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その4
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「ご苦労であったのう、権六」
信長は上機嫌で権六をねぎらった。
清洲城の奥御殿、信長の寝所である。例によって信長は白絹の夜着のまま、敷き延べた夜具の上に胡座を組んですわっている。
権六は大きな身体を窮屈そうに折り曲げて、床に額を擦りつけんばかりに平伏している。
つい今し方、権六は土田御前の供をして末盛から清洲へ到着したのだった。御前と侍女たちは表の会所へ通してある。権六だけが呼ばれて、信長に目通りを許されたのである。
権六は信長の壮健な姿を見て心底から安堵した。土田御前を清洲へ連れて来るという難事もなし遂げ、もう末盛へ戻ることもあるまい、と思っていた。
この日の朝、まだ暗い卯の刻(午前六時)ごろにに清洲の使者は末盛城の大手門を叩いた。
津々木蔵人は「謀に間違いなし」と決めつけ
「信長さまには岩倉城を陥とせず信賢さまも討てず、結局むだな戦さでござった。返すがえすも口惜しきは信長さま来城の折り、仕物に掛けておれば……」
と傍らに控える権六を睨みつけた。
だが信長重篤の風聞は勘十郎母子や津々木にもきこえており、あながち使者の口上が嘘である、とも言いきれない。
例によって勘十郎は迷う。
もし信長重篤が真実であって、使者の口上に背いて清洲へ行かなければ、勘十郎は家督を放棄したととられても仕方がない。尾張半国が向こうから懐へ転がり込む機会をみすみす逃してしまうのは、惜しい。
だがもしすべてが謀であれば……勘十郎の命はないのである。
一同の思案が膠着したところで、権六が「恐れながら……」と進み出た。
「まずは御前さまが清洲へ行かれて信長さまのご病状を確かめられるのが上策と存じまする」
津々木は狐面の目尻をさらに吊り上げて言う。
「おのれ御前さまにもしものことあらばどうするつもりじゃ」
津々木には目をくれず、権六は土田御前を見た。
「この権六が供をして参ります。御前さまのお身の上、この権六が命かけてお守り申しまする」
土田御前は権六の大きな目を見ている。彼女は武骨ひと筋の権六が、顔色ひとつ変えることなく主人に嘘がつけるような男だとは思ってはいない。権六に逆心あれば必ずその顔色に現れるはず、と思っている。
男の嘘に女人が鋭い感覚と看破する自信を持っているのは、今も昔も同じである。
権六は土田御前を見かえしている。もう、必死であった。少しでも目線を逸らしたり、目に曇りを生じれば見破られてしまう。
御前の切れ長の目が、まるで射るような視線を権六に向けている。ほんの短い時間なのだが、権六にはもう三日もそうしているかに感じられた。
もう駄目だ……と思った時、
「兄者もまさか母上を生害いたすようなこともすまいて」
と、勘十郎が言った。
土田御前はその言葉に引きずられるように、権六から目線を外した。
助かった……と権六は思った。
こうして権六は首尾よく土田御前を伴って清洲城へ入ったのである。
信長が大きく手を打った。
すると前髪の小姓がひとり襖を開けて寝所に入ってくる。三方を捧げ持ち、それを恭しく信長の前へ据えた。権六が見ると三方には折り畳まれた杉原紙が載っており、書状のようであった。
てっきり褒美を貰えると思った権六は、拍子抜けがした。が、事態は権六の思ってもみない方向へ進む。
「これをな、持って末盛へ戻るのじゃ」
余りのことに権六は言葉を失う。ぎょろ目を剥いて、信長と三方の上の杉原紙を交互に見比べている。
「こ、これは……」
と、ようやくのことで尋ねた。
「書状だ。母上のな」
「えっ?いつの間に……」
権六は仰天する。
「阿呆め」と言って、信長は大声で笑った。
「偽書だ。母上の文を盗み出して右筆方に手を真似させたのじゃ」
なるほどそうであったかと権六は思い、杉原紙をまじまじと見る。黒々とした墨痕が透けてみえる。
「この書状を勘十郎に読ませ、今度はあやつをこの城へ連れて来るのだ」
「げえ……」
権六は思わず後ろへひっくり返りそうになる。
「そんなことはできませぬ」と言いたいのだが、声が出ない。
信長は素早く三方から杉原紙を取ると、押し付けるように権六の小袖の襟にほうり込んだ。そして、うって変わって厳しい表情になり、
「これは主命であるぞ」
と、言った。
切れ長の目がきっと権六を見据えている。権六は見返すことすらできず、信長の威光に気圧されて杉原紙を押しいただくような格好となり、その場に平伏してしまった。
ようやく重荷を降ろしたと思った権六は、結局もっと重い荷物を背負わされて追われるように清洲城を後にすることとなったのである。
だが見方を変えれば、これが後に柴田修理亮勝家として常に織田家臣団の頂点に位置する希有な侍大将となるための、一歩であったのかもしれない。
信長は無能な男は重用しない。佐久間信盛(本願寺包囲戦の無策をけん責されて天正八年所領没収のうえ高野山へ追放された)のように長年の功績と重臣という地位があったとしても、弊履のごとく捨てられてしまう。常に尻に火を付けるようにして働かせ、よりよい成果を主人に与え続けられる者だけが生き残れたのである。
今まで末盛城で勘十郎というおのれにも家臣にも甘い主人に仕え言わばぬるま湯に浸かっていた権六は、ここで信長によって熱湯ぶろにほうり込まれることとなった。
必死に馬を飛ばし権六が末盛へ戻り着いたのは、冬の低い太陽がその軌道の頂上にさしかかった頃。
「陽が落ちるまでには必ず勘十郎を連れて参るのだぞ」
非情なる主人は権六の去り際、その背中をどんと押すように、そう言った。
権六は曲輪の本丸へ続く坂道を脚の鈍った疲馬を捨てて駆け登る。そのまま一気に勘十郎の居る奥御殿へ走り込んだ。
慌てふためいた権六の様子に勘十郎は血相を変えた。
「母上に何かあったか?」
権六は息が上がってしまい、答えられない。
「どうした権六。霜台さまがご下問じゃ。早々に答えぬか」
例によって津々木は寵を嵩に威高に振る舞う。いつもなら癪にさわる津々木の態度も今となってはどうでもよい。
