彼はただ眠りたいだけだった~聖女の慈愛、騎士の愛執~

二階堂まや

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追い詰められ、快楽に溺れる

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 帰宅した夫のジャケットをナイトドレスの上から羽織り、私はその残り香を嗅いだ。彼は入浴中なので、今ここに来ることは無い。

 今日は薔薇の香りだ。娼婦の間では近頃その匂いの香水が流行していると聞いたことがあるが、私は好きではなかった。けばけばしい程に華やかな移り香は、鋭い棘のように胸を突き刺していく。

 何故ならそれは、彼が他の女を抱き締めた証拠であるからだ。

 けれども、商売女の残り香を辿ることしか私には出来ない。彼に面と向かって問い詰めることなど到底無理だ。心の何処かで、自分の思い違いであって欲しいと思っているからだ。

 こんな無駄なこと、早く辞めてしまいたい。しかし今日は止めておこうと思っても、香りを確かめてしまうのが習慣となってしまっていた。自らを追いつめるだけであり、最早自傷行為だというのに。

 華やかな匂いは私の胸を抉り、心を削り取っていく。私は深く深く、ため息をついた。

 それから上着を戻し、私はふらふらとした足取りで夫婦の寝室へと向かった。

+

「どうした? 浮かない顔をして」 

 寝室で顔を合わせるや否や、夫であるアヴラムは私に問うた。無論、それは先程嗅いだ残り香のせいだ。

 鈍色の瞳が静かに私を見つめる。彼自身は感情があまり顔に出ない質なのだが、この男は他人の表情を読み取るのがやけに上手いのだった。

「いいえ、何でもございませんわ」

 無理矢理に笑顔を作り、私は言った。何とか笑ってはいるものの、心では既に泣きそうになっていた。

「そうか、なら良いのだが」

 私の心の内など全く知らない彼は、そう言って唇を重ねた。そして、すぐさま真っ白なシーツの上に二人して雪崩込んだのだった。

「ん……カトリーナ。……良いか?」

「はい、勿論でございます」

 私が彼の誘いを断らないのは、子作りの義務を果たすためであり、身体の相性が良いからに他ならない。吹雪が吹き荒んだように心が冷たくなっていても、行為により身体は束の間の快楽で満たされていくのだ。

「あ……ん、っ」

 ナイトドレスが脱がされ、あっという間に生まれたままの姿となる。まだキスしかしていないというのに、秘花からは蜜が滲み始めていた。

 皮肉なことに、私の身体は彼無しでは悦くなれなくなってしまっていた。

「本当に、欲に従順で可愛い王女様だ」

 自らの衣服をベッドの隅に放り投げてから、アヴラムは私の耳元で囁いた。色欲を含んだ低く掠れた声を聞くだけで女としての本能的な欲が一層湧き上がって来るのだから、恐ろしいものだ。

「ん、アヴラム様、恥ずかしいですから、ぁ」

 耳たぶをいやらしく甘噛みしながら、アヴラムは秘唇の奥を指で解していく。その手つきがやや忙しないため、淫蜜がかき混ぜられる音が耳まで届いてしまっていた。

 恥ずかしさのあまり身体を捩るが、彼が指の動きを止めることは無い。

「は……二人だけの空間で、何を恥じらう必要があるんだ? カトリーナ?」

「だ……っ、て、ぇ……っ、ん、」

 かつて一国の王女であったという矜恃は、まだ私の心の片隅に残っていた。だからといって偉ぶるつもりは無いけれども、男を前にして股を濡らすようなふしだらな女にはなってはならないと、無意識に自制が働いてしまうのだ。 

「あ……ん、っ」

 誘惑するように秘種が何度も引っ掻かれ、その度に身体が震える。そんな私の姿を満足気に見ながら、アヴラムは続けた。

「は……カトリーナ。お前は私の妻だろう? ならば恥も何も捨てて、ただ快楽に身を委ねれば良い」

 私の夫なのに、どうして貴方は他の女を抱き締めるのですか。

 そう喉まで出かかったが、私はすんでのところで言葉を呑み込んだ。

 私達が結婚したのは、アヴラムが私に熱烈なアプローチをしてくれたからだ。初めて出会った夜会で、彼は気さくに私に話しかけてくれた。王立騎士団長としての凛然たる立ち振る舞いと誠実な物言いに、私は強く惹かれたのだった。

 夫婦仲睦まじい両親や兄夫婦を見て、私はずっと幸せな結婚に憧れていた。そして、彼とはきっと良い夫婦になれると直感したのである。

 けれども、その直感は見事に外れた。

 アヴラムは仕事の休み時間に娼婦を呼び、添い寝させて昼寝する悪癖があったのだ。騎士団の長であるがため、彼を咎める者は一人も居なかった。

 私の何に不満なのか、と聞けば良い話だ。しかしそれが出来る程の勇気を、私は持ち合わせてはいなかった。言ったが最後、今の関係が崩れてしまうのが怖いのだ。

 何故なららもう後戻り出来ない程に彼を深く愛してしまっていたから。

「は……もう良さそうだな」

 私の両脚を自らの肩に乗せ、アヴラムは胎内に肉槍を突き入れた。

「ひ、あ、アヴラム様、ぁ、っ、ああ!!」

「ん……カトリーナ……っ、は、」

 彼が腰を揺らす度、激しく肉がぶつかり合う音が聞こえる。混ざり合った体液の匂いは、濃密な男女の交わり特有のものであった。

 身体の内から燃え上がるように快楽の熱が込み上げて、肌が汗ばんでいく。アヴラムも、切なげに眉を寄せていた。

 わざと淫道で彼自身を強く締め付けると、彼の表情はより険しいものとなった。そのお返しとばかりに、アヴラムは激しい抜き差しを返してきたのである。

 情事であるのに、まるで互いを追い詰めているみたいだ。私達を繋ぎ留めているのは、夫婦愛などではなく動物的な肉欲であった。

「あっ、ひ、あああっ!!」

「は、カトリーナ、……カトリーナ……!!」

 私の手が、彼の手と繋ぐことは無い。ただ冷たいシーツを握りしめるだけだ。

 今彼と身体を重ねているのは私なのに、どうしてこんなにも悲しいのだろう。

 答えの無い問いを頭の中で繰り返しながら、私は刹那的な快楽に溺れていった。
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