レジェンド・オブ・ダーク 遼州司法局異聞

橋本 直

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第2章 取材開始

邂逅

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 遼南共和国の北西の北兼州への人民軍の補給路である街道を走り続ける車があった。その外には視界の果てまで続く茶色い岩山だけが見えた。この山々は北へ向かうほど険しさを増し、氷河に覆われた山頂を抜ければこの星、遼州最大の大陸である崑崙大陸の北部を占める遼北人民共和国へと続く。中堅の戦場記者としてようやく自分の位置がつかめてきたジャーナリスト、クリストファー・ホプキンスは照りつける高地の紫外線を多く含んだ日差しに閉口しながら、疾走する車の助手席で雑誌を読み続けていた。

「まったく、遼州では紙媒体のメディアが主流を占めていると言うのはどういうことなんだろうな。この禿山だ。このままでは木を全部切り倒して砂漠化だ。地球の二の舞を舞うことになるぞ 」 

 クリスはそう言いながら後部座席の大男に叫んで見せた。

「そんなことは無いだろう。この星の人口は地球の五分の一だ。それに技術レベルは地球のそれとはあまり変わらない。紙をはじめとする製品のリサイクル技術は見るべきものがあるよ。むしろこういう紙媒体とかにこだわると言うポリシーは俺は好きだぜ 」 

 窓を開け外の空気を吸いながら、相棒である大男ハワード・バスは黒い筋肉質の右腕で体を支えながら、時折見える遊牧民達を写真に収めていた。

「あまり刺激しないでくださいよ。カメラのレンズは目立ちますからね。山岳民族との共存は人民政府の成立宣言の中にも明記されている重大事項ですから 」 

 クリスの右隣の運転席。そこには岩山の色によく似た遼南人民軍の大尉の制服を着た伊藤隼いとうはやとが運転を続けていた。その腕の鎌にハンマーのワッペンが縫い付けられている。それは彼が人民党の政治将校であることを示していた。

 道は千尋の谷に沿って延々と続いている。

「しかし、誰もが必ず銃を持っているな。危険では無いのですか? 」 

 クリスの質問に伊藤は笑って答える。

「彼らの銃は我々を撃つためのものではありませんよ。残念ながら我々には彼らを守るだけの戦力が無いですからね。その為に自衛用の武器として北兼軍団が支給しているものです。まあ、野犬達から家畜を守るために発砲するのに使った弾丸の数まで申告してもらっていますから問題はありません 」 

 そう言いながら決して路面から目を離そうとしない伊藤。遼南人民共和国の首都とされる北天州最大の都市北都を出て二日目になる。途中、北兼山脈に入ったばかりの地点で、三ヶ月前の北天包囲戦に敗れ孤立した共和政府軍の残党との戦闘がやむまで足止めを食らったものの、クリス達の旅は非常に順調なものと言えた。

「このトンネルを抜ければかなり景色が変わりますよ 」 

 伊藤はそう言うと巨大なトンネルの中に車を進める。点々とナトリウム灯の切れているところはあるものの、比較的手入れが行き届いているトンネルに入る。オレンジ色に染まった自分の手を見ながら、クリスはトンネルの内部を観察した。

「このトンネルは北兼軍閥の生命線ですから、常に点検作業と補修は行き届いています。まあ、三ヶ月前の北天攻防戦以降は補修スタッフも軍への協力が求められているのでこれからの管理については頭が痛いですが 」 

 相変わらず真正面から視線を外そうとしない伊藤の言葉に、助手席のクリスは苦笑いを浮かべた。

「しかし、なぜ我々を指名で呼んだのですか? 私の経歴は調べたと言っていましたが、当然その中には私の記事も含まれていると思うんだけど 」 

 その言葉にようやく伊藤は一瞬だけクリスの顔を見た。そして再び視線を正面に据えなおした。

「まず言葉の問題ですね。あなたの日本語は非常にお上手だ。遼南では日本語が話せれば一部の例外的地域を除いて事は済みます。我々には通訳付きの環境が必要な記者を必要としていない。それに記事についてなら隊長が言うには『信念の無い記者は百害あって一理も無い 』ということを言われましてね。それが理由です 」 

