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空に舞う蝶に問う
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春も終わり、季節は夏へと移り変わっていた。暖かな初夏の陽気の中、馬車はゆっくりと道を進んでいく。晴れ渡り穏やかな街の景色を、私は馬車の窓越しにぼんやりと眺めていた。
あの夜会後、アンネリーゼの言動はグアダルーデ国内で物議を醸す騒ぎになったらしい。中には、将来の王太子妃にふさわしくない、花嫁選びをやり直すべきだと痛烈に批判をする者も現れたと聞く。
当然ながら彼女の狼藉は直ぐさまグアダルーデ王室の知るところとなり、とりわけ王妃の怒りを買ってしまったようだ。何故私がそんなことを知っているのかと言うと、先日グアダルーデ王妃から今回の件について謝罪されたからである。
幼き日に憧れていた存在とこんな形で相対することになるなど、幼少期の自分は夢にも思わなかっただろう。
今後は結婚までの間、王妃が直々にアンネリーゼに王族としての礼儀作法を指導していくらしい。婚約期間中にそれらが十分に身につかなければ、婚約破棄も有り得るようだ。
そして今後の花嫁選びでは外見の点数配分を減らす、あるいは廃止することも検討しているとグアダルーデ王妃は私に言った。
『形ばかりに囚われて、私達はどうやら大切なことを見失っていたようです。愚かしいのは彼女だけではなく、私達もですわ。深く深く反省しております』
そう言った王妃の姿は、憧れを抱いたあの日と変わらず、とても美しく私の目に映った。それと同時に手の届かない存在なのだと、改めて気付かされたのである。
外見の配点がどうであれ、きっと私はアンネリーゼに負けていただろう。
配点が低かったとしても、それ以外の点数は私も彼女も満点だった。となれば、僅差にはなれど彼女は勝つことになる。仮に外見の配点が一切無かったとしても、点数に差がつかなければ最終的には外見や家柄で決まるのが関の山だろう。
勝てないことは既に決まっていた。それを今更否定する気は無かったし、そのことに気付いても私の心中は意外にも落ち着いていた。
それはきっと、愛する男の最愛の存在になれたからだろう。
「……さて、そろそろ準備しなきゃ」
バッグから手鏡を取り出して、私は笑顔の練習を始めた。裏面がステンドグラス風のデザインとなった手鏡は、結婚後ドゴールからプレゼントされたものである。
それだけではない。着ているドレスも靴も何もかも、全て彼から贈られたものである。お守り代わりとばかりに、無意識に彼に買ってもらった品々で固めていたのだ。
今日は、招待客が女性のみのお茶会に参加することとなっており、イルザは出産したばかりのため欠席だ。つまりは、気軽に話せる人が誰もいないのである。
それでも参加しようと決めたのは、他者を威嚇するばかりでは良くないと思ったからだ。夫のためにも、これから産まれてくるであろう子のためにも、周囲と仲良くする方が得策である。だから、人との交流も苦手なりに進めていこうと決意したのだ。
「……、っ、む、」
何度笑顔を作っても、目が笑っていない。無理矢理目まで笑おうとすると細目になり不細工になる。どうしたものか。
ドゴールと話している時は笑っているはずだけれども、彼は私のどんな笑みを見ているのだろう?
ぎこちない作り笑いを鏡越しに見る度、不安は募る一方であった。
そうこうしているうちに、馬車は目的地に着いてしまった。仕方なく私は大きく深呼吸してから、馬車を降りた。
お茶会の会場である政治家令嬢の屋敷の庭園には、既に招待客が揃い始めていた。どこにいれば良いのか分からず当たりを見回していると、遠くから誰かが私に声をかけてきたのだった。
「エレナ様、本日はお越しいただきありがとうございます!!」
「こ、こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
蜂蜜色の美しい髪の彼女は、今回のお茶会の主催者であった。
「こうして二人でお話しするのは、確か初めてですわね。だから私、ご参加とお返事いただいてからずーっと楽しみにしてましたの。今日は沢山お話ししましょう?」
「は、はは……」
イルザとはまた違う溌剌とした明るさに圧倒されながらも相槌を打っていると、彼女に引き寄せられたように何人か令嬢達が集まってきたのだった。
「あら、お一人で抜け駆けだなんてずるいですわよ、ミラン様!!」
そう言ったのは、あの夜会でひそひそ話をしていた一人だった。それに気付いた途端、私は自分の表情が堅くなるのを感じた。
「その……エレナ様」
「は、はい」
「よろしければ、これを機にお友達になってくれないかしら?」
「……え?」
意外な言葉に困惑していると、令嬢達は口々に話し始めた。
「いつもとても素敵な装いをしてらして、ずっと話しかけたかったのですが……中々勇気が出ず遠目でお見かけすることしか出来なくて。ご不快でしたらごめんなさい」
「い、いえ……」
「前の夜会でエレナ様に失礼なことを言ってらした方を見た時、私もう許せなくって。でも、あの場で声をあげれなくて」
ずっと、好奇の目に晒されているだけだと思っていた。しかし違ったのだろうか。突然のことで、私はまだ半信半疑であった。
しかし。胸の奥に立ち込めていた霧は段々と晴れ始めていくのが感じられたのである。
「さ、立ち話もここまでにして、皆席に移動しましょう。今日は気軽なお茶会なんだから、ケーキと紅茶を楽しみながら話した方が絶対楽しいわ!!」
パン、と手を叩き、ミランは皆を席に誘導し始めたのだった。
私が歩き始めた矢先、どこからか蝶々がひらりひらりと一匹飛んできた。晴天を自由に舞う姿は、自由そのものだ。時期的に、春生まれの蝶だろう。
貴方が蛹となり蝶となったように、私も変わることが出来るかしら?
