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守るために
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「まさか、こんな形で宮殿の外に出るなんてね」
夕食を終えて、私は離宮のバルコニーから外の景色を眺めていた。遠目に見える美しい宮殿も広大な庭園も見慣れたものである。しかしもうすぐで見納めとなると、やけに感慨深く感じられたのだった。
食堂での一件のあと、兄上はすぐにヴィルヘルム国王に返信の手紙を送ってくれた。おそらく半日あれば相手方に届くので、早ければ数日のあいだに輿入れが正式に決まる。
宮殿の敷地内から外に出るのは、何年ぶりかも分からない。遊びに行く訳ではないと分かっていても、不思議と胸は高鳴っていた。私の中では恐怖心よりも、好奇心が湧き上がっているのである。
(リュドミラとテルクスタでは、きっとマナーも文化も違うから……輿入れまでに勉強しておかなきゃね)
そんなことを考えながら部屋に戻ると、ちょうど入口のドアがノックされたのだった。
「お義母様……?」
「夜遅くにごめんなさいね、レイチェル」
扉の前に立っていたのは、義母上だった。
「少し、お話ししましょう?」
驚いて目を丸くする私に、彼女はそう言ったのである。
+
部屋に置かれたソファーに義母上と隣合って座ると、彼女はしばらく何も言わず、前に置かれたテーブルを眺めたまま黙っていた。それは不機嫌だからというよりも、頭の中の言葉を探しているような様子である。かつて国一の美貌の持ち主と謳われていただけあって、歳を重ねた横顔も美しいものであった。
「……昔、国の都合で私とルフィナがここに嫁いで来たのは、貴女も知ってるわよね?」
「は、はい」
遡ること三十年前。義母上の祖国と母上の祖国は、酷い飢饉に見舞われた。どちらも国民の大半が農業で生計を立てる小国であるがゆえに、国の人々は飢えとの戦いを余儀なくされた。
程なくして二国の王室は、民を守るため大国テルクスタに食糧の援助を要請することを決めた。
とはいえ見返りもなしに助けられるだけでは、王室としての権威は失われてしまう。そのため、王女を一人ずつテルクスタに嫁入りさせることにより、婚姻関係を結んだ上で‘‘友好国からの手助け’’という形でテルクスタからの支援を受けることになったのだ。つまりは、完全なる政略結婚である。
「結婚してからすぐに、ルフィナとドミトリーは打ち解けたわ。自分の意に沿わない結婚であるはずなのに、彼女はそんなことをおくびにも出さず、明るく振舞っていたの。彼もそんなあの子のことを、当然気に入ったわ」
過去を思い出すように遠い目をしながら、義母上は続けた。
「でもね、私は彼女みたいにはできなかった」
「え?」
「毎日ずっと不機嫌で、二人ともろくに口をきかなかった。その時の私は、何もかもが不満で仕方がなかったのよ」
それは、まったくの初耳であった。子どもの頃から、三人が喧嘩したことは一度も見たことがなかった。父上も、義母上と母上に平等に接していたので、到底信じられないことであった。
「口を開けば、故郷に帰りたいとそればっか。公務もろくにせず、引きこもって泣いてばかり。彼が愛想を尽かしたのも当然のことだわ」
「……」
「第一王妃という立場だって、ルフィナが譲ってくれたから与えられたものなのに。彼女に感謝するどころか、当たり散らす始末。そんなんだから、私は周囲にも嫌われていった。当たり前よね」
でも、と義母上は言葉を切った。
「ルフィナだけは、そんな私をずっと気にかけていてくれた。上手くやれば、第一王妃の座を奪うこともできたはずなのに……それどころか、私とドミトリーの仲を取り持ってくれたのよ」
「……っ!!」
「‘‘三人の仲良し夫婦’’を作ったのは、何を隠そうルフィナよ。彼女という親友がいなければ、きっと私は生きてこれなかった」
「……」
「私がセルゲイやミレーユを生んだ時も、彼女は自分事のように喜んでくれた。そして貴女が無事に生まれた時、私も涙が出るほどに嬉しかった……レイチェル」
向き直って、義母上は私の両手を握った。
「私には、母親として貴女を見守る義務があるわ。貴女はミレーユに気を使ったのかもしれないけど、私は二人の間に差を付けるつもりは一切ありません」
「……お義母様」
「それにこの縁談自体、断ることだって可能なはずよ。セルゲイには私から伝えるし、今からでも遅くはない。どうか……考え直してちょうだい」
そう言って、義母上は私の目をじっと見つめた。王室の‘‘お荷物’’であるはずの私を、彼女は守ろうとしているのだ。
本当ならば十二歳の時、私は修道院に行く予定だった。正妻の子でない以上、自分はここにいるだけで周囲の負担になってしまう。だから、母上の祖国にある修道院に身を寄せようと思ったのだ。
しかしそれは、家族みんなに反対された。何があっても守るから一緒にいたい、離れたくないと姉上に泣きながら言われた時のことは、今でもはっきりと覚えている。
私はきっと、誰よりも家族に恵まれているのだ。
けれども……いや、だからこそ、私の覚悟は揺らがなかった。
(でも……嫌だとか言って、喧嘩別れはしたくないわ)
だから私は、嫌という代わりの言葉を口にした。
「今まで育ててくれてありがとう、お義母様」
「……レイチェル!」
そう言うと、義母上は私を抱き締めて泣き出したのだった。
(本当に私は、優しい家族にも優しい‘‘母上’’にも恵まれた人生だったわね)
