レジェンド・オブ・ダーク 遼州司法局異聞

橋本 直

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第13章 新たな世代

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 ひんやりとした空気が水干を着込んだ嵯峨の体を包む。建物の中庭には枯山水が見える。廊下の角に立っていたSPが嵯峨が室内に入ってきたのを確認すると崩れかけた直立不動の姿勢を正した。

 そのまま嵯峨は一人で金鵜殿の禁殿に向かう廊下を歩き始めた。雑音も無く沈黙した空気の中、こうして禁殿に向かうことは実は嵯峨は一度も経験したことが無かった。

 嵯峨家は本来年に一度のこの金鵄殿での殿上会に参加することが義務付けられている四大公家の当主である。だが、彼は当主になってすぐに軍務で遼に向かい、そのまま地球軍の捕虜となった後は政治取引でアメリカ陸軍に引き渡された。三年後ネバダの砂漠から帰還した嵯峨は殿上会に所在の確認などを届け出ることもせず、三年の雌伏の後、一人娘の嵯峨茜を連れて東和に去ってしまった。

 そんな自分と無縁の晴れ舞台。嵯峨の視線の先にあるのは太刀持ちに副官である渡辺リンを引き連れて静々と歩いているのは彼の姪、日野かえでの凛々しい姿だった。

「柄じゃあねえんだけどな」 

 誰に言うと言うわけでもなく、嵯峨の口から自然と漏れた言葉。そして嵯峨は自分の瞳から涙がこぼれていることに気がついた。

 一瞬、かえでの視線が嵯峨に注がれる。思わず嵯峨はうろたえ、自然と顔に赤みが差すのを自覚する。それでもすぐにかえでは視線をまっすぐと向けて静々と歩き続ける。狂気と暴力が支配したかつての甲武。その政治闘争の見せた武力的側面のテロが嵯峨から妻を奪った。その事実は変えられないことは嵯峨もわかっていた。そしてそんな世界でしか生きられない自分のことも。

 嵯峨はそのまましばらく目頭を抑えたまま、かえでに続いて歩いていた家裁の渡辺要の後に続いて禁殿へと足を向けた。

 廊下は果てしなく続いた。

 嵯峨もこの建物の内部についてはほとんど知識が無かった。ただ姪を先導する女官についていくだけ。そして自分の目の前で彼から見ても凛々しく見える姪の姿に再び涙が出るのを堪えての歩みは重いものだった。幸い嵯峨の控え室に当たるである『茶臼の間』に至るまで誰一人として殿上会に出る公卿達とすれ違うことは無かった。

 静かに部屋の前に立っていた女官が正座をしてゆるゆると襖を開いた。部屋に入ろうとしたかえでが立ち止まったのを見て、嵯峨はそのまま部屋を覗き込んだ。

 五十畳はあろうと言う嵯峨家のためだけにあるはずの『茶臼の間』には先客がいた。

「遅いな、新三郎」 

 そう言って扇子で嵯峨を指していたのは宰相としての礼装を見に纏った兄、西園寺義基だった。

「ご無沙汰しております。父上」 

 そう言うとそのまま部屋の中央で座っている父の前へとかえでは歩み出る。嵯峨もその後をついて部屋に入って中の様子をうかがった。

 壁には金箔を豪勢に使った洛中図が描かれ、黒い柱は鈍い漆の輝きを放っている。正直、嵯峨はこのような場所にこれまで足を踏み入れなかった自分の決断が正しかったと思い、皮肉めいた笑みを浮かべながら西園寺義基の正面に座った。

「そこはお前の場所ではないんじゃないか?」 

 そう言う兄の声に気づいたように嵯峨は三歩後ずさった。そしてかえでは空気を察したように叔父の正面に腰を下ろした。

「この度の家督相続。祝着である」 

 その西園寺義基の一言を聞いた屏風の後ろに控えていた白い直垂の下官が三宝に乗せた杯と酒を運んでくる。その様子を見て、嵯峨はこれもまた家督相続の儀式であると言うことを初めて知った。戦中の嵯峨自身の家督相続はすべて書面だけで行われ、儀式をしようにも嵯峨の身柄は内乱の気配が漂う遼南の地にあってこのような舞台は用意されることも無かった。

 下官に注がれた杯を飲み干す西園寺義基。そして彼は静かにその杯を正面に座る娘のかえでに差し出した。かえでの手が震えているのが嵯峨の視点からも見て取れた。

 受けた杯をかえでは飲み干した。

「藤原朝臣楓子。三位公爵大納言に叙する」 

「ありがたくお受けいたします」 

 西園寺義基の言葉を聞くとかえでは拝礼した。それを見ながらそのまま三宝に置かれた酒器を持って下官は部屋を出る。

 完全に下官達が去ったのを確認するように伸びをした後、義基は突然足を投げ出した。

「ああ、待たせるなよ。つい地がでるところだったじゃねえか!」 

 そう言いつつ義基は手にした扇子を右手にばたばたと仰ぐ。嵯峨も兄の間延びした顔を見て足を投げ出す。

「これで新三郎はめでたく甲武の枷から外れたわけだ。しかし……」 

 義基の顔が緩んでいたのは一瞬のことだった。すぐに生臭い政治の世界の話が始まるだろうと嵯峨は覚悟を決めた。

「醍醐のとっつぁんの話なら無駄ですよ」 

 まだ緊張から固まったように座っている楓の肩を叩く嵯峨はそう言い切った。家督相続の儀式を半分終えた安心感から、大きくため息をついた彼女を見て嵯峨は少し自分を取り戻して兄の顔を見つめた。

