上 下
22 / 41

令嬢、受け入れる

しおりを挟む
 庭園の池に落ちた後、私は風邪をひいた。

 昨日で熱は下がっていたものの、まだ私は自室のベッドで静養している。そして、エドヴァルドの言葉を何度も頭の中で反芻していた。

『貴女が私の全てということは、今も昔も変わりません。昔から、ずっと』

 イヴァンに夜の誘いを断られた後、私は金で雇った男に抱かれた。一時で良いから、自分の心と身体を満たしたかったのだ。そうしないと潰れてしまいそうな程に、当時の私は追い詰められていた。

 ユリウスを愛していたならば、彼に似た男を選んだだろう。しかし私は、どうしてかイヴァンと同じ目の色をした男を選んだのである。

 当時は、イヴァンに断られたからそれを別の男で埋め合わせたいという、ただの代償行為だと思っていた。それにほんの少し、彼に対する当てつけの気持ちも込めてなのだと。その理屈なら、ユリウスに断られていたならば、彼に似た男を選んでいたことになる。

 しかし、今なら分かる。あの時私は、既にユリウスではなくイヴァンに惹かれていたのだ。

 だから、彼に身体の関係を望んだ。すぐ傍にいた男が彼だったからなどという、単純な理由では無かったのである。

 とはいえ、アルビナであった時の私は、彼を都合良く使っていた。彼も私と同じ気持ちである自信は、一切持てなかった。だから想いを伝えるではなく、‘‘女を抱ける’’というメリットを付加して、イヴァンを誘ったのである。

