかさを感じるものだったのだ。

「レイチェル王女殿下、初めまして。この度はご結婚、おめでとうございます。私は本日、お二人の夫婦としての誓いの儀を担当させていただきます、ローレンスと申します」

「こちらこそ、初めまして。よろしくお願い致します」

 ヴィルヘルムと同じくローレンスもまた背の高い男性であったが、彼は深々と私に頭を下げてくれた。その動作から見るに、彼は礼儀正しい性格なのだろう。

「ローレンスは代々呪術師の家系で、今も宮廷呪術師として宮殿に仕えているんだ」

「っ……!」

 呪術師という言葉につい反応すると、ローレンスは困ったように笑った。

「陛下、その言い方は唐突すぎるかと……失敬。確かに、呪術師という職業ではございますが、‘‘よく当たる占い師’’程度の存在と思っていただければと思います。人を呪い殺したりすることは一切ございませんので、どうぞご安心ください」

「は、はい……」

「そうだな。ローレンス‘‘は’’他人に害を与える力を持たない。だから……安心するといい」

 ヴィルヘルムのその一言は、フォローのために口にしたものともいえる。しかし私は、言葉にし難い引っかかりを感じてしまったのだった。

「おや、ちょうどいい時間ですね。それでは、式場に移動しましょうか」

「そうだな」

 ローレンスの一言で、ヴィルヘルムは立ち上がった。そして困惑する私をよそに、こう言ったのだった。

「それでは、お手をどうぞ。レイチェル王女殿下」

(まだ、大したお話もしていないのに……!)

 彼と話したことと言えば、挨拶と紅茶の感想ぐらいである。その程度しか話さず夫婦の契りを交わすなど、まったく想像していないことだった。

 ヴィルヘルムの身長に合わせて履いた高いヒール靴で、私は彼と腕を組んで歩き出した。雑談すら交わしていないとなれば、彼は今の時点では初対面のただの他人である。そんな彼と式に臨むことに不安を抱いていると、私はあることに気づいたのだった。

 背が高く足が長いとなれば、自然と歩幅が広くなるものだ。しかし彼は、一歩を小さく、ゆっくりと歩いていたのだ。目立たない小さな気遣いは、私を安心させてくれた。

「何か?」

「い、いえ……」

(とりあえず、ヴァージンロードを転けずに歩ききることはできそうね)
 
 そんなことを考えていると、不意にどことなく甘い匂いが鼻を掠めたのだった。

 春に咲く花を香った時に感じるような、まるで蜜のような匂い。少しだけ気になったものの、私がそれを口にすることはなかった。

+

「それでは、私は裏口から入りますので」

「ああ、ご苦労」

 ローレンスはそう言って、結婚式の会場である大聖堂の裏口へと歩いて行ったのだった。そして私とヴィルヘルムは、聖堂の入口の扉の前で立っていた。

 招待客たちはすでに聖堂内に集まっているので、あとは私たちが入場するだけである。緊張を解すように深呼吸するものの、やはり胸が苦しいから困ったものだ。

 リュドミラ王室の結婚式では、新婦は自分の父親ではなく、新郎と共に入場する。今の時点で私は、リュドミラ王室の‘‘所有物’’であるとみなされているのだ。

 聞いた話によると、リュドミラは長い歴史の中で、数多ある国々を海上貿易を利用することにより支配下に置いてきた。つまりは、繋がりのある国の中で常に頂点に君臨してきたのだ。

 それもあり、古くからリュドミラ王室は、結婚を夫婦の愛を誓う場ではなく、占いによって選ばれた家が娘を王室に‘‘献上する’’という意識が強いらしい。つまりは、夫婦としての力関係が結婚前から明確に決まっているのである。

(何でもいいけど……とりあえず、ものを大切にする人だと、‘‘所有物’’としても嬉しい限りだわ)

 そこまで考えたところで、目の前の大きな前開きの扉が開いたのである。

「それでは、新郎新婦を拍手でお迎えください」
 
 聖堂の奥にある祭壇に立ったローレンスが、招待客たちに向けてそう言ったのだった。

「ご準備はよろしいですか?」

「……はい」

 私が頷くと、ヴィルヘルムは足を前に踏み出した。

 鼓膜が弾けそうなくらいの盛大な拍手が、大聖堂に鳴り響いていた。大勢の人々に囲まれるのも、こんなにも注目されるのも、人生で初めてのことである。あらかじめ覚悟はしていたものの、やはり緊張はしてしまっていた。

 しかし、不思議と足が震えたりはしなかった。先ほど感じた匂いが、歩いてもずっと私の傍から離れなかったのだ。甘く心地よい香りは、私を落ち着けてくれたのだった。

 と、思ったその時。

「……臆病者の国の、卑しい身分のくせに」

 そんな一言が、拍手に紛れて聞こえてきた。声のほうを向くと、一人の令嬢が私をきつく睨みつけていたのだった。

 自分を快く思わない人々が、この場に何人いるかも分からない。そこに私は、とうとう足を踏み入れてしまったのである。これからの生活で、罵詈雑言を浴びせられることもきっとあるに違いない。

(でも……全部、私が自分で決めたことだもの)

 令嬢を睨み返すことなく、私は視線を前に戻した。
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