上 下
36 / 41

令嬢、駆け出す

しおりを挟む
 ドレッサーの鏡の前に座り、映った自らの顔を覗き込む。そこにいるのは赤い目をした悪女アルビナではなく、ただの一貴族の小娘メイベルだ。しかし、その心の中に渦巻くものは、暗澹とした嫉妬の感情である。

 姿形は変わっても、内面は何一つ変わっていなかった。そのことに、とうとう私は気付いてしまったのである。

「……酷いクマですこと」

 ルナーティカと話した日から、私は一度も外出していなかった。出先でエドヴァルドと彼女が二人でいる光景を目にしたら、発狂してしまいそうに思えたのだ。もっと言ってしまえば、ルナーティカに掴みかかってもおかしくはない状況に陥っていた。

 しかし、ずっと引きこもっている訳にもいかない。今日は午後から、ハリーストの王宮でお茶会が開かれるのだ。国内外の多くの貴族が招かれた大規模なものであり、かなり前から参加が決まっていたのである。

 父上や兄上は、体調が優れないならば欠席しても良いと言ってくれた。しかし、今回はモニカが初めて主催者を務める特別な会であった。招待状に参加と返信した手前、当日に欠席するのは失礼なことだ。親友の晴れ舞台を見届けるためにも、私は参加することに決めたのである。

 ふと壁掛け時計を見ると、もう昼前となっていた。そろそろお茶会の準備をしなければならないので、私はドレッサーの引き出しからイヤリングを取り出した。

 グロウから貰った耳飾りには、ガラスが割れたようなヒビが入っていた。ルナーティカへの激しい感情により魔力が溢れ、それをギリギリで抑え込んだが故にこうなったのだろう。

 壊れかけのアクセサリーを身に着けるのは、本来ならば避けるべきことだ。しかし、今の私はこれが無ければ何をするか分からない。割れ目も模様に見えなくはないと思い、私はイヤリングを耳に着けた。

 鏡の前で、耳飾りを着けた自分をじっと見つめる。地金が濃いイエローゴールドであるため、今の自分にはやや浮いて見えるのだった。それは恐らく肌が黄色ではなくピンク寄りであり、髪色も明るいブラウンだからだろう。

 肌の色はファンデーションで調整出来るものの、化粧をしても耳飾りの違和感が消えることはなかった。

 ……どちらかと言えば、暗い髪色の方が似合うのよね。

 そう。アルビナのような、コーヒー色の髪とか。

 いっそ、悪に染まってしまった方が心も身体も楽になれるのだろうか。そんな思いが芽生えたのだった。

 そして思い立ち、私はドレッサーの椅子から立ち上がったのである。

+

「メイベル……って、その髪どうしたのよ!?」

「あら、そんなに驚かなくても」

 お茶会の会場である大食堂に行くと、すぐさまモニカが話しかけてくれた。しかし彼女は、私を見てとても驚いたようだった。

「びっくりするわよ、だって、髪……染めたの?」

「ええ。少し気分を変えてみたくて」

 そう。私はお茶会に来る前に、髪を染めてきたのである。我が家の植物園に植わっているハーブの中で、毛染めに使えるものがあるのを思い出したのだ。すり潰してから髪に塗って洗い流せば、髪は暗い茶色へと見事に染まったのだった。

「ドレスやジュエリーも髪に合わせてみたのだけれども……変かしら?」

 私はいつもは着ないボルドーのドレスを着ていた。それもあり、耳飾りだけが浮くこともなく、統一感のある装いとなったのだった。

 赤系統のドレスに、金製のジュエリー。これは、アルビナであった時に好んでいた組み合わせであった。

「ううん、とても素敵だし似合ってるわ。でもね……」

「?」

「何だかいつもより大人びていて、遠い存在になっちゃったみたいだわ」

 そう言ったモニカの顔は、ほんの少し寂しげであった。

 メイベルは彼女からすれば昔からの知り合いだけれども、アルビナは顔も知らぬただの他人だ。モニカの言葉を聞いて、私は胸がチクりと痛むのを感じた。

「って、私ったら。ごめんね、変なこと言って。お茶会、楽しんでいってね」

「ええ、ありがとう。じゃあまたね」

 モニカに別れを告げて、私は自分の席へと着いたのだった。

+

 やがてモニカの始まりの挨拶を皮切りに、お茶会は始まった。ケーキスタンドの皿の上には、可愛らしい一口大のケーキが何種類も並べられている。どれも美味しくて、モニカのこだわりを感じるものばかりであった。

 席の近い人々と歓談しながら、私はちらりと周囲に視線を向ける。今日のお茶会は、エドヴァルドとルナーティカも参加しているのだ。

 モニカが気を利かせてくれたようで、二人はかなり離れた席に座っていた。まだ私とエドヴァルドは友人なので、隣に座ることは叶わない。けれども、ルナーティカと彼を引き離せて安心している自分がいた。