 しかしそれは、酷く浅はかな考えだったと思う。

 庶子という立場であるが故に、イヴァンが刹那的な恋や情事というものを嫌悪しているのは明らかだった。そんな彼をつまらぬ火遊びに誘うなど、最低なことである。

 自分を満たすことしか考えていない、馬鹿な女。それが、メイベルとしての私がアルビナに下した評価だ。

 だから余計に、エドヴァルドの考えていることが分からなかった。身勝手な女の何が、彼を惹き付けていたのかと。

 そんなことを考えながら、寝るのも飽きたので本でも読もうかと思った矢先、ドアがノックされたのだった。

「メイベル様、お休み中に失礼します」

 扉を開けたのは、メイドのキーラだった。

「今起きたところだから大丈夫よ。どうしたの?」

「それが、エドヴァルド王太子殿下がいらっしゃっておりまして。お通ししてもよろしいですか?」
 
 キーラの目は、嬉しそうに爛々と輝いていた。

+

「お久しぶりです、メイベル様」

 部屋にやってきたエドヴァルドは、可愛らしいブーケを抱えていた。

「こちら、お見舞いの花束です。気に入っていただけると嬉しいのですが」

 そう言って、エドヴァルドは私にブーケを手渡した。

 ピンクを基調とした花束はとても可愛らしく、やや沈んでいた気持ちを明るくしてくれるような気さえした。腕に抱えると、控えめな花の香りが鼻をかすめたのだった。

「とっても素敵ですわ、ありがとうございます。キーラ、お花を花瓶に生けて頂戴。あと、紅茶の用意もお願い」

「はい、かしこまりました」

 花束を手渡すと、キーラは寝室をそそくさと出て行った。

「体調はいかがですか、メイベル様」

 不安げに眉を寄せたエドヴァルドの表情は、まるで飼い主を気遣う愛犬のようにも見えた。

「お陰様で、熱はもう下がりましたわ。ただ、家族がやたら心配してお休みしているだけでして……」

 そう。体調はすっかり回復しているものの、両親も兄上も念のためあと一日は休むようにと言って聞かなかったのだ。

「本当にみんな過保護すぎて、困ったものですわ」

「ふふ、お優しいご家族に囲まれているようで何よりです」

 そこまで話していると、再び扉がノックされた。キーラが花を生けた花瓶を持ち、もう一人のメイドが紅茶とクッキーを運んできたのだった。

「それでは、私達は一旦失礼します。何かご用があれば、呼び鈴をお使いくださいませ」

 あとは若いお二人でとばかりに、キーラ達は寝室を足早に出て行った。きっと部屋の前では、私達のことをあれこれ想像して、耳打ちし合っているに違いない。

「おやこれは……もしかして」

「あら、お気付きになりました?」

 皿の上のクッキーは、実はシナモンが入っているものであった。エドヴァルドも、匂いをかいで直ぐに気づいたようだった。

「ハリーストではシナモンはあまり使わない香辛料なのですが、久しぶりに楽しみたいなと思いまして、国外から取り寄せましたの」

 イヴァンの部屋を訪れた時に出されるのは、決まって紅茶とシナモンロールであった。だから、私達からすればシナモンは思い出の香りでもある。

 そしてこれは、過去に逃げず向き合うという私なりの意思表示であった。

「シナモンは、今もお好きですか?」

「勿論です。それでは、いただきます」

 エドヴァルドの声は、ほんの少し弾んでいた。こうして私達は、クッキーを食べ始めたのである。

 寝室に、シナモンの甘い香りが広がる。どこか懐かしい匂いは、私達の心理的な距離を縮めていくような気さえした。

「お味は、いかがですか?」

「はい、とても美味しいです」

 クッキーを食べながら、エドヴァルドは嬉しそうに言った。それを聞いて、私はホッと胸を撫で下ろす。

 私達が単なる友人ならば、このまま和やかな会話が続いていくものだ。しかし、残念ながらそうではないのだ。

 クッキーを食べ終わった後、私は本題を切り出した。

「実は池に落ちた日からずっと、考えてましたの。貴方の優しさにつけ込んで都合良く利用していたアルビナという存在を、何故そんなにも大切に思ってくださっているのかと」

 過去の自分……アルビナという女から距離をとるように、私は続ける。

「でも、結局分かりませんでした。何故貴方が、自らを追い詰めた存在を深く愛してらっしゃるのか」

「……メイベル様」

「メイベルである私が言ったところで今更ですが、酷いことをして……」

「どうか謝らないでください。メイベル様」

 私の言葉を遮るように、エドヴァルドは呟いた。

「限られた空間に生きていた私に、貴女は世界を教えてくれた。奪うどころか、貴女は私に沢山のものを与えてくださったのですから。むしろ私は、後悔しておりました」

「え……?」

「自分が無力で汚れた存在であるが故に、貴女がお辛い時に傍で支えられなかった。それがずっと、悔しくて仕方がありませんでした」

  それは、私が今まで知らなかった彼の心の内だった。令嬢達から憧れられていた彼が、そこまで自らを低く評価しているのは、私からすれば信じられないことであった。

 何と言えば良いか迷っていると、私より先にエドヴァルドが口を開いたのだった。

「メイベル様。願わくば、私はこの人生で貴女を幸せにしたい」

「……っ」

 いつの間にか、彼の手はテーブルの上で私の片手を包み込んでいた。手袋を外した手は、指が長くて傷一つ無く美しい。しかし手のひらが広く、男性的な頼もしさも併せ持っていた。

 巣から出られない雛鳥にとって、親鳥は世界の全てだ。きっと彼は、私をそんな存在だと認識していたのだろう。

「確かに前世の貴方からすれば、世界を知る窓となっていたのはアルビナだったのかもしれません。でも、この世界ではそうではないでしょう? 貴方の周りには素敵な方が沢山いらっしゃるのですから」

