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そして令嬢は初恋に気付く

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 夜会で、私は再び《壁の花》となっていた。今回もテレサとヘンリクと合流する予定だが、二人は公務の都合で到着が遅れるとのことだった。

 私の誕生日は、もう目前となっていた。けれども結婚相手はまだ見つかっていない。舞踏会や夜会で私に話しかけてくる者はやはり居ないのだ。父上から縁談が来たとも言われないので、修道院に行くことがほぼ確定したようなものである。

 修道女となって生活をすることに抵抗は無かった。きっと、テレサやヘンリクと過ごした楽しい思い出を支えに過ごしていくに違いない。それはささやかではあれど、幸せな生活となるだろう。

 そう思った矢先、近くを通った若い男が私にぶつかったのだった。

「おい、邪魔なとこに立ってるなよ」

「も、申し訳ございません」

 男は私を疎ましげに睨みつけた。慌てて私は頭を下げたが、彼は何かに気付いたようだった。

「もしかしてその痘痕……子爵家の!!」

 彼の発した一言で、周囲の視線が一斉に私に向けられた。

 その視線は、槍のように鋭く、氷柱のように冷たいものに感じられた。

「何だ、知り合いか?」

「いや、昔親伝いに縁談を持ちかけられたが、顔に酷い痘痕があると聞いて父上が断ったんだ。お前だったのか!!」

 彼は奇しくも、過去に父上が縁談を持ちかけた家の令息だったのだ。

「痘痕……?」

「よく見ろ、額から頬にかけてあるだろう?汚い痕が」

「あ、本当だ」

 指さされて慌てて手で痘痕を隠すものの、もう遅かった。男の一言を皮切りに、人々がざわつき始めたのだった。

 白粉やファンデーションを何度も塗り重ねて必死に隠したものの、全て無駄であった。

「よくもまあそんな醜い顔で、夜会に参加できたものだな」

「申し訳、ございません」

「お前のような女は夜会などには不似合いなのは分かりきったことだろう?」

 この場から早く逃げたい。けれども、恐怖で足が全く動かなかった。降り注ぐ好奇の視線を掻い潜って逃げれる程の勇気が、私には無かったのだ。

 誰か、助けて。

「分かったらさっさと……」

「あら、この場に不似合いだなんて。ご自分のことをよく分かってらっしゃるじゃない」

「そうだな。しっかり自己分析が出来ていて、拍手をあげたいくらいだ」

「何だと!?」

 男が振り向くと、そこにはヘンリクとテレサが立っていた。二人とも見たことが無い程表情に怒りを露わにしていたのだった。

「ヘンリク王子、テレサ王女!? 何故ここに……」

「招待されたからに決まってるだろう。そんなことも分からないほどに頭が悪いのか? まあ、女性に対するそのゴミのような態度を見ればお察しか」

「本当にね。確か貴方、男爵家の次男でしたっけ。私ね、人の顔を覚えるのは得意なの」

 テレサは彼に歩み寄り、扇子で思いっきり頬を叩いたのだった。

 パチン、と激しい音が鳴り、周囲のどよめきは増すばかりであった。

「私のお友達を傷付けて、ただで済むと思ってんの!? ふざけないで!!」

 男はぽかんとしていた。そんな彼を、テレサは憤怒の表情で睨みつけていた。

 彼女がもう一度扇子を振り下ろそうとした矢先、ヘンリクが割って入ったのだった。

「よせ、テレサ。後のことは父上に任せよう。君、手癖の悪い妹が悪かったね。謝罪と''今後の話''は父上から君の父上伝いにさせてもらうよ」

 それはある意味、死刑宣告に近い言葉であった。

「お、お待ちください、それは……」

「うるさいな。君のような下卑た人間とはもう話したくないんだ。じゃあ、行こうか」

 なおも何か言いたげな男を無視して、ヘンリクは私の手を引いて歩き出した。そのまま、守るように腰に手を回してくれたのだった。

「到着が遅くなってすまなかった。怖かったね」

「い、いえ……」

「あーもー、本当に気分悪いわ。ヨアンナ、気にすんじゃないわよあんなヤツ。話を聞くだけ無駄なんだから」

 隣を歩きながら、テレサは私の手を握ってくれていた。知らぬ間に、先程までの身体の震えは止まっていた。

 ふと気付くと、二人は夜会の会場の出口へと向かっていた。

「あの、夜会は?」

「欠席するに決まってるでしょう? ね、お兄様」

「ああ、参加者があんなんだったら、夜会の格もたかが知れてるからね。理由を説明したら父上も納得するはずだ」

「折角だからうちに帰ってお茶にしましょう? 丁度お土産でもらった美味しいハーブティーがあるの……って、ヨアンナ!?」

 なぜだか、自分の目からは涙が零れていた。

「申し訳ございません、すぐ収まりますので……」

 口ではそう言ったものの、嗚咽が止まらない。すると、テレサは外を指さしたのだった。

