3 / 7
怯える仔犬と不機嫌な彼
しおりを挟む
バルコニーには丁度涼しくて心地よい風が吹いていた。緊張から解放され、私は大きくため息をついた。
確か、宰相殿は話が長いお方だ。暫くヴァルタが帰って来ることは無いだろう。
とはいえ、特段バルコニーで一人やることもない。手すりにもたれ掛かりグラスに注がれたワインを飲みながら、ぼんやり夜空を眺めるばかりである。
すると、後ろから足音がした。
「誰かと思ったら、エミリア様ではないですか!!」
振り向くと、見覚えのある若い男性が立っていた。
「あら、貴方確か、腕を怪我された……」
「はい、あの時はお世話になりました」
私は魔力で人を癒すことができるため、戦時中は自ら志願して野戦病院で負傷者の治療にあたっていた。その時対応した一人が、彼であった。
騎士であるにも関わらず、あどけなさの残る可愛らしい顔立ちと艶やかな黒髪は、当時とても印象的だったのを今でも覚えている。
不名誉な呼び名ではなく名前で呼んでくれたことを嬉しく思いつつ、私はにこやかに笑い返した。
「お久しぶりね、お元気にしてましたか?」
「はい、お陰様でこの通り。それにしてもこんなところでお一人でいるなんて、どうされたのですか?」
「ふふっ、主人が歓談中だから、ちょっと外の空気を吸ってたの」
「ああ、成程。団長も大変だ」
宰相と話しているヴァルタを窓越しに手で指し示すと、彼も納得したように頷く。どうやら、宰相の話が長いのは有名なことらしい。
「ところで、その額の傷……」
「ああ、失敬。訓練の際怪我してしまって。軽いかすり傷なので、すぐ治りますよ」
そう言って、彼は困ったように笑った。仔犬のような愛嬌は、きっと彼の生まれ持った魅力なのだろう。
短い前髪の下、額の隅に赤いかすり傷が出来上がっていた。確かに自然治癒するにはさほど時間はかからないだろうが、跡が残ってしまう可能性もある。それでは、折角の美形が台無しだ。
「ちょっと、失礼するわね」
「え、あ、エミリア様?」
「大丈夫、すぐ終わるから」
彼の額に触れ、ゆっくりと目を閉じる。力を使うのは久しぶりだった。
リリスに力を譲り渡した後も、癒しの力は完全に消えた訳ではない。軽い傷程度であれば、朝飯前であった。
軟膏を塗り込めるように、傷跡を優しく撫でる。そしてちくりとした痛みが指先にはしった後、傷跡はすっかり消え去ったのである。
「はい、治ったわ」
「あ、ありがとうございます」
「ふふっ」
やはり、人の役に立つのは気分が良い。そう思っていると、彼は何かに気付いたように手を叩いた。
「あ! そのドレス、聖女選びの結果発表の時のですよね? もしかして、今日の装いはあの時の一式ですか?」
「あら、よく覚えてるわね」
実は今日の夜会では、聖女選び最終日に着ていたドレスを着用していた。
薔薇の刺繍が施された、真珠色のドレス。聖女選びに敗れた際着ていたものなので縁起が良くないと言えばそれまでだが、個人的にはお気に入りの一着だった。
「とてもお似合いです。ドレスもジュエリーも、全部」
「ふふっ、ありがとう」
「話は終わったか?」
突然低い声が、会話に割り込んできた。驚くと、横には腕を組んで仁王立ちしたヴァルタの姿があった。
苛々しているのか、とても不機嫌に眉を寄せている。
「ヴァルタ様、……その、ご歓談はもう良かったのですか?」
「ああ、無事終わった。ルーフェン、代わりに妻といてくれて悪かったな」
「い、いえ……とんでもない」
よく考えたら、二人は何方も騎士団に所属する者。つまりは顔見知りなのだろう。そしてもっと言えば、上司と部下に当たる。
彼は鉄壁というよりも……絶壁から人を突き落としそうな、殺意を込めた表情をしていた。
ヴァルタに気圧されるように、ルーフェンは後ずさる。怯える仔犬を見ているようで、何だか可哀想になってきてしまった。
確かに、既婚者に話しかけるのは良くないことかもしれない。しかし、この態度はあんまりだ。
「では、戻るか。それと、ルーフェン」
「は、はい?」
「ドレスは聖女選びの時のものだが、それ以外は違う」
「え、あ、そうなんですか?」
困惑するルーフェンを置いて、ヴァルタは私の手を引いた。そのまま引き摺られるようにして、私と彼はバルコニーを後にした。
確かに、ドレス以外のジュエリーや靴は、当時のものでは無かった。
けれども、なんで彼がそんなことを知っているのだろう?