権六は息を整える。ごくりと唾の飲み込んだ。が、これは顔色を読まれまいとする権六の詐略であった。
「……ご使者の口上は誠でございました。信長さまには病篤く、もはやまともに口も聞けぬ有り様にて……。清洲では織田家ご家門衆ご家来衆みなご舎弟さまのお越しを待っておりまする」
「権六が口上だけではのう……」
津々木が憎々しげにつぶやいた。
勘十郎は、黙っている。判断がつかない。 その時、権六は懐から例の杉原紙を取り出し、勘十郎に捧げ持った。
勘十郎と津々木が目顔で、これは?と訊く。
すかさず権六は、
「御前さまよりの書状でございまする」
と言った。
先に出しては怪しまれると思ったのだ。
「書状があるならなぜ先に出さんのだ」
そう言って津々木が権六の手からひったくるようにして杉原紙を奪い、勘十郎に渡した。 勘十郎は書状を開く。そう長いものではない。文字を目で追う。追いながら、
「これは間違いなく母上が手じゃ」
と言った。
書状には、信長重篤はまことゆえ至急に清洲へ赴くようにという内容が記されている。
すぐに読み終え、勘十郎は津々木に書状を渡した。津々木は土田御前の筆跡など知るよしもなかったが、神妙に読み終えてから「いかにも」ともっともらしく呟いた。
しかし立ち上がる素振りは見せない。
「明朝、出立するか……」
と勘十郎が言うと、津々木が頷く。この主従、判断も遅ければ行動に移るのも遅い。
これでは主命は果たせぬ。時間をおいてはまた気が変わるかも知れない。
こんなこともあろうかと、権六は道すがら必死に考えた台詞を吐いた。
「それでは間に合いませぬ。信長さまのご病状は明朝まで保つかどうか知れませぬぞ。なにとぞすぐにもご出立くださいませ」
むう、とばかり勘十郎は腕組みをする。判断がつかない。
権六はさらに追い打ちをかける。
「犬山の信清さまが追っ付け清洲へ参られるそうでございますぞ」
権六はそう言って、大目玉を剥いて勘十郎をじっと見た。
勘十郎と津々木は顔を見合わせる。
犬山城主織田信清は岩倉との戦さを信長と連衡して戦い、今となっては唯一残った織田一族の実力者であった。勘十郎の到着まえに信清に引っ掻きまわされては、家督のこともすんなりとは行かぬようになるかも知れない。 勘十郎はそう考える。が、無論これも権六の詐略であった。
勘十郎主従、ほぼ同時に権六を見やる。ふたりとも同じことを思ったのだろう。すべてが寄せ木細工のようにうまく組み上がっていて疑念の余地もないように思えるが、それが却って怪しく感じられないこともない。
零れんばかりの大きな目玉がじっと見ている。権六が、ゆっくりと頷いた。
勘十郎も津々木も、猪武者の柴田権六がこんなに芸の細かい嘘がつけようとは思ってはいない。その意味において今回の役回りは権六が適任であった、というよりこれは権六以外にはできぬ芸当であった。そのあたりを心得た人選の妙と、人を追い込んでいく手管は、信長の一種天才的な直感力、感性によるものとしか言いようがない。
そしてよい結果をもたらす者を、信長は必ず重く用いる。こうして信長の家臣たちはおのれの実力よりもさらに大きな力を、時として発揮することになるのである。
勘十郎は権六の目をみる。心の乱れを見ようとする。おのれの命が掛かっているのだ。勘十郎とて必死である。が、権六の心はもう乱れない。
勘十郎は頷いた。そして口を開いた。勘十郎の運命が切り取られ、逆に柴田権六勝家の運命が開ける瞬間であった。
「わかったわ権六。今すぐ発とう」
勘十郎が津々木蔵人、柴田権六のほかわずかな供を連れて清洲城へ入ったのは、冬の陽が西の空を朱に染めて今しも地平に消え入ろうとするところであった。
清洲城の城門には明々と篝火が焚かれ、何やら人の動きも慌ただしく尋常と違った雰囲気がある。これは河尻与兵衛はじめ近習たちの詐略であったが、勘十郎主従には主の死を前に城の者どもが右往左往しているように見えた。
清洲城は末盛城と違い平地に築かれた城である。攻城戦となればこの城は守るに難で攻めるに易い。だが城郭は大きく、城下の殷賑は末盛の比ではない。元々が由緒ある尾張守護代の城である。
大手門を潜り本丸へ向かいながら、勘十郎はようやくこの城を手に入れようとする感慨に浸っていた。かつて信勝から達成へ名を改めたのも、尾張守護代織田大和守家を襲う、つまりはこの城の主となることを願ってのことであった。
本丸御殿の玄関門を潜り、勘十郎の一行は城内へ入った。
同朋衆に導かれて、勘十郎は奥御殿へと進む。城内の者どもは慌ただしく行き来をし、勘十郎に礼を取る者もいればそのまま行き過ぎる者もいた。城内の者どもの多くが信長の重篤を信じていたので、勘十郎の姿を目にして
「ああ、いよいよ信長さまもご臨終か……」と思った。
使者の間で従者どもは勘十郎を待つこととなった。そこから奥へ進めるのは勘十郎と家宰の津々木蔵人、宿老柴田権六だけである。 本丸矢倉の手前、天主次の間に入った時であった。突然、前方の襖がすとん、と音をたてて開かれた。
河尻与兵衛が左右に近習衆が従えて、勘十郎に立ちはだかった。近習衆は手鑓を構えて居並んでいる。鑓は御殿内でも使えるよう柄を短く切ってある。その揃った穂先が、燭台の炎を受けて怪しく光った。
権六が素早く身体を翻して鑓ぶすまを背にした。
「勘十郎さま、主命でございます。お覚悟めされませ」
と、静かに言った。
勘十郎はその瞬間、唇を噛み天を仰いだ。
「おのれ権六、たばかりおったな」
津々木が叫ぶ。
と、津々木は何を思ったか急に後ろを振り向くと、今いま来し方へ走り去ろうとする。主人を残し逃げようというのだ。
だが、近習のひとりが滑るように進んで津々木の前に立ちはだかる。刀を抜きうちにその首を跳ね飛ばした。
前田又左衛門利家である。
津々木の首は三間ばかりを飛び、ちょうど勘十郎の足元へ転げた。
津々木は口を醜く歪め歯を剥き出して苦悶の表情を浮かべているが、見ようによっては笑っているようにも見える。
その首を見て、勘十郎は逆上した。衆道の合方を惨殺されたことへの怒りか、かなわぬまでも一矢報いようとしたのか、勘十郎は脇差を抜き、何やら叫びながら河尻与兵衛に斬りかかった。
与兵衛もまた抜刀し上段から振り下ろす。が、勘十郎の足が津々木の首から流れ出た血で滑り体勢が崩れた。
