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二人と一匹の音楽会
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「今日は何を弾きましょうか、ヴァルタサール様?」
「そうだな……取り敢えず、お前の好きな曲を聴きたい」
「ふふっ、承知しました」
温室での音楽会の参加者は、二人と一匹。ヴァルタサールの膝の上では、ルルドがとぐろを巻いて寝そべっていた。
「じゃあ……春らしい曲を一つ」
そう言って、私はヴァイオリンを弾き始めた。
あの夜から、私は彼の前でもヴァイオリンを弾くようになった。久しぶりの人前での演奏とあって初めはなかなか上手くいかなかったものの、近頃ようやく慣れてきたのだった。
今日は少し難しい曲を弾いてみることにしたのだが、最後にミスをしてしまった。けれども、ヴァルタサールは拍手してくれたのだった。
「素晴らしい。本当に、ヴァイオリンを捨てるのを止めてくれた義父上には感謝してもし足りない位だ」
「ふふっ、そうですわね」
音楽会を終えた翌日、私は宣言通りヴァイオリンを捨てようとした。けれども、父上はそれを止めてくれたのだった。
これからもヴァイオリンを続けるか否かは好きにすれば良い。しかし、これまで心の支えとなっていたものを手放すのはどうか思いとどまって欲しいと、父上は言ったのだった。そして、嫁入り道具としてヴァイオリンを持たせてくれた訳である。
「蛇に化けて温室に忍び込むくらいしか方法は無いと思っていたのだがな。こうして隣で演奏を聴けるようになって、幸せだ」
「もう、ヴァルタサール様ってば」
その一言に、私は思わず吹き出す。強面な顔に似合わず、彼は意外にも砕けた一面があると知ったのはつい最近のことである。
きっと、大多数の人々はこれからも私よりもクラリスを評価し、賞賛するだろう。けれども、近頃そんなことはどうでも良く思い始めていた。彼が隣で聴いていてくれれば、それで満足なのだ。
けれども、時折ありもしない想像をしては、私は密かに不安を抱いていたのだった。
「……どうした?」
「いえ……あの音楽会でクラリス嬢が私よりも楽しそうに演奏していたならば、彼女が貴方に選ばれていたのかなとふと思っただけです」
その言葉を口にして、私は直ぐに後悔した。あの日を思い出して、胸が締め付けられるような感覚が襲ってきたのだ。
「それは絶対有り得ないことだ。才能の有無に関わらず、私は彼女のような性格は好きになれない」
「え?」
「彼女の発言が他の奏者へのリスペクトに欠けるのは、観客である私ですら分かることだ。本人からすれば傷つかないために予防線を張ったつもりかもしれないが、それにしても視野が狭いことこの上ない」
「……」
「ああいった、ある種自己中心的とも言える態度は本当に不愉快だ」
普段優しい彼が厳しい言葉でクラリスを一刀両断するのを、私はぽかんと見ていることしか出来なかった。
「それに以前蛇革の靴を履いているのを見て、合わないなと思ったのも大きい。美しい鱗を見て履きたいと思うか飼いたいと思うか。そこには埋められない価値観の違いがあると思うのだが、どうだ?」
「それは……確かにそうですわね」
ルルドを片手で撫でながら、私は妙に納得する。先日脱皮したばかりの彼の身体は艶々として触り心地は抜群だ。けれども、そんな彼を身にまといたいとは感じなかった。
「本当に、変なところで心配性だな」
そう言って、ヴァルタサールは私にキスをしたのだった。
「私が他の女の元に行くことは無い。だから、安心してくれ」
「ヴ、ヴァルタサール様、その……まだ日も高いですのに……!!」
「何だ、照れてるのか。本当に可愛いな」
褒め殺しとも言える彼の言葉を受けて、自分の顔が耳まで真っ赤になっていくのが分かる。
「その……っ、''恋人ごっこ''は終わったので、そう言ったお戯れは……」
「戯れ? 思ったことをそのまま言っただけだが」
「!?!?」
「お前のような女を世間的には''美しい''と形容するのが適切なのだろうが……私からすれば可愛い。だからそう言ったまでだが」
「~~っ」
恥ずかしげもなくそんなことを言われ、耐えられるはずも無く。私は慌てて彼にそっぽを向いたのだった。
けれども、そんな私をヴァルタサールは易々と逃がしてくれる訳も無く。
「オリヴィア」
「っ……」
名前を呼ばれ、びくりと肩を震わせる。すると、彼は私の耳元に唇を寄せてきたのだった。
「私はこんな顔だから、感情があまり表に出ない。だから、なるべく思ったことは口にするよう努力してきたのだがな。どうやらそれは足りなかった訳だ。そのせいで、お前とのすれ違いを生んだことは認めざる得ない」
「んっ……」
耳たぶを甘噛みされ、小さく悲鳴を上げる。けれども、それは決して嫌な感覚ではなかった。
「これからは、お前に対して良い意味で全部感情をさらけ出していくつもりだ」
だから覚悟して欲しい。と、ヴァルタサールは言った。
彼がどんな顔でそう言ったのかは分からない。いつもの鉄仮面か、はたまた口を歪めるような笑みを浮かべてか。それは今振り向いて確かめるほか無いだろう。
取り敢えず、どうやら私はもう彼から逃げられないようだ。