「広い世界を知った今でも、貴女への想いが揺らいだことはございません」

「……殿下」

「どうか、私の気持ちを受け入れてはくれませんか?」

 深緑色の瞳は、私を真っ直ぐに見据えていた。

「……是非に」

 胸の高鳴りを抑えながら、私はぎこちなく頷いた。前世で何もかも上手くいかなかった私が、今世では彼と共に幸せになれるのか。まだ私は自信が持てていなかったのである。 

 しかし。何者にも邪魔されない彼との触れ合いは、心地好く感じられたのだった。

「ありがとうございます。……メイベル様」

 この上なく幸せそうに、エドヴァルドは微笑んだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

金の騎士の蕩ける花嫁教育 - ティアの冒険は束縛求愛つき -  

藤谷藍
恋愛
ソフィラティア・シアンは幼い頃亡命した元貴族の姫。祖国の戦火は収まらず、目立たないよう海を越えた王国の小さな村で元側近の二人と元気に暮らしている。水の精霊の加護持ちのティアは森での狩の日々に、すっかり板についた村娘の暮らし、が、ある日突然、騎士の案内人に、と頼まれた。最初の出会いが最悪で、失礼な奴だと思っていた男、レイを渋々魔の森に案内する事になったティア。彼はどうやら王国の騎士らしく、魔の森に万能薬草ルナドロップを取りに来たらしい。案内人が必要なレイを、ティアが案内する事になったのだけど、旅を続けるうちにレイの態度が変わってきて・・・・ ティアの恋と冒険の恋愛ファンタジーです。

冷酷な王の過剰な純愛

魚谷
恋愛
ハイメイン王国の若き王、ジクムントを想いつつも、 離れた場所で生活をしている貴族の令嬢・マリア。 マリアはかつてジクムントの王子時代に仕えていたのだった。 そこへ王都から使者がやってくる。 使者はマリアに、再びジクムントの傍に仕えて欲しいと告げる。 王であるジクムントの心を癒やすことができるのはマリアしかいないのだと。 マリアは周囲からの薦めもあって、王都へ旅立つ。 ・エブリスタでも掲載中です ・18禁シーンについては「※」をつけます ・作家になろう、エブリスタで連載しております

幼馴染の腹黒王太子、自分がテンプレ踏んでることに全然気付いてないので困る。

夏八木アオ
恋愛
◆毒舌で皮肉っぽい王太子のヴィクターと、転生者でめんどくさがりな令嬢ルリア。外面の良い幼馴染二人のラブストーリーです◆ モーズ公爵家の次女、ルリアは幼馴染の王太子ヴィクターに呼び出された。ヴィクターは、彼女が書いた小説のせいで、アメリア嬢との婚約を解消の話が出ているから責任を取れと言う。その上、ルリアは自身がヴィクターの新しい婚約者になったと聞き、婚約解消するために二人で奔走することに…。 ※他サイトにも掲載中

男装の悪役令嬢は、女嫌いで有名な騎士団長から執着されて逃げられない

佐倉海斗
恋愛
アデラインは二度目の人生を好きに生きると決めていた。一度目の死の光景を、数え切れないほどに悪夢として見続けきた。それは、アデラインが同じ過ちを繰り返さない為の警告だろう。 アデラインは警告に従い、聖女に選ばれた義妹をかわいがり、義妹を狙う攻略対象者を義妹にふさわしい人間か見極め、不合格になった攻略対象者は徹底的に鍛え上げた。そうして、アデラインは一度目の享年を超えることができたのだ。 ――そこまでは順風満帆だった。 十八歳の時、アデラインは、両親と王族の許可を得て、男装をすることを条件に騎士となった。そして、二十一歳になったアデラインは、女嫌いで有名な騎士団長の補佐役に抜擢されることになった。 それは名誉なことであり、順風満帆だったアデラインの騎士生活を脅かすものでもあった。 女嫌いで有名な騎士団長 × 男装の転生悪役令嬢 すれ違いの末に溺愛されることに――。 ※Rシーンは「※」の目印がついています。 ※他投稿サイトでも掲載しています。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

黒の神官と夜のお世話役

苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました

転生令嬢は婚約者を聖女に奪われた結果、ヤンデレに捕まりました

高瀬ゆみ
恋愛
侯爵令嬢のフィーネは、八歳の年に父から義弟を紹介された。その瞬間、前世の記憶を思い出す。 どうやら自分が転生したのは、大好きだった『救国の聖女』というマンガの世界。 このままでは救国の聖女として召喚されたマンガのヒロインに、婚約者を奪われてしまう。 その事実に気付いたフィーネが、婚約破棄されないために奮闘する話。 タイトルがネタバレになっている疑惑ですが、深く考えずにお読みください。 ※本編完結済み。番外編も完結済みです。 ※小説家になろうでも掲載しています。

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

処理中です...