脳天を狙った与兵衛の刀は勘十郎の側頭を打ち耳を削ぎ鎖骨を断ち割って、止まった。勘十郎は片膝をついた格好で与兵衛の刀を受けている。与兵衛は勘十郎の肩先に足を掛け、肉に食い入った刃を引き抜いた。
鮮血が散った。
勘十郎はゆるゆると立ち上がった。
意識は朦朧としているようで目の焦点が定まらない。
脇差も取り落とした。
与兵衛は刀を脇に構えた。与兵衛は信長から勘十郎殺害を命じられている。主君の弟だけになるべくなら他の者の手を借りず、おのれ一人にて始末をつけたかった。
勘十郎はここで思いもかけぬ行動に出た。 きょろきょろとあたりを見回す。そして突如としてこう叫んだ。
「母上、母上―っ!」
これに一瞬、与兵衛はたじろいでしまった。土田御前があたりにいるのではないか、と不安になり思わず見渡してしまった。
このわずかな動揺があだとなった。
勘十郎は与兵衛の脇を擦り抜けて逃れようとする。
それを許さじと与兵衛の刀は勘十郎の横腹を斬りつける。
が、あばら骨を一、二本折ったのみで致命傷にならない。
一瞬の気後れが、間合いを誤らせたのだ。さらには肩口を斬り下げた時に刃に人脂がついて、斬れにくくなっている。
与兵衛は打刀を投げ捨てた。こうなっては戦さ場と同じである。組みついて首を掻き奪るほかになし、と判断した。
一方、表の会所で次女たちと酒食など振る舞れていた土田御前は勘十郎の声を耳にした。会所へ通されて随分と時が過ぎ、治療の都合だということで、仕方なく待っていたがそれにしても遅すぎるので不審に思っていたところであった。
「そなたたち、聞こえぬかえ?」
御前は次女どもに訊く。が、誰にも聞こえない。
御前は耳を澄ます。すると、勘十郎が母を呼ぶ声が確かに聞こえたのだ。
土田御前はすっくと立ち上がる。供応していた同朋衆の背後にいた近習が立ち塞がった。その様子にただならぬ気配を感じ、御前は近習を押しのけようとする。が、近習は動かない。
「どきやれ、慮外者めが」
土田御前は叫ぶ。胸騒ぎがする。勘十郎の身に何か異変が起こったに違いないと直感した。
「どきやれ!」
御前は近習を突き放す。主人の母上だけに、無理やり押し止どめることもできず、御前は会所を出てしまった。
「勘十郎、勘十郎はどこぞ」
土田御前は本丸矢倉の方へ向かう。男どもの殺気と血の臭いを本能的に察知したのかも知れない。
開け放たれた襖の向こう、薄暗い部屋に手鑓を持った男たちが蠢いている様が見える。
何者かが必死の叫びを上げている。御前は咄嗟にそれが勘十郎の声であると感じた。
手鑓の男どもを掻き分ける。
血みどろの男がもうひとりの男に馬乗りになって、今しも首を掻き斬ろうとしているところであった。
その顔が、くるりと土田御前を見た。
「勘十郎!」
御前は叫ぶ。
勘十郎が振り向いたのではなく、与兵衛が短刀で首骨を断ち割ったので支えを失った首が傾いたのである。
土田御前は勘十郎に駆け寄る。
「どきやれ」と与兵衛を一喝した。
与兵衛としては勘十郎の生命を奪えばよいので、土田御前には逆らわない。斬り取った首をそのままに、勘十郎から一歩離れた。
土田御前、気絶などしないところがさすがに戦国のおんなである。
跪くと勘十郎の首を押し抱き、頬を寄せた。
「勘十郎……何というむごいことを」
与兵衛、又左衛門そして久助もその中にいて、土田御前の姿を息をつめて見ている。
男たちが静かに見つめる中、土田御前は泣いた。
息子を殺された母の悲しい泣き声は、清洲城の本丸矢倉に響いた。
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――義元が動かす兵は二万から三万が間というところであろうよ。儂が手勢は三千がいいところか。
信長は来るべき駿河勢との戦さの算段を巡らす。彼我の兵力は十層倍の開きがある。だが義元の兵力には小荷駄や甲冑櫃持ちなどの下人小物が大勢含まれている。
例えば江戸幕府が規定した一万石級の軍役は総勢で二百三十五人であるが、実はその中で騎馬侍、鉄砲、槍、徒歩侍など戦闘要員となるのは半分以下の百六人である。
従ってもし今川勢が二万としたら、実際に闘う兵力は一万にも満たないと推測される。
一方信長の兵たちはほぼ全員が戦闘要員である。下人小者に至るまで死に狂いの働きをするはずであった。
俗に言われる「尾張の弱兵」とは、後に天下の覇権を握った三河者の言い草ではないだろうか?
信長に率いられた軍勢は寡兵をよく多勢を破る天下一の強兵であったと言っても過言ではない。
さらには設楽が原の合戦では一度に三千挺の鉄砲が使われ武田騎馬軍団に空前の戦果を挙げたことが示すように、信長軍団は世界最強の戦闘集団へと成長を遂げていくのである。
鉄砲の本家ヨーロッパにおいてすらこの時期、これだけ大量の鉄砲が一度に投入された例はない。
――攻め掛かる頃合いを儂が方で決められれば……義元にひと泡もふた泡も、ふかしてやれるだわ。
勝てる、とまでは思ってはいない。
信長は吉乃の膝を枕にしている。吉乃は片膝を立て座っている。白絹の小袖をふわりと羽織っていて、はだけた襟からふくよかな胸乳がわずかにのぞいている。
この時代女性が両膝を折り畳んで正座するという風習は、まだない。
ここは生駒屋敷の吉乃の寝所である。
生駒家は灰と油を営む富裕な土豪であった。当主の八右衛門尉は早くから信長に心寄せており、財政的な支援を惜しまなかった。吉乃は八右衛門尉の妹である。後家となり出戻っていた吉乃に信長が一目惚れをし、以来鷹狩り遠乗りと称しては生駒屋敷に足繁く通っていたのだ。
吉乃との間にはすでにふたりの男子を成している。奇妙と茶筅、後の信忠、信雄である。
終えたばかりの情事の余韻の中に、ふたりはいる。信長にとって吉乃との逢瀬は身も心も安らかに過ごすことのできる貴重な時間であった。だが例によってあれこれと思案することは止められない。
吉乃はそんな信長に膝を与え、穏やかにほほ笑みつつただ見守っているのが好きであった。情を交わす時よりもなお深く、ふたりの心が触れ合っているように感じられるからだ。
信長は目を閉じる。それがまるで突然の痛みに耐えるように見えたので、吉乃の表情が曇った。
