レジェンド・オブ・ダーク 遼州司法局異聞

橋本 直

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日常

シャワー

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 先着の人物がいるらしくシャワーの音が響いていた。誠はそのまま静かに服を脱ぐと手前のシャワーの蛇口をひねった。

「神前曹長!」 

 隣から目だけを出している褐色の顔の持ち主に誠はびくりと飛び上がった。

 第三小隊三番機担当のパイロット、アン・ナン・パク軍曹。このまだ18歳の小柄な人物が誠の苦手な人物の一人だった。

「なんだ……アンか……」 

「僕だと不満ですか?」 

 そう言いながら近づいてくるアンに誠は思わず後ずさりする。その少女のような瞳で見られると誠は動けなくなる癖があった。

「神前曹長はいつも僕を避けていますね」 

 アンはそう言うと悲しそうにシャワーを浴び始める。確かにそれが事実であるだけに誠は頭から降り注ぐお湯の中に顔を突っ込んでそのままシャンプーを頭に思い切りふりかけた。

「そうですよね。僕なんか嫌いですよね。僕みたいに……」 

 そこまでで言葉を切るアン。

『おい……もしかして男が好きだとか言い出すのか?まじで勘弁してください!神様!仏様!』

 アメリアの小説を読まされ続けて蕩けてきた脳が妄想を開始する。大体が立場は逆で長身の上官がひ弱な部下を襲う展開が多かったが、一部には逆転している作品もあったのでボーイズラブの世界に落ち込むのではないかと恐れつつ時が経つのを待っていた。

「僕は……」 

 アンがそういうのとシャワー室の扉が吹き飛ぶのが同時の出来事だった。

「神前!いい加減に出て来いや!いつまで待たせんだ!」 

 怒鳴る、そして壊す。これは西園寺かなめの十八番である。男子シャワー室に一応女性のかなめが乱入してくるマナー違反よりこのままアンと二人きりで時を過ごすことを想像していた誠にはありがたい出来事だった。

「もう少し待っててくださいね……なんとかしますから」

 弱々しい誠の声を聞いたかなめが近づいてくるのが分かる。だが何か入り口の辺りで衣類をかき回すような音が誠の耳にも響いてきた。 

「おう、アンと一緒か……」

 しばらく沈黙が支配する。誠は息を殺して立ち尽くしていた。その隣では不安そうにちらちら誠の顔をのぞき見るアンの目が動いているのが見えた。

「……もしかして……」 

 背中にシャワーを浴びながら誠は立ち尽くしている。周りは見えないが明らかにかなめの気配は近づいている。しかしその様子がぴたりと止まった。誠が隣のシャワーを見るとアンの姿が消えていた。

「なんだよアン?」 

「西園寺さん!非常識ですよ!」 

 どうやらアンがシャワーを出てかなめの前に立ちはだかっているようだと言うのが目をつぶっていても分かった。誠は全身全霊をかけてアンに言いたいことがあった。

『変なことは言うなよ』
 
 だがそんなアンにかなめがひるむわけも無かった。

「なんだ?上官に意見か?いい度胸だ。そして付け加えると前くらい隠せ」 

 それだけ言うと明らかにかなめの足音は遠くになって行く。続いて蹴って外れた外の扉を直している音が響いてくる。誠はとりあえずの危機を脱したと大きく深呼吸した。

 だが安心は出来ない。しばらく誠は沈黙していた。

「大して汗もかいてねえんだろ?とっとと上がれよ」 

 扉を直しているかなめの叫び声が響く。好奇心に負けて外をのぞいて見ると目の前で食って掛かるには相手が悪すぎるとうつむきながら自分の個室に戻るアンがいた。彼の視線が責めるように誠に突き刺さる。それにどう答えるか迷っているうちに扉を抱えているかなめと目が合った。

「でも……西園寺さん。非常識ですよ。男子用シャワー室に乱入なんて」 

「は?いつも飲むたびに股間の汚えものを見せ付けて踊っている奴のいうことか?」 

 その言葉に誠は何もいえなかった。酒は弱くは無いが飲むと記憶が飛んでしまう誠の無茶な飲み方はどうにも治る気配が無かった。そして気が付くと全裸と言うことが何度も繰り返されていた。何も言い返せなくなった誠はレールに扉を乗せようと動かしているかなめを一瞥するとそのまま蛇口を最大にひねって無駄にお湯を出すと髪を激しい水流で洗い流した。