「少し外で休んでからにしましょうか。お兄様、庭園のベンチに連れていってあげて。私、夜会の主催者に欠席する旨を伝えてくるから」

「ああ、分かった」

 こうして、私はヘンリクと二人きりになってしまったのである。

 庭園に出るまで、彼は私の背中をずっとさすってくれていた。渡されたハンカチに顔を埋めると、薄らと香水の匂いが鼻先を掠めたのだった。

「あそこに座ろうか」

 促されるまま、私はベンチへと腰掛けた。

 ……と思いきや、私は何故かヘンリクの膝の上に座らされたのだった。

「あ、え!? ヘンリク様!?」

「ああごめん。テレサが昔ぐずった時、いつもこうしてたから癖なんだ。嫌だった?」

「い、いえ……」

 少しだけ目線が高くなりダンス以上に距離が近く感じられて、私の胸の鼓動はうるさくなっていた。

 憧れの彼がこんなにもすぐ傍にいるなんて。有り得ない状況に、涙はすっかり乾いてしまっていた。

「テレサが来るまで、少しゆっくりしてよう」

 そう言って、ヘンリクは眦に残っていた涙を指で拭ってくれたのだった。

 とはいえ、男性と二人で何を話せば良いか分からない。テレサに早く戻ってきて欲しいと思い始めたところで、ヘンリクは口を開いたのだった。

「テレサから、色々俺のことを聞いたかな? 婚約破棄した話とか」

「……はい」

 どきりと心臓が跳ねる。緊張のあまり、私は一言応えを返すのが限界だった。

「そうか。例えばの話だけど、俺が君の夫だとして、夜会で他のご令嬢と楽しげに話しているのを見かけたら、君はどう思う?」

 お泊まり会の日のテレサのように、ヘンリクは私に問いかけた。

 その問いの意図は見えないが、容姿端麗で魅力的な彼のことだ。そんな光景は容易に想像できた。

 しかし、ヘンリクと私が結婚しているのは全くもって想像出来なかった。取り敢えず、今の私と彼の関係性で考えてみることにした。

 美しく魅力に溢れるご令嬢が、彼と楽しく話している光景を思い浮かべる。自分の嫉妬心を引き出すかのように、私はこの上無く素敵な女性を思い浮かべた。

 けれども、怒りや束縛心は全く湧かなかった。

「お邪魔になったら申し訳無いので、その場では話しかけないと思います。けれどもヘンリク様が楽しくお話しされるということはご令嬢もきっと魅力的な方なのだなと、それは興味があるので、後で質問するかもしれません」

 思うがままに、私は答えた。

「これってさ、前の婚約者と喧嘩になった場面のことなんだ」

「え?」

「参加した夜会で、とあるご令嬢が男に絡まれててね。それを見た俺は彼女を助けたんだ。どうやら付き添いで来た父親が知り合いとの歓談に捕まったらしくて、一人でいるのが心細いようだったから、父親が戻って来るまで会話していたんだ。それを見た当時の婚約者は、怒ってその場で詰め寄って来た」

 恐らく、とんでもない修羅場になったに違いない。

「当然だけど、助けた令嬢は悪くない。俺を糾弾するにしても、無関係な人のことも巻き込む視野の狭さが許せなかった。だから彼女には、かなり厳しい言い方をした」

 ヘンリクは、軽くため息をついた。彼は少しだけ疲れているようにも見えた。

「婚約者とは愛情に対する考え方で大きなずれがあった。結婚相手として大切にするが、だからといって他の女性を無下に扱うことはしないと伝えたけれども、彼女は納得しなかった。女遊びを辞めて欲しいと、あらぬ噂を信じて此方に感情をぶつけてくるばかりだった」

「……」

「俺の気持ちは彼女に何一つ伝わっていなかったんだ。大切にしているはずなのに、ね」

 寂しげに目を伏せて、ヘンリクは呟いた。

「愛情というのは、俺からすれば際限の無いものだと思うんだ。そう考えるのは悪いことなのか、と自問自答し続けて今に至る訳だ」

「悪いこと、じゃないと思います」

 テレサの姿を思い浮かべながら、私は言った。彼女のように''平等な愛''に救われる存在もきっと沢山いる。私にはそう思えたのだ。それに、私もまた彼の優しさに救われている一人なのだから。

「……ありがとう、そう言ってくれて嬉しいよ」

 私の頬に片手を添えて、ヘンリクは心から嬉しそうに笑った。

「そう言えば。これ、忘れないうちに渡しておくよ」

 彼は私に、一枚の封筒を差し出した。

「五日後に、うちの庭園でガーデンパーティーをするんだ。それの招待状だよ」

 五日後は、丁度私の誕生日……修道院に行く日だった。当然、二人はその事を知らない。唐突に、罪悪感で胸が締め付けられるのを感じた。

「テレサも凄く楽しみにしてるから、返信待ってるよ」

「はい、ありがとうございます」

 切ない痛みを振り切って、私は無理矢理に微笑んだ。すると、彼は笑い返してくれた。

 微笑み合った後に、じわりと胸の奥に温かな感覚が広がる。そして私はようやく気付いたのだった。

 自分は彼に対して、恋心を抱いているのだと。
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