「そうは言うがな。少しばかり話を聞いてくれないかね」 

 そう言いながら笑みを浮かべる兄を前にして仕方が無いと言うように嵯峨はタバコを取り出す。

「この部屋は禁煙だ」 

 そう言う西園寺義基に嵯峨は悲しげな目を向ける。

「こいつは俺の代に作った法律なんだがな。まあ新三郎対策とでも言うべきかな?ヤニで汚れたら甲武の伝統が汚れるだろ?」 

 そう言いながら西園寺義基はにやけた顔で嵯峨を見つめる。仕方なく嵯峨はタバコを仕舞う。

「僕は席をはずした方がいいですか?」 

 重い政治向きの話がなされるのを察したかえでが席を立とうとするが嵯峨は首を横に振った。

「お前も今から、嵯峨家の当主だ。それなりの責任は果たす必要があるんじゃないか?」 

 そう言いながら西園寺義基は弟に向かい合って座りなおした。

「醍醐君の気持ちも汲んでやってくれよ。あの人もそれなりに考えて今回のバルキスタンへの介入作戦を提案してきたんだからな」 

 兄の言葉に空々しさを感じて嵯峨は思わず薄ら笑いを漏らした。

「まあそうでしょうね。あの人が有能な官吏で軍人だって事は私も十分承知していますよ。確かにあの人の立場に俺がいたら……そう、今回の作戦と変わらない作戦を提案するでしょうから」 

『今回の作戦』と言う嵯峨の言葉に、西園寺義基は少し表情を強張らせた。

 義基は外交官の出身である。戦時中はゲルパルトとの同盟に罵詈雑言をマスコミで繰り返し官職を取り上げられ飼い殺しにされていた彼は、戦局が敗北の色を帯び始めた時点で講和会議のために再登用された。地球軍に多くのコロニーを占領され、死に体であった甲武だが、そんな中で西園寺が目をつけたのは戦争遂行能力に限界の見えてきた遼北人民国だった。

 素早く遼北の最高実力者、周衛首相を密かに訪れ電撃的な休戦協定を締結する方向に動く。遼北の停戦宣言で地球軍は甲武の首都、鏡都のある第四惑星降下作戦発動のタイミングを失った。そして地球軍は渋々講和のテーブルに付き戦争は終結へと向かった。その勲功により終戦を待たずして世を去った父重基を継ぐようにして政界へ西園寺義基を押し上げるきっかけを作った実績は誰も否定することが出来なかった。

 嵯峨が『今回の作戦』と言う言葉を使ったことが、醍醐陸相から首相である西園寺義基に受けている作戦要綱以上の情報を嵯峨が手に入れていると言う意味であることを義基は聞き逃すことは無かった。

「それなら今の立場。遼州同盟司法局の実力部隊の隊長としてはどう動くんだ?」 

 その言葉に嵯峨は思わず笑みを漏らしていた。

「それは醍醐さんにも話しときましたよ。実力司法組織として、でき得る最高レベルの妨害工作にでると。加盟国の独走を許せば同盟の意味が無くなりますからね」 

 西園寺義基の表情は変わらなかった。そして、そのままかえでへと視線を移す。

 父に見つめられたかえでは首を横に振った。もとより西園寺義基はかえでには嵯峨の説得が不可能なことはわかっていた。だが、とりあえず威圧をしておくことが次の言葉の意味を深くする為には必要だと感じていた。

「そうか。なら同盟の妨害工作が動き出すと。その命令はどのレベルからの指示だか教えてもらいたいな」 

 甲武も遼州星系同盟機構の構成国家である。比較的緩い政治的結合により地球圏からの独立を確保する。その目的で成立した同盟機構には超国家的な権限は存在しない。そのことを言葉の裏に意識しながら西園寺義基は血のつながらない弟に詰め寄った。

「同盟機構の最高レベル。そう言うことにしておきますかね」 

 嵯峨のその言葉は西園寺義基の予想の中の言葉だった。しかし、それは最悪に近い答えだった。

 この甲武国は『鏡の国』と呼ばれる帝国だった。遼州独立戦争。この星系に棄民同然に送られた人々と、先住民族『リャオ族』の同盟が地球の支配に反抗して始まった戦争で甲武の祖先達は独立派の中で数少ない正規部隊として活躍し、『リャオ族』の巫女であった遼薫と言うカリスマを引き立てることで独立を手に入れることになった。

 当時の遼州の各国家の意識はどれも国家意識と呼べるようなものではなく、独立の象徴として祭り上げられた巫女、遼薫を皇帝として元首に据えることを甲武は選んだ。そしてその名代として一枚の『鏡』をここ金鴉殿に設置してその国の柱石とした。

 しかし、初代皇帝遼薫は国を閉ざして両国は決別し、甲武国は『皇帝不在の帝国』として今度は遼州内国家でのパワーゲームの一つの極をなす国家となった。

 そしてその空位の皇帝の座の前で行われる今日の殿上会。

 にやりとその意味を悟って笑う弟の姿に西園寺義基は背筋の凍る思いがした。

「それじゃあ、失礼するよ。ああ、そうだった康子が帰りには必ずうちに寄るようにって言ってたぞ」 

 そう言って西園寺義基は立ち上がる。彼は兄の発した彼の妻からの伝言に次第に青ざめていく弟を見ながら笑顔で『茶臼の間』を後にした。
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