4 / 8
恋人ごっこの幕開け
しおりを挟む
「ルルドの餌やり、任せて悪かったな」
夕食の席で、ヴァルタサールは私にそう言ったのだった。
「いいえ、とんでもないですわ。私も楽しんでおりますので」
「そうか。なら良かった」
夫婦二人の食事は、いつだって静かなものだ。彼は最低限のことしか私に話しかけないし、私も最低限のことしか答えない。だから、大半が互いに無言なのである。
クラリスが手に入れられなかった男は、あっさり自分の手に落ちた。しかし私達は、愛し合うとは到底程遠い関係であった。彼としては国益のため。私としては復讐のため。そこに愛が無いのは当然だろう。
事実、彼は私と手を繋ごうとすらしないのだ。夫婦としての身体の繋がりはあれど、それは明確な拒絶であると私は捉えていた。
ランダードは林業が盛んなこともあり、楽器の生産地として有名な国であった。街では腕利きの職人が多数工房を構えているため、各国の演奏家はこぞって楽器の購入や修理のためにランダードへやって来るのである。
しかし、ランダード出身の有名な作曲家や演奏家が居ないのが現状だ。ランダードに楽器と職人はいるが奏者が居ない。そんな言葉すらある程であった。
そのため義父であるランダード国王は、演奏家や作曲家の育成に力を入れていた。そんな背景もあり、私は歓迎されたのである。
「是非、我が国の音楽文化発展に協力して欲しい」
婚約が決まった際、義両親はそう言ってくれたのだった。
けれども。結婚してから、私は人前で一度も演奏していなかった。
自分の演奏に、価値が見いだせなくなっていたのだ。ルルドのためにヴァイオリンを弾く時ですら、あの日がフラッシュバックすることが多々あった。
あの子と比べたら、私なんてゴミクズも当然だわ。
そんな呪いのような一言が頭を過ぎり、手が止まってしまうのだ。クラリスの望むものを奪ったけれども、ヴァイオリン演奏を心から楽しんでいた日々が戻ることは無かった。
悪いことをした罰、かしらね。
「オリヴィア、どうした?」
ヴァルタサールに呼びかけられ、ハッと我に返る。慌てて前を向けば、感情の映らない瞳がこちらを見据えていた。
「し、失礼しました。いかがしましたか?」
「ああ、一つ報告があるんだ」
ナイフとフォークを一旦皿に置いてから、ヴァルタサールは続けた。
「来月、国内の楽器職人を招いて茶会を行うことになった」
「あら、素敵ですわ」
「折角の機会だ。楽器の修繕やメンテナンスが必要ならば、一度見てもらうと良い。話は通しておく」
「……はい?」
思わず私は聞き返した。そんな私に対して、彼はこともなさげにこう言ったのだった。
「ヴァイオリン、続けているのだろう?」
彼の言葉を聞いて、サッと血の気が引いていくのが分かった。
「……いつからそれをご存知で?」
「つい最近だ。温室に向かった時、偶然お前が弾いているのが扉越しに聞こえてきたんだ。その日は邪魔にならぬよう、そのまま帰ったが」
「……」
「盗み聞きしたようで悪かった」
彼の言葉に、私は応えを返せないでいた。
「この際だから言わせてもらう。オリヴィア、私はお前の演奏がまた聞きたい」
手に触れないくせに、演奏は聞きたい?
ふざけるのもいい加減にして欲しい。
「そのためには、どうすれば良い?」
「……」
お断りします。
そうはっきり言えたならば、どれだけ良いだろう。しかし、そんな言い方をすれば彼の機嫌を損ねてしまう。厄介なことになるのはなるべく避けたいところだ。
思考を巡らせた結果、私はある結論に至った。
断るではなく、彼に諦めてもらおうと。
「……でしたら一つ、お願いしたいことがございます」
「ああ」
「恋人のように、私を愛していただきたいのです」
私の藪から棒な物言いにも、ヴァルタサールは表情を変えることは無かった。そんな彼に内心怖気付きながらも、私はさらに続けた。
「音楽を奏でる原動力は、他者に対する気持ちだと、私は考えております」
「……ふむ」
「結婚してからヴァルタサール様とお話したりする機会も少なくて、寂しくて。今の状態ですと、きっと気の抜けた演奏しか出来ませんわ」
「成程な」
「ですので……できれば、王太子と王太子妃としてではなく、無邪気に想い合う恋人同士のように一夜だけでも深く愛してくださいませんか?」
論理の飛躍にも程がある。
我ながら、歯が浮くような台詞だ。こんな言葉を口にしている自らの姿を想像するだけで寒気がする。馬鹿げたことを言われて、流石の彼もさぞ驚いているだろう。
触れたくもない女に愛を示すだなんて、拷問に近い筈だ。合理的な彼のことだ。こんな下らないことに時間を割く位ならば諦めた方がマシだと判断するに違いない。
が、しかし。私の予想は大きく外れた。
「分かった。だったらその条件を飲もう」
「……え?」
「追加で何か要望があるならば、先に言って欲しい」
「い、いえ……」
いつの間にかヴァルタサールは、獲物を狙うような鋭い目つきとなっていた。こうなれば、今更引き返すことはできない。
こうして、望んでいない一夜限りの''恋人ごっこ''が幕を開けたのだった。