物言わぬ蝶に、私は心の中で問いかけた。
あの夜会後、アンネリーゼの言動はグアダルーデ国内で物議を醸す騒ぎになったらしい。中には、将来の王太子妃にふさわしくない、花嫁選びをやり直すべきだと痛烈に批判をする者も現れたと聞く。
当然ながら彼女の狼藉は直ぐさまグアダルーデ王室の知るところとなり、とりわけ王妃の怒りを買ってしまったようだ。何故私がそんなことを知っているのかと言うと、先日グアダルーデ王妃から今回の件について謝罪されたからである。
幼き日に憧れていた存在とこんな形で相対することになるなど、幼少期の自分は夢にも思わなかっただろう。
今後は結婚までの間、王妃が直々にアンネリーゼに王族としての礼儀作法を指導していくらしい。婚約期間中にそれらが十分に身につかなければ、婚約破棄も有り得るようだ。
そして今後の花嫁選びでは外見の点数配分を減らす、あるいは廃止することも検討しているとグアダルーデ王妃は私に言った。
『形ばかりに囚われて、私達はどうやら大切なことを見失っていたようです。愚かしいのは彼女だけではなく、私達もですわ。深く深く反省しております』
そう言った王妃の姿は、憧れを抱いたあの日と変わらず、とても美しく私の目に映った。それと同時に手の届かない存在なのだと、改めて気付かされたのである。
外見の配点がどうであれ、きっと私はアンネリーゼに負けていただろう。
配点が低かったとしても、それ以外の点数は私も彼女も満点だった。となれば、僅差にはなれど彼女は勝つことになる。仮に外見の配点が一切無かったとしても、点数に差がつかなければ最終的には外見や家柄で決まるのが関の山だろう。
勝てないことは既に決まっていた。それを今更否定する気は無かったし、そのことに気付いても私の心中は意外にも落ち着いていた。
それはきっと、愛する男の最愛の存在になれたからだろう。
「……さて、そろそろ準備しなきゃ」
バッグから手鏡を取り出して、私は笑顔の練習を始めた。裏面がステンドグラス風のデザインとなった手鏡は、結婚後ドゴールからプレゼントされたものである。
それだけではない。着ているドレスも靴も何もかも、全て彼から贈られたものである。お守り代わりとばかりに、無意識に彼に買ってもらった品々で固めていたのだ。
今日は、招待客が女性のみのお茶会に参加することとなっており、イルザは出産したばかりのため欠席だ。つまりは、気軽に話せる人が誰もいないのである。
それでも参加しようと決めたのは、他者を威嚇するばかりでは良くないと思ったからだ。夫のためにも、これから産まれてくるであろう子のためにも、周囲と仲良くする方が得策である。だから、人との交流も苦手なりに進めていこうと決意したのだ。
「……、っ、む、」
何度笑顔を作っても、目が笑っていない。無理矢理目まで笑おうとすると細目になり不細工になる。どうしたものか。
ドゴールと話している時は笑っているはずだけれども、彼は私のどんな笑みを見ているのだろう?
ぎこちない作り笑いを鏡越しに見る度、不安は募る一方であった。
そうこうしているうちに、馬車は目的地に着いてしまった。仕方なく私は大きく深呼吸してから、馬車を降りた。
お茶会の会場である政治家令嬢の屋敷の庭園には、既に招待客が揃い始めていた。どこにいれば良いのか分からず当たりを見回していると、遠くから誰かが私に声をかけてきたのだった。
「エレナ様、本日はお越しいただきありがとうございます!!」
「こ、こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
蜂蜜色の美しい髪の彼女は、今回のお茶会の主催者であった。
「こうして二人でお話しするのは、確か初めてですわね。だから私、ご参加とお返事いただいてからずーっと楽しみにしてましたの。今日は沢山お話ししましょう?」
「は、はは……」
イルザとはまた違う溌剌とした明るさに圧倒されながらも相槌を打っていると、彼女に引き寄せられたように何人か令嬢達が集まってきたのだった。
「あら、お一人で抜け駆けだなんてずるいですわよ、ミラン様!!」
そう言ったのは、あの夜会でひそひそ話をしていた一人だった。それに気付いた途端、私は自分の表情が堅くなるのを感じた。
「その……エレナ様」
「は、はい」
「よろしければ、これを機にお友達になってくれないかしら?」
「……え?」
意外な言葉に困惑していると、令嬢達は口々に話し始めた。
「いつもとても素敵な装いをしてらして、ずっと話しかけたかったのですが……中々勇気が出ず遠目でお見かけすることしか出来なくて。ご不快でしたらごめんなさい」
「い、いえ……」
「前の夜会でエレナ様に失礼なことを言ってらした方を見た時、私もう許せなくって。でも、あの場で声をあげれなくて」
ずっと、好奇の目に晒されているだけだと思っていた。しかし違ったのだろうか。突然のことで、私はまだ半信半疑であった。
しかし。胸の奥に立ち込めていた霧は段々と晴れ始めていくのが感じられたのである。
「さ、立ち話もここまでにして、皆席に移動しましょう。今日は気軽なお茶会なんだから、ケーキと紅茶を楽しみながら話した方が絶対楽しいわ!!」
パン、と手を叩き、ミランは皆を席に誘導し始めたのだった。
私が歩き始めた矢先、どこからか蝶々がひらりひらりと一匹飛んできた。晴天を自由に舞う姿は、自由そのものだ。時期的に、春生まれの蝶だろう。
貴方が蛹となり蝶となったように、私も変わることが出来るかしら?
物言わぬ蝶に、私は心の中で問いかけた。
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