「僕は……」 

「黙ってろよ」 

 アンにそう言うと誠はシャワーを頭から浴び続ける。だんだん体中の石鹸の成分が抜けていくような感覚がなぜかいらだった気分を切り替えてくれていた。

「おい、終わったからな外で待ってるから」 

 そう言うと扉を取り付けなおしたかなめはドアを閉めた。しばらくシャワーの水の音だけが部屋に響く。

「よしっと」 

 誠はお湯を止めるとそのまま廊下に出てあることに気づいた。

「あ……勤務服は更衣室だった」 

 その一言にシャワーの上から顔を出すアン。だがドアの外にはさらに耳に自信のあるサイボーグのかなめがいた。

「おい、取ってきてやるからそこにいろよ。ロッカーのバックの中か?」 

「ええ、勤務服は吊るしてありますから」 

 かなめの気配がドアから消えた。

「やっぱり西園寺大尉のことが好きなんですね……不潔ですよ」 

 アンはそう言うとそのままシャワー室のかごの中のタオルで体をぬぐい始めた。

「不潔って……」 

「だってそうじゃないですか!神前先輩とクラウゼ少佐とホテルに入った所を菰田曹長が見たって噂ですよ!」 

「は?」 

 誠は呆れるしかなかった。菰田邦弘主計曹長。管理部門の経理部主任の事務方の取りまとめ役として知られる先輩だが、彼は誠の苦手な人物だった。ともかく彼の率いる誠の上官カウラ・ベルガー大尉の平らな胸を褒めたたえる団体『ヒンヌー教』の教祖を務めていて部隊に多くの支持者を抱えていた。

 カウラも明らかに迷惑に思っているが、それを利用して楽しむのが運行部のアメリア・クラウゼ少佐の日常だった。間違いなくでっち上げたのはアメリア。そしてそれに乗って騒いでいるのが菰田であることはすぐに分かった。

「あのさあ。そんなこと信じてるの?」 

 体を拭き終えてパンツをはき終えたアンに尋ねてみる。そのままズボンを履くと気が付いたように誠に顔を向けた。そしてしばらく首をひねった後、アンの表情が急に明るくなる。

「そうですよね。そんなことやる甲斐性は先輩には無いですからね」 

「甲斐性が無いってのは余計だよ」 

 そこでにやりと笑うアン。誠もしばらくは笑顔を向けていたが、そのアンの表情が次第に真顔に変わるのを見て目をそらした。

「本当に僕のこと嫌いなんですね」 

 悲しそうにそう言うとアンはワイシャツのボタンをはめ始める。

 沈黙。これもまた誠に重く圧し掛かった。

『早く来てくださいよ!西園寺さん!』 

 心の中で願う。一秒が一時間にも感じるような緊張が誠に圧し掛かる。そんな彼に熱い視線を投げて着替えているアン。

「おーいこれ!」 

 引き戸が開きかなめが誠の勤務服を投げてきた。

「有難うございます!」 

「はあ?濡れちゃったみたいだけどいいのか?」 

 誠はかなめの到着を確認すると涙を流さんばかりに自分のシャツに手を伸ばした。

「まあいいか。アン!かえでが探してたぞ!」 

「ああ、すいません」 

 着替えの終わったアンはかなめの言葉にはじかれるようにして飛び出していった。

「あのー西園寺さん」 

「なんだ?」 

「パンツを履きたいんですけど」 

 シャワーのブースの中でじっとしている誠を見てかなめは急に顔を赤らめた。

「散々見せられてるから平気だよ。さっさと着替えろ」 

「ふーん。こうして一歩、誠ちゃんと仲良くするわけね」 

 突然の言葉に誠もかなめも驚いて入り口に視線を向けた。満足げな表情のアメリアが全裸の誠をまじまじと見ていた。

「クラウゼ少佐……」 

「さっきかなめちゃんが言った通りじゃない。私も見慣れてるから平気よ」 

「僕が平気じゃないんです!」 

「へ?」 

 呆れたような顔に変わったアメリアの表情。明らかにそれが作ったような顔なのでかなめはその頭をはたいた。

「痛いじゃない!」 

「くだらねえこと言ってねえで仕事しろ!資料を取って来いとか言われてたろ?」 

「それはかなめちゃんも一緒じゃないの。このまま全裸の誠ちゃんを押し倒して……」 

「誰がするか!」 

 入り口でにらみ合う二人。誠は仕方なく飛び出してバッグから換えのパンツを取り出し無理に履いた。体を拭いていないので体に付いたお湯が冷えて水になってパンツにしみこむ。

「誠ちゃん風邪引くわよそんなことしていると」 

「お二人が出て行けばこんなことはしなくて済んだんですよ!」 

「もしかして私のせい?」 

 かなめと誠にそれぞれ視線を向けるアメリア。二人が頷くのを見ると次第にすごすごと入り口に向かうが、当然のようにかなめの袖を引いている。

「外で待ってるからとっとと着替えろ」 

 それだけ言うとかなめは入り口の引き戸を閉めて外に出て行った。

 一人きりになりようやく安心してズボンに足を通す誠。そのままワイシャツを着てボタンをつける。

「まだかー」 

「まだですよ」 

 待ちきれないかなめが外で叫ぶ。その隣であくびをしているアメリアの吐息が聞こえる。誠はワイシャツの腕のボタンをつけてさらにネクタイを慣れた手つきでしめると上着を羽織り、バッグを片手に扉を開いた。

「よし、行くぞ」 

 ようやく出てきた誠を一瞥するとかなめはそのまま歩き始めた。

「本当に気が短いんだから」 

「何か言ったか?」 

「べーつーに……」 

 振り返るかなめにとぼけてみせるアメリア。いつものように運行部の扉の前にある階段を上がり、医務室と男女の更衣室が並んでいる二階の廊下を歩く。誰もいない廊下に足音が響き。誠達はそれを確認しながら会議室の扉の前に立った。
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