上 下
6 / 41

初めてのダンス

しおりを挟む
「あ、貴方は、カルダニアの……!!」

「横から失礼致しました。私、メイベル様の友人のエドヴァルドと申します」

 そう言って、エドヴァルドは丁寧にヒュームに挨拶をした。

 王太子であるとは言わず、あくまで私の友人と名乗る。控えめな態度ではあるものの、‘‘友人’’という単語に凄まじい圧を感じたのは気のせい……だろうか。

 勿論、エドヴァルドの顔には品の良い笑みが浮かべられている。だが彼の口元だけの笑顔が恐ろしく感じられたのは、二度の人生で初めてであった。

 ヒュームはエドヴァルドに挨拶し終えると、困惑したように私と彼の顔を交互に見比べた。いきなり大国の王太子が話に参加して来たのだから、動揺するのも当然である。道に迷った子犬のような姿は、最早可哀想にも思えてくる程だった。

 申し訳ないけど不可抗力よ……許して頂戴、ヒューム。

 完全に歓談が途切れたところで、すぐ近くから別の声が聞こえてきたのだった。

「あら、ヒューム様ではないですか」

 友達と思しき令嬢が、彼に声をかけてきたのだった。それは、すっかり困り果てていた子犬からすれば、正に助け舟であった。

 相手が一人しかいないならば、どんな身分の人間と踊っても特段問題は無い。が、身分相応な相手が現れたなら話は別だ。相手が一人という前提は、見事に崩れてしまったのだった。

「それでは、私は失礼致します」

「え、ええ。また今度ね」

 ヒュームが令嬢の元へと行ってしまい、その場に取り残されたのは私とエドヴァルドの二人。一応辺りを見回したものの、この会話の輪に引き込めそうな友達は、誰もいなかった。

「お久しぶりです、メイベル様」

「お、お久しぶりです、殿下」

 やはりエドヴァルドは、口元でしか笑わない。

 若干後ずさりつつ、私はなんとか作り笑いを浮かべた。片方の口角が恐ろしく引き攣るものの、それは扇子で隠すことにしたのだった。

「お誘いの手紙が来なかったので心配しておりましたが、お元気そうで何よりです」

「ち、近頃、忙しくて……中々お誘いできず、申し訳ございませんでした」

 彼の言葉が、心配という包み紙に包まれた‘‘催促’’であることを、私は直ぐに察した。どうやら、友人関係の自然消滅は易々と許してくれないらしい。

 今の私は、まさに逃げ道を塞がれた鼠も良いところだ。

「お忙しいというのは、やはり奉仕活動ですか?」

「ほ、奉仕活動と……近頃は、クラブ活動も始めておりまして」

「ふむ、成程。ちなみに、どこの会に参加しているのですか?」

「読書愛好会という所ですわ、先程の彼も、そこで知り合いましたの」

「そうだったんですね」

 それとなくヒュームとの関係性を説明すると、どうやらエドヴァルドは納得したようだった。彼が殺気立っていないことが分かり、ようやく私はホッと息をついたのである。

「ところで、舞踏会でお会いするのは初めてですが。もしや、今宵が初めてですか?」

「……恥ずかしながら」

 そう言うと、何故かエドヴァルドの目が嬉しそうに細められたのだった。

「そうでしたか。ならよろしければ、私と踊っては下さいませんか?」

 エドヴァルドは白い手袋を外し、私に右手を差し出した。

 カルダニア王室の人々は、王族である証としていつもは手袋をしている。そして、素手で触れ合うことが許されるのは、原則友人や家族など、親しい存在に限られていた。

 手袋の白色に負けない程に、彼の手は色白だ。しかし指は長く、手の甲は骨ばっている。男性らしさがありつつも上品な手に、つい私は見とれてしまっていた。

「いかがでしょうか、メイベル様?」

「……っ、私でよろしければ、喜んで」

 この場合、実質私に拒否権は無い。私は差し出された美しい手に、自らの手のひらを重ねたのだった。

「ありがとうございます。それでは、行きましょうか」

 エドヴァルドにエスコートされ、ダンスフロアへと移動する。すると、知らぬ間に私達が注目の的になっていることに気付いた。

「あちらは、エドヴァルド王太子殿下と……どなたかしら?」

「ダンスをご一緒するということは、殿下のご友人ですわよね?」

 そんなヒソヒソ話をくぐり抜け、ようやくフロアまで辿り着いたのだった。

 私と踊って、彼は何の得があるのかしら?

 曲が始まり、ダンスのステップを踏みながら、私は悶々と考え込んでいた。

 当然ながら、エドヴァルドと一曲目を踊るにふさわしいご令嬢は山のようにいる。その中で私を選んだとしても、彼に何のメリットも無いではないか。

「初めてのダンスをご一緒できて、光栄です。メイベル様」

 もしや、途中で私にミスを誘って恥をかかせるつもりだろうか、とまで考えたところで、エドヴァルドはそう言ったのだった。

 彼は背が高く、私は進行方向に顔を向けているので、どんな表情でそう言ったのかは分からない。けれども、私の心をざわつかせるには十分であった。

 この人生での初めてのダンス。その言葉に特別な響きを感じるものの、それは私にとってのことであり、彼は関係無いはずなのだけれども。

「殿下は、収集癖がありますの?」

 娼館に通う男の中には、やたら処女ばかりを好む者もいるという昔どこかで聞いた話を思い出しながら、私は問うた。

 彼が‘‘初めて舞踏会にきた女とのダンス’’ということと、‘‘私と踊る’’ということのどちらに価値を感じているのかが、不意に気になったのだ。まあ、それを知ったところで何にもならないが。

