2 / 6
束の間の癒し、そして暗転
しおりを挟む
「カトリーナ様、如何なされましたか?」
ハッと我に返ると、フィーロは心配そうに化粧台の鏡越しに私を見つめていた。その目は、小動物のような混じり気の無い煌めきを孕んでいる。
「ごめんなさい、少し疲れてるみたいで」
今日は、我が家で来客を招いての晩餐会が行われる日だ。夜会や晩餐会などの大きな行事に参加する際、毎回私は化粧師のフィーロに化粧を頼むのだった。
化粧師は女性が多い職業であるけれども、フィーロは珍しく男性の化粧師であった。彼は元々騎士をしていたが戦争で片足を失い、それを機にこの職に就いたのだという。
「自分以外は女きょうだいばかりの家でしたので、化粧品は身近な存在でした。今では、天職だと思ってます」
初めて化粧を頼んだ時、フィーロはそう言って笑ったのだった。物腰が柔らかく丁寧な仕事ぶりから見るに、彼がこの職に向いているのは確かである。
「今は季節の変わり目ですから。体調を崩す方も多いと聞きますので、どうかお身体にお気をつけください」
「ふふ、ありがとう」
力無く笑うけれども、それ以上言葉を続けられなかった。アヴラムと結婚してから半年を目前にして、既に心が限界に達していたのだ。
「本日は、口紅はどんなお色になさいますか?」
ベースメイクを終えたところで、フィーロは私に聞いた。先程まで病人のような肌色だったのだけれども、彼がコンシーラーや化粧下地でクマや肌のくすみを整えてくれたお陰で、顔色はかなり改善されていた。
「何も思い浮かばなくて。おまかせするわ」
「成程。でしたら、今日はこちらのお色にしましょうか」
フィーロがメイクボックスから取り出したのは、花びらのように鮮やかなフューシャピンクの口紅だった。目を引くような可愛らしい色合いに、私は自然と頷いていた。
リップブラシに口紅を取り、フィーロは唇の輪郭を縁取るように塗っていく。すると色素の乏しかった貧相な唇が、あっという間に生き返ったのだった。
化粧で顔が整えられ、少しずつ元気が湧いてくるのを感じた。
「とっても素敵だわ、ありがとう」
「いいえ、とんでもないことでございます」
鏡越しに笑うと、フィーロは少し照れたように笑い返してくれた。それだけで、傷口に軟膏が塗られたような安心感を感じたのだった。
近頃彼とのやり取りは、日常の中の癒しとなっていたのである。
「準備は終わったか?」
声に驚いて振り向くと、いつの間にかアヴラムが部屋に来ていたのだった。彼は不機嫌そうに、フィーロをじろりと見つめていた。
「はい。ちょうど今完成致しました」
「そうか、ところでフィーロ」
歩み寄ってきたと思った瞬間、突然アヴラムは私を抱き寄せた。そして鎖骨へ口付けて、鬱血痕を刻んだのだった。
デコルテの開いたドレスのため、キスマークは丸見えであった。
「……っ、アヴラム様?!」
「悪いが、コイツに付ける色はこれだけで十分だ」
あまりのことに、フィーロは言葉を失っていた。そんな彼に構うことなく、アヴラムは私の手を引いて部屋を出ていったのである。
そして何故か、晩餐会の会場とは正反対の方向へ歩き出したのだった。
もうじき、招待客が到着する時間だ。慌てて私は、アヴラムに問いかけた。
「お待ちください。アヴラム様、そろそろお客様をお迎えするご準備をしなければ……」
「何、主催者が居なくても食事は出てくるし、晩餐会はできるから問題ない」
「そ、そんなこと……!!」
「酒と美味い飯にありつければ良い連中ばかりだ。そんな奴らのことを構わなくて良い」
そう言って、アヴラムは私の言葉に一切耳を貸さなかったのだった。私の手首を握る手の力は、異様なまでに強く感じられた。
仕事では真面目な彼がこんなことを言うなんて、にわかには信じられなかった。
やがて私達は、寝室へと辿り着いた。そのままアヴラムは、私をベッドに押し倒したのである。
ハッと我に返ると、フィーロは心配そうに化粧台の鏡越しに私を見つめていた。その目は、小動物のような混じり気の無い煌めきを孕んでいる。
「ごめんなさい、少し疲れてるみたいで」
今日は、我が家で来客を招いての晩餐会が行われる日だ。夜会や晩餐会などの大きな行事に参加する際、毎回私は化粧師のフィーロに化粧を頼むのだった。
化粧師は女性が多い職業であるけれども、フィーロは珍しく男性の化粧師であった。彼は元々騎士をしていたが戦争で片足を失い、それを機にこの職に就いたのだという。
「自分以外は女きょうだいばかりの家でしたので、化粧品は身近な存在でした。今では、天職だと思ってます」
初めて化粧を頼んだ時、フィーロはそう言って笑ったのだった。物腰が柔らかく丁寧な仕事ぶりから見るに、彼がこの職に向いているのは確かである。