夕食の席で、ヴァルタサールは私にそう言ったのだった。
「いいえ、とんでもないですわ。私も楽しんでおりますので」
「そうか。なら良かった」
夫婦二人の食事は、いつだって静かなものだ。彼は最低限のことしか私に話しかけないし、私も最低限のことしか答えない。だから、大半が互いに無言なのである。
クラリスが手に入れられなかった男は、あっさり自分の手に落ちた。しかし私達は、愛し合うとは到底程遠い関係であった。彼としては国益のため。私としては復讐のため。そこに愛が無いのは当然だろう。
事実、彼は私と手を繋ごうとすらしないのだ。夫婦としての身体の繋がりはあれど、それは明確な拒絶であると私は捉えていた。
ランダードは林業が盛んなこともあり、楽器の生産地として有名な国であった。街では腕利きの職人が多数工房を構えているため、各国の演奏家はこぞって楽器の購入や修理のためにランダードへやって来るのである。
しかし、ランダード出身の有名な作曲家や演奏家が居ないのが現状だ。ランダードに楽器と職人はいるが奏者が居ない。そんな言葉すらある程であった。
そのため義父であるランダード国王は、演奏家や作曲家の育成に力を入れていた。そんな背景もあり、私は歓迎されたのである。
「是非、我が国の音楽文化発展に協力して欲しい」
婚約が決まった際、義両親はそう言ってくれたのだった。
けれども。結婚してから、私は人前で一度も演奏していなかった。
自分の演奏に、価値が見いだせなくなっていたのだ。ルルドのためにヴァイオリンを弾く時ですら、あの日がフラッシュバックすることが多々あった。
あの子と比べたら、私なんてゴミクズも当然だわ。
そんな呪いのような一言が頭を過ぎり、手が止まってしまうのだ。クラリスの望むものを奪ったけれども、ヴァイオリン演奏を心から楽しんでいた日々が戻ることは無かった。
悪いことをした罰、かしらね。
「オリヴィア、どうした?」
ヴァルタサールに呼びかけられ、ハッと我に返る。慌てて前を向けば、感情の映らない瞳がこちらを見据えていた。
「し、失礼しました。いかがしましたか?」
「ああ、一つ報告があるんだ」
ナイフとフォークを一旦皿に置いてから、ヴァルタサールは続けた。
「来月、国内の楽器職人を招いて茶会を行うことになった」
「あら、素敵ですわ」
「折角の機会だ。楽器の修繕やメンテナンスが必要ならば、一度見てもらうと良い。話は通しておく」
「……はい?」
思わず私は聞き返した。そんな私に対して、彼はこともなさげにこう言ったのだった。
「ヴァイオリン、続けているのだろう?」
彼の言葉を聞いて、サッと血の気が引いていくのが分かった。
「……いつからそれをご存知で?」
「つい最近だ。温室に向かった時、偶然お前が弾いているのが扉越しに聞こえてきたんだ。その日は邪魔にならぬよう、そのまま帰ったが」
「……」
「盗み聞きしたようで悪かった」
彼の言葉に、私は応えを返せないでいた。
「この際だから言わせてもらう。オリヴィア、私はお前の演奏がまた聞きたい」
手に触れないくせに、演奏は聞きたい?
ふざけるのもいい加減にして欲しい。
「そのためには、どうすれば良い?」
「……」
お断りします。
そうはっきり言えたならば、どれだけ良いだろう。しかし、そんな言い方をすれば彼の機嫌を損ねてしまう。厄介なことになるのはなるべく避けたいところだ。
思考を巡らせた結果、私はある結論に至った。
断るではなく、彼に諦めてもらおうと。
「……でしたら一つ、お願いしたいことがございます」
「ああ」
「恋人のように、私を愛していただきたいのです」
私の藪から棒な物言いにも、ヴァルタサールは表情を変えることは無かった。そんな彼に内心怖気付きながらも、私はさらに続けた。
「音楽を奏でる原動力は、他者に対する気持ちだと、私は考えております」
「……ふむ」
「結婚してからヴァルタサール様とお話したりする機会も少なくて、寂しくて。今の状態ですと、きっと気の抜けた演奏しか出来ませんわ」
「成程な」
「ですので……できれば、王太子と王太子妃としてではなく、無邪気に想い合う恋人同士のように一夜だけでも深く愛してくださいませんか?」
論理の飛躍にも程がある。
我ながら、歯が浮くような台詞だ。こんな言葉を口にしている自らの姿を想像するだけで寒気がする。馬鹿げたことを言われて、流石の彼もさぞ驚いているだろう。
触れたくもない女に愛を示すだなんて、拷問に近い筈だ。合理的な彼のことだ。こんな下らないことに時間を割く位ならば諦めた方がマシだと判断するに違いない。
が、しかし。私の予想は大きく外れた。
「分かった。だったらその条件を飲もう」
「……え?」
「追加で何か要望があるならば、先に言って欲しい」
「い、いえ……」
いつの間にかヴァルタサールは、獲物を狙うような鋭い目つきとなっていた。こうなれば、今更引き返すことはできない。
こうして、望んでいない一夜限りの''恋人ごっこ''が幕を開けたのだった。
10
お気に入りに追加
307
あなたにおすすめの小説