「収集癖ですか? 何かをコレクションすることが特段好きという訳ではございませんが……」

「……そうですの」
 
「ただただ、貴女と踊りたかったからですよ」

「……え?」

 見上げるようにしてエドヴァルドの顔を見ると、彼は嬉しそうに笑ったのである。

 その何処か妖しい笑みに、私の心臓はどきりと跳ねた。

「やっと、こっちを見てくれましたね」

「!?」

 耳元で囁かれたのは、優しげな甘い一言。まるで、恋人同士が睦言を囁き合うかのような動作であった。

「で、殿下……っ、こんな、皆が見てるところで……」

「ふふっ、皆踊るのに必死ですから。見てはいませんよ」

「……っ」

 言い返そうとした矢先、丁度一曲目が終わった。すると、エドヴァルドはすぐさま私の耳から顔を離したのだった。

「残念ですが、終わってしまいましたね。……ではまた」

 エドヴァルドが立ち去り、その場に残ったのは彼の香水の香り。ミントの涼やかな香りが、熱くなった私の頬を優しく撫でたのだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

金の騎士の蕩ける花嫁教育 - ティアの冒険は束縛求愛つき -  

藤谷藍
恋愛
ソフィラティア・シアンは幼い頃亡命した元貴族の姫。祖国の戦火は収まらず、目立たないよう海を越えた王国の小さな村で元側近の二人と元気に暮らしている。水の精霊の加護持ちのティアは森での狩の日々に、すっかり板についた村娘の暮らし、が、ある日突然、騎士の案内人に、と頼まれた。最初の出会いが最悪で、失礼な奴だと思っていた男、レイを渋々魔の森に案内する事になったティア。彼はどうやら王国の騎士らしく、魔の森に万能薬草ルナドロップを取りに来たらしい。案内人が必要なレイを、ティアが案内する事になったのだけど、旅を続けるうちにレイの態度が変わってきて・・・・ ティアの恋と冒険の恋愛ファンタジーです。

冷酷な王の過剰な純愛

魚谷
恋愛
ハイメイン王国の若き王、ジクムントを想いつつも、 離れた場所で生活をしている貴族の令嬢・マリア。 マリアはかつてジクムントの王子時代に仕えていたのだった。 そこへ王都から使者がやってくる。 使者はマリアに、再びジクムントの傍に仕えて欲しいと告げる。 王であるジクムントの心を癒やすことができるのはマリアしかいないのだと。 マリアは周囲からの薦めもあって、王都へ旅立つ。 ・エブリスタでも掲載中です ・18禁シーンについては「※」をつけます ・作家になろう、エブリスタで連載しております

幼馴染の腹黒王太子、自分がテンプレ踏んでることに全然気付いてないので困る。

夏八木アオ
恋愛
◆毒舌で皮肉っぽい王太子のヴィクターと、転生者でめんどくさがりな令嬢ルリア。外面の良い幼馴染二人のラブストーリーです◆ モーズ公爵家の次女、ルリアは幼馴染の王太子ヴィクターに呼び出された。ヴィクターは、彼女が書いた小説のせいで、アメリア嬢との婚約を解消の話が出ているから責任を取れと言う。その上、ルリアは自身がヴィクターの新しい婚約者になったと聞き、婚約解消するために二人で奔走することに…。 ※他サイトにも掲載中

男装の悪役令嬢は、女嫌いで有名な騎士団長から執着されて逃げられない

佐倉海斗
恋愛
アデラインは二度目の人生を好きに生きると決めていた。一度目の死の光景を、数え切れないほどに悪夢として見続けきた。それは、アデラインが同じ過ちを繰り返さない為の警告だろう。 アデラインは警告に従い、聖女に選ばれた義妹をかわいがり、義妹を狙う攻略対象者を義妹にふさわしい人間か見極め、不合格になった攻略対象者は徹底的に鍛え上げた。そうして、アデラインは一度目の享年を超えることができたのだ。 ――そこまでは順風満帆だった。 十八歳の時、アデラインは、両親と王族の許可を得て、男装をすることを条件に騎士となった。そして、二十一歳になったアデラインは、女嫌いで有名な騎士団長の補佐役に抜擢されることになった。 それは名誉なことであり、順風満帆だったアデラインの騎士生活を脅かすものでもあった。 女嫌いで有名な騎士団長 × 男装の転生悪役令嬢 すれ違いの末に溺愛されることに――。 ※Rシーンは「※」の目印がついています。 ※他投稿サイトでも掲載しています。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

黒の神官と夜のお世話役

苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました

転生令嬢は婚約者を聖女に奪われた結果、ヤンデレに捕まりました

高瀬ゆみ
恋愛
侯爵令嬢のフィーネは、八歳の年に父から義弟を紹介された。その瞬間、前世の記憶を思い出す。 どうやら自分が転生したのは、大好きだった『救国の聖女』というマンガの世界。 このままでは救国の聖女として召喚されたマンガのヒロインに、婚約者を奪われてしまう。 その事実に気付いたフィーネが、婚約破棄されないために奮闘する話。 タイトルがネタバレになっている疑惑ですが、深く考えずにお読みください。 ※本編完結済み。番外編も完結済みです。 ※小説家になろうでも掲載しています。

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

処理中です...