「今は季節の変わり目ですから。体調を崩す方も多いと聞きますので、どうかお身体にお気をつけください」
「ふふ、ありがとう」
力無く笑うけれども、それ以上言葉を続けられなかった。アヴラムと結婚してから半年を目前にして、既に心が限界に達していたのだ。
「本日は、口紅はどんなお色になさいますか?」
ベースメイクを終えたところで、フィーロは私に聞いた。先程まで病人のような肌色だったのだけれども、彼がコンシーラーや化粧下地でクマや肌のくすみを整えてくれたお陰で、顔色はかなり改善されていた。
「何も思い浮かばなくて。おまかせするわ」
「成程。でしたら、今日はこちらのお色にしましょうか」
フィーロがメイクボックスから取り出したのは、花びらのように鮮やかなフューシャピンクの口紅だった。目を引くような可愛らしい色合いに、私は自然と頷いていた。
リップブラシに口紅を取り、フィーロは唇の輪郭を縁取るように塗っていく。すると色素の乏しかった貧相な唇が、あっという間に生き返ったのだった。
化粧で顔が整えられ、少しずつ元気が湧いてくるのを感じた。
「とっても素敵だわ、ありがとう」
「いいえ、とんでもないことでございます」
鏡越しに笑うと、フィーロは少し照れたように笑い返してくれた。それだけで、傷口に軟膏が塗られたような安心感を感じたのだった。
近頃彼とのやり取りは、日常の中の癒しとなっていたのである。
「準備は終わったか?」
声に驚いて振り向くと、いつの間にかアヴラムが部屋に来ていたのだった。彼は不機嫌そうに、フィーロをじろりと見つめていた。
「はい。ちょうど今完成致しました」
「そうか、ところでフィーロ」
歩み寄ってきたと思った瞬間、突然アヴラムは私を抱き寄せた。そして鎖骨へ口付けて、鬱血痕を刻んだのだった。
デコルテの開いたドレスのため、キスマークは丸見えであった。
「……っ、アヴラム様?!」
「悪いが、コイツに付ける色はこれだけで十分だ」
あまりのことに、フィーロは言葉を失っていた。そんな彼に構うことなく、アヴラムは私の手を引いて部屋を出ていったのである。
そして何故か、晩餐会の会場とは正反対の方向へ歩き出したのだった。
もうじき、招待客が到着する時間だ。慌てて私は、アヴラムに問いかけた。
「お待ちください。アヴラム様、そろそろお客様をお迎えするご準備をしなければ……」
「何、主催者が居なくても食事は出てくるし、晩餐会はできるから問題ない」
「そ、そんなこと……!!」
「酒と美味い飯にありつければ良い連中ばかりだ。そんな奴らのことを構わなくて良い」
そう言って、アヴラムは私の言葉に一切耳を貸さなかったのだった。私の手首を握る手の力は、異様なまでに強く感じられた。
仕事では真面目な彼がこんなことを言うなんて、にわかには信じられなかった。
やがて私達は、寝室へと辿り着いた。そのままアヴラムは、私をベッドに押し倒したのである。
0
お気に入りに追加
103
あなたにおすすめの小説
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
黒の神官と夜のお世話役
苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました
【R18】愛され総受け女王は、20歳の誕生日に夫である美麗な年下国王に甘く淫らにお祝いされる
奏音 美都
恋愛
シャルール公国のプリンセス、アンジェリーナの公務の際に出会い、恋に落ちたソノワール公爵であったルノー。
両親を船の沈没事故で失い、突如女王として戴冠することになった間も、彼女を支え続けた。
それから幾つもの困難を乗り越え、ルノーはアンジェリーナと婚姻を結び、単なる女王の夫、王配ではなく、自らも執政に取り組む国王として戴冠した。
夫婦となって初めて迎えるアンジェリーナの誕生日。ルノーは彼女を喜ばせようと、画策する。
【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる
奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。
だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。
「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」
どう尋ねる兄の真意は……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる