レジェンド・オブ・ダーク 遼州司法局異聞

橋本 直

文字の大きさ
上 下
1,291 / 1,505
第18章 科学のしもべ

張り込み

しおりを挟む
「……なんやかんや言いながら、茜も司法捜査官なんだな。アイツの指定通りの場所に停めるとちゃんと動きが良く見えるわ」 

 納得するようにカウラのハコスカの窓からかなめは目新しいマンションを眺める。すでに東都理科大での一般教養科目の生物学の講義を終えて片桐博士が自宅のマンションに帰っていた。茜の指示でその三階の部屋の明かりが見通せる路地の坂の上にカウラは車を停めていた。

「今や花形の法術研究者でありながら、糊口をしのぐために一般教養科目の講師か。確かに屈辱でしかないだろうな」 

 カウラの声に誠もうなづいた。

 東都理科大は誠の母校だった。理系の専門大学の私大では東和でも一番の難関大学である。専門課程の研究室の准教授が高額の研究費を貰っているのに対して教養科目の講師の立場があまりにも低い待遇なのは誠も知っていた。

「しかし……男の影も無いのかよ?寂しいねえ」 

 まるで自分のことを考えずにつぶやくかなめの言葉にカウラは思わず噴出す。だがそれはかなめの耳には届かなかったようで彼女はひたすら車の中から夕闇に明かりの目立つ片桐博士の部屋を見つめていた。

「西園寺。あのマンションの訪問者の画像データは?」 

「当然手に入れたに決まってるだろ?あのオバサンがらみはとりあえず無し。これじゃあライラさんの部隊や東都警察の連中もすぐに手を引くだろうってことが分かるくらい綺麗なもんだ」 

 かなめの言葉と共にカウラと誠の端末にデータの着信を知らせる音楽が流れる。誠の深夜放送のアニメの主題歌が流れる端末を見て、かなめが監視をやめてニヤニヤ笑いながら助手席の誠を見つめてくるが、誠は無視してそのままデータを開いた。

「綺麗と言うか……この数ヶ月の間誰も訪れていないじゃないですか」 

「なんならお前が行くか?『お姉さんさびしいでしょー』とか言って」 

「そう言う話じゃなくて!」 

 かなめの冷やかすような視線を避けて誠は片桐女史のマンションを見上げた。築3年、東都の湾岸沿いの再開発で作られた新築マンション。博士号を持つ新進気鋭の研究者にはふさわしいといえるが、最近はすっかり研究から取残された知識人が住むには悲しすぎる。そんな感じを受けるマンションだった。