「お屋形さま。どうされたのでこざいます」
大丈夫だ、というように信長は力強く頷いて見せた。
信長の脳裏に母の土田御前の表情が浮かんだ。
勘十郎を討ち取った旨を知らされた信長は寝所を出て本丸矢倉へ向かった。
信長が来ると手鑓を持った近習どもが吸い寄せられるようにして壁際に控えた。自然と信長は勘十郎の首を抱いて泣き崩れる母と対面する格好となってしまった。
権六も与兵衛も控えている。誰もこの母をこの場から引きずり出すことができないでいる。
ふと気づいて、土田御前は顔を上げる。
息を飲み、その切れ長の目をかっと見開いた。勘十郎の首を長小袖の袂でくるみ、すっと立ち上がった。
そして信長をしばし見つめ、唇を震わせながらゆっくりと口を開いた。
「おのれ三郎、ようも勘十郎を騙し討ったな。このうえはこの母がそなたよりも一日なりとも、ひと時なりともこの世に生きながらえ、そなたが死に様を見届けてくれようぞ。よう覚えておきや三郎!」
母は般若のごとき形相で、そう信長に言い放った。
たとえ畜生であったとて親は子を想うのが常であるのに、土田御前は息子の死を見届けるまで死なぬという。
そのような地獄へ母を落としたのはすべて己が責めであると、信長は思っている。
しかし勘十郎という楔が織田家中に打ち込まれたままであっては、いずれ害をなすは明白であった。楔は除かねばそれが引き金となり、駿河か美濃の餌食にされるやも知れない。 仕方がなかったのだ……。
以来ときとして信長の脳裏に母の般若のごとき形相が蘇る。
そうであっても清洲にいる時などは感情にきつく蓋をし、いつも通り表情を変えることはない。
だが吉乃とふたりだけの今はあえて蓋をする必要もなかった。吉乃は信長が今生で唯ひとり、甘えを見せられる相手であった。信長は吉乃との逢瀬の中で幼い日に失った何かを、取り戻そうとしているのかも知れない。
信長は身体の向きを変え、吉乃の柔らかい下腹へ顔を埋めた。
甘やかな女の香りが、濃くした。
吉乃は何も言わずほほ笑みを浮かべたまま、信長の身体を抱くように上体を折り曲げる。信長の背中のあたりに頬を押し付けた。吉乃は愛する夫が閨の外でどれだけ苛烈な人生を歩んでいるかを、知っていた。
知っていて、何も言わず夫のすべてを受け入れようとしている。
吉乃は夫を心から慈しむように守るように、抱いた。そうすることで夫の苦悩を少しでも我が身に吸い取ろうとするかのように。
吉乃は後家であった自分に女としての幸せを与えてくれた六歳年下の男を、心から愛しく感じている。
信長は吉乃の下腹に顔を押し当てる。
「あまりきつう押さないで下さいまし」
吉乃は優しく言った。信長は吉乃を見上げる。吉乃は上体を起こしている。よく張った胸乳の向こうに吉乃の顔があった。白い頬がうす桃色に上気しているのが、閨を照らすわずかな炎の光りでも見てとれた。
「……ややこが、できたやも知れませぬゆえ」
信長はうれしそうに白い歯を見せて「そうか」と言った。
信長は吉乃のまだ細い腰に腕を廻した。下腹に頬擦りをした。
「ここに、おるか。早よう出て参れ」
吉乃はにっこりとほほ笑む。
「すぐには出れませぬ。それに、まだいるとも決まったわけでありませぬ」
「おるわ。儂にはわかる」
風の音がする。外は木枯らしが吹いている。しかしこの寝所は若い男と女の発する熱気で汗ばむほどに暖かい。
「儂は人の命を奪い、その分をそなたが産んでこの世は帳尻が合っているのかのう」
信長は勘十郎のことを思う。
――あやつも儂が手元におれば、役に立つ男になったであろうに……。
「思えば男と女は戦さをしておるようなものじゃの。男は死に狂いで人を殺し、女も必死に産み返す」
「おなごはそんな恐ろしいものではございませぬ。運命のままに生きるのがおなごにございます」
「そういうものかの」と言いつつ、信長はまた別のことを思っている。
――そうじゃ坊丸の傅育は権六に任せよう。父の敵の儂が育てるわけにも行くまい。権六ならば坊丸をよい武将に育てるであろうよ。
坊丸は後の織田信澄である。織田家門の有力武将として信長の天下布武にその手腕を発揮する。
「一段の逸物なり」(『多聞院日記』)とその器量を称えられた信澄であったが本能寺の変の直後、明智光秀の女婿という理由で三七信孝と丹羽長秀によって討たれ、その首は堺で晒されたという。
だが、同じ光秀の女婿である細川忠興はこの切所をうまくきり抜けている。勘十郎の一子であったことも疑念を深める理由の一端となったのであれば、信澄にとっては気の毒なことである。
そして信長の思考はまた元へと戻って行く。
――岩倉のかたがついたら上洛をせねばならぬ。
将軍足利義輝へ拝謁し尾張統一を成したことの報告と、尾張守護職の拝任が目的であった。将軍から朝廷に奏任され正式に官位を受けて、信長はようやく今川や武田といった言わば一流の戦国大名と同じ土俵に立つことになる。
信長の目は遠く東の彼方へ向けらている。
今川治部大輔義元。海道一の弓取りと言われる男である。
挑みかかる相手が強いほど、乗り越えなくてはならぬ困難が大きいほど、信長の血は騒ぎ立つ。
その先にある勝ち負け、生と死すらもはや彼の頭の中から飛び去っている。知力を尽くして準備を重ね、戦さ場では死力をもって闘い、そして負ければ……それまでのこと。
そう思っている。
いま、心の中に風が吹き渡る。
そして、風のままに駆け出して行くのだ。
******************************
土田御前はその言葉通り、信長よりも長くこの世を生きた。
本能寺の変の際は安土にいたという。蒲生賢秀の手引きで日野に逃れ、後に孫の織田信雄に庇護される。信雄のもとでは「大方殿様」と尊称され、六百四十貫文(約二千石ほど)の隠居料とも言うべき知行を給されている。信雄が秀吉によって改易されてからは信長の弟である織田信包(生母は土田御前の異説あり)を頼り伊勢安濃津城に暮らした。
没年は文禄三年(一五九四)と言われる。
信長の死から十二年。彼女から見れば織田家の天下を簒奪したにも等しい豊臣秀吉の権勢は、その絶頂にあった。結局息子をふたりとも失い、織田家の劇的な勃興と没落を見た土田御前は八十余歳という長い晩年をいなかる想いで過ごしたのであろうか?
