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可哀想なエリザ
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+エリザ視点
私の両親の夫婦仲は最悪だった。二人は事ある毎に喧嘩しており、家には毎日のように怒鳴り声が響いていた。
父上も母上も、娘として最低限私を愛してくれてはいたと思う。しかし、家族揃っての食事や行事の参加など、世間一般当たり前が私には存在しなかったのだ。
家族の温かさに、ずっと私は飢えていた。
そんな折、母親が病気で亡くなってしまう。まだ幼かった私は、悲しさのあまり何日も大泣きした。けれども、父上は涙ひとつ流さなかったのである。
葬儀の際、父上は棺に眠る母上を冷たい視線で睨みつけていたのだ。
亡くなってからも不仲なんて、あんまりだ。
口に出せない程の大きな悲しみが、私の心をすっかり支配してしまったのである。
+
ある日、私は辞書を借りるために父上の書斎へと向かった。見ると、机には女物のイヤリングが一つ置かれていた。
母上の形見、だろうか。
変な話だが、それを見た瞬間私は嬉しさを感じた。喧嘩ばかりであったけれども、母上のことを心の片隅に留めてくれているのだと。夫婦としての愛情はまだ残っていたのだと。
ゴールドの地金に、ピンクサファイアがはめ込まれたイヤリング。母上が着けている所を見た覚えは無かった。それに、母上は顔のパーツがはっきりとした顔立ちだったので、彼女のものにしてはやや色味が優しすぎるようにも思える。
若い頃着けていたのかと思いながら、私は何の気無しにイヤリングを手のひらに乗せた。
石座を裏返すと、そこに母親の名前は刻まれていなかった。
「……え?」
代わりに、オフェリアという知らぬ女の名前が刻まれていたのである。
その後、私は伯父に話を聞きに行った。父上に聞いたとしても、はぐらかされるだけだと思ったのである。
「エリザ。どんなに悲しい話であっても、後悔することは無いか?」
「勿論でございます。どうか、真実を全て教えてくださいな」
「そうか。分かった」
やや躊躇いがちに、彼は口を開いた。
「オフェリアというのは、ユリウス……お前の父親が、最も愛した女性の名前だ」
伯父の口から語られたのは、私の知らない悲劇の物語であった。
かつて父上は、舞踏会で出会った貴族の令嬢オフェリアと恋に落ちた。二人は非常に仲睦まじく、婚約を結ぶまでに至ったという。
しかし、そのことを良く思わなかった母上は、オフェリアを陥れるために彼女の金銭問題を告発した。母上は父上と幼なじみであり、密かに片思いしていたのだという。
事実、オフェリアはドレスや靴を買うために借金をしていた。しかしそれは、舞踏会に参加するため仕方なく行ったものであった。
彼女には大病を患った妹がおり、生活が困窮していたのだという。妹の治療のためには多額の金が必要であった。オフェリアは妹のために、父上との結婚を望んだのだろう。
父上はそれを知った上で、彼女を許して結ばれたいと願った。しかしそれを、当時王であった亡き祖父は許さなかった。それどころかオフェリアを擁護する父上の言葉に耳を傾けることなく、彼女の家族を事故と見せかけて暗殺した。オフェリア自身を暗殺する計画も、水面下で進められていたという。
オフェリアを守るため、父上は国外追放という形で彼女を同盟国の王太子と結婚させた。そして''愛の無い結婚''という罰を与えるためだけに、母上と結婚したのである。
両親の間に、初めから愛情は何も無かった。あったのは想像を絶するような憎悪と、底意地の悪い女から私が生まれたという事実であった。
「申し訳無いが、二人が本当の意味で夫婦として結ばれていたかすら分からないんだ」
叔父の言葉を聞いて、目の前が真っ暗になるのを感じた。
その日。帰宅してから、私は姿見のある衣装部屋へと向かった。そしてドレスも何もかもを脱ぎ、鏡の前に立ったのである。
せめて父上に似た箇所を見つけて、父上の子であることを証明したかったのだ。どこの誰か分からない血が混ざっているだなんて、考えるだけで気が狂いそうだったのである。
しかし。
「……どうして?」
黒に近いコーヒー色の髪も。
色素の薄い肌色も。
きつく感じられる目鼻立ちも。
全て、母親譲りのものばかりであった。
どこにも、父上に似た部分が無い。そう気付いた瞬間に、自らが酷く汚らわしく感じられた。
「い、ゃぁぁぁっ!!」
私はひたすらに喉をかきむしり、叫び続けた。そのまま発狂して死んでしまっても良いとすら思っていたのである。
「うっ、うう……ううう……」
けれども、そう易々と人が死ねる訳が無い。髪も肌もぐちゃぐちゃにして、小汚い捨て猫のような出で立ちになってからも、私はずっと絨毯に顔を突っ伏して泣き続けたのである。