「……それで、返事は?」
「……っ」
振り向く前に、私は小さく頷いた。
「そうだな……取り敢えず、お前の好きな曲を聴きたい」
「ふふっ、承知しました」
温室での音楽会の参加者は、二人と一匹。ヴァルタサールの膝の上では、ルルドがとぐろを巻いて寝そべっていた。
「じゃあ……春らしい曲を一つ」
そう言って、私はヴァイオリンを弾き始めた。
あの夜から、私は彼の前でもヴァイオリンを弾くようになった。久しぶりの人前での演奏とあって初めはなかなか上手くいかなかったものの、近頃ようやく慣れてきたのだった。
今日は少し難しい曲を弾いてみることにしたのだが、最後にミスをしてしまった。けれども、ヴァルタサールは拍手してくれたのだった。
「素晴らしい。本当に、ヴァイオリンを捨てるのを止めてくれた義父上には感謝してもし足りない位だ」
「ふふっ、そうですわね」
音楽会を終えた翌日、私は宣言通りヴァイオリンを捨てようとした。けれども、父上はそれを止めてくれたのだった。
これからもヴァイオリンを続けるか否かは好きにすれば良い。しかし、これまで心の支えとなっていたものを手放すのはどうか思いとどまって欲しいと、父上は言ったのだった。そして、嫁入り道具としてヴァイオリンを持たせてくれた訳である。
「蛇に化けて温室に忍び込むくらいしか方法は無いと思っていたのだがな。こうして隣で演奏を聴けるようになって、幸せだ」
「もう、ヴァルタサール様ってば」
その一言に、私は思わず吹き出す。強面な顔に似合わず、彼は意外にも砕けた一面があると知ったのはつい最近のことである。
きっと、大多数の人々はこれからも私よりもクラリスを評価し、賞賛するだろう。けれども、近頃そんなことはどうでも良く思い始めていた。彼が隣で聴いていてくれれば、それで満足なのだ。
けれども、時折ありもしない想像をしては、私は密かに不安を抱いていたのだった。
「……どうした?」
「いえ……あの音楽会でクラリス嬢が私よりも楽しそうに演奏していたならば、彼女が貴方に選ばれていたのかなとふと思っただけです」
その言葉を口にして、私は直ぐに後悔した。あの日を思い出して、胸が締め付けられるような感覚が襲ってきたのだ。
「それは絶対有り得ないことだ。才能の有無に関わらず、私は彼女のような性格は好きになれない」
「え?」
「彼女の発言が他の奏者へのリスペクトに欠けるのは、観客である私ですら分かることだ。本人からすれば傷つかないために予防線を張ったつもりかもしれないが、それにしても視野が狭いことこの上ない」
「……」
「ああいった、ある種自己中心的とも言える態度は本当に不愉快だ」
普段優しい彼が厳しい言葉でクラリスを一刀両断するのを、私はぽかんと見ていることしか出来なかった。
「それに以前蛇革の靴を履いているのを見て、合わないなと思ったのも大きい。美しい鱗を見て履きたいと思うか飼いたいと思うか。そこには埋められない価値観の違いがあると思うのだが、どうだ?」
「それは……確かにそうですわね」
ルルドを片手で撫でながら、私は妙に納得する。先日脱皮したばかりの彼の身体は艶々として触り心地は抜群だ。けれども、そんな彼を身にまといたいとは感じなかった。
「本当に、変なところで心配性だな」
そう言って、ヴァルタサールは私にキスをしたのだった。
「私が他の女の元に行くことは無い。だから、安心してくれ」
「ヴ、ヴァルタサール様、その……まだ日も高いですのに……!!」
「何だ、照れてるのか。本当に可愛いな」
褒め殺しとも言える彼の言葉を受けて、自分の顔が耳まで真っ赤になっていくのが分かる。
「その……っ、''恋人ごっこ''は終わったので、そう言ったお戯れは……」
「戯れ? 思ったことをそのまま言っただけだが」
「!?!?」
「お前のような女を世間的には''美しい''と形容するのが適切なのだろうが……私からすれば可愛い。だからそう言ったまでだが」
「~~っ」
恥ずかしげもなくそんなことを言われ、耐えられるはずも無く。私は慌てて彼にそっぽを向いたのだった。
けれども、そんな私をヴァルタサールは易々と逃がしてくれる訳も無く。
「オリヴィア」
「っ……」
名前を呼ばれ、びくりと肩を震わせる。すると、彼は私の耳元に唇を寄せてきたのだった。
「私はこんな顔だから、感情があまり表に出ない。だから、なるべく思ったことは口にするよう努力してきたのだがな。どうやらそれは足りなかった訳だ。そのせいで、お前とのすれ違いを生んだことは認めざる得ない」
「んっ……」
耳たぶを甘噛みされ、小さく悲鳴を上げる。けれども、それは決して嫌な感覚ではなかった。
「これからは、お前に対して良い意味で全部感情をさらけ出していくつもりだ」
だから覚悟して欲しい。と、ヴァルタサールは言った。
彼がどんな顔でそう言ったのかは分からない。いつもの鉄仮面か、はたまた口を歪めるような笑みを浮かべてか。それは今振り向いて確かめるほか無いだろう。
取り敢えず、どうやら私はもう彼から逃げられないようだ。
「……それで、返事は?」
「……っ」
振り向く前に、私は小さく頷いた。
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