「あのさあ」 

 そう言って軍用のサイボーグらしく眼球に備えられた暗視装置でもなければ見えないような暗がりを見つめていたかなめの声が車内に響く。

「もし、オメエ等が一言の失言ですべての地位を失ったらどう考える?」 

 静かな調子でかなめがつぶやく。その言葉にはそれまでの軽口の調子はまるで無かった。

「考えたことも無いな」 

 運転席のハンドルにもたれかかりながらカウラはすぐに答えた。誠は突然の言葉にかなめに視線を向けていた。

「僕は……」 

 かなめは視線を薄い明かりの漏れる片桐博士の部屋に向けたままじっとしている。誠はしばらくかなめの言葉の意味を考えていた。

「簡単な言葉で済みませんが絶望するでしょうね。この世のすべてに……」 

 飲み込んだ誠の言葉が耳に届いたのか軽く頷くとかなめの表情に笑みを浮かべる。カウラはダッシュボードを開けると眠気覚ましにガムを取り出した。

「だろうな。カウラ、アタシにも一枚よこせ」 

 かなめはそう言うと視線を動かさずに手だけをカウラの手元に向けた。

「なら話は変わるが……神前。オメエが法術を使えると分かったときどう思った?」 

 ガムを噛みながらかなめがつぶやく。誠はしばらく沈黙した。

「正直驚きました。僕にはそんな特別なことなんて……」 

「驚いたのは分かるってんだよ。その後は?」 

 かなめの声に苛立ちが混じる。こういう時はすぐに答えを返さないとへそを曲げるかなめを知っている誠は、静かに記憶をたどった。

「何かが出来るような……あえて言えば希望を感じました」 

「希望ねえ」 

 口元に皮肉を言いそうな笑みが浮かぶ。そんななめがカウラがにらみつけた。

「人類に可能性が生まれる瞬間だ。希望があって当然だろ?」 

「小隊長殿は新人の肩をもつのがお好きなようで!へへ!」 

 ぼそりとカウラの言葉に切り返すと、再びかなめは難しい顔をして片桐女史のマンションに目をやった。

「その可能性を探求することを断念させられた研究者。その屈辱と絶望が何を生むのか……」 

 自分に言い聞かせるようにかなめはつぶやく。狭いカウラの赤いスポーツカーの中によどんだ空気が流れる。

「絶望したら違法研究に加担をしていいと言うものじゃないだろ」 

「実に一般論。ありがとうございます」 

 カウラの言葉をかなめはまた一言で切り返す。

「あの、西園寺さん。食べるものとか買ってきましょうか?」 

 いたたまれなくなって誠が二人の間に割って入った。二人はとりあえず黙り込む。

「パンの類がいいな。監視しながらつまめる奴、それで頼むわ」 

 かなめはそう言うとポケットを漁る。だが、カウラが素早く自分のフライトジャケットから財布を取り出して札を数枚誠に手渡した。

「私は暖かいものなら何でもいい」 

 そう言われて押し出されるように誠は車の助手席のドアを開けていた。人通りの少ない路地。誠は端末を開いて近くの店を探す。

 幸い片桐女史のマンションと反対側を走っている国道沿いにコンビニがあった。誠はそのまま急な坂を上ってその先に走る国道を目指した。走る大型車の振動。ムッとするハイトルクモーターの吐き出す熱気。地球人類の植民する惑星で唯一化石燃料を自動車の主燃料としている遼州ならではの光景だった。だが惑星遼州の東和からほとんど出たことの無い誠にはそれが当たり前の光景だった。

 凍える手をこすりながらコンビニの明かりを目指して誠は歩き続ける。目の前には寒さの中でも平気で談笑を続けている高校生の群れがあった。それを避けるようにして誠が店内に入った。

 レジに二人の東都警察の制服の警官がおでんの代金を払っていた。

 誠はカウラの言葉を思い出しておでんを眺める。卵とはんぺんが目に付いた。しかし、かなめに菓子パンを頼まれていたことを思い出し、そのまま店の奥の菓子パン売り場を漁ってからにしようと思い直してそのまま誠は店の奥へと向かった。

 『焼きたて!』と書かれたメロンパン。誠はそのクリーム色の姿を見ると、それがカウラの好物だったことを思い出した。

『カウラさんはメロンが好きだよな。でもメロンパンにはメロンが入っていないわけで……』 

 黙り込んで誠はつんつんとメロンパンを突くとかなめが食べそうな焼きそばパンを手に取った。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

もう、終わった話ですし

志位斗 茂家波
ファンタジー
一国が滅びた。 その知らせを聞いても、私には関係の無い事。 だってね、もう分っていたことなのよね‥‥‥ ‥‥‥たまにやりたくなる、ありきたりな婚約破棄ざまぁ(?)もの 少々物足りないような気がするので、気が向いたらオマケ書こうかな?

【完結】そして、誰もいなくなった

杜野秋人
ファンタジー
「そなたは私の妻として、侯爵夫人として相応しくない!よって婚約を破棄する!」 愛する令嬢を傍らに声高にそう叫ぶ婚約者イグナシオに伯爵家令嬢セリアは誤解だと訴えるが、イグナシオは聞く耳を持たない。それどころか明らかに犯してもいない罪を挙げられ糾弾され、彼女は思わず彼に手を伸ばして取り縋ろうとした。 「触るな!」 だがその手をイグナシオは大きく振り払った。振り払われよろめいたセリアは、受け身も取れないまま仰向けに倒れ、頭を打って昏倒した。 「突き飛ばしたぞ」 「彼が手を上げた」 「誰か衛兵を呼べ!」 騒然となるパーティー会場。すぐさま会場警護の騎士たちに取り囲まれ、彼は「違うんだ、話を聞いてくれ!」と叫びながら愛人の令嬢とともに連行されていった。 そして倒れたセリアもすぐさま人が集められ運び出されていった。 そして誰もいなくなった。 彼女と彼と愛人と、果たして誰が悪かったのか。 これはとある悲しい、婚約破棄の物語である。 ◆小説家になろう様でも公開しています。話数の関係上あちらの方が進みが早いです。 3/27、なろう版完結。あちらは全8話です。 3/30、小説家になろうヒューマンドラマランキング日間1位になりました! 4/1、完結しました。全14話。

「おまえを愛することはない!」と言ってやったのに、なぜ無視するんだ!

七辻ゆゆ
ファンタジー
俺を見ない、俺の言葉を聞かない、そして触れられない。すり抜ける……なぜだ? 俺はいったい、どうなっているんだ。 真実の愛を取り戻したいだけなのに。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

王家も我が家を馬鹿にしてますわよね

章槻雅希
ファンタジー
 よくある婚約者が護衛対象の王女を優先して婚約破棄になるパターンのお話。あの手の話を読んで、『なんで王家は王女の醜聞になりかねない噂を放置してるんだろう』『てか、これ、王家が婚約者の家蔑ろにしてるよね?』と思った結果できた話。ひそかなサブタイは『うちも王家を馬鹿にしてますけど』かもしれません。 『小説家になろう』『アルファポリス』(敬称略)に重複投稿、自サイトにも掲載しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...