いなくなった弟が帰ってきた

梅崎あめの

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伯爵令嬢シェリアの帰宅②

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 シェリアは自室に戻り着替えると、厨房へと向かう。
 一年ぶりのクッキーづくりに、心が躍らずにはいられない。

 なにせ、王都滞在中は“貴族令嬢が厨房に立つものではない”と、一切立ち入らせて貰えなかったのだ。

 陛下に拝謁する時に火傷をしているのが見えたら失礼にあたるとか、舞踏会で手に傷があるのが見えたら令嬢らしくないと敬遠され、結婚相手が見つからないだとか。

 伯母はとにかく、シェリアに料理をさせたがらなかった。

 一度、手袋をしていたら見えないのではないかと伯母に話してみたけれど、一蹴されてしまった。

 “そういう問題ではない”らしい。

 そんなわけで、久し振りのお菓子づくりである。
 シェリアは、王都で食べた異国のクッキーを作ってみたかった。


 外出用のドレスから汚れても構わない家着に着替え、シェリアが弾む気持ちで階段を降りていると、シェリアと同じ亜麻色の髪の少年と遭遇した。

「おかえり、ねえさん」

 アンディ・シーリティ。十歳。
 シェリアの六歳下の弟である。
 
「ただいま、アンディ」
「帰ってくるの、早かったね」
 
 アンディの言葉に、シェリアは首を傾げた。
 社交期シーズン最後の舞踏会を終えて、翌朝出立したから、アンディが思っていたより早かったのだろうか。
 
「ここから王都までどんなに急いでも、三日はかかるらしいよ。舞踏会は一昨日。今日帰ってくるのは随分早いね」

 ……これはもしかしたら最後まで参加せず帰ってきたのだと疑われているのかもしれない。
 だとしたなら、最後まで頑張って参加したのに悲しすぎる。
 アンディが何故誤解したのかは分からないけれど、誤解は解かねばなるまい。

 そう思ったシェリアはきちんと役目を果たしてきたのだと、弟に説明を試みることにした。

「アンディ、一昨日の舞踏会は参加したわ。……それと、ここから王都に出発した時も一日半で着いたの。馬が優秀だったのかもしれないわ」

「……別に舞踏会に参加したことは疑ってないよ。ただ、ここでは随分と不思議なことがあるなって」
 
 どうやらアンディは、シェリアの不参加を疑っていたわけではなかったらしく、シェリアはほっと胸を撫で下ろした。

 確かに、アンディの言う通り、ここでは不思議なことばかりが起こるかもしれない。

 シェリアは、この領地では日常だったあらゆる現象が、領地の外では滅多にないことを王都に行って初めて知った。

「……鈍いねえさんは気付かなかったかもしれないけど」

 その通りだった。
 弟のアンディは随分と聡かったらしい。

 自分と同じエメラルドグリーンの瞳に見透かすように見つめられて、シェリアはふと思った。

 ───弟は、こんなことを考えていたのかと。

 今までは姉弟きょうだいと言っても、一日に二~三回ほど言葉を交わす程度だったから、知らなくても当然だ。

 別に、仲が悪いわけではない。 
 ただなんとなく、お互いの世界が噛み合わなかっただけ。

「……確かにね」

 シェリアがそう返すと、アンディは意外そうに目を丸くしたあと、「じゃあ」と去っていった。

 ───これが、シェリアが、失踪前の本物のアンディと交わした最後の会話だった。
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