 そう言うと、伊藤は車を左の車線に移した。コンテナを満載したトレーラーがその脇をすれ違っていく。クリスはそれでも納得できなかった。

 自分では信念が無い記事を書いてきたと思っていた。どれも取材を依頼した軍の広報がすべての記事をチェックしてそれから配信が認められるのは戦場では良くある話だった。それに逆らうつもりはクリスには無かった。捕虜が無慈悲に射殺され、難民が迫撃砲の的になっていることもただ担当士官の言うようにその記事を消し去って通信社にそれっぽい記事を送ってきたのが現状だった。

 クリス達を指名した嵯峨惟基が胡州の大貴族の出身であることを知っているだけに、伊藤の言葉は嫌味にしか聞こえなかった。そして今相手にしているのは遼南人民党党員の政治将校。そんなクリスの視線は悪意に変わった。

「つまり日本語のしゃべれるアメリカ人の戦場ジャーナリストなら誰でも良かったということですね 」 

 クリスは皮肉をこめて言ったつもりだった。だが再びクリスに向き直った伊藤はあっさりとうなづいた。

「たとえお前さんがタカ派で知られる合衆国上院議員の息子で、前の仕事がベルルカン大陸でのアメリカ海兵隊展開のプロパガンダ記事を書いた記者だろうがどうでも良いということだ 」 

 薄暗い車内でカメラのレンズを磨いているハワード。彼の口に思わず笑みが漏れる。

「しかし、伊藤大尉。あなたは人民政府代表ダワイラ・マケイ教授直属で、高校時代からシンパとして活動しているそうじゃないですか。そのあなたがなぜ外様の嵯峨惟基中佐の飼い犬のようなことをやっているのですかね 」 

 皮肉には皮肉で返す。挑発的に伊藤を見るクリスの目が鋭くなる。記事で書くことと、取材で得た感想は多くの場合切り離して考えなければやっていけない。それはクリスにとってもはや常識としか思えなくなっていた。家を出て、アルバイトをしながらハーバード大学を卒業した彼がジャーナリストを目指したのは、彼に取材を頼む軍の幹部や政治家達を喜ばせるためでない。はじめのうちはそう思っていた。

 しかし、この世界に身を置いているうちに彼の正義感や真実を求めようとする情熱が、どれほど生きていくという現実の前で無意味かということは彼骨身に染みていた。彼が出かける先に広がっているのは、すでに結論が出尽くした戦場だった。状況を語る人々は怯えるように版で押したような言葉を口にするだけだった。ただそれを脚色し、クライアントの機嫌を損ねず、そして可能な限り大衆を退屈させないような面白い文章に仕上げること。それがクリスの仕事のすべてだった。

 これから向かう北兼州。そしてそこを支配する北兼軍閥の首魁、嵯峨惟基。父カバラにこの国を追われ胡州に逃れ、先の大戦では敗戦国胡州の非道な憲兵隊長としてアメリカ本国に送られ、帰還してきたと思えば母の無い娘を置き去りにして北兼軍閥の首魁に納まりこの内戦状況で対立した弟を眉一つ動かさずに斬殺した男。

 クリスには少なくとも彼に好感を抱く理由は無かった。それはハワードも同じだった。それ以前にハワードはこの仕事をうけること自体に反対だった。

 破格の報酬。検閲は行わないと言う誓約書。そして、地球人のジャーナリストとして始めての北兼軍閥の従軍記者となる栄誉。それらのことを一つ一つ説明しても、ハワードはこの話を下りるべきだと言い続けた。時に逆上した彼はコンビを解消しようとまで言いきった。

 しかし、宥めすかして北天まで連れてきて、遼北からの列車を降り立った時、ハワードは急に態度を変えた。

『子供の顔が違うんだ 』 

 ハワードはそう言った。カメラマンとして、彼は彼なりに自分の仕事に限界を感じていたのだろう。監視役としてつけられた伊藤はハワードがシャッターを切るのを止めることは一切無かった。

 それどころか督戦隊から逃げてきたという脱落兵を取材している時に、駆け寄ってきた憲兵隊を政治将校の階級の力でねじ伏せて取材を続けるよう指示した伊藤には、たとえその思想がクリスには受け入れられないものだとしても伊藤が信念を持って任務を遂行していることだけは理解していた。