それを伝える資料はもちろん残ってはいない。
しかし戦国のおんならしく土田御前はすべての運命を潔く受け入れ、澄んだまなざしで移り行く時代を見つめていたのではないかと想像する。
『安土日記』には信長存命中の天正七年(一五七九)土田御前(御方様)が中川清秀に鑓を褒美として与えたという記述がある。すべての恩讐を超え、土田御前は信長をもり立てようと心を尽くしていたのであろう。
末盛城は勘十郎の死後、信長によって破却された。
現在城の本丸址には城山八幡宮が別所より遷されて鎮座している。
城址は周囲に複雑に巡らした空堀跡や本丸と二の丸の間を隔てて続く坂道など、往時の姿をそのままに今日に伝えている。
しかし城址として遺されたか復元された建造物は一切なく、ただ、本丸址の片隅に石碑がぽつんと建っているのみである。
名古屋市によって昭和二年に建立された石碑にはこう記されている。
「天文十六年織田信秀之を築き始め、其の子信行(勘十郎)が此を継ぎ居城とする。後に廃せらるなり」(原文は漢文)
(了)
信長は上機嫌で権六をねぎらった。
清洲城の奥御殿、信長の寝所である。例によって信長は白絹の夜着のまま、敷き延べた夜具の上に胡座を組んですわっている。
権六は大きな身体を窮屈そうに折り曲げて、床に額を擦りつけんばかりに平伏している。
つい今し方、権六は土田御前の供をして末盛から清洲へ到着したのだった。御前と侍女たちは表の会所へ通してある。権六だけが呼ばれて、信長に目通りを許されたのである。
権六は信長の壮健な姿を見て心底から安堵した。土田御前を清洲へ連れて来るという難事もなし遂げ、もう末盛へ戻ることもあるまい、と思っていた。
この日の朝、まだ暗い卯の刻(午前六時)ごろにに清洲の使者は末盛城の大手門を叩いた。
津々木蔵人は「謀に間違いなし」と決めつけ
「信長さまには岩倉城を陥とせず信賢さまも討てず、結局むだな戦さでござった。返すがえすも口惜しきは信長さま来城の折り、仕物に掛けておれば……」
と傍らに控える権六を睨みつけた。
だが信長重篤の風聞は勘十郎母子や津々木にもきこえており、あながち使者の口上が嘘である、とも言いきれない。
例によって勘十郎は迷う。
もし信長重篤が真実であって、使者の口上に背いて清洲へ行かなければ、勘十郎は家督を放棄したととられても仕方がない。尾張半国が向こうから懐へ転がり込む機会をみすみす逃してしまうのは、惜しい。
だがもしすべてが謀であれば……勘十郎の命はないのである。
一同の思案が膠着したところで、権六が「恐れながら……」と進み出た。
「まずは御前さまが清洲へ行かれて信長さまのご病状を確かめられるのが上策と存じまする」
津々木は狐面の目尻をさらに吊り上げて言う。
「おのれ御前さまにもしものことあらばどうするつもりじゃ」
津々木には目をくれず、権六は土田御前を見た。
「この権六が供をして参ります。御前さまのお身の上、この権六が命かけてお守り申しまする」
土田御前は権六の大きな目を見ている。彼女は武骨ひと筋の権六が、顔色ひとつ変えることなく主人に嘘がつけるような男だとは思ってはいない。権六に逆心あれば必ずその顔色に現れるはず、と思っている。
男の嘘に女人が鋭い感覚と看破する自信を持っているのは、今も昔も同じである。
権六は土田御前を見かえしている。もう、必死であった。少しでも目線を逸らしたり、目に曇りを生じれば見破られてしまう。
御前の切れ長の目が、まるで射るような視線を権六に向けている。ほんの短い時間なのだが、権六にはもう三日もそうしているかに感じられた。
もう駄目だ……と思った時、
「兄者もまさか母上を生害いたすようなこともすまいて」
と、勘十郎が言った。
土田御前はその言葉に引きずられるように、権六から目線を外した。
助かった……と権六は思った。
こうして権六は首尾よく土田御前を伴って清洲城へ入ったのである。
信長が大きく手を打った。
すると前髪の小姓がひとり襖を開けて寝所に入ってくる。三方を捧げ持ち、それを恭しく信長の前へ据えた。権六が見ると三方には折り畳まれた杉原紙が載っており、書状のようであった。
てっきり褒美を貰えると思った権六は、拍子抜けがした。が、事態は権六の思ってもみない方向へ進む。
「これをな、持って末盛へ戻るのじゃ」
余りのことに権六は言葉を失う。ぎょろ目を剥いて、信長と三方の上の杉原紙を交互に見比べている。
「こ、これは……」
と、ようやくのことで尋ねた。
「書状だ。母上のな」
「えっ?いつの間に……」
権六は仰天する。
「阿呆め」と言って、信長は大声で笑った。
「偽書だ。母上の文を盗み出して右筆方に手を真似させたのじゃ」
なるほどそうであったかと権六は思い、杉原紙をまじまじと見る。黒々とした墨痕が透けてみえる。
「この書状を勘十郎に読ませ、今度はあやつをこの城へ連れて来るのだ」
「げえ……」
権六は思わず後ろへひっくり返りそうになる。
「そんなことはできませぬ」と言いたいのだが、声が出ない。
信長は素早く三方から杉原紙を取ると、押し付けるように権六の小袖の襟にほうり込んだ。そして、うって変わって厳しい表情になり、
「これは主命であるぞ」
と、言った。
切れ長の目がきっと権六を見据えている。権六は見返すことすらできず、信長の威光に気圧されて杉原紙を押しいただくような格好となり、その場に平伏してしまった。
ようやく重荷を降ろしたと思った権六は、結局もっと重い荷物を背負わされて追われるように清洲城を後にすることとなったのである。
だが見方を変えれば、これが後に柴田修理亮勝家として常に織田家臣団の頂点に位置する希有な侍大将となるための、一歩であったのかもしれない。
信長は無能な男は重用しない。佐久間信盛(本願寺包囲戦の無策をけん責されて天正八年所領没収のうえ高野山へ追放された)のように長年の功績と重臣という地位があったとしても、弊履のごとく捨てられてしまう。常に尻に火を付けるようにして働かせ、よりよい成果を主人に与え続けられる者だけが生き残れたのである。
今まで末盛城で勘十郎というおのれにも家臣にも甘い主人に仕え言わばぬるま湯に浸かっていた権六は、ここで信長によって熱湯ぶろにほうり込まれることとなった。
必死に馬を飛ばし権六が末盛へ戻り着いたのは、冬の低い太陽がその軌道の頂上にさしかかった頃。
「陽が落ちるまでには必ず勘十郎を連れて参るのだぞ」
非情なる主人は権六の去り際、その背中をどんと押すように、そう言った。
権六は曲輪の本丸へ続く坂道を脚の鈍った疲馬を捨てて駆け登る。そのまま一気に勘十郎の居る奥御殿へ走り込んだ。
慌てふためいた権六の様子に勘十郎は血相を変えた。
「母上に何かあったか?」
権六は息が上がってしまい、答えられない。
「どうした権六。霜台さまがご下問じゃ。早々に答えぬか」
例によって津々木は寵を嵩に威高に振る舞う。いつもなら癪にさわる津々木の態度も今となってはどうでもよい。
権六は息を整える。ごくりと唾の飲み込んだ。が、これは顔色を読まれまいとする権六の詐略であった。
