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令嬢、考える
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「ねえ、聞いた? メイベル様、この前の舞踏会で、エドヴァルド王太子殿下とダンスをご一緒したんですって」
「もちろんよ、それも初めての舞踏会で一曲目にお誘いされたんでしょう?」
「お二人は同い年ですし、これからが楽しみですわね」
家の廊下を歩いていると、メイド達が歩きながら話しているのが聞こえてきた。それを聞いて、私は一つため息を吐いた。
……もう。みんな、本当に飽きないんだから。
私が舞踏会でエドヴァルドと踊ったことは、直ぐさま家族や使用人達に知れ渡った。そして皆が皆大喜びして、ここ数日間は家の中がすっかりこの話題で持ちきりとなっている。
悪口ではなく、むしろ応援されている。しかし、そこかしこで自分のことが話題となっているのは、やはり落ち着かない。そこで私は、‘‘一時避難’’をすることにしたのだった。
私が向かったのは、我が家の庭園にある温室だ。
父上が植物学者ということもあり、広い温室内には様々な種類の草花が植えられている。小さな川と池まで造られており、池には色とりどりの魚が何匹も泳いでいる。草木の匂いや流れる水の音は、いつも私を落ち着かせてくれるのだった。
芝生の上に仰向けになり、ゆっくりと目を閉じる。瞼の裏に映ったのは、やはりエドヴァルドの姿であった。
植物の瑞々しい匂いと彼の香水の香りは、何処となく似ている。舞踏会で彼と踊った記憶が蘇ってきて、自然と胸の鼓動は早鐘を打ち始めていた。
もしこれが初めての人生ならば、この胸の高鳴りは初恋の鼓動、といったところか。
しかし。前世で私の行動が彼を追い詰めたことは、動かぬ事実だ。だから彼は、私を恨んで当然である。
これはきっと、恋などという美しい感情ではない。本能的な、彼に対するただの恐れであろう。もし恋ならば、厚かましいことこの上ないことだ。
思えば過去の私達の関係は、搾取する側とされる側だったのかもしれない。何故なら、いつも私の求めている言葉を与えてくれるイヴァンに対して、私は何もしていなかったのだから。ユリウスと結婚して私が‘‘同い年の義姉’’となってからも、その関係が変わることはなかった。
彼が私に欲しいものを与えなかったのは……あの時の一回だけだわ。
自分自身が潰れてしまいそうな気持ちでいたあの晩のことを思い出し、ずきりと胸の奥が痛む。どうやら身体は生まれ変わっても、心の傷は癒えていないらしい。
芝生に寝返りを打つと、不意に一つの疑問が頭に思い浮かんだのだった。
イヴァンを裏切ったあの日から、私は彼と顔を合わせることは一度もなかった。とはいえ、私が死ぬ時点で彼が生きていたことは確実である。
しかし彼は今、エドヴァルドとして私の前に存在する。ということは、彼もまたイヴァンとしての一生を終えている訳だ。
私の死後、イヴァンはどんな時間を過ごしていたのかしら?
今度調べてみようと思い、私は芝生から起き上がった。そろそろエドヴァルドへのお誘いの手紙を書かねばならないので、昼寝をする時間まではないのである。
「お姉様、ここにいたの?」
「あら、マリーじゃない」
振り向くと、丁度妹のマリーが温室の入口から入ってくるところであった。その左目には眼帯が付けてあり、それを隠すように前髪が長く伸ばされているのだった。
「貴女がここに来るなんて珍しいわね、どうしたの?」
「その、家にいても何か落ち着かなくて」
「ふふ、私のせいでみんなを騒がせてごめんなさいね」
「……違うの」
マリーはそう言って、首を横に振った。そして私の隣にちょこんと座ってから、ぽつりと呟いた。
「今更だけど、手術が……怖くなっちゃって」
内気な妹が口にしたのは、手術に対する不安であった。
マリーは幼い頃から左目に病を患っていた。それは手術で治るものだったが、彼女が怖がるのでずっと延期となっていたのだ。しかし、実生活に支障をきたす段階にまで悪化してしまったため、今度手術する予定なのである。
「大丈夫よ。当日は私も病院まで付いていくから、安心なさいな」
俯く妹の頭を撫でながら、私は彼女に笑いかけた。
一度目の人生では妹も弟も居なかったので、初めは年の離れた妹であるマリーにも、どう接すれば良いかが分からなかった。けれども歳を重ねる度に愛しいと思う気持ちが芽生え初め、今では大切な可愛い妹である。
ふと、ユリウスと婚約した令嬢の姿が頭に思い浮かんだ。彼女にも、病弱な妹がいたからである。
ユリウスに愛されていたあの子も、こんな気持ちだったのかしら?
あの時は分からなかったが、今なら分かる。妹のために何かをしてあげたいという、姉の気持ちが。
あの時もし、私が令嬢を告発することなく二人の婚約を祝っていたならば……ユリウスとオフェリア、そしてイヴァンも、全員が幸せだったのかしら?