義母上の背中を擦りながら、私は心の中で呟いた。
夕食を終えて、私は離宮のバルコニーから外の景色を眺めていた。遠目に見える美しい宮殿も広大な庭園も見慣れたものである。しかしもうすぐで見納めとなると、やけに感慨深く感じられたのだった。
食堂での一件のあと、兄上はすぐにヴィルヘルム国王に返信の手紙を送ってくれた。おそらく半日あれば相手方に届くので、早ければ数日のあいだに輿入れが正式に決まる。
宮殿の敷地内から外に出るのは、何年ぶりかも分からない。遊びに行く訳ではないと分かっていても、不思議と胸は高鳴っていた。私の中では恐怖心よりも、好奇心が湧き上がっているのである。
(リュドミラとテルクスタでは、きっとマナーも文化も違うから……輿入れまでに勉強しておかなきゃね)
そんなことを考えながら部屋に戻ると、ちょうど入口のドアがノックされたのだった。
「お義母様……?」
「夜遅くにごめんなさいね、レイチェル」
扉の前に立っていたのは、義母上だった。
「少し、お話ししましょう?」
驚いて目を丸くする私に、彼女はそう言ったのである。
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部屋に置かれたソファーに義母上と隣合って座ると、彼女はしばらく何も言わず、前に置かれたテーブルを眺めたまま黙っていた。それは不機嫌だからというよりも、頭の中の言葉を探しているような様子である。かつて国一の美貌の持ち主と謳われていただけあって、歳を重ねた横顔も美しいものであった。
「……昔、国の都合で私とルフィナがここに嫁いで来たのは、貴女も知ってるわよね?」
「は、はい」
遡ること三十年前。義母上の祖国と母上の祖国は、酷い飢饉に見舞われた。どちらも国民の大半が農業で生計を立てる小国であるがゆえに、国の人々は飢えとの戦いを余儀なくされた。
程なくして二国の王室は、民を守るため大国テルクスタに食糧の援助を要請することを決めた。
とはいえ見返りもなしに助けられるだけでは、王室としての権威は失われてしまう。そのため、王女を一人ずつテルクスタに嫁入りさせることにより、婚姻関係を結んだ上で‘‘友好国からの手助け’’という形でテルクスタからの支援を受けることになったのだ。つまりは、完全なる政略結婚である。
「結婚してからすぐに、ルフィナとドミトリーは打ち解けたわ。自分の意に沿わない結婚であるはずなのに、彼女はそんなことをおくびにも出さず、明るく振舞っていたの。彼もそんなあの子のことを、当然気に入ったわ」
過去を思い出すように遠い目をしながら、義母上は続けた。
「でもね、私は彼女みたいにはできなかった」
「え?」
「毎日ずっと不機嫌で、二人ともろくに口をきかなかった。その時の私は、何もかもが不満で仕方がなかったのよ」
それは、まったくの初耳であった。子どもの頃から、三人が喧嘩したことは一度も見たことがなかった。父上も、義母上と母上に平等に接していたので、到底信じられないことであった。
「口を開けば、故郷に帰りたいとそればっか。公務もろくにせず、引きこもって泣いてばかり。彼が愛想を尽かしたのも当然のことだわ」
「……」
「第一王妃という立場だって、ルフィナが譲ってくれたから与えられたものなのに。彼女に感謝するどころか、当たり散らす始末。そんなんだから、私は周囲にも嫌われていった。当たり前よね」
でも、と義母上は言葉を切った。
「ルフィナだけは、そんな私をずっと気にかけていてくれた。上手くやれば、第一王妃の座を奪うこともできたはずなのに……それどころか、私とドミトリーの仲を取り持ってくれたのよ」
「……っ!!」
「‘‘三人の仲良し夫婦’’を作ったのは、何を隠そうルフィナよ。彼女という親友がいなければ、きっと私は生きてこれなかった」
「……」
「私がセルゲイやミレーユを生んだ時も、彼女は自分事のように喜んでくれた。そして貴女が無事に生まれた時、私も涙が出るほどに嬉しかった……レイチェル」
向き直って、義母上は私の両手を握った。
「私には、母親として貴女を見守る義務があるわ。貴女はミレーユに気を使ったのかもしれないけど、私は二人の間に差を付けるつもりは一切ありません」
「……お義母様」
「それにこの縁談自体、断ることだって可能なはずよ。セルゲイには私から伝えるし、今からでも遅くはない。どうか……考え直してちょうだい」
そう言って、義母上は私の目をじっと見つめた。王室の‘‘お荷物’’であるはずの私を、彼女は守ろうとしているのだ。
本当ならば十二歳の時、私は修道院に行く予定だった。正妻の子でない以上、自分はここにいるだけで周囲の負担になってしまう。だから、母上の祖国にある修道院に身を寄せようと思ったのだ。
しかしそれは、家族みんなに反対された。何があっても守るから一緒にいたい、離れたくないと姉上に泣きながら言われた時のことは、今でもはっきりと覚えている。
私はきっと、誰よりも家族に恵まれているのだ。
けれども……いや、だからこそ、私の覚悟は揺らがなかった。
(でも……嫌だとか言って、喧嘩別れはしたくないわ)
だから私は、嫌という代わりの言葉を口にした。
「今まで育ててくれてありがとう、お義母様」
「……レイチェル!」
そう言うと、義母上は私を抱き締めて泣き出したのだった。
(本当に私は、優しい家族にも優しい‘‘母上’’にも恵まれた人生だったわね)
義母上の背中を擦りながら、私は心の中で呟いた。
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