私の両親の夫婦仲は最悪だった。二人は事ある毎に喧嘩しており、家には毎日のように怒鳴り声が響いていた。
父上も母上も、娘として最低限私を愛してくれてはいたと思う。しかし、家族揃っての食事や行事の参加など、世間一般当たり前が私には存在しなかったのだ。
家族の温かさに、ずっと私は飢えていた。
そんな折、母親が病気で亡くなってしまう。まだ幼かった私は、悲しさのあまり何日も大泣きした。けれども、父上は涙ひとつ流さなかったのである。
葬儀の際、父上は棺に眠る母上を冷たい視線で睨みつけていたのだ。
亡くなってからも不仲なんて、あんまりだ。
口に出せない程の大きな悲しみが、私の心をすっかり支配してしまったのである。
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ある日、私は辞書を借りるために父上の書斎へと向かった。見ると、机には女物のイヤリングが一つ置かれていた。
母上の形見、だろうか。
変な話だが、それを見た瞬間私は嬉しさを感じた。喧嘩ばかりであったけれども、母上のことを心の片隅に留めてくれているのだと。夫婦としての愛情はまだ残っていたのだと。
ゴールドの地金に、ピンクサファイアがはめ込まれたイヤリング。母上が着けている所を見た覚えは無かった。それに、母上は顔のパーツがはっきりとした顔立ちだったので、彼女のものにしてはやや色味が優しすぎるようにも思える。
若い頃着けていたのかと思いながら、私は何の気無しにイヤリングを手のひらに乗せた。
石座を裏返すと、そこに母親の名前は刻まれていなかった。
「……え?」
代わりに、オフェリアという知らぬ女の名前が刻まれていたのである。
その後、私は伯父に話を聞きに行った。父上に聞いたとしても、はぐらかされるだけだと思ったのである。
「エリザ。どんなに悲しい話であっても、後悔することは無いか?」
「勿論でございます。どうか、真実を全て教えてくださいな」
「そうか。分かった」
やや躊躇いがちに、彼は口を開いた。
「オフェリアというのは、ユリウス……お前の父親が、最も愛した女性の名前だ」
伯父の口から語られたのは、私の知らない悲劇の物語であった。
かつて父上は、舞踏会で出会った貴族の令嬢オフェリアと恋に落ちた。二人は非常に仲睦まじく、婚約を結ぶまでに至ったという。
しかし、そのことを良く思わなかった母上は、オフェリアを陥れるために彼女の金銭問題を告発した。母上は父上と幼なじみであり、密かに片思いしていたのだという。
事実、オフェリアはドレスや靴を買うために借金をしていた。しかしそれは、舞踏会に参加するため仕方なく行ったものであった。
彼女には大病を患った妹がおり、生活が困窮していたのだという。妹の治療のためには多額の金が必要であった。オフェリアは妹のために、父上との結婚を望んだのだろう。
父上はそれを知った上で、彼女を許して結ばれたいと願った。しかしそれを、当時王であった亡き祖父は許さなかった。それどころかオフェリアを擁護する父上の言葉に耳を傾けることなく、彼女の家族を事故と見せかけて暗殺した。オフェリア自身を暗殺する計画も、水面下で進められていたという。
オフェリアを守るため、父上は国外追放という形で彼女を同盟国の王太子と結婚させた。そして''愛の無い結婚''という罰を与えるためだけに、母上と結婚したのである。
両親の間に、初めから愛情は何も無かった。あったのは想像を絶するような憎悪と、底意地の悪い女から私が生まれたという事実であった。
「申し訳無いが、二人が本当の意味で夫婦として結ばれていたかすら分からないんだ」
叔父の言葉を聞いて、目の前が真っ暗になるのを感じた。
その日。帰宅してから、私は姿見のある衣装部屋へと向かった。そしてドレスも何もかもを脱ぎ、鏡の前に立ったのである。
せめて父上に似た箇所を見つけて、父上の子であることを証明したかったのだ。どこの誰か分からない血が混ざっているだなんて、考えるだけで気が狂いそうだったのである。
しかし。
「……どうして?」
黒に近いコーヒー色の髪も。
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全て、母親譲りのものばかりであった。
どこにも、父上に似た部分が無い。そう気付いた瞬間に、自らが酷く汚らわしく感じられた。
「い、ゃぁぁぁっ!!」
私はひたすらに喉をかきむしり、叫び続けた。そのまま発狂して死んでしまっても良いとすら思っていたのである。
「うっ、うう……ううう……」
けれども、そう易々と人が死ねる訳が無い。髪も肌もぐちゃぐちゃにして、小汚い捨て猫のような出で立ちになってからも、私はずっと絨毯に顔を突っ伏して泣き続けたのである。
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