でも、そうしたならば私は……。
「お姉様?」
「え、え? あっ、ごめんね、ちょっとぼーっとしてて」
「もう……他人の頭撫でながら考えごと?」
「ごめんってば。じゃあね、私は家に戻るから。ここでゆっくりしてくと良いわ」
「うん、分かったわ」
取り敢えず。過去のことを考えるよりも、先ずは目の前にあることを片付けなきゃ。
エドヴァルドへの手紙の内容を考えながら、私は植物園を後にしたのだった。
「もちろんよ、それも初めての舞踏会で一曲目にお誘いされたんでしょう?」
「お二人は同い年ですし、これからが楽しみですわね」
家の廊下を歩いていると、メイド達が歩きながら話しているのが聞こえてきた。それを聞いて、私は一つため息を吐いた。
……もう。みんな、本当に飽きないんだから。
私が舞踏会でエドヴァルドと踊ったことは、直ぐさま家族や使用人達に知れ渡った。そして皆が皆大喜びして、ここ数日間は家の中がすっかりこの話題で持ちきりとなっている。
悪口ではなく、むしろ応援されている。しかし、そこかしこで自分のことが話題となっているのは、やはり落ち着かない。そこで私は、‘‘一時避難’’をすることにしたのだった。
私が向かったのは、我が家の庭園にある温室だ。
父上が植物学者ということもあり、広い温室内には様々な種類の草花が植えられている。小さな川と池まで造られており、池には色とりどりの魚が何匹も泳いでいる。草木の匂いや流れる水の音は、いつも私を落ち着かせてくれるのだった。
芝生の上に仰向けになり、ゆっくりと目を閉じる。瞼の裏に映ったのは、やはりエドヴァルドの姿であった。
植物の瑞々しい匂いと彼の香水の香りは、何処となく似ている。舞踏会で彼と踊った記憶が蘇ってきて、自然と胸の鼓動は早鐘を打ち始めていた。
もしこれが初めての人生ならば、この胸の高鳴りは初恋の鼓動、といったところか。
しかし。前世で私の行動が彼を追い詰めたことは、動かぬ事実だ。だから彼は、私を恨んで当然である。
これはきっと、恋などという美しい感情ではない。本能的な、彼に対するただの恐れであろう。もし恋ならば、厚かましいことこの上ないことだ。
思えば過去の私達の関係は、搾取する側とされる側だったのかもしれない。何故なら、いつも私の求めている言葉を与えてくれるイヴァンに対して、私は何もしていなかったのだから。ユリウスと結婚して私が‘‘同い年の義姉’’となってからも、その関係が変わることはなかった。
彼が私に欲しいものを与えなかったのは……あの時の一回だけだわ。
自分自身が潰れてしまいそうな気持ちでいたあの晩のことを思い出し、ずきりと胸の奥が痛む。どうやら身体は生まれ変わっても、心の傷は癒えていないらしい。
芝生に寝返りを打つと、不意に一つの疑問が頭に思い浮かんだのだった。
イヴァンを裏切ったあの日から、私は彼と顔を合わせることは一度もなかった。とはいえ、私が死ぬ時点で彼が生きていたことは確実である。
しかし彼は今、エドヴァルドとして私の前に存在する。ということは、彼もまたイヴァンとしての一生を終えている訳だ。
私の死後、イヴァンはどんな時間を過ごしていたのかしら?
今度調べてみようと思い、私は芝生から起き上がった。そろそろエドヴァルドへのお誘いの手紙を書かねばならないので、昼寝をする時間まではないのである。
「お姉様、ここにいたの?」
「あら、マリーじゃない」
振り向くと、丁度妹のマリーが温室の入口から入ってくるところであった。その左目には眼帯が付けてあり、それを隠すように前髪が長く伸ばされているのだった。
「貴女がここに来るなんて珍しいわね、どうしたの?」
「その、家にいても何か落ち着かなくて」
「ふふ、私のせいでみんなを騒がせてごめんなさいね」
「……違うの」
マリーはそう言って、首を横に振った。そして私の隣にちょこんと座ってから、ぽつりと呟いた。
「今更だけど、手術が……怖くなっちゃって」
内気な妹が口にしたのは、手術に対する不安であった。
マリーは幼い頃から左目に病を患っていた。それは手術で治るものだったが、彼女が怖がるのでずっと延期となっていたのだ。しかし、実生活に支障をきたす段階にまで悪化してしまったため、今度手術する予定なのである。
「大丈夫よ。当日は私も病院まで付いていくから、安心なさいな」
俯く妹の頭を撫でながら、私は彼女に笑いかけた。
一度目の人生では妹も弟も居なかったので、初めは年の離れた妹であるマリーにも、どう接すれば良いかが分からなかった。けれども歳を重ねる度に愛しいと思う気持ちが芽生え初め、今では大切な可愛い妹である。
ふと、ユリウスと婚約した令嬢の姿が頭に思い浮かんだ。彼女にも、病弱な妹がいたからである。
ユリウスに愛されていたあの子も、こんな気持ちだったのかしら?
あの時は分からなかったが、今なら分かる。妹のために何かをしてあげたいという、姉の気持ちが。
あの時もし、私が令嬢を告発することなく二人の婚約を祝っていたならば……ユリウスとオフェリア、そしてイヴァンも、全員が幸せだったのかしら?
でも、そうしたならば私は……。
「お姉様?」
「え、え? あっ、ごめんね、ちょっとぼーっとしてて」
「もう……他人の頭撫でながら考えごと?」
「ごめんってば。じゃあね、私は家に戻るから。ここでゆっくりしてくと良いわ」
「うん、分かったわ」
取り敢えず。過去のことを考えるよりも、先ずは目の前にあることを片付けなきゃ。
エドヴァルドへの手紙の内容を考えながら、私は植物園を後にしたのだった。
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