「……ご使者の口上は誠でございました。信長さまには病篤く、もはやまともに口も聞けぬ有り様にて……。清洲では織田家ご家門衆ご家来衆みなご舎弟さまのお越しを待っておりまする」
「権六が口上だけではのう……」
津々木が憎々しげにつぶやいた。
勘十郎は、黙っている。判断がつかない。 その時、権六は懐から例の杉原紙を取り出し、勘十郎に捧げ持った。
勘十郎と津々木が目顔で、これは?と訊く。
すかさず権六は、
「御前さまよりの書状でございまする」
と言った。
先に出しては怪しまれると思ったのだ。
「書状があるならなぜ先に出さんのだ」
そう言って津々木が権六の手からひったくるようにして杉原紙を奪い、勘十郎に渡した。 勘十郎は書状を開く。そう長いものではない。文字を目で追う。追いながら、
「これは間違いなく母上が手じゃ」
と言った。
書状には、信長重篤はまことゆえ至急に清洲へ赴くようにという内容が記されている。
すぐに読み終え、勘十郎は津々木に書状を渡した。津々木は土田御前の筆跡など知るよしもなかったが、神妙に読み終えてから「いかにも」ともっともらしく呟いた。
しかし立ち上がる素振りは見せない。
「明朝、出立するか……」
と勘十郎が言うと、津々木が頷く。この主従、判断も遅ければ行動に移るのも遅い。
これでは主命は果たせぬ。時間をおいてはまた気が変わるかも知れない。
こんなこともあろうかと、権六は道すがら必死に考えた台詞を吐いた。
「それでは間に合いませぬ。信長さまのご病状は明朝まで保つかどうか知れませぬぞ。なにとぞすぐにもご出立くださいませ」
むう、とばかり勘十郎は腕組みをする。判断がつかない。
権六はさらに追い打ちをかける。
「犬山の信清さまが追っ付け清洲へ参られるそうでございますぞ」
権六はそう言って、大目玉を剥いて勘十郎をじっと見た。
勘十郎と津々木は顔を見合わせる。
犬山城主織田信清は岩倉との戦さを信長と連衡して戦い、今となっては唯一残った織田一族の実力者であった。勘十郎の到着まえに信清に引っ掻きまわされては、家督のこともすんなりとは行かぬようになるかも知れない。 勘十郎はそう考える。が、無論これも権六の詐略であった。
勘十郎主従、ほぼ同時に権六を見やる。ふたりとも同じことを思ったのだろう。すべてが寄せ木細工のようにうまく組み上がっていて疑念の余地もないように思えるが、それが却って怪しく感じられないこともない。
零れんばかりの大きな目玉がじっと見ている。権六が、ゆっくりと頷いた。
勘十郎も津々木も、猪武者の柴田権六がこんなに芸の細かい嘘がつけようとは思ってはいない。その意味において今回の役回りは権六が適任であった、というよりこれは権六以外にはできぬ芸当であった。そのあたりを心得た人選の妙と、人を追い込んでいく手管は、信長の一種天才的な直感力、感性によるものとしか言いようがない。
そしてよい結果をもたらす者を、信長は必ず重く用いる。こうして信長の家臣たちはおのれの実力よりもさらに大きな力を、時として発揮することになるのである。
勘十郎は権六の目をみる。心の乱れを見ようとする。おのれの命が掛かっているのだ。勘十郎とて必死である。が、権六の心はもう乱れない。
勘十郎は頷いた。そして口を開いた。勘十郎の運命が切り取られ、逆に柴田権六勝家の運命が開ける瞬間であった。
「わかったわ権六。今すぐ発とう」
勘十郎が津々木蔵人、柴田権六のほかわずかな供を連れて清洲城へ入ったのは、冬の陽が西の空を朱に染めて今しも地平に消え入ろうとするところであった。
清洲城の城門には明々と篝火が焚かれ、何やら人の動きも慌ただしく尋常と違った雰囲気がある。これは河尻与兵衛はじめ近習たちの詐略であったが、勘十郎主従には主の死を前に城の者どもが右往左往しているように見えた。
清洲城は末盛城と違い平地に築かれた城である。攻城戦となればこの城は守るに難で攻めるに易い。だが城郭は大きく、城下の殷賑は末盛の比ではない。元々が由緒ある尾張守護代の城である。
大手門を潜り本丸へ向かいながら、勘十郎はようやくこの城を手に入れようとする感慨に浸っていた。かつて信勝から達成へ名を改めたのも、尾張守護代織田大和守家を襲う、つまりはこの城の主となることを願ってのことであった。
本丸御殿の玄関門を潜り、勘十郎の一行は城内へ入った。
同朋衆に導かれて、勘十郎は奥御殿へと進む。城内の者どもは慌ただしく行き来をし、勘十郎に礼を取る者もいればそのまま行き過ぎる者もいた。城内の者どもの多くが信長の重篤を信じていたので、勘十郎の姿を目にして
「ああ、いよいよ信長さまもご臨終か……」と思った。
使者の間で従者どもは勘十郎を待つこととなった。そこから奥へ進めるのは勘十郎と家宰の津々木蔵人、宿老柴田権六だけである。 本丸矢倉の手前、天主次の間に入った時であった。突然、前方の襖がすとん、と音をたてて開かれた。
河尻与兵衛が左右に近習衆が従えて、勘十郎に立ちはだかった。近習衆は手鑓を構えて居並んでいる。鑓は御殿内でも使えるよう柄を短く切ってある。その揃った穂先が、燭台の炎を受けて怪しく光った。
権六が素早く身体を翻して鑓ぶすまを背にした。
「勘十郎さま、主命でございます。お覚悟めされませ」
と、静かに言った。
勘十郎はその瞬間、唇を噛み天を仰いだ。
「おのれ権六、たばかりおったな」
津々木が叫ぶ。
と、津々木は何を思ったか急に後ろを振り向くと、今いま来し方へ走り去ろうとする。主人を残し逃げようというのだ。
だが、近習のひとりが滑るように進んで津々木の前に立ちはだかる。刀を抜きうちにその首を跳ね飛ばした。
前田又左衛門利家である。
津々木の首は三間ばかりを飛び、ちょうど勘十郎の足元へ転げた。
津々木は口を醜く歪め歯を剥き出して苦悶の表情を浮かべているが、見ようによっては笑っているようにも見える。
その首を見て、勘十郎は逆上した。衆道の合方を惨殺されたことへの怒りか、かなわぬまでも一矢報いようとしたのか、勘十郎は脇差を抜き、何やら叫びながら河尻与兵衛に斬りかかった。
与兵衛もまた抜刀し上段から振り下ろす。が、勘十郎の足が津々木の首から流れ出た血で滑り体勢が崩れた。
脳天を狙った与兵衛の刀は勘十郎の側頭を打ち耳を削ぎ鎖骨を断ち割って、止まった。勘十郎は片膝をついた格好で与兵衛の刀を受けている。与兵衛は勘十郎の肩先に足を掛け、肉に食い入った刃を引き抜いた。
鮮血が散った。
勘十郎はゆるゆると立ち上がった。
意識は朦朧としているようで目の焦点が定まらない。
脇差も取り落とした。
与兵衛は刀を脇に構えた。与兵衛は信長から勘十郎殺害を命じられている。主君の弟だけになるべくなら他の者の手を借りず、おのれ一人にて始末をつけたかった。
勘十郎はここで思いもかけぬ行動に出た。 きょろきょろとあたりを見回す。そして突如としてこう叫んだ。
「母上、母上―っ!」
これに一瞬、与兵衛はたじろいでしまった。土田御前があたりにいるのではないか、と不安になり思わず見渡してしまった。