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

魚人族のバーに行ってワンナイトラブしたら番いにされて種付けされました
ノルジャン
恋愛
人族のスーシャは人魚のルシュールカを助けたことで仲良くなり、魚人の集うバーへ連れて行ってもらう。そこでルシュールカの幼馴染で鮫魚人のアグーラと出会い、一夜を共にすることになって…。ちょっとオラついたサメ魚人に激しく求められちゃうお話。ムーンライトノベルズにも投稿中。

巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた
狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている
いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった
そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた
しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた
当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった
この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。

密室に二人閉じ込められたら?
水瀬かずか
恋愛
気がつけば会社の倉庫に閉じ込められていました。明日会社に人 が来るまで凍える倉庫で一晩過ごすしかない。一緒にいるのは営業 のエースといわれている強面の先輩。怯える私に「こっちへ来い」 と先輩が声をかけてきて……?

淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
黒の神官と夜のお世話役
苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました

大きな騎士は小さな私を小鳥として可愛がる
月下 雪華
恋愛
大きな魔獣戦を終えたベアトリスの夫が所属している戦闘部隊は王都へと無事帰還した。そうして忙しない日々が終わった彼女は思い出す。夫であるウォルターは自分を小動物のように可愛がること、弱いものとして扱うことを。
小動物扱いをやめて欲しい商家出身で小柄な娘ベアトリス・マードックと恋愛が上手くない騎士で大柄な男のウォルター・マードックの愛の話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる