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ヤンデレルートが始まらない
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「ん……っ」
ギシギシと音を立てながら、ギルフォードは薄目を開けて身体を動かす。しかし、当然ながら身動きは取れない。最悪の寝覚めも良いところだろう。
「ギルフォード様。おはようございます」
二、三歩距離を取った場所から、私は笑顔で彼に目覚めの挨拶をした。
「ん……メル? ここは?」
「我が家の地下室ですわ」
睡眠薬を飲んでそのまま眠ったので、彼はここに来るまでの記憶は無い。私とお茶をして、目が覚めたら暗い部屋で椅子に縛りつけられているのだから、驚くのも仕方あるまい。
「リノン様、明日は公務をお休みするんですって。きっと、貴方をデートにでも誘いに来るでしょう」
「……」
「だから、見つかる前にあの子の手の届かない場所に貴方を隠しとこうと思って。流石の彼女でも、ここまでは来れないでしょう?」
魅力的な貴方が全部悪いの。心の中で責任をギルフォードに押付けながら、私は続けた。
「心配するのも不安になるのも、もう私は疲れましたの」
余程驚いているのか、ギルフォードは何も言わなかった。
彼の元へ歩み寄ると、ヒールの音がカツンカツンと部屋に響いた。黒のリザード革で出来た靴は履き心地が良いものの、薄暗い地下室ではやや気味悪くも見える。
清廉潔白な令嬢であれば、この靴はきっと選ばないだろう。夜会で聖女が履いていた白の牛革にレースをあしらった靴を思い浮かべると、自分とのあまりの違いに絶望する他無かった。
私はどうしようもなく嫉妬深く、汚らわしい女だ。
片手で顎を持ち上げても、ギルフォードは何も言わない。深緑色の瞳が、静かに私を見つめるだけだった。
「ん……」
抵抗しないのを良いことに、私は彼と唇を重ねた。
本来であれば、結婚式で初めて交わされるはずの口付け。けれども、それまで待てなかったのだ。
これで、今後リノンが彼にキスしたとしても彼女は''二番目''の女だ。その事実は、わずかながら私を安堵させた。
「これで誰にも邪魔されずに二人きりですわね、ギルフォード様。明後日まで……ずっと」
私は静かに、彼に囁いたのだった。
ほんの少しだけ肌に触れただけだというのに、顔が熱くなる。熱を冷ますべく、私は一歩退いて距離を取ったのだった。
「確かに、ここまで来れば邪魔は入らないだろう。久しぶりに二人だけの時間を過ごせるな」
「……え?」
「近頃二人の時間をあまり作れていなかったし、寂しい思いをさせて済まなかった」
罵倒されるかと思いきや、ギルフォードが口にしたのは予想外の言葉であった。その表情からは、怒りや苛立ち、そして動揺の色は一切見受けられなかった。
「とはいえ。二人で過ごすにしても、もう少し空気が良い場所の方が快適だろう。 例えばだが、うちの別荘で暫く休養するとかいうのはどうだ? 一日と言わず、ひと月位。両親も許してくれるだろ」
彼の家の別荘。何度か訪れたことがあるが、当然ながらこんな気味の悪い地下室より段違いに清潔で明るくて良い環境だ。ここからだいぶ離れた土地にあるので、余計な雑音も聞こえないだろう。
正直、良いかもしれない。
「どう思う?」
「……そうですわね」
……って、待って。
「……っ、何言ってらっしゃるの!? この状況を受け入れるのが早すぎませんこと!?」
ギルフォードが冷静沈着という言葉そのままの性格であるのはとうの昔に知っていたが、それにしても飲み込みが早すぎる。そんな彼がある種恐ろしく、私は焦る他無かった。
「喚いてもどうにもならんだろ。だから取り敢えず受け入れた。で、どうする?」
「……っ、でも、私はともかく貴方はお忙しいでしょう? 今日明日は仕事がお休みだから良いにしても……ひと月休むだなんて、きっと皆が許しませんわ」
「ひと月くらい、上司に多少ごねれば何とかなるだろ」
「そんなの絶対ダメですわ!! 皆貴方には期待してますのよ!? ごねるだなんて、ギルフォード様の今後に関わりますわ!!」
「評価が下げられたなら、後から取り返せば良い。それだけだ」
「ダメです、駄目!! 絶対に!! ひと月遊んでたなんて知られたら……許される訳無いでしょう!?」
「皆事情は知ってるのだから、婚約者の休養に付き合いたいというのは十分な理由となると思うが」
ギルフォードの一言で、私はつい黙り込む。
本来であれば、私達はもう結婚していたはずだ。けれども私の体調不良が原因で延期となり、今に至る。そのことは周知の事実となっていた。
今回のことを抜きにして、私は彼の足枷になってるのだ。
ギシギシと音を立てながら、ギルフォードは薄目を開けて身体を動かす。しかし、当然ながら身動きは取れない。最悪の寝覚めも良いところだろう。
「ギルフォード様。おはようございます」
二、三歩距離を取った場所から、私は笑顔で彼に目覚めの挨拶をした。
「ん……メル? ここは?」
「我が家の地下室ですわ」
睡眠薬を飲んでそのまま眠ったので、彼はここに来るまでの記憶は無い。私とお茶をして、目が覚めたら暗い部屋で椅子に縛りつけられているのだから、驚くのも仕方あるまい。
「リノン様、明日は公務をお休みするんですって。きっと、貴方をデートにでも誘いに来るでしょう」
「……」
「だから、見つかる前にあの子の手の届かない場所に貴方を隠しとこうと思って。流石の彼女でも、ここまでは来れないでしょう?」
魅力的な貴方が全部悪いの。心の中で責任をギルフォードに押付けながら、私は続けた。
「心配するのも不安になるのも、もう私は疲れましたの」
余程驚いているのか、ギルフォードは何も言わなかった。
彼の元へ歩み寄ると、ヒールの音がカツンカツンと部屋に響いた。黒のリザード革で出来た靴は履き心地が良いものの、薄暗い地下室ではやや気味悪くも見える。
清廉潔白な令嬢であれば、この靴はきっと選ばないだろう。夜会で聖女が履いていた白の牛革にレースをあしらった靴を思い浮かべると、自分とのあまりの違いに絶望する他無かった。
私はどうしようもなく嫉妬深く、汚らわしい女だ。
片手で顎を持ち上げても、ギルフォードは何も言わない。深緑色の瞳が、静かに私を見つめるだけだった。
「ん……」
抵抗しないのを良いことに、私は彼と唇を重ねた。
本来であれば、結婚式で初めて交わされるはずの口付け。けれども、それまで待てなかったのだ。
これで、今後リノンが彼にキスしたとしても彼女は''二番目''の女だ。その事実は、わずかながら私を安堵させた。
「これで誰にも邪魔されずに二人きりですわね、ギルフォード様。明後日まで……ずっと」
私は静かに、彼に囁いたのだった。
ほんの少しだけ肌に触れただけだというのに、顔が熱くなる。熱を冷ますべく、私は一歩退いて距離を取ったのだった。
「確かに、ここまで来れば邪魔は入らないだろう。久しぶりに二人だけの時間を過ごせるな」
「……え?」
「近頃二人の時間をあまり作れていなかったし、寂しい思いをさせて済まなかった」
罵倒されるかと思いきや、ギルフォードが口にしたのは予想外の言葉であった。その表情からは、怒りや苛立ち、そして動揺の色は一切見受けられなかった。
「とはいえ。二人で過ごすにしても、もう少し空気が良い場所の方が快適だろう。 例えばだが、うちの別荘で暫く休養するとかいうのはどうだ? 一日と言わず、ひと月位。両親も許してくれるだろ」
彼の家の別荘。何度か訪れたことがあるが、当然ながらこんな気味の悪い地下室より段違いに清潔で明るくて良い環境だ。ここからだいぶ離れた土地にあるので、余計な雑音も聞こえないだろう。
正直、良いかもしれない。
「どう思う?」
「……そうですわね」
……って、待って。
「……っ、何言ってらっしゃるの!? この状況を受け入れるのが早すぎませんこと!?」
ギルフォードが冷静沈着という言葉そのままの性格であるのはとうの昔に知っていたが、それにしても飲み込みが早すぎる。そんな彼がある種恐ろしく、私は焦る他無かった。
「喚いてもどうにもならんだろ。だから取り敢えず受け入れた。で、どうする?」
「……っ、でも、私はともかく貴方はお忙しいでしょう? 今日明日は仕事がお休みだから良いにしても……ひと月休むだなんて、きっと皆が許しませんわ」
「ひと月くらい、上司に多少ごねれば何とかなるだろ」
「そんなの絶対ダメですわ!! 皆貴方には期待してますのよ!? ごねるだなんて、ギルフォード様の今後に関わりますわ!!」
「評価が下げられたなら、後から取り返せば良い。それだけだ」
「ダメです、駄目!! 絶対に!! ひと月遊んでたなんて知られたら……許される訳無いでしょう!?」
「皆事情は知ってるのだから、婚約者の休養に付き合いたいというのは十分な理由となると思うが」
ギルフォードの一言で、私はつい黙り込む。
本来であれば、私達はもう結婚していたはずだ。けれども私の体調不良が原因で延期となり、今に至る。そのことは周知の事実となっていた。
今回のことを抜きにして、私は彼の足枷になってるのだ。
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