このわずかな動揺があだとなった。
勘十郎は与兵衛の脇を擦り抜けて逃れようとする。
それを許さじと与兵衛の刀は勘十郎の横腹を斬りつける。
が、あばら骨を一、二本折ったのみで致命傷にならない。
一瞬の気後れが、間合いを誤らせたのだ。さらには肩口を斬り下げた時に刃に人脂がついて、斬れにくくなっている。
与兵衛は打刀を投げ捨てた。こうなっては戦さ場と同じである。組みついて首を掻き奪るほかになし、と判断した。
一方、表の会所で次女たちと酒食など振る舞れていた土田御前は勘十郎の声を耳にした。会所へ通されて随分と時が過ぎ、治療の都合だということで、仕方なく待っていたがそれにしても遅すぎるので不審に思っていたところであった。
「そなたたち、聞こえぬかえ?」
御前は次女どもに訊く。が、誰にも聞こえない。
御前は耳を澄ます。すると、勘十郎が母を呼ぶ声が確かに聞こえたのだ。
土田御前はすっくと立ち上がる。供応していた同朋衆の背後にいた近習が立ち塞がった。その様子にただならぬ気配を感じ、御前は近習を押しのけようとする。が、近習は動かない。
「どきやれ、慮外者めが」
土田御前は叫ぶ。胸騒ぎがする。勘十郎の身に何か異変が起こったに違いないと直感した。
「どきやれ!」
御前は近習を突き放す。主人の母上だけに、無理やり押し止どめることもできず、御前は会所を出てしまった。
「勘十郎、勘十郎はどこぞ」
土田御前は本丸矢倉の方へ向かう。男どもの殺気と血の臭いを本能的に察知したのかも知れない。
開け放たれた襖の向こう、薄暗い部屋に手鑓を持った男たちが蠢いている様が見える。
何者かが必死の叫びを上げている。御前は咄嗟にそれが勘十郎の声であると感じた。
手鑓の男どもを掻き分ける。
血みどろの男がもうひとりの男に馬乗りになって、今しも首を掻き斬ろうとしているところであった。
その顔が、くるりと土田御前を見た。
「勘十郎!」
御前は叫ぶ。
勘十郎が振り向いたのではなく、与兵衛が短刀で首骨を断ち割ったので支えを失った首が傾いたのである。
土田御前は勘十郎に駆け寄る。
「どきやれ」と与兵衛を一喝した。
与兵衛としては勘十郎の生命を奪えばよいので、土田御前には逆らわない。斬り取った首をそのままに、勘十郎から一歩離れた。
土田御前、気絶などしないところがさすがに戦国のおんなである。
跪くと勘十郎の首を押し抱き、頬を寄せた。
「勘十郎……何というむごいことを」
与兵衛、又左衛門そして久助もその中にいて、土田御前の姿を息をつめて見ている。
男たちが静かに見つめる中、土田御前は泣いた。
息子を殺された母の悲しい泣き声は、清洲城の本丸矢倉に響いた。
******************************
――義元が動かす兵は二万から三万が間というところであろうよ。儂が手勢は三千がいいところか。
信長は来るべき駿河勢との戦さの算段を巡らす。彼我の兵力は十層倍の開きがある。だが義元の兵力には小荷駄や甲冑櫃持ちなどの下人小物が大勢含まれている。
例えば江戸幕府が規定した一万石級の軍役は総勢で二百三十五人であるが、実はその中で騎馬侍、鉄砲、槍、徒歩侍など戦闘要員となるのは半分以下の百六人である。
従ってもし今川勢が二万としたら、実際に闘う兵力は一万にも満たないと推測される。
一方信長の兵たちはほぼ全員が戦闘要員である。下人小者に至るまで死に狂いの働きをするはずであった。
俗に言われる「尾張の弱兵」とは、後に天下の覇権を握った三河者の言い草ではないだろうか?
信長に率いられた軍勢は寡兵をよく多勢を破る天下一の強兵であったと言っても過言ではない。
さらには設楽が原の合戦では一度に三千挺の鉄砲が使われ武田騎馬軍団に空前の戦果を挙げたことが示すように、信長軍団は世界最強の戦闘集団へと成長を遂げていくのである。
鉄砲の本家ヨーロッパにおいてすらこの時期、これだけ大量の鉄砲が一度に投入された例はない。
――攻め掛かる頃合いを儂が方で決められれば……義元にひと泡もふた泡も、ふかしてやれるだわ。
勝てる、とまでは思ってはいない。
信長は吉乃の膝を枕にしている。吉乃は片膝を立て座っている。白絹の小袖をふわりと羽織っていて、はだけた襟からふくよかな胸乳がわずかにのぞいている。
この時代女性が両膝を折り畳んで正座するという風習は、まだない。
ここは生駒屋敷の吉乃の寝所である。
生駒家は灰と油を営む富裕な土豪であった。当主の八右衛門尉は早くから信長に心寄せており、財政的な支援を惜しまなかった。吉乃は八右衛門尉の妹である。後家となり出戻っていた吉乃に信長が一目惚れをし、以来鷹狩り遠乗りと称しては生駒屋敷に足繁く通っていたのだ。
吉乃との間にはすでにふたりの男子を成している。奇妙と茶筅、後の信忠、信雄である。
終えたばかりの情事の余韻の中に、ふたりはいる。信長にとって吉乃との逢瀬は身も心も安らかに過ごすことのできる貴重な時間であった。だが例によってあれこれと思案することは止められない。
吉乃はそんな信長に膝を与え、穏やかにほほ笑みつつただ見守っているのが好きであった。情を交わす時よりもなお深く、ふたりの心が触れ合っているように感じられるからだ。
信長は目を閉じる。それがまるで突然の痛みに耐えるように見えたので、吉乃の表情が曇った。
「お屋形さま。どうされたのでこざいます」
大丈夫だ、というように信長は力強く頷いて見せた。
信長の脳裏に母の土田御前の表情が浮かんだ。
勘十郎を討ち取った旨を知らされた信長は寝所を出て本丸矢倉へ向かった。
信長が来ると手鑓を持った近習どもが吸い寄せられるようにして壁際に控えた。自然と信長は勘十郎の首を抱いて泣き崩れる母と対面する格好となってしまった。
権六も与兵衛も控えている。誰もこの母をこの場から引きずり出すことができないでいる。
ふと気づいて、土田御前は顔を上げる。
息を飲み、その切れ長の目をかっと見開いた。勘十郎の首を長小袖の袂でくるみ、すっと立ち上がった。
そして信長をしばし見つめ、唇を震わせながらゆっくりと口を開いた。
「おのれ三郎、ようも勘十郎を騙し討ったな。このうえはこの母がそなたよりも一日なりとも、ひと時なりともこの世に生きながらえ、そなたが死に様を見届けてくれようぞ。よう覚えておきや三郎!」
母は般若のごとき形相で、そう信長に言い放った。
たとえ畜生であったとて親は子を想うのが常であるのに、土田御前は息子の死を見届けるまで死なぬという。
そのような地獄へ母を落としたのはすべて己が責めであると、信長は思っている。
しかし勘十郎という楔が織田家中に打ち込まれたままであっては、いずれ害をなすは明白であった。楔は除かねばそれが引き金となり、駿河か美濃の餌食にされるやも知れない。 仕方がなかったのだ……。
以来ときとして信長の脳裏に母の般若のごとき形相が蘇る。
そうであっても清洲にいる時などは感情にきつく蓋をし、いつも通り表情を変えることはない。