 しかし。

「今日は‘‘あのお二人’’、ご一緒ではないのね」

 紅茶を一口飲もうとした矢先、そんな一言が遠くから聞こえてきたのだった。 

 そこまでは良かった。けれども、その後聞こえてきた会話が、私を地獄へと突き落としたのである。

「珍しいですわね。近頃、殿下とルナーティカ様のお二人でいらっしゃるところをよくお見かけしていたのですが……」

「おっしゃる通りですわ。てっきり、お二人はもう婚約してらっしゃるのかと思ってましたもの」

 エドヴァルドの隣にいる存在は、私ではなくルナーティカだと、皆が思っていたのだ。

「しっ、そんなこと言うと聞こえてしまいますわよ。仮にもモニカ王女殿下のご友人ですのに」

「あらやだ、私ったら」

 しかし、悪夢のような会話が終わることはなかった。

「見て……あの髪色。染めたのかしら?」

「本当だわ、もしかして殿下の気を引くためにお洒落に気合いを入れてきたのかしら?」

「ふふ、それにしてもあれは無いわよ。だって、御髪に艶がなくて全然美しくないもの」

「ね、ルナーティカ様と大違いだわ」

「……うるさいわね!!」

 ルナーティカと大違い。その言葉を聞いた瞬間。私は立ち上がり、そう叫んでいた。

 食堂は静まり返り、周囲の視線が一斉に私に集まる。そして私は、食堂の出口まで走り出したのだった。

「メイベル、どうしたの!?」

「メイベル様!?」

 後ろからモニカやエドヴァルドの声が聞こえてきたが、それすらも無視して私は部屋を飛び出した。そして知らぬ間に、涙が零れて止まらなくなっていたのであった。

 辛い、苦しい。

 全部貴女のせいよ、ルナーティカ。

 貴女のせいで、私は……。

 自分の中に渦巻く激しい感情を、抑えることができない。このまま食堂に戻れば、私はルナーティカの胸ぐらを引っつかむに違いない。

 顔を下に向けると、金色の破片が絨毯に落ちていくのが見えた。

 それは、粉々に砕け散ったイヤリングの残骸であった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

金の騎士の蕩ける花嫁教育 - ティアの冒険は束縛求愛つき -  

藤谷藍
恋愛
ソフィラティア・シアンは幼い頃亡命した元貴族の姫。祖国の戦火は収まらず、目立たないよう海を越えた王国の小さな村で元側近の二人と元気に暮らしている。水の精霊の加護持ちのティアは森での狩の日々に、すっかり板についた村娘の暮らし、が、ある日突然、騎士の案内人に、と頼まれた。最初の出会いが最悪で、失礼な奴だと思っていた男、レイを渋々魔の森に案内する事になったティア。彼はどうやら王国の騎士らしく、魔の森に万能薬草ルナドロップを取りに来たらしい。案内人が必要なレイを、ティアが案内する事になったのだけど、旅を続けるうちにレイの態度が変わってきて・・・・ ティアの恋と冒険の恋愛ファンタジーです。

冷酷な王の過剰な純愛

魚谷
恋愛
ハイメイン王国の若き王、ジクムントを想いつつも、 離れた場所で生活をしている貴族の令嬢・マリア。 マリアはかつてジクムントの王子時代に仕えていたのだった。 そこへ王都から使者がやってくる。 使者はマリアに、再びジクムントの傍に仕えて欲しいと告げる。 王であるジクムントの心を癒やすことができるのはマリアしかいないのだと。 マリアは周囲からの薦めもあって、王都へ旅立つ。 ・エブリスタでも掲載中です ・18禁シーンについては「※」をつけます ・作家になろう、エブリスタで連載しております

幼馴染の腹黒王太子、自分がテンプレ踏んでることに全然気付いてないので困る。

夏八木アオ
恋愛
◆毒舌で皮肉っぽい王太子のヴィクターと、転生者でめんどくさがりな令嬢ルリア。外面の良い幼馴染二人のラブストーリーです◆ モーズ公爵家の次女、ルリアは幼馴染の王太子ヴィクターに呼び出された。ヴィクターは、彼女が書いた小説のせいで、アメリア嬢との婚約を解消の話が出ているから責任を取れと言う。その上、ルリアは自身がヴィクターの新しい婚約者になったと聞き、婚約解消するために二人で奔走することに…。 ※他サイトにも掲載中

男装の悪役令嬢は、女嫌いで有名な騎士団長から執着されて逃げられない

佐倉海斗
恋愛
アデラインは二度目の人生を好きに生きると決めていた。一度目の死の光景を、数え切れないほどに悪夢として見続けきた。それは、アデラインが同じ過ちを繰り返さない為の警告だろう。 アデラインは警告に従い、聖女に選ばれた義妹をかわいがり、義妹を狙う攻略対象者を義妹にふさわしい人間か見極め、不合格になった攻略対象者は徹底的に鍛え上げた。そうして、アデラインは一度目の享年を超えることができたのだ。 ――そこまでは順風満帆だった。 十八歳の時、アデラインは、両親と王族の許可を得て、男装をすることを条件に騎士となった。そして、二十一歳になったアデラインは、女嫌いで有名な騎士団長の補佐役に抜擢されることになった。 それは名誉なことであり、順風満帆だったアデラインの騎士生活を脅かすものでもあった。 女嫌いで有名な騎士団長 × 男装の転生悪役令嬢 すれ違いの末に溺愛されることに――。 ※Rシーンは「※」の目印がついています。 ※他投稿サイトでも掲載しています。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

黒の神官と夜のお世話役

苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました

転生令嬢は婚約者を聖女に奪われた結果、ヤンデレに捕まりました

高瀬ゆみ
恋愛
侯爵令嬢のフィーネは、八歳の年に父から義弟を紹介された。その瞬間、前世の記憶を思い出す。 どうやら自分が転生したのは、大好きだった『救国の聖女』というマンガの世界。 このままでは救国の聖女として召喚されたマンガのヒロインに、婚約者を奪われてしまう。 その事実に気付いたフィーネが、婚約破棄されないために奮闘する話。 タイトルがネタバレになっている疑惑ですが、深く考えずにお読みください。 ※本編完結済み。番外編も完結済みです。 ※小説家になろうでも掲載しています。

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

処理中です...