そんな疑問が湧いたが、険しい表情の彼に聞ける訳が無い。
結局夜会が終わるまで、ヴァルタの機嫌が直ることは無かったのである。
確か、宰相殿は話が長いお方だ。暫くヴァルタが帰って来ることは無いだろう。
とはいえ、特段バルコニーで一人やることもない。手すりにもたれ掛かりグラスに注がれたワインを飲みながら、ぼんやり夜空を眺めるばかりである。
すると、後ろから足音がした。
「誰かと思ったら、エミリア様ではないですか!!」
振り向くと、見覚えのある若い男性が立っていた。
「あら、貴方確か、腕を怪我された……」
「はい、あの時はお世話になりました」
私は魔力で人を癒すことができるため、戦時中は自ら志願して野戦病院で負傷者の治療にあたっていた。その時対応した一人が、彼であった。
騎士であるにも関わらず、あどけなさの残る可愛らしい顔立ちと艶やかな黒髪は、当時とても印象的だったのを今でも覚えている。
不名誉な呼び名ではなく名前で呼んでくれたことを嬉しく思いつつ、私はにこやかに笑い返した。
「お久しぶりね、お元気にしてましたか?」
「はい、お陰様でこの通り。それにしてもこんなところでお一人でいるなんて、どうされたのですか?」
「ふふっ、主人が歓談中だから、ちょっと外の空気を吸ってたの」
「ああ、成程。団長も大変だ」
宰相と話しているヴァルタを窓越しに手で指し示すと、彼も納得したように頷く。どうやら、宰相の話が長いのは有名なことらしい。
「ところで、その額の傷……」
「ああ、失敬。訓練の際怪我してしまって。軽いかすり傷なので、すぐ治りますよ」
そう言って、彼は困ったように笑った。仔犬のような愛嬌は、きっと彼の生まれ持った魅力なのだろう。
短い前髪の下、額の隅に赤いかすり傷が出来上がっていた。確かに自然治癒するにはさほど時間はかからないだろうが、跡が残ってしまう可能性もある。それでは、折角の美形が台無しだ。
「ちょっと、失礼するわね」
「え、あ、エミリア様?」
「大丈夫、すぐ終わるから」
彼の額に触れ、ゆっくりと目を閉じる。力を使うのは久しぶりだった。
リリスに力を譲り渡した後も、癒しの力は完全に消えた訳ではない。軽い傷程度であれば、朝飯前であった。
軟膏を塗り込めるように、傷跡を優しく撫でる。そしてちくりとした痛みが指先にはしった後、傷跡はすっかり消え去ったのである。
「はい、治ったわ」
「あ、ありがとうございます」
「ふふっ」
やはり、人の役に立つのは気分が良い。そう思っていると、彼は何かに気付いたように手を叩いた。
「あ! そのドレス、聖女選びの結果発表の時のですよね? もしかして、今日の装いはあの時の一式ですか?」
「あら、よく覚えてるわね」
実は今日の夜会では、聖女選び最終日に着ていたドレスを着用していた。
薔薇の刺繍が施された、真珠色のドレス。聖女選びに敗れた際着ていたものなので縁起が良くないと言えばそれまでだが、個人的にはお気に入りの一着だった。
「とてもお似合いです。ドレスもジュエリーも、全部」
「ふふっ、ありがとう」
「話は終わったか?」
突然低い声が、会話に割り込んできた。驚くと、横には腕を組んで仁王立ちしたヴァルタの姿があった。
苛々しているのか、とても不機嫌に眉を寄せている。
「ヴァルタ様、……その、ご歓談はもう良かったのですか?」
「ああ、無事終わった。ルーフェン、代わりに妻といてくれて悪かったな」
「い、いえ……とんでもない」
よく考えたら、二人は何方も騎士団に所属する者。つまりは顔見知りなのだろう。そしてもっと言えば、上司と部下に当たる。
彼は鉄壁というよりも……絶壁から人を突き落としそうな、殺意を込めた表情をしていた。
ヴァルタに気圧されるように、ルーフェンは後ずさる。怯える仔犬を見ているようで、何だか可哀想になってきてしまった。
確かに、既婚者に話しかけるのは良くないことかもしれない。しかし、この態度はあんまりだ。
「では、戻るか。それと、ルーフェン」
「は、はい?」
「ドレスは聖女選びの時のものだが、それ以外は違う」
「え、あ、そうなんですか?」
困惑するルーフェンを置いて、ヴァルタは私の手を引いた。そのまま引き摺られるようにして、私と彼はバルコニーを後にした。
確かに、ドレス以外のジュエリーや靴は、当時のものでは無かった。
けれども、なんで彼がそんなことを知っているのだろう?