 そんな伊藤ももうトンネルに入ってずいぶんたつというのに相変わらず正面を見つめているだけだった。この政治将校が何故クリス達を優遇するのか、クリスは早くそのわけを知りたかった。

「ずいぶん長いトンネルですね 」 

 沈黙にたまりかねたクリスの声に伊藤は頷く。その表情を見たあと、クリスはそのままナトリュウム灯の光の中、じっと周りの気配を探っていた。そしてクリスはあることに気づいた。

 すれ違う車が少ない。あまりにも少ないと言うことだった。嵯峨惟基中佐に率いられた北兼軍団は現在、北兼州南部に広がる北兼台地と西部と西モスレムとの境界線に展開しているはずだった。その西モスレムとの複雑に入り組んだ国境は山岳地帯であり、戦術の要衝の確保を狙う共和軍とアメリカ軍の合同軍と遼北から受け入れた亡命遼北軍が対峙している。

 先の大戦で皇帝ムジャンタ・カバラを追放したガルシア・ゴンザレス大統領貴下の共和軍は遼南北部で遼北人民共和国の支援を受けた北都の人民軍の拠点北天攻略に失敗し、北兼山脈を越えて敗走していた。これに危機感を抱いたアメリカは派兵を決断、南都州の在遼州アメリカ軍を出動させ孤立した共和軍部隊の救助に向かうと同時に人民軍や北兼軍閥、さらに北兼軍閥とともに人民軍側での参戦を決めた東海州の花山院軍閥に対する攻撃を開始していた。そのような状態で物資はいくらあっても足りないはず、クリスはそう思ってすれ違う車を待った。

 遼南の分裂状況とアメリカなどの地球軍の介入に危機感を抱いていたこの崑崙大陸の東に浮かぶ大国東和共和国は、遼南上空における人道目的を除くすべての航空機の使用に関して実力行使を行うとの宣言を出していた。この声明が出された直後、東和の決断など口先だけだと飛ばした輸送機を撃墜されて以降、東和の介入を恐れた共和軍は物資の多くを北兼山脈の北側、人民軍の勢力圏に放棄しなければならなかった。

 その事実を嵯峨は知っているはずである。遼北での教条主義者による大粛清を逃れてきた嵯峨の従妹、周香麗大佐率いる『魔女機甲隊』と言う切り札的機動部隊を有しているとは言え、現在は物量の優位を生かすために物資を北天の人民軍本隊に依存するのが自然だとクリスは踏んでいた。

 だが物資を積んだトレーラーとすれ違うことは無かった。クリスを乗せた車はひたすら一台だけで猛スピードでトンネルの中を進んでいる。

「もうすぐ出口ですよ 」 

 そう伊藤に言わせたくらい、この沈黙は重苦しいものだった。この前線に向かう旅の間、クリスには質問したいことが次々と出来ていた。伊藤は多くを答えてくれるが、逆にその回答の正確さにこれまで情報統制の戦場ばかりを経験してきたクリスには違和感ばかりが先にたった。

「そう言えば、ほとんど車が通っていないようだが…… 」 

 我慢しきれなくなったクリスがそう語りかける。伊藤は再びクリスの顔を一瞥する。かすかに小さく光り輝く点が視界に入った時、ようやく伊藤は口を開いた。

「現在、北兼軍は西部ルートを通して物資の補給を行っています。それと遼北軍部の理解ある人々や遼州星系の企業、組織には我々を支援する勢力も存在します。北天の教条主義者に頼る必要は無いんですよ。まあ戦争では何か起きるか分かりませんからこうしてルートの確保だけはしていますがね 」 

 丁寧な言葉だが、最後の一言に伊藤は力を込めた。最近、遼北への訪問を繰り返す人民政府高官の動きはクリスもつかんでいた。遼南人民政府代表となったカリスマ、ダワイラ代表が病床にあると言う噂もクリスは耳にしていた。そしてこれまでの伊藤の言葉の端からそれが事実であるという確信を得ていた。

 共和軍の北天包囲作戦発動まで東海をめぐる一部の戦闘で人民軍に協力して見せたこと以外には中立を守っていた北兼軍閥の突然の参戦。独自の補給路を確保し、人民政府に揺さぶりをかけようとするその姿勢は嵯峨と言う男が優れた軍政家であることと何かしらの野心を持っていることを示しているように見えた。
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