だが吉乃とふたりだけの今はあえて蓋をする必要もなかった。吉乃は信長が今生で唯ひとり、甘えを見せられる相手であった。信長は吉乃との逢瀬の中で幼い日に失った何かを、取り戻そうとしているのかも知れない。
信長は身体の向きを変え、吉乃の柔らかい下腹へ顔を埋めた。
甘やかな女の香りが、濃くした。
吉乃は何も言わずほほ笑みを浮かべたまま、信長の身体を抱くように上体を折り曲げる。信長の背中のあたりに頬を押し付けた。吉乃は愛する夫が閨の外でどれだけ苛烈な人生を歩んでいるかを、知っていた。
知っていて、何も言わず夫のすべてを受け入れようとしている。
吉乃は夫を心から慈しむように守るように、抱いた。そうすることで夫の苦悩を少しでも我が身に吸い取ろうとするかのように。
吉乃は後家であった自分に女としての幸せを与えてくれた六歳年下の男を、心から愛しく感じている。
信長は吉乃の下腹に顔を押し当てる。
「あまりきつう押さないで下さいまし」
吉乃は優しく言った。信長は吉乃を見上げる。吉乃は上体を起こしている。よく張った胸乳の向こうに吉乃の顔があった。白い頬がうす桃色に上気しているのが、閨を照らすわずかな炎の光りでも見てとれた。
「……ややこが、できたやも知れませぬゆえ」
信長はうれしそうに白い歯を見せて「そうか」と言った。
信長は吉乃のまだ細い腰に腕を廻した。下腹に頬擦りをした。
「ここに、おるか。早よう出て参れ」
吉乃はにっこりとほほ笑む。
「すぐには出れませぬ。それに、まだいるとも決まったわけでありませぬ」
「おるわ。儂にはわかる」
風の音がする。外は木枯らしが吹いている。しかしこの寝所は若い男と女の発する熱気で汗ばむほどに暖かい。
「儂は人の命を奪い、その分をそなたが産んでこの世は帳尻が合っているのかのう」
信長は勘十郎のことを思う。
――あやつも儂が手元におれば、役に立つ男になったであろうに……。
「思えば男と女は戦さをしておるようなものじゃの。男は死に狂いで人を殺し、女も必死に産み返す」
「おなごはそんな恐ろしいものではございませぬ。運命のままに生きるのがおなごにございます」
「そういうものかの」と言いつつ、信長はまた別のことを思っている。
――そうじゃ坊丸の傅育は権六に任せよう。父の敵の儂が育てるわけにも行くまい。権六ならば坊丸をよい武将に育てるであろうよ。
坊丸は後の織田信澄である。織田家門の有力武将として信長の天下布武にその手腕を発揮する。
「一段の逸物なり」(『多聞院日記』)とその器量を称えられた信澄であったが本能寺の変の直後、明智光秀の女婿という理由で三七信孝と丹羽長秀によって討たれ、その首は堺で晒されたという。
だが、同じ光秀の女婿である細川忠興はこの切所をうまくきり抜けている。勘十郎の一子であったことも疑念を深める理由の一端となったのであれば、信澄にとっては気の毒なことである。
そして信長の思考はまた元へと戻って行く。
――岩倉のかたがついたら上洛をせねばならぬ。
将軍足利義輝へ拝謁し尾張統一を成したことの報告と、尾張守護職の拝任が目的であった。将軍から朝廷に奏任され正式に官位を受けて、信長はようやく今川や武田といった言わば一流の戦国大名と同じ土俵に立つことになる。
信長の目は遠く東の彼方へ向けらている。
今川治部大輔義元。海道一の弓取りと言われる男である。
挑みかかる相手が強いほど、乗り越えなくてはならぬ困難が大きいほど、信長の血は騒ぎ立つ。
その先にある勝ち負け、生と死すらもはや彼の頭の中から飛び去っている。知力を尽くして準備を重ね、戦さ場では死力をもって闘い、そして負ければ……それまでのこと。
そう思っている。
いま、心の中に風が吹き渡る。
そして、風のままに駆け出して行くのだ。
******************************
土田御前はその言葉通り、信長よりも長くこの世を生きた。
本能寺の変の際は安土にいたという。蒲生賢秀の手引きで日野に逃れ、後に孫の織田信雄に庇護される。信雄のもとでは「大方殿様」と尊称され、六百四十貫文(約二千石ほど)の隠居料とも言うべき知行を給されている。信雄が秀吉によって改易されてからは信長の弟である織田信包(生母は土田御前の異説あり)を頼り伊勢安濃津城に暮らした。
没年は文禄三年(一五九四)と言われる。
信長の死から十二年。彼女から見れば織田家の天下を簒奪したにも等しい豊臣秀吉の権勢は、その絶頂にあった。結局息子をふたりとも失い、織田家の劇的な勃興と没落を見た土田御前は八十余歳という長い晩年をいなかる想いで過ごしたのであろうか?
それを伝える資料はもちろん残ってはいない。
しかし戦国のおんならしく土田御前はすべての運命を潔く受け入れ、澄んだまなざしで移り行く時代を見つめていたのではないかと想像する。
『安土日記』には信長存命中の天正七年(一五七九)土田御前(御方様)が中川清秀に鑓を褒美として与えたという記述がある。すべての恩讐を超え、土田御前は信長をもり立てようと心を尽くしていたのであろう。
末盛城は勘十郎の死後、信長によって破却された。
現在城の本丸址には城山八幡宮が別所より遷されて鎮座している。
城址は周囲に複雑に巡らした空堀跡や本丸と二の丸の間を隔てて続く坂道など、往時の姿をそのままに今日に伝えている。
しかし城址として遺されたか復元された建造物は一切なく、ただ、本丸址の片隅に石碑がぽつんと建っているのみである。
名古屋市によって昭和二年に建立された石碑にはこう記されている。
「天文十六年織田信秀之を築き始め、其の子信行(勘十郎)が此を継ぎ居城とする。後に廃せらるなり」(原文は漢文)
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……が、しかし、彼は正統な後継者ではなかった。
信玄の遺言に寄れば、正式な後継者は信玄の孫とあった。
つまり勝頼の子である信勝が後継者であり、勝頼は陣代。
一介の後見人の立場でしかない。
織田信長や徳川家康ら稀代の英雄たちと戦うのに、正式な当主と成れず、一介の後見人として戦わねばならなかった諏訪勝頼。
……これは、そんな悲運の名将のお話である。
【画像引用】……諏訪勝頼・高野山持明院蔵
【注意】……武田贔屓のお話です。
所説あります。
あくまでも一つのお話としてお楽しみください。
佐々木小次郎と名乗った男は四度死んだふりをした
迷熊井 泥(Make my day)
歴史・時代
巌流島で武蔵と戦ったあの佐々木小次郎は剣聖伊藤一刀斎に剣を学び、徳川家のため幕府を脅かす海賊を粛清し、たった一人で島津と戦い、豊臣秀頼の捜索に人生を捧げた公儀隠密だった。孤独に生きた宮本武蔵を理解し最も慕ったのもじつはこの佐々木小次郎を名乗った男だった。任務のために巌流島での決闘を演じ通算四度も死んだふりをした実在した超人剣士の物語である。
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