そんな疑問が湧いたが、険しい表情の彼に聞ける訳が無い。
結局夜会が終わるまで、ヴァルタの機嫌が直ることは無かったのである。
0
お気に入りに追加
342
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】夢見たものは…
伽羅
恋愛
公爵令嬢であるリリアーナは王太子アロイスが好きだったが、彼は恋愛関係にあった伯爵令嬢ルイーズを選んだ。
アロイスを諦めきれないまま、家の為に何処かに嫁がされるのを覚悟していたが、何故か父親はそれをしなかった。
そんな父親を訝しく思っていたが、アロイスの結婚から三年後、父親がある行動に出た。
「みそっかす銀狐(シルバーフォックス)、家族を探す旅に出る」で出てきたガヴェニャック王国の国王の側妃リリアーナの話を掘り下げてみました。
ハッピーエンドではありません。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
冷酷王子と逃げたいのに逃げられなかった婚約者
月下 雪華
恋愛
我が国の第2王子ヴァサン・ジェミレアスは「氷の冷酷王子」と呼ばれている。彼はその渾名の通り誰に対しても無反応で、冷たかった。それは、彼の婚約者であるカトリーヌ・ブローニュにでさえ同じであった。そんな彼の前に現れた常識のない女に心を乱したカトリーヌは婚約者の席から逃げる事を思いつく。だが、それを阻止したのはカトリーヌに何も思っていなさそうなヴァサンで……
誰に対しても冷たい反応を取る王子とそんな彼がずっと好きになれない令嬢の話
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
婚約破棄される令嬢は最後に情けを求め
かべうち右近
恋愛
「婚約を解消しよう」
いつも通りのお茶会で、婚約者のディルク・マイスナーに婚約破棄を申し出られたユーディット。
彼に嫌われていることがわかっていたから、仕方ないと受け入れながらも、ユーディットは最後のお願いをディルクにする。
「私を、抱いてください」
だめでもともとのその申し出を、何とディルクは受け入れてくれて……。
婚約破棄から始まるハピエンの短編です。
この小説はムーンライトノベルズ、アルファポリス同時投稿です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
夫達の裏切りに復讐心で一杯だった私は、死の間際に本当の願いを見つけ幸せになれました。
Nao*
恋愛
家庭を顧みず、外泊も増えた夫ダリス。
それを寂しく思う私だったが、庭師のサムとその息子のシャルに癒される日々を送って居た。
そして私達は、三人であるバラの苗を庭に植える。
しかしその後…夫と親友のエリザによって、私は酷い裏切りを受ける事に─。
命の危機が迫る中、私の心は二人への復讐心で一杯になるが…駆けつけたシャルとサムを前に、本当の願いを見つけて─?
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】婚約破棄を待つ頃
白雨 音
恋愛
深窓の令嬢の如く、大切に育てられたシュゼットも、十九歳。
婚約者であるデュトワ伯爵、ガエルに嫁ぐ日を心待ちにしていた。
だが、ある日、兄嫁の弟ラザールから、ガエルの恐ろしい計画を聞かされる。
彼には想い人がいて、シュゼットとの婚約を破棄しようと画策しているというのだ!
ラザールの手配で、全てが片付くまで、身を隠す事にしたのだが、
隠れ家でシュゼットを待っていたのは、ラザールではなく、ガエルだった___
異世界恋愛:短編(全6話) ※魔法要素ありません。 ※一部18禁(★印)《完結しました》
お読み下さり、お気に入り、エール、ありがとうございます☆
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
呪いを受けて醜くなっても、婚約者は変わらず愛してくれました
しろねこ。
恋愛
婚約者が倒れた。
そんな連絡を受け、ティタンは急いで彼女の元へと向かう。
そこで見たのはあれほどまでに美しかった彼女の変わり果てた姿だ。
全身包帯で覆われ、顔も見えない。
所々見える皮膚は赤や黒といった色をしている。
「なぜこのようなことに…」
愛する人のこのような姿にティタンはただただ悲しむばかりだ。
同名キャラで複数の話を書いています。
作品により立場や地位、性格が多少変わっていますので、アナザーワールド的に読んで頂ければありがたいです。
この作品は少し古く、設定がまだ凝り固まって無い頃のものです。
皆ちょっと性格違いますが、これもこれでいいかなと載せてみます。
短めの話なのですが、重めな愛です。
お楽しみいただければと思います。
小説家になろうさん、カクヨムさんでもアップしてます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる